仮面ライダーツルギ・INTERLUDE 影星トロイメライ 作:春風れっさー
どうしてこうなったのだろう。
そう心中で呟くのは何度目か。
「何時間で予約したんですか?」
「一番短いやつよ。遅くなりすぎたら燐の親御さんに申し訳ないでしょう?」
目の前には、ソファに座ってメニューを眺める二人の男女。
男の子は御剣くん。今日一緒に遊びに行った恩人。女の人は、まだ名を知って間もない人。
とても綺麗な人だ。スタイルも良くて、運動をやっていたのか背筋がピンとしている。オーバーサイズのブルゾンにスキニーデニムというかっこいい着こなしがよく似合っている、まさしくクールビューティという印象の美人さんだった。
「ちょっと籠もってるわね」
そう言ってロゴだけが印字されたシンプルなキャミソールの胸元をパタパタと扇がせる彼女の名前は、咲洲美玲。御剣くんの、先輩だ。
「全員、取り敢えずはドリンクバーとポテトでいいわよね。貴女もそれでいいでしょう、輝渓……だったかしら」
「あ……はい。それで」
怜悧な瞳で射竦められ、ぼくはコクコクと人形のように頷くしか無かった。綺麗だけど、有無を言わさぬ迫力のある人だ。
そんな人に命令されるように言われれば、誰も逆らえない。きっと御剣くんも例外では無いのだろう。
ぼくたちは、そんな咲洲さんにカラオケボックスへと拉致されていた。
※
事の始まりは、駅前で出会った瞬間に遡る。
「誰よ、その女」
その瞳は夜が近づいて涼しくなり始めた夕暮れの空気よりもなお冷たく、ぼくらを氷のように貫いていた。
刃の如く鋭い眼差しだ。足が竦んで、喉が詰まる。全身が硬直してしまって動けない。さながら蛇に睨まれたカエル、いや猛禽に睨まれた子犬だ。
まさかミラーワールドの外でこれほどの殺気に当てられるとは。驚愕のあまり声すらでない。ぼくの本能は死への警鐘すら鳴らしていた。
「ああ、はい。こちらは、輝渓二星さんです」
もっと驚いたのは、御剣くんが平静に対応したことだった。彼は絶対零度の視線にまるで気付いていないかのように、ごく普通の態度でぼくを紹介する。あんなに射殺さん鋭さで睨み付けているのに!
あまつさえ御剣くんはぼくの方を振り向き、今度はその美人さんを紹介した。
「輝渓さん、こちらは僕が所属する新聞部の先輩、咲洲美玲先輩です」
「あ、あぁ、えっと、はい。よ、よよよろしくお願いしま、す? 咲洲、さん?」
そこでようやく、声が出た。その勢いのまま頭を下げる。取引先でミスを犯した営業マンのように、迅速に。
「……ふーん」
見えないけれど、ジロジロと眺める気配が伝わってくる。その視線に冷や汗をかきながら、ぼくは顔を上げた。
案の定、咲洲さんはぼくを値踏みするような眼差しで見ていた。
「それで、燐。この輝渓とはどういう関係なの?」
「よ、呼び捨て……」
「何?」
「な、何でもありません!」
ビシィッと背筋を正して発言を打ち消す。こ、怖いよぉ。
御剣くんはポリポリと頬を掻きながら答えた。
「ちょっとした縁で知り合って……一緒に遊びに行ったんですよ」
「どこに?」
「水族館に」
「水族館に!!」
「ひぃっ」
その単語を聞いた瞬間、蛇蝎を睨むかの如き視線が突き刺さる。モンスターより殺意が籠もってた。
「ふーん……それで、その女と楽しく過ごしていたってワケね」
咲洲さんの視線はどんどん冷たくなる。更に不機嫌さを隠しもせずに靴を鳴らし始めた。
「私を誘いもせずに」
「え、美玲先輩も行きたかったんですか?」
御剣くんが首を傾げる。いや、そうなのかなぁ!? ぼくも人の機微に聡い方じゃ無いけど……でもそうなのかなぁ!?
タシタシという足音が強くなる。
「別に。ただ今日は空いていたのに、誘いもされなかったと思っただけよ」
「それはすみません……じゃあ今度は一緒に遊びに行きましょう」
「……今度、じゃ遅いわね」
「へ?」
靴音が止む。そして咲洲さんは御剣くんの手首を掴んだ。まるで連行でもするかのように。
「今から行くわよ」
「えぇっ!?」
ぼくと御剣くんが揃って驚愕の表情をしていたことは、言うまでも無い。
※
こうしてぼくらは、咲洲さんに強引にカラオケへと連れ込まれた。あれよあれよと話が進み、いつの間にかこんな状態へ。
「じゃあ、ドリンクバーを取ってきますね。美玲先輩は何にします?」
「私はアイスコーヒーで」
「分かりました。輝渓さんは?」
「へ、え、ええっと。あの、じゃあオレンジジュースで……」
「オレンジですね。了解です」
そう言って御剣くんは部屋から出て行ってしまった。ボックスの中にはぼくと咲洲さんだけが残される。き、気まずい。
「……輝渓二星」
「ひゃ、ひゃい!」
名前を呼ばれ竦み上がる。刻まれた恐怖は生半には消えない。
「貴女は……燐とはどういうつもりなの」
「へ……いやそれは、御剣くんが言ったとおりに、ただの知り合いで」
「貴女自身も、そういうつもりなのかって聞いてるの」
ジロリと睨み付けてくる咲洲さん。答えなければ殺されるかもしれない……!
しかしどうも何も、ただの知り合いだ。それ以上でもそれ以下でも無い。それどころか、今日で終わる関係だ。
だから取り敢えず、そこのところを素直に言うことにした。
「み、御剣くんにちょっと助けて貰ったことがあって、そのお礼に水族館のチケットを渡したんです。でも御剣くんはそのチケットで一緒に遊びに行こうと誘ってくれて……ただ、それだけなんです」
本当に、それだけだ。ぼくと御剣くんの関係は、それでお終い。この心に秘めた想いも何もかも、仕舞っておけばそれで済む話だ。
だけど咲洲さんの目の色は変わらない。
「そんなので誤魔化せると思った?」
「へ……」
「好きなんでしょ、燐のこと」
ズバリ言い当てられた。図星を突かれてぼくは思い切り狼狽する。
「な、ななな、なんで!?」
「格好」
「う……」
ビシッと指し示されたのは今日のぼくのファッション。確かに、何でも無い知り合いと遊びに行くにしては気合いが入りすぎている。男の子である御剣くんには分からなかったが、同じ女性である咲洲さんからすれば見抜けて当然の下心なのだろう。
「誘ってるのが見え見えのコーデよね」
「さ、ささささ!?」
「違うの?」
「そこまでは……! お姉ちゃんの雑誌を見て一番可愛いと思ったのを着てきただけですし……!」
誘うって、つまりそういう……い、いや駄目だ、そんな不埒なことを考えちゃ! よりにもよって御剣くんで!
「いや、御剣くんだから考えるのか……!?」
乙女心が分からない……! 自分のなのに……!
「言っておくけど」
咲洲さんが低い声で告げる。
「燐は男女で態度を変えることは無いから、優しくされたとしてもそれは普段通りの振る舞いよ。勘違いしないことね」
「は、はぁ」
「それに燐が可愛い格好が好みとは限らないから。いや別に嫌いでは無いでしょうけど、燐が好きなのは大人びたクール系だから。簡単には誰かを近寄らせない氷の女みたいな。そう、女の武器を使って分かりやすく媚びるどこぞのアバ【P音】とは真逆の趣味が好きな筈なのよ。だから私が似合わないガーリーな格好とかは……別に好きじゃない、んだから。多分、きっと、メイビー」
突如、咲洲さんは堰を切ったように捲し立てた。その目はさっきまでの怜悧さとは違う迫力を帯びている。凄まじい熱量だ。
……もしかして、咲洲さんって御剣くんのことが……。
「お待たせしました~」
「あ、ひゃい!」
御剣くんが帰ってきた。手には三つのドリンクを抱えている。
「む……ちょっと遅かったわね、燐」
「バーは目の前にあったんですけど、自分ので迷っちゃいまして。ここのドリンク結構豊富ですよ」
御剣くんが座ると、そのタイミングで丁度良くポテトも来た。軽食が出揃って、後は歌うだけ。
最初にマイクを取ったのは咲洲さんだった。
「じゃあ私から」
トップバッターというプレッシャーを物ともせずに曲を入力していく。
「……可愛い、か」
「へ?」
ボソリと呟いたようだがぼくにはよく聞こえず、咲洲さんは機械の横にある台の上に立つ。
画面に映し出された曲名は……『的当てアイスクリーム』。
そして流れ出す、ポップなイントロ。
弾むような、踊り出したくなるような。軽快で楽しげなリズム。曲は知らないけれど、覚えがある曲調だ。
イントロが終わり、歌い出しが始まる。
『休日のお出かけ 待ち合わせは十時
徹夜で調べたデートプラン 準備は完璧最強だ』
「え……」
頬がヒクつく。だって、これって……!
『頭は冷静にって そんなのは無理!
心構えはすぐ溶けちゃった 楽しみでドキドキで』
「や、やっぱりアイドルソング……!?」
意外すぎる選曲にぼくは目を白黒させる。
クールな声で紡がれる可愛げな歌詞は何というか、すごくギャップがあった。あと、真顔だ。直立でもある。
『君をリードするのは私の役目
私を見てくれるのは君の役目』
「おー、美玲先輩、上手ですね」
「そ、そうですね……」
ぼくの困惑とは裏腹に御剣くんは手を叩いて合いの手を入れていた。
ぼくが変なのか……? 確かに、上手いけど。
『浮かれてるって? 仕方ないでしょ
だって……好きなのよ』
そしてサビに入る。
『アイスクリームは溶けてしまうよ ほら
だって照れてるから
胸の高鳴りが ビートを刻んで止まらない
キュンと撃ち抜かれてしまったんだ ほら
プライドはズタズタ 情けなくて泣き出しちゃうわ
どうすればいいって? そんなのは決まってるでしょ
命中させて……唇(ここ)に』
デートのトキメキを愛情たっぷりに歌うゴリッゴリのアイドルソング。
二番も高らかに歌い上げ、曲はピリオドを紡いだ。
「ふん……まぁ、こんなものね」
「おおー!」
「わ、わぁ……」
御剣くんと二人で拍手する。確かにうまかった。音程もリズムもバッチリで、可愛い歌詞を完全に再現していた。それだけにクールな外観と違和感があったのけれど。
得意げな顔で咲洲さんは台から降りた。そしてマイクをぼくにずいと突き出す。
「へ?」
「……何呆けた顔をしてるの、次よ、次」
「え、いや……」
確かに誰かが歌い終わったら次の人が歌うべきだ。間違ったことは言っていない。
だけど、ぼくの歌は……。
「あ、じゃあ次は僕が歌いますよ!」
躊躇しているぼくを見かねて御剣くんが助け船を出してくれた。曲を入力し、もう一本のマイクを手に取る。そして咲洲さんの代わりに台に立った。歌わずに済んで、ホッと息をつく。
入れ替わりに咲洲さんがぼくの隣に座る。……何故か咲洲さんがぼくのことをジッと見てきた。
「……えっと?」
「……可愛さ、か」
ポツリと独り言を呟いて、それで無言になる。
一体何だというのだろうか。気まずいままだ。
話題転換する。
「え、あー、御剣くんってどんな歌を歌うんでしょうか」
「……確かに、気になるわね」
二人で御剣くんに視線を合わせる。丁度曲のイントロが始まったところだった。
画面に映った曲名は……『剣×刃(デュエルソード)』。
曲の始めっから激しいギターが掻き鳴らされる。
『戦い続ける
この剣(刃)に 誓って』
「へ?」
今、なんか誰かの声が……。
そのままAメロが始まる。
『♠誰かの為 自分の為
どうして相争う
傷つく前に止めなければ
Distortion 心は軋んでいく』
御剣くんはノリノリで歌い上げている。
が、次のパートで異変が生じた。
『♣力の為 野望の為
どうして戦わない
止める為に戦うのならば
Escalation 同じだろう?』
「誰!?」
デュエットのもう一人のパートで知らない人の声が割り込む。
御剣くんに似てるけど、御剣くんよりかはちょっと低い。いや誰!?
ホラー現象!?
『悲しみを (怒りを)
乗り越えて、今
君が (お前が)
戦うの、なら!
手に取ろう、この力を……』
謎の声と御剣くんは似ていることも相まってとてもレベルの高いハーモニーを生み出している。いやかっこいいけど……!
そのままセッションは佳境に入る。
『願いを籠めて戦う剣(刃) 時すら切り裂いて進め!
決着をつける時は今! 何も恐れない 命ある限りは
割れた鏡は もう戻らない
死んだ命は 覆らない
だから終わらせる 全てを この力尽きるまでに!
心閃かせ……Duel Sword』
こうして御剣くんは謎の声と共にデュエット曲を高らかに歌い終えた。
照れた表情で席に戻ってくる。
「あはは、夢中で歌っちゃいました」
「悪くなかったわよ」
「ありがとうございます、先輩」
「いやさっきの声……誰……えぇ?」
咲洲さんも気にしてない……ぼくがおかしいのだろうか。
混乱はまだ収まらないが、ぼくには更に気にしなければならないことがある。
咲洲さんも御剣くんも歌い終えた。ということは、つまり。
「はい」
「うっ……」
咲洲さんが自分のマイクを手渡してくる。
当然、順番だ。三人いる内の二人が歌った。であるなら次は残り一人。つまりはぼく。何もおかしくはない。
ない、けど。
「ぼ、ぼくは……その」
ぎゅっと握った手を胸に押さえつけて、首を横に振った。
「下手、なので……」
そう言って目線を落とし、靴の先を見つめた。
ぼくは下手だ。それは何より自覚している。
こう見えて楽器店の店主だ。そして天才奏者である姉の旋律を直で聴いてきた人間でもある。
それと比べてぼくの紡ぐ歌がどれほど酷い物かは、よく分かっていた。
「歌いたくないってこと?」
声に顔を上げると、咲洲さんが鋭い眼差しでこちらを射貫いていた。
「歌が嫌いなのかしら。それは……」
だけどその眼差しが逸らされ、彼女は一転してバツの悪そうな顔になる。そういえばこのカラオケルームに誘った、あるいは拉致ったのは咲洲さんだ。その中でぼくが歌が嫌いと言ってしまえば、誘った手前責任を感じるだろう。
ぼくは慌てて否定した。
「い、いえ! 歌が嫌いというワケでは……でも人にお聞かせできるってデキではないので……!」
「それなら別に、気にしなくていいんじゃないかな」
パタパタと手を振るぼくに、御剣くんは言った。
「え?」
「好きなら下手とか上手とか、気にしなくていいと思う。もちろん、例えば怪我が悪化するとかなら別だけど……そうじゃなかったら」
御剣くんは真剣な表情で頷く。
「好きなことには素直でいいと思うよ」
「……好きなことには、素直で……」
その言葉が胸の奥に染み入る。
いい、のだろうか。
好きに、素直で。
「別に笑ったりはしないわよ」
咲洲さんがマイクをぼくに握らせる。
「それとも私たちが人を笑い者にするような酷い奴らに見えるのかしら」
「そ、そんなことは!」
「ならいいじゃない」
「う……」
もう言い訳が見つからない。
進退窮まったぼくは……結局、曲を入力した。
「本当に、お耳汚しですけど……」
「別にいいから」
「はい。好きな歌を歌ってください」
素っ気ないけど小気味良い咲洲さんと、優しげな御剣くんの言葉に背を押され、ぼくはその歌を選んだ。
モニターに映る曲名は『星に祈って』。
優しいバラードのイントロが流れる。
台の上に立ち、ぼくは息を吸った。
そして歌い出す。
『清潔な廊下 知らない人とすれ違い
昼の空は青いだけで ぼくの悩みなんて知らなくて
生活は不安 取り残され置いてかれ
夕の影はいろ濃くて そんな世界がひたすら怖くて』
歌うのはぼくの一番好きな歌。
『ねぇお星さま 知っている?
世界がこんなに怖いこと
ねぇお星さま 聞こえてる?
悲鳴上げてるぼくのこえ』
病弱な少女が、世界を呪いながら祈る歌。
『でもぼくは それでもぼくは
願ってるんだ ひらすらに
君がいるから』
それがいじらしくて、でも綺麗に思えたから。
だから歌う。好きだから。
『痛くても 辛くても
祈り燃やして
ただ願うよ ぼくの知らない日々を
星に託した手紙は 読まれずに消えていく
それでも届くよね ぼくは祈り続けてるよ
いつか幸せにあなたが 笑う日を……』
全部を歌い上げ、曲がピリオドを迎える。
生きてきた中で、一番伸び伸びと歌えたかもしれない。
奇妙な達成感と共に息をつくと、拍手が聞こえた。
「すごいよかったですよ!」
「うん、まぁ、そうね」
御剣くんと咲洲さんがぼくに向かって拍手を送ってくれていた。
そこにからかっているような様子は見受けられない。
「ほ、ホントですか?」
「正直、音程は外れてたし声が裏返っていたところもあったわ」
「う……」
それは気付いていた。今ミスったなってところが。
結局、心持ち一つで技術が劇的に変わるワケではないのだ。
「でも、声の伸びはよかったわ」
「うん」
隣の御剣くんも頷いた。
「何というか、すごく歌が好きなんだなってのが伝わってきました」
御剣くんの感想は、彼が言っていた通りすごく素直で。
だからこそ、ぼくも受け入れられる。
「……そっか……」
ぼくは……歌が好きなんだ。
好きだから、歌いたいって思うんだ。
それに嘘は……つかなくていいんだ。
「……ぐすっ」
「え、泣いてる?」
「あ! いえ、その……ちょ、ちょっとトイレに!」
それに気付いたぼくは感極まって思わず泣いてしまった。
このままじゃ変な空気になる。それを避ける為、ぼくは一旦気持ちと顔を整える為に部屋を飛び出した。
は、早く戻ってこなきゃ!
※
「何だったのかしら……」
「さぁ……」
カラオケルームに取り残された二人は顔を見合わせる。
まだ知り合って間もない輝渓二星という少女は、まだまだよく分からない。
これからよく知っていければいいと、燐は思っていた。
「あ、じゃあ戻ってくるまでの間に曲入れちゃいますね。次は僕が歌いますよ」
間を持たせる為に燐は曲を入れようとする。
次は何を入れようか。アニソンがいいか、それとも流行の曲だろうか。今度は美玲か二星、どちらかと一緒にデュエットするのも良いかもしれない。その場合張り詰めた空気になるかもしれないということを、燐はまだ知らなかった。
そんな風に想像を膨らませ、楽しみにしている時だった。
鳴り響く、不快な音。
「!! モンスター!」
「燐、行くわよ」
燐は美玲と共に立ち上がり、デッキを取り出す。燐は白いデッキを、美玲は青いデッキを。
そう、二人もまた、仮面ライダーだった。
幸い、カラオケルーム内に鏡はあった。ヒトカラでもポーズを取ったり楽しめるようにという配慮だろう。二人は鏡の前でデッキを掲げ、出現したベルトにデッキを装填する。
「変身!」
「変身」
白い竜騎士、青い弓使いとなった二人は鏡の中へと飛び込んでいく。
人食いであるモンスターから、罪無き人々を守るために。
※
「はぁ~……」
トイレの洗面台で涙を拭いながら、ぼくは溜息をついた。
何をやってるんだろう、ぼくは。褒められたくらいで泣いちゃって。
でも……歌っていいなんて言われたのは、初めてだった。
「いい人だな、御剣くんも、咲洲さんも」
こんなぼくには勿体ないくらいのいい人たちだった。最近、幸せが続いて困る。
そんないい人をこれ以上待たせてはいけない。ぼくは部屋まで戻ろうとして――音に気付いた。
「! これって」
鏡の中から聞こえる、モンスターが出現する前兆の音。近くに、モンスターが。
「なんで今……いやそれより、二人とも!」
御剣くんと咲洲さんの顔が思い浮かび、慌てて二人の元へ戻ろうとする。だけど女子トイレを飛び出すその寸前、耳を掠めた別の音に立ち止まった。
「え、戦いの音?」
それは金属と金属がぶつかり合う激しい音だった。普通なら耳慣れないような音だが、ぼくには聞き覚えがある。これはライダーが戦う音だ。
ぼくは振り返る。トイレの洗面台。そこに貼り付けてある鏡、その中を。
中では、白と青のライダーがモンスターと戦っていた。
「ライダーまで!」
対峙しているのはレイヨウのような角を持つモンスターだ。複数いて、中には強そうにねじ曲がった角を持つ個体もいる。
二人のライダーは強いけど、流石に数に押されて戦場を移動する。って、そっちの方は。
「御剣くんたちがいる方!」
ぼくは今度こそ駆け出す。二人が巻き込まれないようにしなきゃ!
走って、店員さんとすれ違いながら元の部屋へ。重い防音のドアを開け、中に。
だけど。
「だ、誰も……?」
部屋の中には誰もいなかった。御剣くんも、咲洲さんも。空っぽだ。
「ど、どうして……」
トイレだろうか。でもここに来るまでにすれ違わなかった。ドリンクバーも、この部屋の目の前だ。見逃すはずがない。
では、どうして。
「……まさか」
そして浮かぶ、一つの可能性。震える手でぼくはバッグを漁り、一枚の板を取り出した。
それは手鏡。ライダーバトルの際に偵察の役に立つからと、お姉ちゃんに持たされた物。
鏡を使って、ぼくは辺りを見回していく。
「……いた」
そうして探しながら階段を昇り、屋上へ。ビルに囲まれた四角い戦場で、ライダーとモンスターは競り合っていた。
ぼくは二人のライダーを注視する。そして気付いた。
「この、白いライダー……男?」
背中は大きく、背も高い。骨格も、他のライダーと比べて太い気がする。仮面に包まれた素顔は分からないが、男な気がした。
いや、違う、そう見えるだけだ。先入観に過ぎないハズ。
だけどいくら観察しても……胸騒ぎを否定する材料は見つからなかった。
そうして見ている内に鏡の中の戦闘は決着がつく。白騎士と翼竜の連携がレイヨウたちを撫で切りにし、撃ち漏らしを青い炎を纏った矢が貫いた。
ライダーたちの完勝。モンスターは全滅した。ならば、ミラーワールドに留まっている理由は無い。
「っ!」
急いで店の中に戻り、元の部屋の前に。そして扉を微かに開き、息を呑んで待つ。
覗き込んだ部屋の中、にある鏡の前。そこに光と共に現われる人影、二人。
間違いない――御剣くんと、咲洲さん。
「ふぅ……何もこんな時に現われなくても」
「ミラーモンスターに人の都合なんて関係ないでしょう」
交わす会話の内容も、その現実を示していた。
二人は、仮面ライダー。
ぼくが戦うべき、敵。
「嘘、嘘だ……!」
認めたくなくて、ぼくは扉の前から走り去った。そして、店の外へ飛び出す。
「なんで、なんで、なんで! 二人が、ライダーなんて!」
走りながら、呪詛を吐くように疑問を呟く。
ライダーには、少女しかなれないハズ。なのに御剣くんは紛れもなくライダーだ。あり得ないハズの例外。どうして、よりにもよって。答えの無い思考が脳裏を埋め尽くす。
なんで、なんで、なんで。
無我夢中で走って辿り着いたのは、アドアステラの前。無意識に帰り道を選んでいたようだ。それでも迷いながら、随分遠回りしてきたのだろう。空はすっかり暗くなっていた。
「はぁ、はぁ……何も言わずに、出てきちゃったな……」
荒い息をついてようやく少しだけ冷静になれたぼくは、失礼なことをしてしまったことを思い出した。このままじゃ遊びに行っておいて、無言で帰宅を選んだ酷い奴だ。スマホを取り出し交換しておいた連絡先にメッセージを送ることにする。
『急用を思い出したので帰ります』……少し嘘くさい、かな。
でも今更戻るワケにもいかない。
肩を落としながら、扉を潜る。
「……ただいま」
「おかえり、なのです」
「! え!?」
誰もいないと思いながら慣習で呟いた帰宅の挨拶に、返事が返ってくる。それはぼくとソックリな声帯の……つまりは姉、一星の声。
気付かなかったけれど店内には灯りがついていて、お姉ちゃんはカウンターに腰掛けていた。
「お、お姉ちゃん? なんで、いつもなら部屋に……」
お姉ちゃんがぼくを出迎えてくれた例なんてない。いつもぼくが夕食を用意するまで部屋にいる。なのに、今日に限ってどうして。
ぼくの疑問に、妖艶に微笑みながらお姉ちゃんは答えた。
「褒めてあげようと思ったのです」
「褒め、る……?」
そんなこと、お姉ちゃんがするハズが……。
「えぇ、だって珍しく、お前の方から
「獲物……?」
何を言われているのか分からない。呆然とするぼくに、お姉ちゃんは手にした物を掲げた。
それはスマホ。画面には見慣れないアプリが映し出されている。
「こういうことなのです」
『こういうことなのです』
スマホから、お姉ちゃんと同じ発言が再生された。
「っ! まさか……!」
自分のスマホを取り出す。画面をスワイプすると……あった。見覚えのないアイコンが。
新しいアプリをインストールした記憶はない。
できるとするならば……お姉ちゃん。
「盗聴……!」
お姉ちゃんは、ぼくを監視していたってこと……?
「珍しくお前が友達とやらを作って遊びに行くと言うのです。盗み聞きしたらそこそこ面白い暇つぶしになると思ったので、お前が服選びで迷っている間に入れてみたのです……そしたら」
アプリを閉じ、お姉ちゃんはニヤリと笑った。
「思いがけない大物を釣り上げてくるではないですか」
「あ……あ……!」
御剣くんとの会話を盗み聞きされたとか、そういう羞恥は浮かぶ暇も無かった。
カラオケでのことを聞かれていたということは。
「ライダー二人。しかも一人は男。中々のレア物なのです」
楽しそうにお姉ちゃんは微笑んで、ぼくに近づき、両手で頬を挟み込んだ。
「褒めてやるのです、二星。次の獲物は……その二人に決めたのです」
「あ……あぁ……!」
絶望というのは、こういうことなのだろう。
ぼくは……初恋の人を、差し出してしまった。