僕と猫。   作:大野 紫咲

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Day18.占い

 私の名前は、真っ白くてきめ細かな、波打ち際のきれいな砂を思って付けられたらしい。

 ある日、学校で名前の由来を調べる宿題が出た時に聞いたら、両親がそう言っていた。画数でも大吉になる名前を頑張って考えたんだって、お父さんは得意げに言っていたけれど、自分で姓名判断のホームページを見たら、名前以外は全部凶だった。苗字なんて生まれた時から自分の意思で決められるものでもないのに、占いなんて本当に当てになるのかな。

 

 何はともあれ、別にその姓名判断の運勢の悪さが、私が声の出ない子供に育った原因ではないと思う。

 学生時代に沖縄から上京してきた母は、田舎じみた実家の空気があまり好きではなかったらしく、どうにか獣医として本土で独立していこうと必死だった。そんな時に、名古屋で私の父と出逢った。Webデザイナーの仕事をしながら、プログラミングの勉強も同時にしていた父の給料は手堅く、「私が安心して動物病院を開業できたのは、優しくて理解のあるパパに出逢えて、本当に運がよかっただけなの」と母はよく苦笑していた。

 忙しくても、別々の仕事をしていても仲の良い二人が好きだった。

 それでも、一向に家の外で話そうとしない私と、それを心配しすぎる母との間には、軋轢が生まれることがあった。今ではちゃんと話をして、また元通り仲良く話せるようになったけど、そうやって家で母と顔を合わせるのが気まずかった時に、私はよく父と色んな話をした。

 

 一言で言うと、お父さんはちょっと変わった人だった。

 部屋にはたくさん、仕事に関係するもの以外にも、変な模型とか、UFOを呼ぶための本とか、マリリン・モンローのポスターとかが貼ってあって、IT関連の仕事をしている人とは思えないくらいカラフルだった。

 そして、音楽が好きだった父は、家にグランドピアノやギターも持っていた。

 

「美沙、ちょっとここへ来てごらん。ここを押すと音が出るだろう。もし喋れなくても、楽器は美沙の言葉の代わりになってくれるんだぞ」

 

 そう言って、小さい頃から私をしょっちゅうピアノの前に座らせてくれた父のおかげで、私はピアノが好きだった。父は趣味で音楽をやっているだけで専門家ではないし、私は気が向いた時に鍵盤の前に座っていただけで、別に体系的なレッスンをしてもらっていたわけではない。他の子みたいにものすごいクラシックが弾けるということもない。

 ただ、私の声の代わりになるものがこの世界にはある、という事実が面白かった。

 それはピアノだけではなく、父が持たせてくれた絵の具や筆も、綺麗な御伽噺の絵本も、サブカル的な音楽集やウェブサイトも、すべてがそうだった。ロマンチストでマイペースなところのある父が、私を甘やかし過ぎなのではないかと母は心配だったらしいけど、父の見せてくれる世界は、私にとって魔法の箱だった。

 何かに息苦しくなって、自分の中の大切な気持ちを見失いそうになると、私はよく父の部屋に引き籠った。そのおかげで、学校で居場所がない中でも、私は過剰に周りを気にすることなく、自分を失わずに済んだのだと思う。

 クラスメイトに話し掛けられないよう休み時間に一生懸命勉強している振りをしたり、朗読の授業で私が順番を飛ばされる度に突き刺さる視線を感じたりするのは、たしかに辛かったけれど、それでもこの家に戻って来れば、私にはお父さんの部屋がある。だから何があっても、私は周りが思うほど、悲嘆に暮れているわけでも、鬱屈さに溺れているわけでもなかった。

 誰に理解されなくたって、その日一日を何とかやり過ごせればそれでいい。

 

 父がこんな人だから、母の兄のヒデちゃんとは、出逢ってすぐ意気投合したらしい。可愛いものが大好きなヒデちゃんは、アクセサリーのデザインのこととかを、よく父に相談してたそうだ。まさか、こっちまで来てゲストハウスをやるなんて思ってなかったけれど。

 ゲイであることやオネエであることを除いてもちょっと変わり者な叔父が、私も好きだ。お母さんはよく「ちょっと英美(ひでみ)、私の旦那取らんといてよ?」って言ってる。まあでも、正直ありそうではある。ヒデちゃん、お父さんのこと大好きだし。何でも出来て顔もいい父は、誰にモテてもおかしくはない。

 とにかく、今では猫波荘もメル達の家も、私の大切な居場所になっている。子どもでもできる簡単なお手伝いをさせてくれたのも、喋れないならカードを作ってお客さんの前に出てみたら? と言ってくれたのもヒデちゃんだ。

 

 中学生になった頃、父が私を、大事な商売道具であるパソコンの前に座らせながら言った。

 

「美沙、こんなものがあるんだよ」

「何、これ。何かのソフト?」

「今、パパが開発に携わってるソフトの原型なんだけど、こんな風にマウスで音程を引っ張って歌詞を入力すると、人間の代わりに歌を歌ってくれるんだ」

 

 再生ボタンを押すと、人間そっくりの声が流れ出す。多少ぶつぶつと切れて機械らしさはあったけど、芯のある元気な声と、若干のぎこちなさが妙に心を惹いて、私はただ目を見開いた。

 

「これ、本当に機械が歌ってるの?」

「厳密には、人間の声を抽出して作った音声ライブラリーから声を入力しているんだけどね。どうだ、すごいだろ。少し難しいけど、お前もやってみないか」

 

 まだ半信半疑でいると、お父さんは動画投稿サイトでいくつかオリジナル曲を見せてくれた。ハーフアップサイドテールにした赤色のド派手な髪に、スカートみたいな袴を穿いたアニメっぽい女の子のイラストが映っていて、お洒落なシティ・ポップ調の曲を歌いこなしている。歌える曲の種類には幅があって、アニソンもあれば和ロックも、テクノポップみたいなのもある。そのどれもに出てくる個性的なイラストの数々を見て、私はこの声が、この女の子のキャラクターそのものと結び付けられていることを知った。

 

和久里(わくり)……マロン?」

「はは。実はパパが、学生の頃よく使っていた、UMAI(ウマイ)の合成音声でね」

 

 珍しく、少し赤らむほどに照れた表情を浮かべたお父さんが、そう言った。

 動画サイトの中にはお父さんのページもあって、かなり投稿日時は古いけど、いくつか曲まで投稿してある。お父さんが、こんな合成音声を使って曲を作っていたことがあるなんて、私は全然知らなかった。

 

「お母さんには内緒にしてたの?」

「だって、パパが今でもこんなアニメみたいな女の子に夢中だって知ったら、ママ嫉妬しちゃうだろう」

 

 そうお茶目に言った父の前で、挑戦的な瞳を光らせた画面の中のマロンが、くるりと身を翻し雅な柄の袖を振る。「どう? あんた、どうせ声出ないんでしょ? あたしに歌わせてみなさいよ!」と言っているように見えた。

 それが、私とマロンとの出逢いだった。

 

 シガロといえば、世間ではバーチャルアイドルの廿樂(つづら)音風(おんぷ)が有名だけれど、本来SINGERLOIDというのは販売会社が作った登録商標のことで、音声合成技術そのもののことをシガロと呼んでいた訳ではない。

 SINGERLOIDの他にも、音声合成ソフトは色々ある。マロンは本来、大きな会社ではなく個人が有志の協力の元で作成した、UMAIというフリーソフトの中にある音声データベースのうちの一つだったのだ。愛理さんが、全く別会社の音風と勘違いするのも無理はなかった。

 その誕生秘話というのがまた滑稽で、とある年のエイプリルフールに、インターネットの世界の人たちが音風ファンの人たちを騙そうと、廿樂音風に続く新たなSINGERLOIDとして創作し、流布させたのが和久里マロンだった。いわゆる“釣り”だ。だいたい、和久里=和栗(わぐり)マロンなんて、名前からしてどう考えてもネタでしかない。釣り動画には、イラストはもちろんのこと偽のデモ音声や曲まで付けられていて、相当な手の込みようだったらしい。

 ところが、そのうち開発中のUMAIを使って、マロンを本当に音声データベースの一つにしようという動きが現れた。ネタだったはずの歌姫は、姿形と声を与えられて、音風と同じように、誰でも使える合成音声かつバーチャルアイドルとして親しまれるようになったのだ。

 まあ、こんな経緯を辿っているわけだから、元祖シガロのファンには、当然マロンをよく思わない人達もいる。マロンを偽物呼ばわりして厳密に区別したり、音風と同じシガロとして扱われると怒り出す人もいるぐらいだ。

 

 でも、強烈なキャラクター像も含めて、私はすぐにマロンが気に入った。

 シガロの劣化版とか、偽物とか模造品とか、そんな風に呼ばれても堂々としていて、とんでもないネタにばっかり走っていく。破天荒なキャラはマロンを育てた周りの人によるものなのだろうけど、声が出ない事でここにいる自分も表で見せる姿も全部が嘘者だと思われる私とは違って、人の心で偽物を本物にしてしまったマロンの物語が、私を強く揺さぶった。

 私にはない、弾けるような歌声で奏でる癖の強いボーカルが好きで、お父さんに自分のパソコンへインストールしてもらってからは、慣れない本を読みながら、何度も調声に挑戦した。

 最初は、当時から大好きだった翠涙の曲を耳コピして、マロンに歌わせていた。

 

「ちがーう! もっとここはこう、ぐいぐいっと強くするの!」

「それじゃ全然何言ってるか伝わらないじゃん!」

「へたっぴー! このダサい発声、もうちょっと何とかなんないわけ?」

 

 再生ボタンを押すたびに、生意気なマロンにそう言われているようでイラッとした。

 でも不思議なことに、何度も歌わせているうちに、どうしたらもっと上手に彼女を歌わせてあげられるのかがわかってきて、いつしか私は音を通じて、マロンと会話できるようになっていた。

 

「ねね、ここはさ、もっとこういう風に歌ってみたいなー、あたし!」

「やっぱり翠涙みたいな曲じゃ、マロンには合わないのかな……」

「そんなことないよぉ、美沙が調声したら、あたしもっと上手く歌える! あーでもさ、メロディーラインはこうの方がよくない?」

 

 そうやって、気が付いたらちょっとずつアレンジしたり、違う曲が生まれていることがあった。

 ところで、UMAIの開発者が、最近になって企業として開発した新たなソフトウェアがあるのだけど、私のお父さんが開発に携わっていたのが、実はそのHarmonics(ハルモニクス)——通称「ハルモニ」と呼ばれるソフトだった。父はその中で和久里マロンのリメイクを担当することになり、だから大好きな推しの声を再び美しく甦らせ、商品化できる仕事に就けてあんなに張り切っていたのだと、後になってわかった。

 ハルモニは、AIによる自動修正がウリのソフトだ。前は一音一音細かく修正を掛けなければいけなかったが、今はボタンを押すだけで、全体的にかなり自然かつ人間が歌っているのに近いボーカルに修正してくれる。編集方法も、初心者に対して感覚的にやりやすい仕様になっていて、私も父に試用版を紹介してもらってからは、ずっとこっちを使っている。

 ハルモニ版のマロンは、UMAI版に比べてざらりとしたささくれのような部分がなくなり、かなり聴きやすくて滑らかな声音になっていた。まるで

別人だ。もちろん、マロン以外のキャラクターの音声データベースも充実していて、私の地声に近い感じの声や、歌わせるとほとんど人間と見分けがつかないような少女の声も、沢山用意されている。

 私はそのどれもを一通り扱ったけれど、私が学校で曲を聴かせたことのある友人は、私がより自然な歌声に近いハルモニ版ではなく、UMAI版のマロンの声を今でも時折使っていることを、不思議がっていた。

 

 人工的だと言われていても、それが悪い事だとは、私は思わなかったから。

 強弱が付きにくく、どこか感情を欠いたようにも思える、青空に抜けていくみたいなマロンの声は、やっぱりUMAI版での味だったから。新しいソフトウェアを使うようになっても、新しいマロンの声を使うようになっても、私はどっちも好きだし、フリーソフトであった時代のマロンの声が好きだ。

 私と全然違うマロンの、迷いのなさが羨ましかった。あんな風に歌いたかった。

 

「美沙だって、歌えるじゃん」

「え? でも、私」

「歌ってみなきゃわかんないじゃん? あたしは、あんたとあたし結構似てると思ってるよ」

「でも、喋る時でさえ声が出ないのに、歌なんて」

「逆かもよ? 歌の方が、声よりもっといっぱい気持ちが出るのかも、なーんて。折角、自分が作った曲なんだよ。自分で歌ってみなよ」

 

 マロンにそう言われて、あの日初めて、自分の部屋で声を出した。

 掠れて、ろくにブレスも吸えない。情けないぐらいひょろひょろで、でもそんな事よりうんと、ずっと、生まれて初めての感情が自分の中から湧き上がって出て行った。

 声を諦められなかった私が、歌なら歌えた。

 可能性を突き破って、熱くなった喉元に、自分の掌で触れる。

 まだ、わからない。人のいない場所で歌えただけだから、ヒデちゃんやみんなの前では、無理かもしれない。

 でも、もしこの声が。この歌声が、この世界に届いたら。

 カーテンを引いた部屋の中で、胸の奥が震える。

 そこから先の夢なんて考えたこともないけれど、今はそれで十分だった。

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