僕と猫。   作:大野 紫咲

38 / 41
Day30.握手(後編)

「あの二人、縒り戻す気なんすかね」

「あんまり、そういう雰囲気じゃなさそうでしたけどね」

「それは、君の希望的観測じゃなくて?」

「満月さんこそどうなんですか?」

 

 ケータリングのチキンを食べようと思ってカウンター席に座ったら、たまたま隣の席で飲んでいた満月さんと一緒になった。向こうから話し掛けてきた時にはさすがに緊張したけど、歳が私と近いのもあるせいか、隣に座って音楽の話や雑談を振られたら、自然と返事をしてしまっていた。

 Tシャツとカーゴパンツの上に羽織った薄手のパーカーという、いい意味で距離を感じさせない格好のせいもあるのか、歌いすぎで喉を枯らしている私に、満月さんが喉にいいドリンクを頼んで差し出してくれた時には、学校の先輩か友達とでも接しているような気分だった。近いと言っても、満月さんの方が歳は十個くらい上のはずなんだけど。

 

「すごかったっすね、ほんまに。プロのミュージシャン顔負けじゃないすか」

「あ、ありがとうございます。でもあのぅ……別に私の力じゃないっていうか、琢真さんとか琢真さんのツテのおかげで、実際にプロの方の手もいっぱい入ってるからなので!」

「そうっすか? それでも十分な実力だと思うっすよ。音楽が好きな気持ちも、歌を楽しんでる気持ちも、すっごい伝わってきて」

 

 衒いなく笑ってくれた満月さんに反して、私はちょっと慌てながら手を振った。

 誠さんのことは秘密にしろと言われているので、何となく琢真さんに全部威光を押し付けてしまっているが、これでいいんだろうか。当の誠さん本人は、時々この場に酒とつまみを取りに来ているのを見かけたので、きっと今ごろ、涼しい二階でスルメイカでも齧りながら、レイ達と遊んでいることだろう。

 サラトガ・クーラーのグラスを私の側で傾けてごくりと一口煽った満月さんは、深みのある色をした瞳でどこか遠くを見ていた。サラトガ・クーラーは愛理さんの好きなモスコミュールに似たカクテルだけれど、こちらはノンアルコールだ。うちで割り材に使っているジンジャーエールは、かなり辛口だったはず。

 

「……うち、タメ語で喋ってもええかな」

「どうしたんですか急に。別にいいですけど」

 

 明らかに歳上なんだから別に最初からタメでもよかったのに、ヒデさんや愛理さんに話していたのと同じく敬語混じりで喋っていた満月さんの、口調が変わった。口調だけじゃなくて、ニュアンスが関西弁のそれになっている。

 

「満月さんて、名古屋の人じゃなかったでしたっけ」

「うん。もうだいぶこっちに住んで長いんやけどね。家庭の事情で、大阪から名古屋の伯母さんちに養子縁組で引き取られてん。やから、うちの関西弁はなんちゃって関西弁みたいなもん。おとんは未だに仕事で大阪住んどるしな」

「そういうことでしたか」

 

 翠涙の曲は、歌を抜いたインストの音源でもやっぱり綺麗だ。ざわめくバーの中のおしゃべりと、雨垂れのようなしとしとした音の中で、少しの間沈黙が満ちる。傘から滑り落ちた雨が、私たちの周りに秘密の輪を作っているみたいだ。

 

「美沙ちゃん、怒っとったやろう。うちに」

「い……いえ。そんなことは……ないつもりなんですけど」

「うちもミュージシャンの端くれやから、わかるよ。あの曲聴いとったら、何となく」

 

 カウンターの方に体を向けたまま、満月さんがこちらを見て小さく微笑んだ。

 愛理さんの過去に携わった人に対して、嫉妬を覚えなかったわけじゃない。

 現に『Blue Pride』とかはそれが原動力になってできた曲でもあるけど、どちらかというとあやめさんに関わる感情のケリを付けたくて愛理さんと作った曲で、だからといって満月さんのことは全く意識しなかったかと言われたら、そうとも言い切れない。

 

「傷付けちゃいましたかね、私」

「んーん。そういうこと言いたいんやなくて。なんか……すごかったなぁって。傷付くとかそういうの以上に、パワーが湧いてくるっていうか。

美沙ちゃんの歌に乗った愛理さんの詞を聴いた時に、あの人はこんな風に、人のことも自分のことも愛せたんやなぁって。近くにいて知っとったつもりで、うちは全然知らんかった。こんなすごい力が、愛理さんの中に眠っとるなんて」

 

 ちょい悔しい、と笑いながら、満月さんがマドラーでライムをつつく。

 浮き沈みする半月状の果物を見つめながら、私は口を開いた。

 

「私は……愛理さんの話を、聞いてただけですけど。色んな人と関わるうちに身動きが取れなくなってった、そんな愛理さんの苦しみを歯痒く思うのと同時に、こうも思います。満月さんが支えてなかったら、愛理さんはあやめさんと離れてから生きていけてなかったんじゃないかと」

「そんなことあらへんよ。……そんなことない。うちは、弱みにつけ込んだだけやもん。美沙ちゃんも、一緒にぎょうさん曲作ったなら知っとるやろ。あの人は強い。ちゃんと生きてける。うちはそれを、引き出してあげれんかっただけ。いいや、『守ってあげよう』って意識すら、傲慢だったんかもしれへんなあ」

「満月さんは、弱みにつけ込むような人なんですか?」

「自分はそういうつもりじゃなくても、人からそう思われることってあるやろ? なんぼうちが愛理さんのためや言うたかて、それは詭弁や。あほやなぁ。それがわかっとったら、うちは愛理さんに、『恋人として好きや』なんて、絶対言わんかったんに」

 

 不意に、グラスに俯いた満月さんの瞳に、薄い膜が張ったように見えた。

 さっき見た愛理さんとあやめさんの様子といい、私たちの曲には、誰かを懺悔させる力でもあるんだろうか。たまたま、ここにいるメンバーだけかもしれないけど。

 いや、そんなわけはない。多分それは、あやめさんや満月さんの心の内側にも、愛理さんと同じように、最初からあった感情だったはずだから。日常の中で誤魔化したり、忘れていたり、気付かないフリをしたり。それを呼び起こすきっかけが、たまたま私たちだったというだけに過ぎない。

 両手をテーブルに置いた満月さんは、涙を溢すまいとするように上を向いた。

 

「けどな、なんか美沙ちゃんが歌ってんの見てスッキリした。傲慢でもよかったんやなぁ、て。自分と相手がぶつかり合ってどうなるかなんて、その時になってみんとわからんけど、別にそれは無駄じゃないって、美沙ちゃんたちに背中押して貰えたような気分やった」

「まあ、一番感情を乗せたい部分はそこだったので、伝わって嬉しいです」

 

 この空間では声が出るようになったとはいえ、知り合って浅い人と話すのはまだ緊張して、どうしても仏頂面になってしまう。けれど、それを気にする様子もなく、満月さんは涙を指先で払いながら、くしゃくしゃの髪で笑いかけた。

 

「あんがと。美沙ちゃんが歌ってくれへんかったら、うちもどっか心の底で、愛理さんのこと恨んだままになってしもてたかもしれんしな」

「だったら、よかったですけど。そんな恨むようなことあったんですか?」

「愛理さんに、っちゅうか……うちなぁ、おかんもおらへんようなってしもてん。うちが子供の頃、おかんが働いとった保育所のバスが事故に遭って、そのバスで子供を庇ったまま、意識不明になってしもうてな。植物状態で病院におって。おとんはその介護も大変やから、うちは小さい頃から名古屋に預けられててん」

「……!」

「何年も長いこと管に繋がれたままやったけど、最後は助からんくてな。やからな、ちょっとだけ思ってしもた。愛理さんに、好きやけど恋人にはなれん、別々に住もうって言われた時に、ああ、とうとうこの人もうちを置いていくんかなって。

なんぼそんなはずないってわかってても……うちの周りからうちの好きな人がおらんくなるんは、うちがよくないからかもしれん、て」

 

 まあ口では勿論よう言わんかったけど、とはにかみながら俯く満月さんの前で、私は衝撃的な事実に心臓がドキドキしていた。家庭の事情と聞いたから離婚とか何かだと思ったけど、私の想像の範疇を超えていた。

 

「情けない話やろ。うちのおかんのことと、愛理さんのことは何の関係もあらんのに。どっかで同一視して、別々に見てあげれへんかったんやなぁ。

今やったら、もう怖がらずにおれる気がする。誰かが突然おらんくなることも、自分や皆が変わってくことも。辛いけど、だからこそ一日一日を一生懸命生きて、伝えてかなあかんのやて、美沙ちゃんが言うてくれたからな。歌で」

「……あんまり、無理しちゃダメですよ。そういうのって、言うのは簡単だけど、実際にはすぐ割り切れないものだし。百%頑張ろうって気持ちじゃなくても、なんていうか、そっちの方角に向こうって思ってるだけで、随分変わってくると思うので」

「せやな。美沙ちゃんは人生経験豊富やなぁ、ほんま」

「いえ。ちょっと人から話を聞く機会が多かっただけです」

 

 引き篭もっていると、その分他の人が普段接する暇のない情報や愚痴まで、SNSから色々収集してしまうものだし。照れ笑いの私に満月さんが差し出してくれた、ベースの練習でタコや豆の多いしっかりした手を、私はそっと握り返した。

 

***

 

「あの。愛理さん、誠さん」

「うん?」

 

 その日の晩。お疲れ様パーティーもお開きになって、機材を片付けたり、お皿を洗ったりしている合間に、私は二人を走って追いかけながら見上げた。

 レイとポーラは、台車の上にぐるぐるに積まれた配線に、代わりばんこに手を出してつつきながら遊んでいる。さすがに噛みちぎったりはしないだろうけど、イタズラが度を越す前に一緒にいるメルが牽制に入ってくれるので、見てる側としては安心だ。

 

「今更なんですけど、私思いついたんです。バンドの名前」

「……一夜限りのライブも終わって、これから解散しようってタイミングで?」

「まあまあ。採用されたら、それ誠がTシャツに入れればいいだろ」

「あの話、まだ生きてたんだ」

 

 呆れたように誠さんが言う。もうライブとか関係なく、愛理さんは例のオリジナルTシャツを記念に作らせる気満々だったらしかった。

 くすりと小さく笑って、私は倉庫に片付けられる前に残っていたホワイトボードに貼られたプログラムへ、少しインクの掠れたペンで文字を綴った。

 

「色々、考えたんですけどね。青にちなんだ名前とか、この三人らしい名前とか、呼びやすい名前とか。でもまあ、これでいいかなって」

「翠涙に被んないようにしてね? バレるとヤバいから」

「大丈夫ですよ。色はちょっと似てるかもしんないですけど」

 

 私の両の後ろに立った二人が、きゅっと音を立てたホワイトボードを眺める。

 『deep impact blue』。

 眩しそうに目を細めて口角を上げた誠さんと、即座に目を輝かせた愛理さんの反応で、二人が気に入ってくれたことはよくわかった。

 

「略称はDIBか。Tシャツに三文字でどんっと入れたら映えそうだね」

「かっこいいよ、これ」

「dとbで、線対照になるじゃないですか。だから両脇はお二人のことで……」

「真ん中は美沙ちゃんってわけね。ふふ、確かにインパクトあるよなぁ」

「そっ、そんな単語の意味を意識したわけじゃ、ないんですけど……!」

 

 三人で一つだから、綺麗に三つに収まる言葉を探したかった。

 愛理さんみたいに英語は得意じゃない。けれど、その分誰にでも意味がわかって、覚えやすくて、呼ぶたびに私達だとわかってもらえる名前を。

 芸能活動じゃない分大っぴらにはできないけれど、だからこそ余計に、誇らしく思える名前を作りたかった。一度きりしか公演しないから、だから名前を考えても無駄だなんて思いたくない。思いつきではあったけれど、歌っている最中にすんなりとこれが降りてきたのだ。

 小さく肩を回しながら、誠さんが何気なく言った。

 

「じゃあ、命名記念にもう一回円陣でも組んどきますか」

「えー? 次、再結成するかどうかもわからないのに?」

「ちなみに、寮の一階はもうエアコン止めてて暑いからな。汗だくになる部屋で後から円陣組みたくなって後悔したくないんなら今のうちだぞ、スズ」

「わかった、わかったって!」

 

 素直じゃない愛理さんが誠さんの口車にうまく乗せられているところを見て、思わず声を出しながら笑ってしまう。

 私の声は、家や猫波荘の外では、まだ固まったままかもしれない。場面緘黙症を克服しても、人から刺される槍のような視線は、いつまでも私を脅かすのかもしれない。

 それでも、胸を張って立っていたい。今日、このステージをやり遂げた自分に。

 私は屈んでくれた二人の両肩に腕を乗せながら、自ら音頭を取った。

 

「deep impact blue! いくぞー!」

「おー!」

 

 私たちは三人と、それから手伝ってくれたヒデちゃんや琢真さん達ともしっかり感謝の握手を交わしてから、一夜限りのライブハウスを後にしたのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。