僕と猫。   作:大野 紫咲

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Day31.遠くまで(前編)

 「猫の眼」でのライブが終わって間もなく。

 誠は、猫波荘での短い生活を終えて東京へと帰って行った。本人的にはもう少しのんびりしていたかったらしいが、どうしても東京で終わらせなければならない仕事が入ったようだ。

 来た時と同じ紺のスーツ姿で、ギリギリまで帰りの新幹線を待ちながら、リビングにいた誠はソファの上のレイを眺めながら自分も寝そべっていた。短距離とはいえ、この姿で炎天下の下を歩いて駅まで戻らないといけないのが相当億劫らしい。

 

「あ〜あ、暑いけど最高だったのにな、名古屋。ゲストハウスの中ずっと涼しいし、ちょっと出歩けば美味い手羽先も鉄板ナポリタンも食べ放題だし、いつでも猫もふり放題だし。帰りたくない」

「作家の先生が編集部の担当から逃げてきたみたいなこと言うじゃん」

「まさにそういう気分なんだって。僕が勝手に曲提供してたのがバレて、hamakiに『後でお話がある』って言われてるし」

「いや、それ大丈夫なのか色々」

「どちらかっていうと、怒られるというよりは興味示してる感じだったけどね、美沙ちゃんの曲に。まあ、あんな再生数伸びたらそりゃ気になるよな」

 

 美沙ちゃんの友達が「Misha」のアカウントで配信したバーでのミニライブの映像は、ぶっちぎりで過去最高の再生数を記録していた。配信や拡散のタイミングが偶然合ったのも大きかったのか、個人のアカウントとしては珍しく万単位で再生され続けており、美沙ちゃん本人も随分と驚いていたようだ。コメントを三人で眺めてあれやこれや言いながら、嬉しそうに返信していた美沙ちゃんの姿が、記憶に新しい。

 

「また遊びに来なよ。とりあえず、名古屋にはしばらくいるつもりだし」

「愛理はどうすんの? と言いたいところだけど、別に今焦って考えることもないか。ま、君のセカンドピアス買いに行かないといけないしなぁ。生きてたらまた会おうぜ」

 

 そう飄々と言って、誠は手を振りながら猫波荘を去っていった。来る時も去り際もあっという間で、風みたいな奴だ。何の感傷も残さないところが、誠らしいけれど。

 

(僕がどうするか……か)

 

 休職期間はまだ残っているし、誠は焦ることないと言ってくれたけど、僕にはもう半分くらい、心に決めていることがあった。

 それを話しに、僕は午前の清掃と荷物預かりを終えてから、スタッフルームにいるヒデさんの元へと向かった。リビングにいる時以外はすっかりここを根城にしているメルが、隣で昼寝中のレイにくっついて寄り添われながら、うっすら目を開ける。レイの方ではいつの間にか随分メルを気に入ってるみたいだけど、メルの方はどうなんだろ。

 

「あら。愛理ちゃん、何かあった?」

「ううん。仕事の方は滞りなく。ヒデさんに、話したいことがあって」

 

 事務書類から顔を上げたヒデさんが勧めてくれた椅子に座り、僕は机を挟んで向かい合う。

 

「ヒデちゃんが、ここに僕を住ませてくれてもうそろそろ二ヶ月になるよね。色々、本当にありがとう。僕自身も勉強になったし、療養しながら生活を楽しめてると思う」

「それはよかったわぁ。アタシも、愛理ちゃんが日に日にイキイキしてくところを近くで見てられるから、安心してたのよぉ。スタッフさんとしても、すこぶる優秀だしねぇ。うふふ」

「それで……休職期間はまだ残ってるんだけど、もうそろそろ今後のことを考えようかなあって」

「あら。ひとまずは三ヶ月のお休みって話でしょ? うちはいくらでも、ゆっくりしてくれていいのよ。復帰するかどうかを考えるなら、もう少しゆっくりしてからでもいいんじゃなぁい? あ、でも、どちらにしろレイちゃんを飼えるアパートに引っ越さなきゃいけない問題は、残ってるんだったわねぇ」

 

 厳つい手を顎に当てながら、ヒデさんがエプロン姿のまま首を傾げる。

 こんな僕にでも、責任ある仕事を任せて、いつも褒めて伸ばして、人生の相談にも沢山乗ってくれるヒデさん。頼もしい姿に、僕は顔を上げて口火を切った。

 

「あの……ヒデさん。ここのゲストハウスって、正社員登用はやってない?」

「え? 愛理ちゃん、それって……」

「まだ一ヶ月残ってるから、もう少しゆっくり考えてはみるけど、よっぽど心変わりしなければ、今のホテルの仕事、辞めようかと思ってて。

もし、よかったらその……ここまで色々してもらって本当に申し訳ないとは思うんだけど、ここに住み込んだままの形で、僕を雇ってもらうことは……できないかな、なんて……」

 

 言おうと思いながら話しに来たものの、いざ口に出すと虫の良すぎるお願いをしている気がして、段々声が小さくなってしまう。オーナーがヒデさんでなければ、きっと相談できなかったことだろう。

 まつ毛の長い瞳を大きく見開いたヒデさんは、驚いたようにぱちぱちと目を瞬かせてから、両手を合わせて大きな笑顔を浮かべた。

 

「それは……うちはもちろん歓迎だけど、愛理ちゃんはそれでいいの? 本当に?」

「一緒に働いてきて、ヒデちゃんとならやれるんじゃないかと思ったんだ。

ただその、寮とはいえヒデちゃんの家に住ませてくれって言ってるようなもんだから、心苦しいんだけど……もちろん、家事は今まで通り手伝うし、家賃だって給料から天引きしてもらって構わないから」

「それは全然気にしなくていいのよぉ! うちにも、結構長期間住み込んで仕事してくれた子達とか、これまでいたしね。愛理ちゃんが生活してく上で気にならないなら、下宿だと思って好きに使ってちょうだいな。ここから離れない方が、せっかく慣れてきたレイちゃんだって喜ぶでしょお?」

 

 いつの間にか、寝ていたはずのレイが頭を持ち上げて、メルと一緒にこちらをじっと見ていた。自分の命運にも関わる飼い主の話をされていることが、こいつにはわかっているんだろうか。

 手放しで喜んでいたかのように見えたヒデさんは、しかしふと我に返ったように、落ち着いて深呼吸をしてから、小さく咳払いをした。

 

「でも……元の仕事を辞めるって話なら、正直慎重に考えた方がいいとは思うわ。アタシが俗世の常識なんて語りたくもないけど、世の中色々世知辛いでしょお? 最近。愛理ちゃんにもキャリアってものがあるんだし、捨てずにいられるものは捨てずに取っておくことだって、選択肢の一つだと思うのよ。愛理ちゃんだったら中間管理職も狙えるでしょうに」

「うん。それはまぁ、そうだよなぁ」

「それに、うちはこう見えて株式会社の体は取ってるけど、それでもお給料面で言えば、愛理ちゃんの今いるホテルとは比べ物にならないわ。こっちはそちらの月給の三分の二くらいしか出してあげられないと思うの。家賃や光熱費は相殺してくれて構わないけど、それでも収入の何割かが減るのは痛いでしょ。

それに、今は愛理ちゃんの体調を考えてほとんど昼の仕事しか回してないけど、本来だったら夜勤も入ってくるしねぇ」

 

 正直、勿体無いという気持ちは僕にもある。

 今のままの暮らしと仕事を続けていけば、人一人と猫一匹やっていくくらいだったら、そんなに苦労はない。子供やパートナーはいないから、そこに関しては先立つ物もないし、自分一人での気ままな暮らしなら、会社が倒産しない限りは質素に生きていけるはず。

 けれど——考えるのだ。職場のフロントに立って、疲れが取れないままに毎日毎日、お客様に失礼がないよう細心の注意を払いながら、ホテルの名と誇りに掛けて現場に立ち続けるのと、給料は安くても、ここでお客さんを身近に感じながら、レイやヒデちゃん達と一緒にドタバタ楽しく仕事をこなすのと、どちらがいいのだろう、と。

 ホテルの仕事が嫌いなわけじゃない。今まで色んなホテルや旅館を自分の仕事場にしてきて、本当にやり甲斐があったし楽しかった。こんな適当な性格の僕が、人並み以上におもてなしの心も学んだ。これから先、チーフやマネージャーを目指して、ホテルマンとして更なる高みに立つ道もあると思う。けれど、もう十分頑張ったんじゃないだろうか。今は一旦、前線を引いて、同じ「接客が好きだ」という心のままに、新しい領域で挑戦してみてもいいんじゃないだろうか。

 僕は、足元にやって来て注意深く見上げてくるレイに苦笑しながら、ヒデさんに言った。

 

「夜勤だったら、前の職場も普通にあったから大丈夫。むしろ、緊急対応ない間は寝てていいんだったら、こっちの方が楽まであるし。それに、ここ副業OKだったよね? 僕、ライター業の方もぼちぼち復帰しようと思ってるから、それと並行すればちょっとは足しになると思う。小遣い稼ぎ程度だけど、それだったらここにいながら、好きな時に受注して自分のペースでやれるしさ」

「あら、それはいいわねぇ。元々愛理ちゃん、文章書くの得意だもんね」

「それに……最悪どうにも首が回らなくなったら、いつでも実家に帰って来ていいって、母さんには言われてるし。今だったら仲直りができたから、僕も地元に帰ってそんなに居心地の悪さはないんじゃないかと思うんだよね。まあ、本当にそれはいざとなった時の手段だけど、あの家がある限り住む場所に困らないのはありがたいよ」

 

 そこまで言ったことで、僕の心境を察したのか、ヒデさんは朗らかな笑みを浮かべながら、何度も頷いた。

 

「そうね。一度きりの人生なんだし、愛理ちゃんがしたいようにするといいわ。今の時代、転職なんて珍しくないんだから、ここに飽きたらまたおっきいホテルや他の業界に移ってもいいんだし」

「ヒデさん……うん、ありがとう。今のところは、末長くよろしくね」

「でも、うちで働いてくれるんだったら、今以上にビシバシいっちゃうわよぉ〜」

「あはは、ご期待に添えるように頑張ります」

 

 力こぶを作ってみせるヒデちゃんに、僕は笑いながら、机に登ってきたレイと顔を見合わせたのだった。

 

***

 その日の午後。空き部屋の掃除機がけを終えて、空調の効いたリビングルームに帰ってくると、美沙ちゃんがいた。いつものように、学校の帰りらしい。

 選択している時間割によって、他の高校生と同じように夕方や夜帰ってくることもあるけれど、美沙ちゃんは早めに学校から戻って来て、ここに立ち寄っていることが多い。その分、ゲストハウスを手伝ったり、ここで翻訳用のカードやパンフレットを作ったりしているみたいだ。

 

「こんにちは。今日はお掃除終わるの早かったですね」

「うん。ここ最近の猛暑で、観光客も少ないみたいでね……まぁ、売り上げがなきゃこっちが生活に困るから、あまり仕事が暇で喜んでもいられないけど」

 

 せめて何か、宿泊客じゃなくても身近な地元民や立ち寄った観光客を呼び込める手立てはないだろうかと、僕もこのゲストハウスの一員として空き時間に案を練るつもりでいる。立派なホテルだったら、そういう定期的なイベントは企業が絡んだりしてもっと大変だろうけど、ここだったら気楽にパーティーやフリーマーケットでも開催できそうだ。それこそ、誠が言っていた古本屋でもいいかもしれない。

 色々想像を巡らせながら、窓の近くの椅子に座って目の前の路上を眺めている美沙ちゃんの隣にやって来ると、不意に彼女は、僕を見上げまっすぐに言った。

 

「愛理さん」

「ん?」

「……もし明日、私が急に黒猫に戻っちゃったらどうします?」

 

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