僕と猫。   作:大野 紫咲

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Day11.飴色

 借りている自室の襖を開けると、まだ今朝の冷気がわずかに残っているとはいえ、もう室内はかなり温度も湿度も上がっていた。顔を差し入れた瞬間、うわっ……みたいな顔になるレイとポーラだったが、エアコンという文明の力が作動することはちゃんと覚えているのか、リモコンの操作音と共に羽が送風を始めると、すぐ風の届く場所に行って涼み始める。

 畳の上で白いお腹を出して転がるポーラの姿を、レイは隣で体を丸めながら冷めた目で見やっていたが、別に自分に害がなければそれでいいと判断しているのか、再び降り始めた午後の雨がトタンを叩く音を耳にしながら、榛色の目を細めていた。黒い尻尾がぽすぽすと、畳の上を叩いている。

 

(さて、僕はどうしようかな)

 

 久しぶりに、窓辺の文机のところに置いてあった自前のパソコンを、僕は立ち上げた。もうしばらくの間、小説とかブログは書いてない気がする。あれだけ好きで続けていたことだったのに、自分で作る作品となると、金にもならない時点でどうしても優先順位が下がってしまって、いつの間にか生活に追われる中で、片隅に追いやられてしまっていた。

 ずるずるとパソコンの前まで這って行って、特に何の脈絡もなく、目の前の情景をそのまま文にしてみる。

 

『突如降り出した雨が、洗車機のような勢いでガラス窓を叩いていた。』

 

 ……うーん、何の情緒もない気がする。ていうか、その後話をどこに続けて、どう綴っていったらいいものか、皆目見当もつかない。

 そもそも、何の媚びもなく、閲覧を出すための題材選びや意識もなく、純粋に好きなものを好きに書いていた頃の僕は、どんな風に筆を握っていたのだろう。空っぽの出涸らしのような内側は、ここに来たら少しは何とかなるんじゃないかと思ったけど、そんな魔法みたいなことはさすがに起こらなかったらしい。

 洗車機って単語、僕は勝手に正しいと思ってたけどこれでいいんだっけ? と思いながらググろうとした時、丁度スマホにLINEの通知があった。美沙ちゃんからだ。

 

『愛理さん、今お部屋にいらっしゃいますか?』

『うん。さっきレイとポーラと一緒に引き上げてきたとこだけど…どうかした?』

『あの、もしよかったらなんですけど…私も行っていいですか。アイスティーでよければお持ちするので』

『いや、もちろんいいんだけど、そんな気を遣わなくていいんだよ!?』

 

 既読が付くのを見届けてから、僕は慌てて敷きっぱなしになっていた布団を片付たり、ハンディ掃除機で毛玉を吸い取ったりバタバタしていたが、慌てたことと言ったらせいぜいそのぐらいで、猫を飼ってると突然の来客にもすぐ対応できて楽だなぁ、なんて思ってしまった。レイにイタズラされないように色んなものを片付けておくので、部屋の中がいつも割と綺麗という、嬉しいオマケがついてくるのだ。

 それからしばらくして、控えめに襖を叩く音がした。

 

「はいはい」

 

 襖を開けると、お盆を携えた美沙ちゃんは、胸当て部分に猫の耳がついた猫型のジャンパースカート姿だった。こんな服売ってるんだ。ものすごく可愛い。

 冷蔵庫に作り置きがあることは知っていたので、アイスティーにしてはやたら準備に時間が掛かるなと思っていたけれど、それもそのはず、並んだ背の高い二つのグラスには、切り立てのフルーツと氷がいっぱいに詰め込まれていた。

 

「うわ、ごめん。こんなに準備してくれるなら、僕も手伝いに行ったのに」

 

 その上、レイ達の分のお皿やペットボトルまで持って来てくれているので、めちゃくちゃ重かっただろう。このままでは返事もできないと思ったので、僕は慌ててお盆を引き取って、美沙ちゃんを中に入れた。

 窓際のローテーブルにティーセットを置いて、グラスを並べている間、美沙ちゃんは猫用の皿にペットボトルの水をとぽとぽ注ぐ。少し前に飲んだばかりとはいえ、冷たい水はやはり喉が潤うのか、二匹は仲良く並んでぴちゃぴちゃ舌を出していた。

 

『折角なら、フルーツティーにしようと思って』

 

 落ち着いてから、美沙ちゃんがLINEでそう言ってきた。スマホを置き、ポットの中に入っていた熱々のお茶を、美沙ちゃんが二人分のグラスへ均等に注ぐ。ぱきんと氷が割れる心地良い音が響き渡った。

 よく見たら、浮き沈みするリンゴやオレンジ、キウイの他に、凍ったブルーベリーとクランベリーも入っている。

 

『すごい豪華だなぁ。果物まで凍ってるなんて』

『これは、スーパーで売ってた冷凍のフルーツだから、そんなにすごくもないですよ。ヒデちゃんがお店で使ってるの、時々こうやって勝手に拝借しちゃう』

『でも、他のは美沙ちゃんが切ってくれたんでしょ? 大ご馳走だよ。お洒落なもの知ってるんだね』

 

 マドラーでグラスをかき混ぜると、ガムシロップを入れていた美沙ちゃんは、それを僕の方へ渡しながら照れたように俯いた。

 

『フルーツティーって、綺麗ですよね。色んな形と色のフルーツが浮いてると、宝石をそのまま閉じ込めたステンドグラスみたいで』

『うはあ、素敵な例えするね、美沙ちゃん。でもわかる。透明感あるっていうか、見てるだけで涼しくなってくるよな』

『飲み終わったら、中身も食べれますしね』

『そうそう。お得感ある』

 

 顔を見合わせた美沙ちゃんと、テーブルに向かい合って、二人でふっと笑みを浮かべる。

 

『美沙ちゃん、学校の帰りなんだよね? 雨は大丈夫だった?』

『なんとか、ここに駅から歩いて来る途中ぐらいで降り出したのでセーフでした。

先に夕飯の支度しとこうと思って、下の階で飴色玉葱作ってたんですけど、暑くて死にそうで…。

フライパン置いたまま逃げてきちゃった』

『わ、それはお疲れ様。僕、飴色になるまで玉葱炒めたことなんか殆どないよ…今晩はカレー?』

『一応、その予定です。愛理さんも食べると思って張り切りすぎましたね』

 

 苦笑いを浮かべた美沙ちゃんは、スマホを翳して炒めたばかりの玉葱の画像を見せてくれた。もうこれだけで、美味しいカレーになるのが確実になりそうな艶やかな飴色だ。

 

『リビングのエアコン壊れちゃうし、下のエアコンは効き悪いし。修理が終わるまで我慢しようと思ったけど、もうむり。

ごめんなさい、急に押し掛けて。ここのエアコンが一番新しくて効くんです、前に工事で取り替えたばっかりだから』

 

 アイスティーを半分くらい飲み終えた美沙ちゃんは、大胆にもごろんと畳の上に横になった。さっきまでのポーラを思い出して、僕は込み上げる笑いをなんとか噛み殺しながら、スマホに返事を打つ。

 

『そんなん気にしないで。美沙ちゃんは暑いの結構苦手なの?』

『私は、暑いの全然ダメ…冬の方が好きだなぁ』

 

 ジャンパースカートの下のピンクの膝小僧と、白い太ももが微かに覗いている。滲んだ汗が雫になって肌を滑っていくのを目にして、僕は訳もなく視線を逸らした。

 これは、猫が見せる親愛の仕草と同じ。今はたまたま近くにいるだけで、深い意味なんてない。そう胸に唱えながら、僕はスマホに目線を落とす。

 

『今日、泊まってくんだよね? 美沙ちゃんの部屋はどこにあるの?』

『二階の空いてる寮室借りようかなぁと。思ったんですけど、そこもまあ冷房設備は古いんですよね。弱冷房の方がいいスタッフさんは、逆にそこに通してたりするんですけど。

やっぱり、遅くなっても家に帰った方がちゃんと寝れていいかもしれないし、そうします』

『じゃあ僕の部屋泊まる?』

『え。いいんですか』

 

 深夜の冷房はよほどの懸念事項だったみたいで、寝転がったままスマホを打っていた美沙ちゃんは、ごろりと僕の方へ寝返りを打った。

 

「布団二枚並べたら狭いし、何もない部屋だけど、美沙ちゃんさえ良ければ」

『やったあ

…じゃなくて、お世話になります。よかった、空いてる部屋で泊まるんだったら、裸にならないと寝れないかと思ってた』

「そんなに!?」

 

 可愛らしい四文字の後に、わざわざ改まってお礼のメッセージを打ってきた美沙ちゃんがそんな事を言うので、僕は思わず笑い出してしまった。

 ごろりとうつ伏せになった美沙ちゃんが、うとうとするレイを真正面から見つめて観察している。こうして向かい合っていると、本当に黒猫が二匹いるみたいで。寛ぎきった美沙ちゃんが、耳と尻尾を生やして服を脱ぎ落とそうとするところをうっかり想像した僕は、慌てて頭を振ってその妄想を払い落としたのだった。

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