「あなたが、美沙ちゃんね」
『はい。愛理さんから、幸さんのことはお友達だと聞いています。すみません、スマホで』
「いいのいいの! 気にしないで! あたしはお喋り出来るだけで嬉しいし。お寺に来る年配層の人の相手も楽しいけど、若い子と喋るの本当に久しぶりだよ〜。なんか、隣にいるだけで若返ったみたいでワクワクしちゃう」
私の声が出ないことを、事前に愛理さんから聞いてはいただろうけど、それでも屈託なく笑顔を見せてくれる幸さんの優しさに、私は初めて会ったばかりだというのに、心がふっと解けるのを感じて微笑んだ。
「しっかし、あのアイリスが共同制作の曲で発表会とはねえ。美沙ちゃん達が作ったんだ? 本当にすごいねえ」
『ほとんど、専門のスタッフさんが入ってくれて手伝ってもらったようなものなんですけど…琢真さんも、ステージ作り協力してくれてますし。私はほんと、ありがたいなって思うばかりで』
「ふふ、美沙ちゃん謙虚だねー。ずーっと若い頃とんがってたあたしとは大違いよ」
『幸さん、そんなに尖ってたんですか?』
「えー、アイリスから聞いてなーい? すごかったよぉ。髪の毛なんてずっと脱色してたし、派手に大学はサボるし、男は作りまくるし、定職にも就いてなくて、もうちゃらんぽらんだったんだから」
ひひっと歯を見せて笑う幸さんは、それでも今はきちんと纏めた髪に品のいいブラウスを纏っていて、全然そんな不良っぽい人には見えなかったけれど、そのいたずらっ子みたいな瞳の光に、片鱗が宿っているような気がした。
『…なんていうか、愛理さんのご友人って、ガラ悪い人多めですか?』
「ぐふっ。確かにそれはそうかもぉ。少なくともあたしはそーだったしなぁ。あそこにいるイケメンくんからも、ちょっと似たようなオーラ感じるし?」
ちらっと誠さんの方を興味深そうに見た幸さんは、私に意味深に笑いかけた。
「もちろん、上品な子も友達にいたよー。ただあいつ、外見がどうとかに関係なく、内側に鬱屈した何かを抱えてるみたいな人間ばかり、うまーく見透かして引き寄せちゃうんだよね。だから色んな奴と付き合いがあったんだと思う。ま、そういうアイリスだからどこか放っておけないんだけどさぁ。気まぐれで人のこと引っ掻き回すくせに、他人の影響を案外受けやすいからね。あいつ」
『さっきから呼んでる「アイリス」って、愛理さんのあだ名ですか?』
「うん、そう。昔は自分の名前嫌い〜って言って、ペンネームみたいに名乗ってたよ。でも最近はやめたのかな。違う名前で呼ばせても、結局自分という人間そのものは変えられないって気付いたのか、それともただ面倒になって諦めたのか……ま、わかんないけど、あいつも時が経って色々と変わったよね」
幸さんは、くだけた話口調の合間に、どきりとするほど鋭いことを言う。
お寺の人と結婚したら、そういう達観した悟りみたいなものも開けるようになるんだろうか、と思いながら私がお冷を啜っていたら、不意に幸さんが言った。
「でも、よかった。あいつが、美沙ちゃんみたいな子と出逢えて」
「……?」
首を傾げて顔を上げた私に、幸さんは薄い眉の下から切なげな瞳を向ける。
「ほら。あたし、結婚してるでしょ。それを気にしてるのかわからないけど、アイリスの奴、結婚してから妙〜によそよそしいっていうかさ……。もちろん、結婚しようが何しようが友達なのは変わらないって言ってんのに、なんかこう、説明しようもない感じで向こうに距離置かれてる感じがすんのよね」
「あ……」
思わず、小さく声を上げて私は幸さんの顔を見た。私の、いわゆる同世代の友達って言ったら、みんな通っている中学とか高校の同級生ということになる。今の学校ではそこまで気にはならないけれど、前にいた中学では、学年が変わる時にクラスが変わっただけで、担当する先生や授業が変わって共通する話題がなくなり、お昼に教室を移動するのも面倒になって疎遠になったりする事があるのだと、数少ない親しい友達が話しているのを聞いたこともあった。
ましてや学校を卒業して、別々の仕事に就いて、そうやって大人になっていく過程で生じる距離感というのは、どれほど遠く感じるのだろう、と幸さんの言葉に私は思いを馳せた。
小さく咳払いをして、私は喉元に手を当てる。
「さ……幸さんは、大学の頃の愛理さんの友達、なんですか?」
囁くような声になったけど、小さく目を見開いた幸さんは、嬉しそうに微笑んだ。
「うん。でも、アイリスは大学に通ってた訳じゃなくてね。あたしが大学生の頃に留学先で会って、その後も日本では同じ関西に住んでたから、何となく付き合ってたっていう。だから、大人になってからできた友達としては割と珍しいパターンかも。あたしは名古屋が地元だったから結局こっちに帰って来たけど、愛理もそのうちこっちに来てさ。社会人になってもよくバカやって一緒に遊んでたし。そう、だから、結婚しても別に、何も変わらないと思ってたんだ……」
ふっと、寂しそうな目をした幸さんは、遠くを見るようにカウンターへ頬杖を突いていた。ほんの少し、傾き始めた陽が玄関のフェンス越しに差し込んで、地面に落ちた光と影にじゃれつくようにして、メルとポーラは遊んでいる。
「あたし自身がぜーんぜん変わったつもりなんかなくても、環境の変化で何となく周りにそう思われちゃったり、疎遠ってほど疎遠じゃなくても、前ほどは気軽に会ったり遊んだり出来なくなったり。あたしがあたしで必死になってる間にも、友達の方は友達で色々大変なことを乗り越えてたりさ。お互い一生懸命生きてるはずなのに、そうやって、どんどん共有できない事が積み重なってって。それって仕方ない事なんだろうけど、どうしようもない事なんだろうけど……寂しいし、悔しいなーって。
それなのに……確かにそう思ってるのに、なんだかんだこの状況で何とかなってるあたしが、一番悔しいよ。あたしは」
「幸さん……」
俯いた幸さんの声が、日暮れの中で震えているように感じた。
思いの種類や強さは違っても、この人からも翠涙の曲と同じ、寂しさを感じる。大切に共有してきたはずの思い出やかけがえない友人との埋まらない距離と、それに慣れ切ってしまった自分への苛立ち。拳を握った幸さんの背中に、私は思わずそっと手を当てた。
「……だからさっ。今のアイリスに、手を差し伸べてやれるのは、あたしじゃなかったって事、なんだよね。本当は、あたしがどうにかしてやりたかった! でも、美沙ちゃんみたいな子が、あいつの手を引っ張り上げて何とかしてってくれたの、あたしは本当に嬉しいんだ!」
テーブルを両の手で軽く叩いて、顔を上げながら明るく言った幸さんの目に、ほんの少し涙が滲んでいた。
友達なら、困った時は近くで何とかしてあげたいと思うのが当然だろう。それでも、お互いの暮らしや生活がある中、相手とどれほど近くにいられるのか、その時間や頻度は、人生のステージにおいて様々に違ってくる。
きっとそれは、愛理さんにとってかなり大きな心の位置を占めていたあやめさんだけじゃなく、幸さんだって同じだ。
現実に起こる変化は、いいことも悪いこともある。今はよかったとか悪かったと言い切れたとしても、それも長い目で見ればどうなるかわからない。不安定な波の上に揺れる、船の上にいるかのようだ。
乗っている船は違うかもしれないけれど、それでも同じ波の上で船酔いを耐え忍び続けている。そんな気持ちで、私は正面から向かい合いながら、幸さんの両手を取った。
「私……幸さんにも、届くように歌います。違う場所にいても、生き方が変わっても、幸さんや愛理さんの、友達を想う気持ちが届くように。愛理さんだって、絶対に同じこと、思ってると思うから」
「あはっ……ありがと。美沙ちゃんは優しいね」
「あと、その……よかったらその『アイリス』って呼び方、私にも使わせてもらえませんか。本番、友達がネットで配信してくれるみたいで、呼ぶ時に本名じゃなくてニックネームを使おうと思うんですけど、まだ決めれてなくて」
思い切って幸さんの方を見上げながらお願いすると、涙を拭いながら笑っていた幸さんはきょとんとし、それからまた大輪の向日葵みたいな笑顔で大笑いし始めた。
「あっはっは! そんなの、あいつさえいいって言えばいくらでも使ってもらっていいよぉ。あたしが作った名前じゃないんだし。もっと気軽に呼んでやって」
「おーい、そこ。何の話で盛り上がってるんだよ?」
ふと気が付けば、設営がひと段落したらしい愛理さんが、こちらへ向かってくるところだった。歯を見せながら笑った幸さんが、手をひらひらさせながら振り返る。
「何でもないわよ。あんたの悪口!」
「へえ。嬉し泣きしながら悪口なんて、よっぽど僕にいじめられて幸せなんだな、幸は」
「もーっ! 相っ変わらずの性悪女ね、あんた!」
「そりゃ、お寺で功徳を積んでる坊守様に比べたら性格悪いに決まってるだろ」
しっかりと幸さんの涙を見咎めながら揶揄う愛理さんに、思いっきりべろを出す幸さんを見て、思わず笑ってしまった。
望む望まないに関わらず、人は変化していく。愛理さんと幸さんの間に漂う空気を見ていると、たとえどんな風に変わったとしても、形を変えて続いていく友情はあるんじゃないかって、私には思えてならない。