僕と猫。   作:大野 紫咲

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Day13.流しそうめん

『聞いてもいいですか?』

『昨日、バーに来て僕と喋ってた女の子のこと?』

 

 こくり、と美沙ちゃんがスマホで唇を隠すようにしながら頷く。

 

 今日は、宿泊者とスタッフの中から有志を募って、ゲストハウスのリビングスペースで流しそうめんパーティーを開催中だ。

 と言ってもまあ、竹を割って作った水路に流す本格仕様という訳ではなく、いわゆる電動のそうめんスライダーという奴を使っている。これが結構バカにならないデカさで、プラスチックのレールの全長は五メートルくらいあるらしい。

 一応、感染対策として取り箸と食べる箸を分ける・一人ずつ食べるなど、少々まだるっこしい仕様を取ってはいるが、ぐるぐるコースを回ってウォータースライダーさながらの迫力で流れていくそうめんを眺めているだけで、海外のお客さんは大興奮だ。

 

 ヒデさんが次々そうめんを流している最中、こちらは淡々と普通のざるに乗ったそうめんを啜っていた美沙ちゃんは、食べ終わってからいつものLINEのトークルームでそう話し掛けてきた。

 確かに、昨日は片付けや風呂でなんだかんだ遅くなったので、同じ部屋に泊まった僕と美沙ちゃんは、話もせずすぐ寝入ってしまっていた。おかげさまで、今朝は疲れも残さずすっきり目覚めたけど。

 どう言ったものかと迷っていると、目の前の美沙ちゃんは僕が何か言う前に、かたかたと素早くキーボードを打っていた。

 

『ていうか、あの方、Traditional Lilyの満月さんですよね? ベース担当の。

たしか、先にユニットデビューしてた他のメンバーと同じ事務所に入って、最近再結成したとかって』

『なんと。美沙ちゃんTL知ってる人?』

『はい。そんなに詳しくはありませんけど。解散前は栄で有名なバンドだったらしいし、今でもその時の動画とかネットに上がってるから』

 

 相変わらず淡々と話す美沙ちゃんに、それなら一部の説明が省けたかもしれない、と僕はほっと息を吐いた。

 

『お知り合いだったんですね』

『まあね。満月ちゃんは、僕が働いてたホテルに清掃のバイトで入ってくれてた子だったんだ』

『なるほど。バンドだけだと結構お金を工面するのは大変って聞きますしね』

『いやぁ、その時は満月ちゃん、まだ高校生だったよ。自分の楽器とかアンプ代くらいはって、頑張ってたみたいで』

 

 頷いて話を聞いていた美沙ちゃんの膝の上に、猫用のそうめんを食べ終わって満足したらしいレイが飛び乗ってきた。人に触らせないくせに膝には乗るのかと驚いたが、美沙ちゃんが何もしてこないので、レイは尻尾と体を丸めて寛いでいる。黒いスカートの上で色が同化してしまったようなレイを見ているうちに、なんだか話さなきゃいけないような気がして、僕はスマホを手に取った。

 別に隠しているわけでも、嘘をついているわけでもないし、この子相手に全てを包み隠さず話さなきゃいけないわけでもないけれど、それは気まぐれのような、或いは懺悔のようなものだったかもしれない。

 

『…なんていうか、元カノなんだ』

『満月さんがですか?』

『何年か前、丁度コロナが流行る前くらいかな。僕、長年ルームシェアして付き合ってた恋人がいたんだけど、その子と別れちゃってね。彼女と満月ちゃん、同じバンドで。だからって訳じゃないんだけど、しばらく傷心だった僕を、満月ちゃんが一緒に住まないかって誘ってくれて。好きだって言ってくれて』

『そうだったんですね』

 

 鏡のような瞳が、スマホと僕を交互に見ながら何度か瞬く。文字だけじゃなくて、僕の顔から何かを読み取ろうとしているみたいに、最近の美沙ちゃんは顔を上げてくれることが増えた。

 淡々とした返事に、こんな話されてもきっと困るよなぁと内心頭を抱えていたら、美沙ちゃんは首を傾げてから、こう打ち返してきた。

 

『同じバンドの中で、付き合った事のある人が二人いたってことですよね』

『そうそう。僕は全く所属してないし、音楽活動には感知してないんだけどね』

『「彼女」ってことは、あやめさんですか? 愛理さんの前の恋人って。当時のメンバーから想像すればですけど』

『うん。そう。オフレコにしといてね』

『わかってます。私じゃ、言いたくても喋れませんし。

愛理さんって、意外とスキャンダルになりそうな人生送ってるんですね』

 

 美沙ちゃんの身も蓋もない言葉に、僕は思わず噴き出してしまった。たしかにその通りだ。

 元恋人のバンド活動にケチつけて、おまけにそこにいたメンバーとも痴情の縺れを引き起こすなんて、ろくな人生じゃない。

 美沙ちゃんは、そんな僕をまっすぐに見てから、スマホを握り締めるように両方の親指を動かした。

 

『嫌だったら別に話さなくていいんですけど、別れた理由を聞いてもいいですか?』

『ずばっと聞くねえ。まあ、気になるだろうし別にいいよ』

 

 声の出ない彼女との会話は、覗き見されない限りは、誰にも聞かれる心配がない。まるで、一人の部屋で物言わぬ猫にひっそりと語り掛けるのと同じように。

 不謹慎だけれど、僕はその事に心地よさすら感じながら、言葉に詰まると時々呼吸に上下するレイの毛並みを眺めながら、ソファの上で時間を掛けて文字を打った。長々しい文章が送られてくるのを、美沙ちゃんは根気強く待ってくれていた。

 

『あやめとは、単純に長年付き合ってて反りが合わなくなった、かな。

それだけじゃないんだけどね。名古屋で住んでるうちに、色んなものが積み重なってた。僕はどうしても、自ら安定を捨てて音楽の道に突き進む彼女に納得できなかったし、彼女はそんな僕を枷に感じてたから、衝突が増えて。お互い、一緒にいてもこれ以上互いが良くなることはないと思ってね。

満月ちゃんとは…彼女が僕を好いてくれてることは分かってたんだけど、僕はどうしても、彼女を友達とか妹以上の存在として見ることはできなくて。僕はそれでも良かったけど、彼女の方がそんな風に見えなかったから。こんなに想ってくれたのに、僕は恩を仇で返すしかできなかったよ』

『ありがとうございます。話し辛かったですよね』

『ううん、僕が勝手に話しただけだから気にしないで。それにまあ、見てたならわかると思うけど、今も不仲って訳じゃないよ。僕と離れた二人も、音楽っていう共通の夢があるだろうしさ。元気でやってくれてるなら何より』

 

 ドン引きしてもいい話題だったのに、美沙ちゃんはただ黙って僕の言葉を受け止め、しばらくの間画面を見つめていた。生真面目な表情で考えながら、ぽつぽつと文字を打ち込む美沙ちゃん。

 送られてきたたった一つの文は——僕にとってかなり衝撃的な問い掛けだった。

 

『愛理さんは、大切な人を奪い去った音楽のことが、今でも嫌いですか?』

 

 思わず、言葉に詰まった。耳の奥がしんとして、下手すると涙が溢れそうだった。

 そんなことはない……そう言いたかったけれど。本当はそうだったとしたら?

 慌てて僕は、首を振りながら取り繕うように口を開いた。

 

「いや、そんな事ないよ!? 今だって普通に音楽は聴くし。そりゃ、その……TLの曲からはずっと遠ざかってたし、ライブにも数年来行けてないけど。でもそれは、人間関係が原因だから、そういう理由じゃ多分ない……と、思う」

『お節介だったらすみません。さっきのお話を見てて、何となくそう思っただけなんです。

愛理さんは、心のどっかでは、好きな人が音楽を選んだことにも、それを認められない自分自身にも、悔しくて納得できてないんじゃないかって。だから遠ざけてるように見えてた』

 

 そこまで送信してから、美沙ちゃんは慌てたように身じろぎして付け足す。

 

『もちろん、だからダメってわけじゃ全然なくて! 私はむしろ、』

「美沙〜! ごめんっ、ちょっとお水持って来るの手伝ってくれない?」

 

 同時にヒデさんが助けを求める声が聞こえたので、美沙ちゃんは名残惜しそうなレイを膝から下ろしながら、ぱたぱたとスリッパで台所へ向かう。

 ようやく、昼間のリビングの喧騒を取り戻した耳に触りながら、僕は美沙ちゃんの残した言葉に視線を落とし、その意味をじっと考えていた。

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