こんなクリスマスもあったのかもしれません。
※2026.7.4追記
pixivにほぼ同じ作品がありますが、同一人物による投稿です。
自動販売機に吸い込まれる小銭の音と引き換えに手にする、1本の缶コーヒー。
手からじんわりと伝わる温かさは、彼に生の実感をもたらす。
「結局、これが無きゃ何も始まらんさ」
彼は自分に言い聞かせるように呟くと、一思いに150mlの缶の中身を飲み干した。
いつも1日の始まりは、この缶コーヒーからだった。
それは今も変わらない。
「ほな、行こか」
朝日の白々しさに妙な違和感を覚えながら、彼はアパートの部屋をそそくさと出て行った。
「それで、どうなんでしょう?良さそうな求人あります?」
「そうですねぇ……ざっと見た感じですとこんな所でしょうか」
窓口の担当は、彼に3セットの書類を手渡した。
1つは工場勤務、もう1つは運送会社、残る1つにはテーマパークの裏方スタッフの求人が記されている。
しかし、いずれも彼の前職よりも低い待遇の求人ばかりであった。
「なるほど……一旦持ち帰って検討させて頂きます。ただ、もう少し他の求人も探してもらえるとありがたいです」
「分かりました。一応当たってはみますが、あまりご期待はなさらないでください」
「期待しないで、と仰いますと」
「珍しいからですよ。あなたの様なお仕事を経験された事のある方は相当少ないです。だから企業側も、あなたにどんな能力があってそれをどの様に発揮してくれるのか、という点の見極めに困っているんですよ」
そこまで言うと、窓口担当の青年は目の前の求職者から目を逸らした。
企業同様、青年もまた彼とどう話を進めるべきか困っているらしかった。
「私もこの仕事を始めてもう10年近いですが、初めて聞きました。もっと言えば、そのお仕事が非正規雇用でなされていた事すら知りませんでしたよ」
「だと思いますよ。世間のイメージじゃ、あれがまさか非正規だなんて誰も思いません」
「そりゃそうです。何てったって夢を叶えるお仕事なんですから」
“夢を叶えるお仕事” ——。
その言葉に、彼は前職での出来事を思い出していた。
高校を卒業してすぐに始めたこの仕事。
その期間、実に7年。
高卒でも応募ができ、正社員登用あり。
加えてゆくゆくは海外の本社への配属もありえるという、全く素晴らしい求人だった。
彼は勉強はさっぱりだったが、技術家庭や音楽、保健体育といった実習系の科目はわりあい得意であり、実務の習得には自信があった。
“夢を配る。そんな仕事を一緒にしてみませんか?”
燦然と輝くキャッチコピーが彼に大学進学という選択肢を捨てさせるまで、そう時間はかからなかった。
「まぁ……光ある所には闇がある、ってやつですわ」
しかし蓋を開けてみると、実態はイメージとすれ違う部分が多かった。
寝る時、食べる時以外は働き詰め。
繁忙期は徹夜が当たり前。
しかし疲れが元で事故を起こしても、労災にはならずもみ消される。
手取りこそ25万円と悪くなかったが、残業代は出ない。
業務量に見合っていないのは明白である。
まさに薄給激務という四字熟語がパズルのピースの様にピタリと当てはまる、そんな職場だった。
「個人的にはもっと機械化、自動化しても良いと思うんですけどね。直接お客様とお話しする訳じゃないですし、何なら相手は」
「んー……いや」
彼は青年の持論を食い気味に制止し、続ける。
「それでもこれは、人がやってこそなんですよ。機械は夢を叶える事はあっても、夢を創る事なぞできやしません」
とんでもない仕事だった。
だがどんなに辛い状況にあっても、彼は自分の仕事に誇りを持っていた。
仕事着を身につけるたび、道具を手に取るたび、感じたのだ。
自分は確かに、人々に夢を配っているのだと。
「だから本当は続けたかったんですけどね。あの仕事」
その夜。
ラーメン行商の屋台を囲む数人の男性の中に、彼の姿はあった。
「あんちゃん、どやったんや今日は」
「厳しいですね。自分の中に残る未練を突きつけられただけでした」
「しゃーないしゃーない。人間誰しも、過去の業を背負って生きていくもんや」
「そうやで、そんな悲愴な顔しとったらあかん。ほら、これ食べぇ」
そう言ってホームレス風の男性は、彼の前にラーメンの入った発泡容器を置く。
「ありがとうございます。頂きます」
無機質なはずの容器は、なぜだかとても温かく感じられた。
中身が熱いから当然と言えば当然である。
だがそれ以上に、もっと根源的な温かみが潜んでいるのではないかという気がしたのだ。
「寒い日にはあったかいもんが一番や」
本当にその通りだ、と彼は思った。
喉から食道、胃へと到達する温かい感触。
去年の今頃は、これがラーメンではなくコーヒーだった。
屋台の時計はちょうど20時を指している。
「お、流れ星やで」
「なんやて?そら観なあかんわ」
一斉に空を見上げる男たち。
だが1秒と経たず消え去るその光を、男たちの眼が捉える事は無かった。
「はぁ〜言うの遅いわホンマ」
「そんなん言われても知らんやんけ」
喧騒をよそに、彼だけが空を見上げ続けていた。
彼の眼からこぼれ落ちた雫には、天を駆ける元同僚たちの姿が映っていた。