ケルシーの話は長い。もっと短くて良いのでは?・・・やっぱり長い方が良いな。ドクターはそう思った。

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ケルシーの話は長い

 ここはロドス本艦にある共有スペース。それほど広くはないが休憩には十分な広さが確保されている。今は誰も居ない。壁には大きめのテレビが掛けられており、部屋の中央にはテーブルがある部屋だ。カーテンが掛かった掃き出し窓の側には観葉植物が置かれている。

 

 ようやく仕事を終えた私は、その部屋にある冷蔵庫からプリンを取り出して食べることにした。テレビは点けなかった。頭に何か情報を入れたい気分ではなかったからだ。

 

 そしてこのプリンはヴィクトリアで評判の店の品だ。よく冷えており、なめらかな食感と程よい甘さをしている。美味しい。気力と共に理性が回復する。

 食べ終わったプリンをテーブルに置き次はどうするか考える。考えた結果このままのんびりしよう。そう思った。

 

 時計の音だけ響く。何も考えない時間が心地良い。

 

 しばらくしてふと時間を確認すれば午前2時25分。もう遅い、そろそろ歯を磨いて寝よう。そう思い立ったところでドアが開きケルシーが入ってきた。そして私を見つけるとしばらく立ち止まり、そのまま話しかけてくるのであった。

 

「……ドクター、君は法とは何だと考える?」

 

 ドクターとは私のことだ。神経学や戦闘の指揮には自信はあるが法律は素人。そんな私にいきなり聞かれてもぱっと出てくる答えなど無い。うちで雇っている法律顧問に聞いた方が良いような相当に難しい問いだと思う。考える時間が欲しい。だが私の返事を待たずに彼女は話を続ける。

 

「法とはその集団における秩序だ。すべての者は他者と関わり合いながら生きている。1人では生きていけない者は寄り集まり集団を形成し生き残りを模索する。そして単独で生きていける者もその集団に関わらない事はまず無い。そこに生じる秩序が法だ」

 

 そう語っているケルシーはまるで法学者のように見えるが本来は医者だ。そしてこの製薬会社ロドスの医療部門のリーダーでもある。彼女は博識で医学に限らず様々な分野に関して深い知識も持っている。 

 

 そんな彼女の話は長い。その話題になっていることの背景や具体例なども話すのが原因だ。もっと短くても良いのではないかと思う事も多い。もっとも口に出したことはないのだが。

 

「彼ら彼女らが集団に期待することは各々異なる」

 

 ちなみに種族はフェーリン。その特徴の一つである猫耳をピクピク動かしながら翡翠色の瞳で私を射貫いている。

 

「十分な食料や水、または暖かい寝床のような生理的欲求を満たしたい者もいれば、外敵からの危害が加えられることのない安全を求める者、さらには集団の他の構成員からの敬意を獲得することで心理的・社会的欲求を満たす者など、期待することは千差万別だ」

 

 ケルシーと私の関係は同僚という言葉が多分適切だと思う。多分というのは私がある時から以前のことを覚えていないからだ。記憶喪失という奴である。ただケルシーとは昔からの知り合いだったようだ。なにはともあれ今の私達は共に鉱石病の治療についての活動を行っている。

 

「だが集団に所属したからといってこれらが満たされるとは限らない」

 

 彼女は距離を詰めてくる。ゆっくりと言うには少し早い。その際に肩口までしかない萌葱色の服とその上に羽織った白衣のような外套が軽くはためき、色素の薄い緑がかったボブカットの髪が揺れた。入り口から私の座っている所までそこまで距離はない。直ぐにテーブルを挟んで向かい合う形になった。

 

 ケルシーは感情の起伏に乏しい表情をしており、見る人によってはどこか不機嫌にも感じられるだろう。加えて鋭い視線を私に向けている。ただこれはいつものことだ。

 

 しかしそれでも何処かいつもと違うと感じるのは気のせいだろうか。それとも見下ろす形になっているからそう思うだけだろうか。そんな彼女は椅子に座らずに腕を前で組みながら話を再開する。

 

「満たされない者が解決のために選択する方法もいくつも考えられる。ここで合理的な方法を取るのが望ましいが、そうではなく短絡的または衝動的な方法を選択することによって、集団の他の構成員に不利益を与えてくる場合もある。これは集団の瓦解に繋がりかねない行為である以上は規制が必要だ」

 

 彼女の話は難しく、集中しないと分からない。既に乏しい体力と理性がすり減る。もう眠りたい、綺麗な声をしているな。そんな脇道に逸れそうになる思考を必死に押し留めて少しでも理解しようと努める

 

「このような短絡的行動を押さえて集団を維持する秩序が必要になる。これが法だ」

 

 ところで彼女は何故この話をしているのだろうか?少し観察して考える。そして理解する。眠気が吹き飛ぶ。冷や汗が出るのと同時に脳細胞がぶわっと覚醒する。これは不味い。非常に不味いぞ。

 

「さて、この秩序は集団によって大きく異なる。例えばヴィクトリアでは窃盗罪を犯したところで死刑になることはないが極東においては一定の大金を盗むと死刑が適用される」

 

 ケルシーは怒っている!!!

 

「またグルビアでは懲罰的損害賠償が採用されており、相手の不法行為によって生じた具体的な損害を超える賠償を請求することが可能だ。これは加害者の行為の悪質性や反社会性が高い場合に将来の同様の行為を抑止する目的で高額な賠償が命じられる。この一方で具体的な損害に限って賠償を認める集団もある」

 

 彼女の今の視線は私を非難するものだ。彼女が話している間に怒っている原因を特定し、怒りを静める方法を考えなければならない。

 

 落ち着くんだ私。焦りそうになる気持ちと体を抑えて、目線だけを周囲に走らせ頭をフル回転させる。恐らく仕事上のミスではない。手を抜いたつもりは全くない事だけは胸を張って断言できる。

 

「法を必要とする集団というのは国家に限らない。マフィアに血の掟があるように裏社会にも法が存在し、BSWやライン生命などの企業も就業規則と言った形で秩序を示す。私達が所属するロドスも同様だ。信賞必罰。奨励したいことには褒美をだし、故意・過失が伴う不法行為のような抑止したい行動にはその行為者に責任を負わせなければならない」

 

 原因は分かった。完全に私の落ち度である。ならば謝らなければならないし、埋め合わせを考え無ければならない。

 

 失敗すれば殺されるとまでは言わないがもの凄く居心地が悪いことになる。彼女は己の機嫌を仕事に持ち込むたちではないが、きっとアーミヤやみんなからケルシー先生をそんなことで怒らせないで下さいと言われ、白い目を向けられるだろう。

 

「ところでロドスの法は別に窃盗の罰として死刑のような重刑や懲罰的損害賠償を認めてはいない。実損と言いがたい損害は類型化された精神的苦痛に限られており、要求できる賠償には制限がある。極端な懲罰的制裁は科されない。それがロドスの法だ」

 

 もう話が終わってしまう。もう少しだけお話して。本当にほんの少しだけで良いから。

 

「だがそのロドスの法も秩序を維持するという点は変わらない。本能に負けて他者に不利益を与えることは認めていない」

 

 少し間が置かれる。ケルシーをあまり知らない人から見れば相変わらず普段と同じように見えるだろう。しかしそんなことはない。この状況と彼女の態度、話の展開を考えるに間違いなく怒っている。

 

「さてドクター、君は私に言うべきことがあるはずだ」

「ケルシーのプリンを食べました。ごめんなさい」

 

 頭を机に付けるように下げる。視界の隅にある私の食べたプリンの容器には大きな字でケルシーと書かれている。しかしそれを見落としていた。つまり私は彼女が大切に取って置いたプリンを食べてしまったわけである。怒るのも当然だ。返答が帰ってくるまで僅かな瞬間も長く感じられる。

 

「そうだドクター。私にはその不利益の埋め合わせを請求する権利とそれが果たされるまで怒り続ける権利がある」

 

 なんとか埋め合わせは考えられた。間に合った。やはりケルシーの話は長い方が良い。頭を上げ、埋め合わせになりそうなスイーツ屋に行った後のことも含めて今後の予定を話し合いながらそう思った。

 


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