僕と猫。   作:大野 紫咲

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Day12.門番

 夜。バー「猫の眼」の入り口に、白色のメルと黒っぽいポーラが向かい合って座っていると、さながら夜警の門番みたいなシルエットが、暗がりの店内に浮かび上がる。

 脱走防止に施された二重の扉は、外側がガラス窓の嵌められた木戸で、内側が金網で出来た格子戸だ。ギャングっぽい雰囲気の金網は、通な隠れ家を隠しているお洒落なインテリアにも見えるし、コンクリート素材の床と合間ってカジュアルさを引き立てているようにも見える。

 そんな門の両脇に置かれた、空きの丸椅子に座っていたメルとポーラは、ガラス戸のドアベルが鳴る音で微かに顔を上げた。気まぐれな門番なので揃ってお客を出迎えることは珍しいが、たった今入って来たお客さんには、大人しく体を触られている。

 夏だというのにフードを被った、オーバーサーズのパーカーにカーゴパンツの華奢なお客。ふと、気が付いたヒデさんが声が掛ける。

 

「いらっしゃいませぇ」

「あの。初めてでもいいっすか?」

「ええ、もちろん! 大歓迎よぉ」

 

 外で雨でも降っていただろうか……と思いながら、カウンターの下にしゃがんで冷凍庫の氷を取り出していた僕は、聞き覚えのある声に思わず立ち上がった。ほんの少し虚を突かれたくしゃくしゃの髪の下の顔が、僕に向かって優しく微笑む。

 

満月(みつき)ちゃん!?」

「お久しぶりです、愛理さん」

 

 硬直する僕の前で、満月ちゃんはゆっくりとミントブルーのフードを脱ぐ。

 汗で湿った癖の強い茶髪のショートヘアの頭を、ライオンみたいにぷるぷる振る姿を見ながら、ヒデさんが不思議そうに僕らを見比べる。僕の隣でヒデさんを手伝って飲み物のマドラーをかき混ぜていた美沙ちゃんも、知り合いらしい動揺を浮かべる僕と、呆れたような笑みを浮かべながらも堂々としてる満月ちゃんを、珍しそうな目で眺めていた。

 まあ、普通に考えて満月ちゃんの方が世代は美沙ちゃんに近いからな。なんでこんな歳の離れた子と、って思われても不思議じゃないけど。

 

「あらぁ。二人知り合い?」

「満月ちゃん、なんでここに……」

「ウチがここにいちゃいけないんすか? 愛理さん、あれからウチらの事避けまくるから、押し掛けてきちゃったっすよ。もう時効でしょ、さすがに」

 

 カウンター席に座って身を乗り出す強気な瞳に、僕は頭を抱える。

 別に、結構長い間会ってなかったってだけで、会いたくなかったわけじゃない。ただ、心の準備が全く何もできてない。こんな唐突に。

 

「ていうか、よくここで僕が働いてるってわかったね」

「タクに聞きました。さすがに夜の営業で会えるとは思ってなかったんで、驚きましたけど。普段はゲストハウスにいるはずだって」

「あんのクソ野郎……」

 

 バンドのメンバーにはペラペラと口の軽い琢真に恨みを募らせていると、ヒデさんがぽんぽんと僕の肩を叩いた。

 

「愛理ちゃん。今日の分はもう今いるお客さんでクローズにしちゃうから、ゆっくりお話してあげなさいな」

「えっ!? でっ、でも」

「大丈夫、今日は美沙もいるし。それに、何か訳アリっぽいんでしょ?」

 

 そういう空気を察する早さは、さすがバーの店主というべきか。

 店の札をCLOSEに変えに行くヒデさんに背を押されて、僕は仕方なく満月ちゃんの隣のカウンター席に腰掛けた。なんだもう終わりか、と言いたげに、メルとポーラが欠伸をしながら歩いてきて、美沙ちゃんにご褒美のおやつを貰っている。

 ほんの少し、美沙ちゃんの物言いたげな視線を感じたが、今説明するわけにもいかないし、僕は苦笑しながら久方ぶりに会う元同居人に顔を向けた。同じように、笑い合う相手の顔からも苦味が抜け切っていないことがひどく胸を刺して、それと同時に、どこか安心するような気持ちも否めなかった。

 

「琢真のこと、あんまり怒んないでやってください。ウチが強引に聞いたみたいなもんなんです。あいつだけが、愛理さんと未だに連絡取ってんのはみんな知ってたから。会えなかったらそのまんま帰るって、約束したし」

「相変わらずあいつには甘いな〜、満月ちゃん。ま、同じバンドの大事なメンバーならそれも当然か。僕が半分くらいあいつのおかげで生き長らえてんのは、事実だしな」

「体の方は大丈夫っすか? 休職中だって聞きましたけど」

「うん。メンタルコントロールはともかく、休みに関してはしっかり休めてるから……ここ住んでると、時々ヒデさん達の作るご飯とか、旅の人が作るご飯にまでありつかせてもらえてね。申し訳ないくらい良くしてもらってるよ」

 

 もうそんな資格はないとわかってるのに、隣にいると手を握ってあげたい衝動に駆られて、僕は意味もなく、カウンターの上に投げ出した手を一度握って開いた。

 満月ちゃんの手首で、金属製のチャームを通した革紐のブレスレットが、ちゃりんと音を立てる。その右手で汗をかいたグラスの側面を触りながら、満月ちゃんが言った。

 

「結構イメチェンしたんすね」

「あっはは……まあ、髪型だけね」

「ちょっと意外でしたけど、よく似合うっす」

「ありがと。自分じゃ挑戦したつもりだったから、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 ようやく馴染み始めたアッシュブラウンの毛を弄ると、満月ちゃんがその指先を視線でじっと追ってくるのがわかった。しばらくの間、沈黙が満ちる。

 

「いざ会うと、何から話したらいいかわかんないもんっすね」

「そうだよね。僕なんかもう……どの面下げて君に会えばいいのか」

「言ったっしょ。その話はもうナシっすよ。謝るのもやめてください。ウチはもう気にしてない。今日はもう、それだけ伝えたくてここに来たみたいなもんすから」

 

 くっきりとした赤色が透明な炭酸水の中に鮮やかに沈み込んだシャーリーテンプルは、満月ちゃんにぴったりなノンアルコールカクテルだった。カクテル言葉はたしか「迷いなき愛」。別にそれをわかっていて頼んだ訳じゃないだろうけど、その真っ直ぐさがいつも眩しかった僕は、同じカクテルを目の前にしながら、未だに揺らいでいる自分自身を持て余していた。コップの淵でぐらぐらする、さくらんぼみたいだ。

 

「あれから来てないんっすね。ライブ」

「……ごめん」

「愛理さんが謝ることなんかじゃないっす。そんなの全然、気にしないで欲しいっつーか。謝らせたくて、こんな事言いたいわけじゃなくて……ああもう。とにかく、音楽って繋がりがなくなっても、職場辞めても、ウチはずっと愛理さんの友達で人生の後輩っすから!」

「あはは。ありがとう、よくわかるよ。君の言いたいことは」

 

 満月ちゃんとは、実は前の勤務先の社員とバイトという関係だった。

 その後にも、僕の元恋人が満月ちゃんと同じバンドに入ることになったりして、色々新たな関係が生まれたのだけど。

 別に、僕が気にしすぎなのはわかっている。

 割り切れさえすれば、切れた縁が繋がることがあるのも、わかっている。

 ただずっと、始末がつけられずにいる。

 それはきっと、この子に関わる事だけじゃなくて、ずっと自分の過去や在り方にまで、根差した事だから。

 好き嫌いとか、仲直りするしないとか、それで乗り越えられるような心の重みじゃなくて。ただ僕は、一生懸命な満月ちゃんに微笑み返すことしかできなかった。

 

 縺れた毛糸玉のような内心を上手く吐き出すことは難しかったけれど、純粋に、久しぶりに会った友達と世間話をするのは楽しかった。

 流行りのゲームの話とか、満月ちゃんの生まれ故郷である大阪の遊園地でアトラクションが一個なくなるらしいとか。

 ヒデさんも交えて、そんな他愛もない話で盛り上がった後、満月ちゃんはまた来ます、と言いながら店を後にしていった。

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