僕と猫。   作:大野 紫咲

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Day4.触れる

「……で、とりあえず家に置いて来たと」

「そ。幸いにしてトイレの場所はすぐ覚えてくれたし、危ないものとかしまい方はヒデちゃんに教えてもらったし。けどなあ、そこからが問題なんだよなぁ」

 

 カウンター席で、隣の琢真(たくま)から奢ってもらったジントニックの氷を揺らしながら、僕はぼんやりとひとりごちた。

 琢真はまあ、名古屋に引っ越して来て以来の腐れ縁というか、友人みたいな奴だ。今は、レッドレインという音楽事務所で僕の元カノとバンドをやってる。元カノの件に限らず、僕とそのバンドのメンバーとは正直過去に色々あったので、微妙な距離感といえばそうなんだけど、何故かこいつとの縁だけは不思議と続いている。彼にとっては、僕の方が腐れ縁なのかもしれない。

 つんと立った茶染めの髪を弄る琢真は、三十路近くになってもとにかく見た目が若い。今でも派手な柄のシャツやネクタイが似合うし、大学生と間違われるんじゃないかってくらいだ。そんな琢真は、一丁前にウイスキーのロックを口に運んでから、僕の方を見た。

 

「引越しは?」

「それも考えたけど、まだ二年くらいしか住んでないしさ……どのみち、一週間で物件探して引っ越せってのはハードなものがあるよ。内見だってしてみないとわからないのに」

 

 黒猫のレイを保護した翌日に、僕は既に大家さんに連絡していた。

 元々猫なんか飼うつもりもなかったから無理はないけど、今住んでいるマンションは案の定ペット禁止で、一週間を目処に猫の引き取り手を探すか、転居を考えて欲しいのだという。

 犬よりは静かと言っても、猫だって鳴き声も足音もそれなりに煩い。夜行性ならではの習性で夜中に走り回られると、下階への騒音被害も甚大だと思われるので、一週間はむしろ寛大な措置だと思った。

 

「最悪ペットホテルに預ける手もあるけど、ずっとって訳にいかないしな」

「それもそうだよね。愛理、今収入ないしな」

「お前の教えてくれた傷病手当金のおかげで正直助かってる……けど振り込みは月末だし、しかも先月に関しては有給消化の分もあるから、手当金自体は今そんな当てにならないんだよね。貯金を切り崩せなくもないけどさ」

「それよか、ほんとに飼うの、その猫? 愛理、自分のことでさえ手一杯なのに」

 

 呆れたように琢真に言われてぐっと言葉に詰まったが、正直それが一番迷うところではあった。

 今の生活費に加え、クリニックに行っている分の病院代も薬代もかかる。それに加えて、猫の飼育費となると……。お金に関しては、最悪一ヶ月後に職場復帰すれば何とかなるにしても、僕は本当に、生涯を看取るまでこの子を飼っていく覚悟があるのだろうか。

 まだ数日暮らしただけで、どんな性格の子なのかもわからない。僕と合うのかも、僕に引き取られることが本当にこの子の幸せなのかもわからない。

 結局のところ、拾った時点で飼わなければならないとはある程度心に決めていたくせに、僕は突然飛び込んできた見知らぬ生命体と生活を共にするのが怖くて、ぐずぐず悩んでいるだけなのだった。

 とりなすように、琢真が足元へ寄って来たバーの看板猫のメルを撫でながら言う。こいつも、大概動物には好かれるようだ。

 

「まあ、愛理が本気で猫好きだから、そのへんの責任については悩んでんだろうけどね?」

「別に、見捨てたらよかったなんて思ってないよ。ただ、僕マジで猫なんか飼った事ないから、生活ぶりが想像つかないというか、もうちょっとお試し期間欲しいっていうか、その前に引っ越すのは色々と心の準備がっていうか……」

「相っ変わらず変なところでグズグズと煮え切らないなぁ」

「うっさいな、んな事言うなら琢真が飼えばいいだろ!」

「うちだってペット禁止だっつの! それにそんな事言って、俺がその猫取り上げたら、愛理は絶対怒るくせに」

 

 めんどくさいでちゅねー、と言いながら、琢真がメルを膝に抱き上げる。膝の上に乗ったメルは、香箱座りになりながら、青と黄のオッドアイを鬱陶しそうにほそーくして僕の方を見ていた。くそ、二人してバカにしやがって。

 カウンターの内側で、端の席の外国人客へつまみを出したり会話に混じったりと忙しく立ち働いていたヒデさんは、こっちへ戻って来て僕たちの会話を聞いた途端、エプロン姿で笑いながら言った。

 

「あら、簡単よぉ。だったら愛理ちゃん、しばらくうちで住んだらいいじゃないの」

「「……え?」」

 

 あまりにもあっけらかんと言うので、僕と琢真の声がハモってしまった。

 グラスを手早く磨きながら、ヒデさんが言う。その剛腕からは想像もつかない繊細な手つきだ。

 

「ほら、ご覧の通りうちは猫飼ってるし? お客さんも、その情報見て猫がいる前提で泊まりにくる人達ばかりだから。家のどこボロボロにされたって気にならないわよ。それに、愛理ちゃんだって猫との生活に慣れたいんでしょ? それで自信がつけば、自分で何とかやってみようって気にもなるわよ」

 

 ガレージを改装されたバーの敷地内には猫が放し飼いされているけど、いい子達だからカウンターの中に入って行くこともないし、扉や仕切りを破って外に飛び出して行くこともない。前回千切られたストラップの代わりに、ネズミのついた釣竿型のおもちゃでポーラの相手をしていた僕は、慌ててヒデさんの方を見た。

 

「ええ!? でもその、ヒデちゃんのとこって、つまりゲストハウス……でしょ。ここに泊まるの? 僕が部屋占領したら、他のお客さん邪魔じゃない?」

「うち、隣の棟を従業員用の寮にしてるのよ。アタシはほとんどこっちにいるけど、気にならないならそっち使ったらいいわ。けど、ネコちゃんと過ごしたいなら、ある程度は本棟への出入りもあった方がいいわねぇ」

「ちょっとちょっとヒデさん、愛理のことゲストハウスで働かす気?この人休職中だよ?」

 

 唐突な話の流れに付いていけなかった琢真が慌てて突っ込んだけど、ヒデさんは空のグラスを回収しながら笑顔で片手を振った。

 

「あらヤダ、そんな事させないわよぉ。 うちは住み込みで働いてくれてる子達のおかげで回ってるし、愛理ちゃんは休暇だと思ってのんびりしてくれてたらいいの」

「でもさ、ここの従業員さん達って、お家賃とか生活費を相殺させる形で、ゲストハウスを手伝ってるんでしょ……?」

 

 賃金なんて贅沢なことを言わないまでも、もし本当に住み込むんだったら、そのくらいの事は僕にもさせて欲しい。

 ただ、医者の許可もなく勝手にそんなことをしてもいいのかは判断に迷ったので、僕は今週のクリニックの予約を急遽入れることにして、その場はお開きになったのだった。

 

 それから数日後のこと。

 ボランティアという形でなら、という事で、病院からは許可が出た。

 無理やりならともかく、僕自身が望んでいるなら転居も気分転換になるであろうし、心身に影響のない範囲でやってみればいいと言う。ただしくれぐれも無理をしないようにということを言い含められてから、僕は怒涛の勢いで引越しの準備を始めた。

 と言っても、別に家財道具一切合切を持って引越しする訳じゃないし、忘れ物があっても数駅電車に乗って戻れば済む話だ。最低限の着替えとか身の回りの品さえあれば良かったので、荷物はせいぜいスーツケースが一つと、猫のキャリーバッグだけだった。お古のキャリーバッグをヒデさんにもらったので、僕はレイが早く慣れるように、蓋を開けっ放しにして僕の膝掛けを中に入れておいた。

 

「あとは……」

 

 早速キャリーバッグの入り口を嗅いでいるレイを尻目に、僕はふと、化粧道具と一緒に棚に置いてある鏡に目をやり、そこに映った自分の姿に目をとめた。

 随分髪が伸びている。肩の下まで届く黒髪に、僕は指先で触れた。

 年末年始の繁忙期以来、そういえば伸びっぱなしでろくに美容院に行っていなかった。あまり好きな髪型ではなかったけれど、ここまで伸びるともう夜会巻きでアップにしてしまった方が、職場上は清潔感もあるし楽だったのだ。

 

「また、ボブにするかなぁ」

 

 一度切ってしまうと業界に戻る時に面倒かなと思ったけれど、正直なところ、もう一度あそこで働くかどうかは現状わからないし。休職期間ぐらい、別に好きな髪型でいたっていいだろう。何より、毎日引っ掻かれたりじゃれつかれたり、猫を相手にドダバタする生活で、長い髪は圧倒的に邪魔だったのだ。

 気分を変えるつもりで、僕は馴染みの美容室に電話を掛けた。

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