新ジャンル。
一般人ツッコミ枠箱推し限界トウカイテイオー(プリティー)。
その後のトウカイテイオーは、あれから何があったかを良く覚えていない。
まるで夢の中にいるようなふわふわとした居心地のまま、気付けば家に帰っていた。
それからご飯を食べていて、お風呂に入っていて、そしていつの間にか布団に包まっていた。
翌朝。
起きる。
寝ぼけ眼でイスに座って、テレビを付けて。
いつものように、ご飯を食べようとして。
【有馬記念の優勝者、シンボリエウロス】
【奇跡の復活。二度目の飛翔】
【今年の最優秀クラシック級ウマ娘は、シンボリエウロスかオグリキャップか?】
【シンボリエウロスの復活は何故? あの時の少女は一体!!】
お箸で掬ったお米を、いざ一口食べようという時。
ようやくトウカイテイオーは現実に戻った。
「あ」
そうだ。
ボクは昨日、有馬記念を見に行って。
悪い夢を見たから堪えられなくって無理矢理地下バ道にまで押し入って。
それから。
それから……。
——名前を、教えてくれますか。
——また私が空を飛んだら。貴方は泣き止んでくれますか?
——これは、貴方に渡します。
——トウカイテイオー。貴方が皇帝を超えてください。
——テイオー君。ちゃんと勝って来ましたよ。
——……また私が空を飛んだら、泣き止んでくれると言っていたのに。
「——わぁぁぁあ゛あ゛あ゛ッッ!!!」
全て……思い出した。
あの日の出来事と、自分がやっちゃった事と、あと自分の色んな醜態共々を。
冷静に後から客観的に振り返って見て、あの時のテンションとか発言内容とか痛々しい行動に気付いて悶えるアレである。
現在10歳。しかし天才故の、ちょっと早めな思春期。
トウカイテイオーの心は今、限界を迎えようとしていた。
「うわっ……う、わぁ……。あ、ぅぁ……あっあっ………ぁぁぁぁぁ………」
速攻で部屋に戻り、布団を顔に思いっきり被り、ジタバタと叫ぶ。
うるさくして怒られない為にだ。こういう所で、トウカイテイオーの普通に冷静で頭が冴える部分が確かに働いていた。
——赤いマフラーを渡した奴あるじゃん。自分のお下がりの。
そしてその、トウカイテイオーの冷静な部分が無慈悲に言う。
——アレ、ちょっとやってる事やばくない?
そう。やばい。冷静に考えてかなりやばい。
だってお下がり。さっきまで身に付けていた物を渡したのだ。
やってる事がもう、厄介ファンとかそういう感じである。
つまり痛々しい行動である。
——いやでもボク……! あの赤いマントを貰ったし! あの人から大事な物を託されたし!
——それとこれとは話が別でしょ。
ぬ……ぐぐ、ぐぬぬぬぬっ……!
身悶えている心の中のテイオーと、ちゃんと冷静になって振り返った方が良いよと優しく無慈悲に喋る頭の中のテイオーが、凄まじい攻防を繰り返している。
振り返れば、嫌な夢を見て、怖くて耐え切れなくなって関係者しか立ち入れない地下バ道にまで踏み入っているのは明らかにいけない事だ。
どうしてそこが、関係者以外立ち入り禁止なのか、という事である。
下手をしたら、自分のせいでシンボリエウロスが負けていたかもしれない。
そういう可能性に気付いて、トウカイテイオーは本当に頭を抱えた。
というかもう……自分の発言はまるで、あの人を責め立てているみたいだったじゃないか。
それで泣き喚いて、色々と迷惑をかけて……。
——ちゃんと謝らないとダメだよ。結果的に良かったとはいえ、そういう所はしっかりケジメは付けなきゃ。
——うん……。
トウカイテイオー。
年頃の少女だが、かなりモラルマナーがしっかりしているウマ娘。
もしかしたらボクがまだ知らない、勝負服関連の規則で迷惑をかけたかもしれないし、ちゃんと話をしないと、と彼女は沈んだ気持ちで反省しながら携帯電話を取った。
そう。実はトウカイテイオーは。
あのドタバタの後で樫本理子と連絡手段を共有していた。
現実に戻った彼女は、心の片隅でそれを覚えていた。
——あぁー……どうして連絡先を互いに共有したんだっけ……?
アレか。関係者じゃないボクが迷惑をかけて、その為か。
色々話し合わないといけない事ありそうだもんね。
ひとまず納得しながら、彼女は樫本理子に電話をかける。
あの有馬記念が終わってすぐで多分忙しいだろうし、繋がらなかったら、取り敢えずメッセージを残そう。
『はい。シンボリエウロス担当の樫本理子です』
そんな予想を裏切るように、連絡は一瞬で繋がった。
2コールもしない内に、樫本理子は電話に出た。
『テイオー君ですね。そろそろ連絡が来ると思っていました』
「え」
『凡そは把握しています。ただ、そちらに報道関係は訪れていますか?」
「え………?」
何だ。一体どういう事なのだ。
話が噛み合ってないというか、多分、この人はボクがまだ知らない話を知っているかのように話している。
『……ごめんなさい、少し………担当のシンボリエウロスとやり取りしているように話していました』
「あ、うん……」
『何か私達に用件があったのでしょうか? テイオー君から話して構いませんよ』
通話越しの困惑で、凡そを察知したらしい。
樫本理子は一つ謝罪を挟んでから、トウカイテイオーを促す。
——なんか………子供扱いされてる?
凄い仕事人間みたいな見た目をしていて、実際にキビキビとした口調をしている。
短い間柄ながらトウカイテイオーが樫本理子に抱いた印象は、出来る人であった。
だけど何か、特別に話し方が柔らかい。ちょっとイメージが変わるくらい。
妙な所で勘の良さを発揮させつつ、しかしそれは一旦後回しにして、トウカイテイオーは話し始めた。
「あの、思い返してみたら昨日は色々と迷惑をかけていた事に気付いて………勝手に現役のウマ娘に詰め寄ったり、勝負服の事とか、ボクが勝手に渡したマフラーとか、本当に大丈夫だったのかなって」
『………確かにレース直前のウマ娘は特に集中して気を張り詰めています。カメラのフラッシュ一つで万全に走れるか走れないかが変わるほどです。何より気が立っているウマ娘もいる事を考えれば、貴方が蹴られて怪我をしていたかもしれません。シンボリエウロスはアレで、かなり容赦のない気性難です』
うぐ……っ、とトウカイテイオーは胸を押さえた。
あの日、地下バ道に侵入した事がバレて樫本理子に連行された時は、時間も時間だったから不法侵入を咎められる程度に留まったが、こうしてちゃんとした理由を付けて怒られると、しっかり心に来る。
電話越しに、小さく丸くなりながら、トウカイテイオーは樫本理子からの説教を聞いていた。
『でも、貴方のおかげでシンボリエウロスは大きく持ち直しました。その事実は変わりません』
「…………うん」
『結果的には、と付く以上、確かに貴方の行いは良くないものですし、これからの免罪符にはなりません。ただそれでも、私達は貴方に感謝を伝えなくてはなりません』
神妙な、それでいて確かな誠意を以って樫本理子は続けた。
通話越しの樫本理子には、怒りの感情は何一つなかった。
『テイオー君。ありがとうございます。貴方のおかげで、シンボリエウロスはまた走れるようになりました』
「う……うん」
後やっぱり、すっごい子供扱いされてる。
怒りがない代わりに、もうなんか柔らかな雰囲気が通話越しに滲み出ている。
そこにちょっとの対抗心と反抗心を覚えつつ、しかしそれをここで表に出すほどの強情さを彼女は持ち得なかった。
トウカイテイオーは意外と空気の読める子であった。
『それと勝負服の問題は特にありません。シンボリエウロスが、あのマフラーを勝負服の一つに組み込むという申請もすぐに受理されました』
……良いんだ。
此方の問題は、極めて短い会話ですぐに終わる。
まぁウマ娘によっては、結構ヒラヒラした勝負服で走っている子も多いから、赤いマントが赤いマフラーに変わった程度なら別に問題ないのかもしれない。
トウカイテイオーはまた一つ賢くなった。
自分が手渡したあのただの防寒着が、もう既に勝負服の一部になっているという事実に、むず痒いものを感じながらも。
『貴方の用件……懸念は以上でしょうか? でしたら、もう気にしないで構いません。貴方の誠意も、貴方の真摯な想いも、私達は全て受け取りました』
「うん……」
『では、申し訳ありませんが此方の用件を手短に』
そういえば、そうだった。
彼女は何かを共有しているだろう前提の話をして来た。
トウカイテイオーは耳を傾ける。
『今、貴方が全国的に有名になっています』
「………えぇ?」
『テレビは付けられますか』
リモコンを取って、自室のテレビを付ける。
適当に番組を回せば、凡その出来事は把握は理解出来た。
「あー……」
『これは申し訳ありません。私とシンボリエウロスが軽率でした』
「え? いやこれは、別に」
シンボリエウロスは有馬記念を勝利した。
そして当然だが、有馬記念は全国放送されている。
その上で、何やらシンボリエウロスは皇帝を模したマントではなく、赤いマフラーを着てレースを走り、しかもある少女がその皇帝を模したマントを代わりに着けている。
何ならレースを勝った直後にその少女と話しているし、担当トレーナーである樫本理子の隣でレースを見ていたしで、関係性が疑われている。
あの少女——小さなウマ娘は誰だ。
そういう動きが働くのは自然な事だった。
現在、有馬記念の勝利インタビューが放送されている。
画面の中では、シンボリエウロスが卒なく答えていた。
『質問ですが、あの少女は誰なのでしょうか! 関係性は!』
『私のファンです。春のファン感謝祭から親しくなりました。時々手紙も送ってくれていたんですよ』
……そんな事までしただろうか。
ボクはしていない。元々対抗心を燃やしていたトウカイテイオーはそこまでのやり取りをしていなかった。故にこれは、多分敢えての嘘だろう。
そこまでの関係だから相手に迷惑をかけるなよ。詮索するなよ、という。
シンボリエウロスは今までファンとの関係が希薄……或いは謎が多かったのと、奇跡の復活という話題性も合わさって話は盛り上がっているが、現役ウマ娘とそのファンがやり取りをするのは良くある話だ。
これも、あくまでその延長線上。
報道関係側が、何かここから逸脱するような真似をするなよと、彼女達陣営は釘を刺している。
『ただ、私と彼女の関係はこれ以上詮索されたくないですし、明かしたくもないですね。これは私だけのモノなので』
そう言う横で、首に巻いた赤いマフラーが揺れていた。
「…………」
『恐らく報道関係が貴方を見つける事はありませんし、特定もされないと願っていますが、もしも何かあればすぐに連絡を寄越してください』
「あ、うん。じゃあその時は」
とは言いつつも、トウカイテイオー本人は自分が有名になっている事は気にしていなかった。
彼女達に迷惑をかけちゃったなぁ、という部分だけを気にしている。
誰にも迷惑をかけず、誰かを利用するような形でなければ、むしろトウカイテイオーは自分が有名になる事を喜ぶタイプだ。
——トウカイテイオー伝説は、ここから始まるのだぞよー!
皇帝を越える、帝王に。
いつか必ず中央に入り、自らの存在を世に知らしめる事を本気で夢見ている彼女からすれば、ふーん……? くらいの話である。
ただ本当に、誰かに迷惑をかけたり利用する形で有名になるのは嫌というだけで。
「あ、でもちょっと自分の泣き顔が有名になるのは嫌かも……」
彼女達陣営が尽力してるから多分そういう事にはならなさそうだが、もしもボクがカメラの前に出るような事があれば、自分はいずれ皇帝を越えるウマ娘なのだと。
そして必ず、あの日の夢の続きを始めるウマ娘なのだと、そう宣言しよう。
樫本理子とのやり取りを終えたトウカイテイオーは、有馬記念関係の番組を流しながら、密かに闘志を燃やしていた。
その時、不意にトウカイテイオーの持っていた携帯電話が震えた。
何だろう。
先の事もあって、トウカイテイオーはすぐに画面を見た。
『こんにちは。昨日振りですね。今回は私の軽率な対応でテイオー君に迷惑をかけてしまったと思います。私の担当からお話は聞いたと思いますが、周りの環境はお変わりないでしょうか?』
一瞬、呼吸が止まる。
名前の欄が、シンボリエウロスと書かれたアカウントからのメッセージだった。
そう。トウカイテイオーは樫本理子と連絡先を交換している。
つまりそれは、シンボリエウロスからもトウカイテイオーにメッセージを送れるという事でもあった。
慌てて返事を打つ。
『本当に全部、全然大丈夫! むしろボクが迷惑をかけたんじゃないかって心配で』
『そうでしたか。それなら私達も安心です。ただ今後、私達陣営は貴方との関係性の補強の為に幾つか嘘をついたり誤魔化しを重ねると思います。もしもの事があればすぐ私達に連絡をください』
トウカイテイオーとしては、本当に大丈夫なのだ。
だから色々な意味を込めて大丈夫と伝えて、ちゃんとその意味は伝わったらしい。
ふーっ……! と息を吐いて安堵する。中々心臓に悪い。
後、時間を奪っているみたいで落ち着かない。
トウカイテイオーは、モラルを弁えた常識人であった。
『では今ではなく、未来の話をしましょう』
しかし相手は、隙があれば戸惑いもなく常識を飛び越え、必要があれば一切容赦をしない対応をするウマ娘であった。
『話は少し変わりますが、私のトレーナーはとても優秀な方だと思います』
トウカイテイオーが反応に困っている間に話が進む。
どういう事……? とは思いつつも、確かにとは思った。
樫本理子。実際にシンボリエウロスを担当していて、シンボリエウロス本人も彼女を選んでいるのだから中央のトレーナーの中では特に優秀なのだろう。
実際に相対して、少し話してみた限りでも仕事出来るんだろうなー、といった雰囲気はひしひしと感じている。
『ちなみに、実は私もやろうと思えばトレーナー業務に携われます』
「え」
思わず呟く。
そしてトウカイテイオーからの返事を気にしていないかのように、どんどん話が展開されていくメッセージ。
『元々、トレーナーとして養育されていたんです。最初は自分一人でトレーニングメニューやローテーションを決定していました。現役で走っている今でもサブトレーナーとしてならそれなりの仕事が出来ると自負しています』
あのシンボリエウロスが……あの皇帝の妹がトレーナーとして養育されていた、なんて事をトウカイテイオーは初めて聞いた。
嘘とは思えない。明らかにこれは、シンボリ家の内情に関わる感じの、世間に公表してはいけないレベルの秘密なのではないか。
『テイオー君』
故に、その困惑と動揺故に。
トウカイテイオーはどうしてこんな話が繰り広げられているのか、見当が付いていなかった。
『いつか貴方は必ず中央トレセンに入学するでしょう。その時は是非とも私達の部室をお尋ねください』
「…………え?」
『本来、担当契約は個人ではなくチーム制が主体ですからね』
その言葉を最後に、勢い良く流れていたシンボリエウロスのメッセージは止まった。
何というか、本当に話したい事だけを話すような人で、結構なレベルで話の軸以外は説明をしない圧縮言語みたいな感じで意思疎通をする人で。
つまり。
今のは要するに。
「え………?」
トウカイテイオー。
現在10歳。中央トレセン学園の入学が近付いているお年頃。
彼女の未来のレース結果は分からない。ただ。
恐らく彼女の、未来のトレーナー達は。
もう、決まった。
有馬記念を勝った事による最低限の用事を済ませたシンボリエウロスは、僅かな隙間時間を確保しては、すぐさま足早に総合病院に向かった。
自分の脚の容態を確かめる為にではない。それはもう、最優先で済んでいる。
一言で言えば無事。彼女の脚は、10.0秒の壁を本当の意味で越えられたのだ。
だから彼女が総合病院に向かうのは、自分の為ではなく他人の為である。
それは見舞い。有馬記念で最下位入線して、レース後に再び故障が判明した姉貴の。
「今度は普通に骨だとよ。脛骨を折ったらしい。まぁ潮時だったんだろうさ」
「毎日王冠からジャパンカップを挟んで有馬記念は流石に無茶だったんじゃない?」
「は? お前が言うな、お前が」
総合病院の一室。
皐月賞直前の故障と、まるで瓜二つの光景の中で二人はやり取りをしていた。
尤も、シリウスシンボリの故障の具合で言えば、以前の時よりかは軽い。
3〜4ヶ月ほどで普通に元に戻るだろう。回復が順調なら更に早く済む。
ただもう、これをきっかけにシリウスシンボリは完全に引退するだけで。
「そもそも私がジャパンカップにも進んだのは、お前が来なかったからだ」
「ふーん」
「……テメェ」
「ありがとう」
……チッ、と吐き捨ててシリウスシンボリは外方を向いた。
素直じゃないのである。シンボリエウロスの方も人の事は言えないが。
「約束、守れた?」
「あ?」
「言ったよね、私。あの時」
有馬記念で待ってる。
あの時の宣言通りには行かなかった。三冠もジャパンカップも取れなかった。
待っていたのは、シリウスシンボリの方だった。
だけど。
「有馬記念にいた私は、最強だったよ」
「………そうだったな」
「だから、悔いはない?」
「…………」
一瞬、遠い目をして。
シリウスシンボリは笑った。
「あぁ。もうない」
「そう。じゃあ私も特に悔いはない」
よって、これ以上の会話に必要性はない。
シンボリエウロスは立ち上がって、足早に病室を離れようとする。
結局のところシンボリエウロスは相変わらずで、彼女達の関係も特に変わらなかった。
短い会話だけで済む、付かず離れずの関係性。
姉貴分も、今更それにとやかく言うほどでもなかった。
「エウロス」
そして、病室の扉に手をかけた妹分の背中にシリウスシンボリが告げた。
「頑張れよ」
何を今更。
そんな呆れ顔で、そしてシンボリエウロスは振り返る。
「当たり前でしょ」
自信に溢れた不敵な笑み。
病室を離れて、シンボリエウロスは総合病院を出る。
端的に言えば色々予定が詰まっていて忙しいのである。
時間的余裕はほとんど無い。
「…………」
それでも、何とかこうして隙間時間を作ったのは事実。
樫本理子トレーナーの迎えが来るのにも少しだけ時間はある。
シンボリエウロスはある事を思い直して、不意に携帯電話を手に取った。
数コールの後、その相手と繋がる。
『………は? なんでこの番号知ってんの?』
ポートモガミ。
日本ダービーに出られなくなって。
そして、シンボリエウロスを変えるほどの言葉を突き付けたウマ娘。
「貴方のトレーナーさんから聞きました」
アイツ……、と恨めしそうな声が通話越しに聞こえる。
多分、ポートモガミとそのトレーナーの関係は良いものだと思いたい。
取り敢えず、ポートモガミから日本ダービーを奪った側のシンボリエウロスに連絡先を教える程度には良い人だったので、大丈夫だとは思う。多分。
『………で? あの稀代のシンボリエウロス様が私目のようなウマ娘に一体何のご用なのでしょうか? 最初に言って置くけど、あの日の事、私謝らないし絶対に——』
「責任、取れましたか」
矢継ぎ早に話し始めるポートモガミを遮るように、その一言を告げる。
——責任を取れ、シンボリエウロス。
あの日の言葉。その行末はまだ定まっていない。
心の中ではまだ、あの日の彼女の慟哭が渦巻いていた。
『…………』
「私は、貴方の空になれましたか?」
『アンタ……ッあ、の……あの一言で、こんな——」
言葉に詰まって、何度も何度も息を呑んで。
少しの間を置いてから、ポートモガミは答えた。
『………あの日から、アンタの調子が悪くなったって聞いて、私………。絶対に私のせいだと思ってて』
「もう復帰しました。貴方が私の背中を叩いてくれなかったら、今の私はここに立っていないと思います」
『………右目は』
「一気に見えるようになって来ました。シニアの春シーズンが始まる頃には元の視力に戻るらしいです」
『………脚は』
「有馬記念は勝ちましたよ?」
『……………』
「責任、取れましたか?」
通話越しで、小さな息遣いだけが聞こえた。
やっぱり、返事が返って来るのには時間がかかって。
『………ばーか』
その一言を最後に、通話は切れた。
返事という返事ではないし、しっかりとした答えではなかったけれど、それでも今の言葉がポートモガミの全てだったように感じた。
シンボリエウロスもまた、携帯電話を仕舞う。
それ以上に、彼女から言葉を引き出したいとは思わない。
シンボリエウロスとポートモガミの関係は、きっとここで終わりで、これ以上は進まなかった。
シンボリエウロスは進む。
まだ、有馬記念を勝った事による予定が詰まっていた。
そして、月日は流れた。
有馬記念はクリスマスの日に行われ、そして世間的には冬休み。
一年の総決算が終わった以上、中央トレセン学園も一時休眠中である。
一年、経ったのだ。
地方でオグリキャップが出走したゴールドジュニア杯を見て、そこから始まったクラシック登録問題。
共同通信杯を駆け抜け、弥生賞を駆け抜け。
皐月賞。クラシック戦線が始まった。
日本ダービー。菊花賞。ジャパンカップ。そして有馬記念。
それが全て、この一年の話だった。
1月10日。
新年が明けた。
お正月は、久しぶりにシンボリエウロスは実家のシンボリ家に戻ったし、日本ダービーの故障で行方不明になっていた予定である休養。温泉旅行にも、樫本理子と一緒に行った。
色々あったが、それでもやっぱり運命というものは当たり前のように続いて行ったし、そしてまた新しい一年は始まったのだ。
クラシックを走り終えた、シニア級。
シンボリエウロスは、また新しくなった教室の扉を開く。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁ!! やっと来やがったなお前ぇぇ!!!」
——ッ!?
思わず、シンボリエウロスが耳をキュッと閉じて身構えるほどの衝撃だった。
声だけではない。刹那、弾ける炸裂音。
火薬の匂いに混じり、ヒラヒラと色とりどりの紙テープが宙を舞っている。
シンボリエウロスは遅れて、大量のクラッカーが音を立てたのだと気付いた。
「お前、お前……! 本当に冬休みの間、一度も学園に来ないままで………っ」
「…………」
先程絶叫を挙げたウマ娘が、何個もクラッカーを手に持った姿勢でわなわなと震えていた。
背後には大きな大きな、ウェディングケーキと見紛うほどの巨大なケーキ。
シンボリエウロス復帰おめでとう! の横断幕が掲げられ、紙テープや色紙を使って、教室中はパーティ会場のように飾り付けされていた。
教室の四隅には、もう明らかに時期を通り過ぎてしまったクリスマスツリー。
察する。色々を。
「有馬記念はクリスマスに行われるから、12月26日にやろうって………有馬組が欠けていたら盛り上がりに欠けるって………」
「…………………」
「アルダンちゃんなんて、すごい張り切っていたんだぞお前!! お前以外の有馬組はちゃんと来たんだぞお前!!」
「……………」
何というか、本当に居た堪れない雰囲気になってくる。
ついでに言えば今日は新年明け最初の日なので、同じクラスメイトの子は皆いる。
つまりオグリキャップもディクタストライカもスーパークリークもここにいる。
当然、サクラチヨノオーもヤエノムテキもメジロアルダンもいる。
その全員が、何というか、とても居た堪れない顔をしていた。
いや、一人だけは分からない。
張り切っていたらしいメジロアルダンは、何故かひょっとこのお面を被っていた。
いつもの制服姿で、何故かひょっとこのお面だけ被って此方を見ているメジロアルダンは、何というか、言い知れない圧がある。
「もしかしたら、次の日は来るかもしれないから、ちゃんとケーキは焼き直して……」
焼き直したんだ。毎日か。凄いな。
執念と財力的な意味で。
「毎日ローテーションを組んで広場で待機していて…………来たらすぐに皆で集まれるようにしてて…………」
「………………」
「結局今日まで来なかったから、教室を飾り付けて………」
「………………」
「お前見ろよ! オグリちゃんなんか毎日ケーキ食べてたんだぞ!」
指差した先には、ちょっと具合悪そうな表情でケーキを食べているオグリキャップがいた。
「流石に………二週間毎日ケーキは………」
それでも食べる。
そして最後の一口を食べて、オグリキャップは燃え尽きるように倒れた。
「私でもツライ………」
「あぁ! オグリちゃん! しっかりして!!?」
慌てるように駆け寄るウマ娘達。
いつの間にか、オグリキャップは仲良くなっていたらしい。
きっと多分、共に困難に立ち向かう戦友のような、そんな感じの一体感があったのだろう。
周りのウマ娘達も——もしやとは思うが、クリスマスから今日まで毎日同じだけ作り上げた、ウェディングケーキみたいなこれと格闘していたらしい形跡がある。
口元が、ホイップクリームで汚れているのだ。
「シンボリエウロスお前責任取れ!」
「そうだそうだ! 私なんかケーキの食べすぎで体重増えてトレーナーに怒られたんだからな! 責任取れ!」
「ぅぅう……ぅぅぅえぇぇ——うわぁぁぁん!! 私達の空が戻って来てよがっだぁぁ!! よがっだょぉぉ……!! 今すぐこのケーキだべろぉぉぉっ!!」
一人が、泣いているんだかキレ散らかしているんだが分からない様子で、フォークに突き刺した一口サイズのケーキを此方に押し付ける。
変なところで気が利く——とは思ったので、流石のシンボリエウロスもそのまま甘んじて口を開けた。
突っ込まれる。
というほどの勢いは何故か一切無く、普通に優しさと気遣いを感じながら食べさせて貰う。
「………美味しいです」
「当たり前だろうが!」
「………本当に、何というか…………」
「この為だけにメジログループを動かしたアルダンちゃんに感謝しろ!!」
促されて、ありがとうございます……と頭を下げれば、メジロアルダンは何故か無言のまま首を縦に振った。
変わらずひょっとこの仮面は被っている。何故喋らないのか。何故ひょっとこの仮面なのか。
意味はよく分からない。
「あの………」
「な、なんだ! 他に言うべき事があるんじゃないのか!!」
「いやあの……連絡して貰えればすぐに来たのに」
「——それじゃあサプライズにならないだろうが!!」
疑問を問えば、この上ない拒絶で返って来る。
いや、それはそれでも充分サプライズになったのではないか。
そう思ったが、言わなかった。
多分彼女達も彼女達でヤケになっていたのだろう。
シンボリエウロスは空気を読んだ。
「ほ、ほんとうにもう、言う事はないのか!」
「……………」
空気を読む。ひたすらに読む。
彼女達が何か変なヤケを起こした理由。
シンボリエウロス復帰おめでとう! の横断幕がデカデカと抱げてあって、何人かはちょっと泣いているウマ娘がいる。
正直、自分は扱いに困るウマ娘だと周りに思われている、と思っていた。
多分今までは本当にそうで、でもやっぱり、彼女達にとっては特別に位置するウマ娘だった。
何処で忌々しくて、距離感に困って。
でも同時に、この世代の英雄的存在なのだと。
何となく、本当に実感出来た気がした。
「た……」
そして。
シンボリエウロスは初めて、その言葉を口にした。
一人のウマ娘として、皆の前で。
「——ただいま……」
1月10日
それはトゥインクル・シリーズに。
また、風が舞い戻って来た日だった。
そして同時に。
奇しくもその日は、とあるウマ娘が中央の扉を開いた日でもある。
1月10日。彼女は地方から来た。
「へへ……。遂に来やがったぜ、中央!」
だが、そんなこたぁ関係ねぇ。
中央の者共々、その
さぁさぁ、いざいざ御覧じろ。
それは大井の最終兵器。
いずれ中央にでっけぇ花咲かす、天へ輝く四尺玉。
「おっし! いっちょやってやろうじゃねぇか!!」
豪快に拳を打ち付け、彼女は中央の扉を開く。
彼女の名前は、イナリワン。成り上がりの狐火。負けん気の化身。
後の——永世四強。その最後の一角を成す、怪物。
時代を創る側の、ウマ娘である。
これにてクラシック編完結となります。
気になる方は↓でクラシック編後書きを残しているのでご覧ください。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=324382&uid=253603
それと我儘を言うのですが、ひょっとこの面を被って佇む謎の圧があるメジロアルダンのイラストを誰か描いてください。