くすくすとなにか楽しそうに話しながら通り過ぎていくナンシーの手に黒いものを見つけて、ラクランはほとんど無意識に手を伸ばした。
手のひらに見覚えのない文字が入っている!闇の帝王の蛇ではないけれども、ゴシック装飾の枠がついて骸骨が乗っかっているSの字はなかなか恐ろしい。
「ちょっと!痛いんですけど!」
「ああ!失礼」
ギュッと眉根を寄せたイザベラそっくりの怒り顔にパッと手を放してから、ラクランは自分の手を見つめる。
「......いつのまにタトゥーをいれたんだ?」
「当然魔法だよ!トンクスにやってもらったんだ、Wired Sisters(妖女シスターズ)のタトゥー!」
ナンシーは怒った顔のくせに、なんのリアクションも許さないというように早口で矢継ぎ早に喋った。一緒に歩いていたトンクスは驚いた顔をしてわざとらしく髪をレモンイエローにした後、元気なショッキングピンクにして白い歯を見せながら手のひらをナンシーのそれに並べた。なるほど、トンクスの手のひらには同じような装飾でW.の文字がある。二人とも両手にそれぞれWとSを入れてるらしい。
「最近校内でライブあるからさ〜、このタトゥーがあればいつでも光らせて応援できるじゃん」
「イカしてるでしょ?」
「あ、ああ......ごめん、おれらの世代はもっと洒落にならない印があったからつい心配しちゃって」
「やっぱりね!ママにも言われたの。だから片手だけにしよって言ったのに」
「でも盛り上がったら両手あげちゃうじゃん?いくら父さんだからってこんなに言われるのウザいよ、私の身体は私のものだもん」
「そうだね、我が家の約束違反だった。おれが悪かったよ、ナンシー。心配はするけど、タトゥーは反対しないさ、おれもいれてるし」
「え!知らない!どんなのどんなの」
「デザインはアレなんだけど」
「ねえ、空き教室でゲリラライブだって!」
「「マジで!!!?」」
バタバタと走っていく女子二人に取り残されて、一人ポツンと立つ外廊下は急に日が翳ったように薄暗く肌寒い。またラクランは自分の手のひらを見つめていた。カツカツという足音に顔をあげると、ちょうど歩いてきたスネイプとまともに目が合った。彼は少し困惑したように立ち止まった後、フンと鼻を鳴らして去った。
無事にライブは始まったようで、指笛や甲高い悲鳴の中、様々な楽器が暴れる音が響いてくる。
Double, double toil and trouble;
Fire burn and caldron bubble.
Fillet of a fenny snake,
In the caldron boil and bake;
(Macbeth: IV.i 10-19; 35-38)
三匹の蛇 41
ゆらめく蝋燭の火で目をチカチカさせつつ、授業の感想レポートを整理して、評価点をつけ、マグルの時事問題やマグル生まれの生徒向けの受験情報をチェックすればそれなりの時間になる。ラクランはひと伸びして明日の授業資料と課題を指折り数えながらまとめたあと、パンと膝を叩いて立ち上がった。
猛然と机の上をガサガサして、生徒や先生からの個人的な相談の手紙やレポートのはしに書かれていたメモのたぐいを、できるだけ手早く暖炉に突っ込んで燃やしていった。
進路相談の参考に机上で"保管"していたものだ。いい加減最終面談も落ち着いてきたし、これらはクィリナスには引き継げない。まだまだ出てくる。
日に日に近づく立退期日によって奮い立たせた手は、初回授業をしたときのナンシーが書いたレポートをみつけてピタリと止まった。どっかりと椅子に座ってから、検知不可能拡大呪文をかけたトランクに放りこむ。職権濫用だけれども、これくらいは許してほしい。
しかしダンブルドアの了承はとれているし、イザベラとレギュラスをこれ以上待たせられないとはいえ。
「......クィリナスにこのタスク全部、かあ」
つぶやいてから、眉間をぐっと揉む。腰がパキッと鳴った。肩にはエバンしか乗ってないはずだが、ほかにも3マートルくらい乗ってそうな重さだ。ああ、あのマートルやピーブズと果たしてクィリナスはやりあえるだろうか!?一時はいけても、毎夜では?
<おい、ラッキーお前、疲れてるんだよ>
「エバン!たしかにクィリナスはとても優秀だ!でもセブルスと比べたって食は細いし、そんなに身体もつよくないだろう?マグル学はとくに嫌味を向けられることも多い、対抗できるのか心配だ」
<もっぺん言われなきゃわからないか?>
「いや、いや。わかるとも、こうしていろいろ心配するのが"ウザい"んだろ」
<そうさ、いつまでも小さな後輩と思っていては失礼ってやつだ。グランドツアーを終えた彼を見よ!顎のあたりシャープになった?あれは立派な成人魔法使いなのだ!ナンシーを信じるように彼を信じて任せなさい>
芝居がかったエバンの口ぶりにぐるりと目を回せば、エバンのほうもぶっ!と吹き出して相好を崩した。
<ラクラン、いずれ人は老い死ぬんだぜ。椅子は次代に開けなければならない。違いは遅いか早いかだけで、大事なのはどんな椅子を残すかだ>
いつものようにバーティの部屋へむかってエバンの乗る守護霊を飛ばす。また姿現ししてレギュラスの様子をちらりと見、疲れ切った顔のイザベラをさっさと運ぼうとリビングへ足を向ける。扉の先の彼女は、すこしくたびれた顔にピカピカ笑顔を貼り付けて見慣れない少年にスープを食べさせているところだった。
「イザベラお疲れ様、彼は?」
「ああ、帰ったの。彼はスタンリー。ノクターンでよく置いてかれるみたいで、漏れ鍋でたまに会っては日刊予言者新聞を一緒に読んでたんだけど、夕方テオドールたちを送って行ったらまだいてね、一昨日から迎えが来ないんだって」
後半は少年に配慮してか囁くように言ってきたイザベラの目は、小さくなった蝋燭の火が最後に大きく燃え立つようにギラギラとしていて、彼女がもう何をすると決めたのかは明確だった。
「そうか......ゴホン!スタンリー、こんばんは。私はラクラン、ラクラン・ケイヒルです。どうぞよろしく」
「おれぁスタンでいいよ。ベラの旦那さんか?」
「はい、そうですよ。失礼ですがスタン、あなたはずいぶんお若く見える。おいくつですか?」
「......たぶん11、俺がゴブリンでなきゃな」
最初が肝心だ。
慇懃無礼だと絶不評だけれど、ラクランは新学期のたびにこうして滑稽なくらい丁寧に話してきた。親しくなればもちろん相応に砕けて話す。自分だって砕けた話し方が好きだ。けれどもそうしたことで軽んじられてると相手が感じて、失う信頼があるのなら、最初に君を軽んじるつもりは決してないのだと示しておきたい。
まだまだマクゴナガル先生ほどの品格を醸し出すことはできていないようで、スタンリーは訝しげな顔をしてから、バリバリに乾燥した頬を歪めて口を無理やり開けるようにうなった。
「そうですか......フクロウはあなたを見逃してしまったのかも」
「言えよ、おれぁスクイブなんだ」
「"ない"ことの証明はとても難しいんです。私にもあなたにもわからないことは、一旦、わからないということにしておきませんか?」
「まあ、あんたがそっちのがいいならいいけど」
スタンがわからないこと、今できないことを一つずつ整理していく。最初鼻を啜っていた少年の瞼は、腹があったまるにつれてどんどんと落っこちるから自動速記羽ペンに出動してもらうことになった。
お父さんが迎えに来るのか、それともどこかで死んでしまったのかわからない。
魔法使いのやるような杖をビュン、ができない。
読み書きやテーブルマナーもわからない。でも日刊予言者新聞は少しは読める。
ノクターン横丁の抜け道、漏れ鍋からダイアゴン横丁への通り抜け方は知っている。でも自分ではレンガを押せない。
「何をやりたいか......は、今聞いても答えは決まっていそうですね」
「ねむたい」
「それじゃ、その話は明日にしましょう。漏れ鍋ほどいいベッドかはわからないけれど、こちらへどうぞ」
できないことはできない、わからないことはわからないとちゃんと整理しておくと、わかっていること、できること、そしてできないけれどやりたいこと、できるようになりたいことがわかってくる。
「君にできるの?」
「さあね、正直結構ギリギリ。でもまさに私がやりたいことだよ!」
一時は精神的な躓きで魔法が使えなくなったことのあるイザベラだ。早朝の暖炉に燃える熾火のような瞳は、小さいけれどちりちりと光っていた。
「反対はしないでしょ?私の人生、私の身体だ」
「ああもちろん、そういう約束だ。でも心配はさせてもらうぞ。おれも手伝いたい」
ナンシーにクィリナス、それにイザベラ。今日は(もう日付が変わりそうだけれど)何度も約束を思い出させられる日だ。まいったな、とラクランは短く刈り込んだ頭を自分で撫でた。
「そんなこと言って、あんたも手伝う余裕あるの?」
「不甲斐ないことに、あんまりない。おれも君もいっぱいいっぱいだ。それに、秋からの仕事も考えなくちゃいけない......」
「あら、魔法省だと思ってたけど?仲間を増やすんでしょ」
「まあそれはやるべきことだけど......」
「巻き込まれてくれる仲間のあては?」
「正直あまり。闇の帝王がまずは倒れないことには、全部机上の空論だからね」
「よし、お手上げだね。助けを呼ぼう!」
新新のまぶしい春があっという間に過ぎ去り、太陽が力強さを取り戻してきた。トンガリ帽をかぶった背の高い集団がわくわくと歩いていく。学年末試験をとにかくやりきった悦びに酔う在校生たちも負けていない。
ざわめきの残響がなかなか消えない廊下の、ひんやりした石柱をそっと撫でつつ、ラクランはひとりトランクを片手に歩いていた。
学生時代と合わせて10年は過ごしたことになる校舎だけれど、今日を最後に理事にでもならなければ、そうそう立ち入ることはできなくなる。
「おや?お忙しいケイヒル教授はホグワーツ急行に乗り遅れられたのですかな?」
「こんにちはセブルス。今日の主役は生徒たちですからね、せっかくの喜びに水は差しませんとも」
ラクランが日陰からぬるりと現れ話しかけきたスネイプに苦笑気味に返すと、そちらも口元をひくりとさせて鼻に皺を寄せた。
「ほう、君の離任は生徒に悲しみを与えると」
「そうはいってないですけど......はは、こんなやりとりも今日で最後となると、寂しくなりますね」
「私の方は目障りな君の後輩が残されて大変に迷惑だが」
「そこをなんとか、彼は確かに優秀なので。マグル学教授としては彼の方が断然適任ですよ」
遠回しにクィリナスをいびらないでくれ、という意味はしっかり受け取ったようなのに、うんともすんとも言ってくれずにマントが翻った。
「......学校を去っても、引き続きやるべきことはやるつもりです。ダンブルドアにもそう伝えてください。あなたもご無理のないように」
久々に家に招いたスラグホーン先生は、気持ちしぼんだような感じがした。
イザベラが主導して連絡を取っただけあり、机の上には既に上等なワインボトルが転がっていて、艶やかな赤ら顔だけが記憶の通りだった。
「先生、ホグワーツ時代より少しお痩せになりましたか?」
「ハハ、なに、重力に引っ張られてるだけだよ、しかし、おお......」
「はい、ご無沙汰しています」
少し回復してきたレギュラスがスラグホーン先生の目の前に立ち、芝居がかったお辞儀をしてみせる。足はしっかりしていて、背筋をピンと伸ばしてさわやかに立っているけれど、やっぱりなにかが違う。
ちょっとコレクターチックな眼差しだったとはいえ、1年生から7年生になるまで、たしかに成長を見守っていた生徒の姿に、さしものスラグホーン先生も言葉を失ったようだった。
「これでもだいぶ元気になってきたんです。まだまだ無理はさせられないですけど」
「ごめん......」
「言ってるだろ、ごめんはなしだ!山がありゃ谷もあるのが人生さ、生きてるってすごいことだぜ」
<ほんとにな!>
口は笑っているけれど、目に少しも光がなく、浮かび上がってもあっという間にうすらいでいく。まるでレギュラスの影がそこに立っているような具合で、気軽にどついたり飛びかかれていた時のような存在感はなくなってしまった。
「れ、例のあの、勢力に向き合うのはとんでもない重圧だ。離反するのもまた、大変な犠牲を......」
スラグホーン先生にはレギュラスがいつどうやって離反して、どう過ごしてきたのかを教えてはいない。ただ亡くなったと思われていたレギュラスが実は生きていて、でも肉体的にも精神的にも失ったものが多く、自分たちではケアをしきれないからあることに知恵をかしてほしいと頼った次第だ。
ホグワーツの教授職に自分も就いてみて、たしかにホグワーツというブランドによって得られる人脈もそれなりにあった。しかしスラグホーン先生のもつネットワークの膨大さにはまったく及ばない。あれは彼個人の熱意と実力によるものだ。
「言うのも縁起が悪いから、口に出さないようにしていたけれど......正直に言って、私はもはや、第一線に立って戦うことは難しく感じる。認めたくないけれど、これを偽ってもいざというとき足を引っ張るだけだ」
「足を引っ張るなんていうな、君は強力な闇の魔術にさらされてきた。それにことさら強く影響されてしまうのはむしろ自然なことさ」
「しかし精神や肉体がこんなに脆弱では......」
「名誉の負傷だろ、恥じるな」
関節が白くなるほど右手を握りしめるレギュラスに手を重ねるけれど、氷のように感じるほどラクランの手と温度差があって、かえって残酷な仕打ちをしてしまったような気がした。つい手を放しかけるのを意地で握りしめる。幸いレギュラスの手は氷のかけらのように溶けて流れ落ちてしまうことはなく、ゆっくりラクランの手から熱を奪って、どちらも同じようなぬるい温度になった。
「それでもラクランが、エバンが、バーティが、ナンシーが、イザベラが。それに母やクリーチャーが教えてくれました。私たちの仕事は第一線で戦うことだけではない。他にもたくさん、あまりにもたくさんの仕事がある」
「おれは前にもまあその、失礼をはたらきましたけど。先生もご存知でしょう、この魔法界はずっと色々な歪みが溜まっています。マグルの世界にも、他国の魔法界にもそりゃあもちろんそれぞれ歪な構造や不平等はあるけれど、我々の比ではないかもしれない」
マントごと握りしめるレギュラスの拳の音を聞きながら、ラクランは下唇をぐっと噛んだ。
マグルの世界に生まれ、マグルの学校でマグルの常識を学び、うすうす世界がそれだけではないことを感じていて、スラグホーン先生に導かれてホグワーツへ入った。自分のみつける魔法界の歪さと、レギュラスの見つける魔法界の歪さは同じものであっても、その歪や間違いが自分の世界にどれほど食い込んでくるのかは、二人の間で全く違う。
「育った環境が違えば、それぞれの感じ方も志向する生き方も違う。苦しさや痛みを比べることは難しいです。お互いに完全にわかりあうことは困難ですし、であれば歪みを根絶することもできないかもしれない。けれど私は、歪みをそのままにしておくことはできないと思います」
「歪みは感覚ではなく事実の話です。ホグワーツの学費補助は魔法省が行いますが、その財源は?そもそも魔法省の各部署の経費、人件費はどこから支給されているか、お考えになったことはありませんか。私たちはあまりに多くの歪みをすべて、魔法や力の差でもって都合よく搾取し、忘れ去り、なかったことにして今に至っている」
人たるものたち、つまり人語を解する人間以外の人に近い姿をした魔法生物たちの商業許可手数料や上納金がかなりの幅を占めている。あるいは、マグルから大昔にせしめていまだ魔法の行使でうまく転がしている資産であったり。そしてクリーチャーたちのような屋敷しもべ妖精の搾取。もっとも物理的で典型的な魔法族が乗っかってきた歪んだ構造だ。
「ラクランはホグワーツに籍を置いていたことから明らかなように、ダンブルドアとも闇の帝王打倒に向けて協力しています。けれど、私たちが志すのはそれだけではありません」
机の上で引っ込められようとしたスラグホーンの手を、レギュラスが機敏な動きで引っ掴んだ。シーカー時代を思わせる鋭い動きだった。興奮によってか、黒い髪がふわふわと浮き上がる。
「闇の帝王を今度こそ完全に打ち滅ぼし、デスイーターによって犯された罪を裁き、傷を癒やしても。闇の帝王が生まれ、私たちが加わってしまったような勢いが醸成される背景は今後も依然として存在しつづけます。見つめ、歪みを是正していかなければ、戦争の苦しみや痛みを知らない次の世代から、また次の闇の帝王が現れるのは確実です」
「ち、違う!あ、あの人は!あれは最初から悪辣だった!あれは私たちとは違う、まったく別種の存在だ。君たちとももちろん全く違う、本当に恐ろしい少年だった!」
椅子から転げ落ちるように立ち上がり、距離をとったスラグホーン先生は及び腰だ。なお手を離さないレギュラスは静かに首を横に振る。
「いいえ、いいえ。たとえそうだとしても、やらない理由にはなりませんよ、先生。行き場のない苦しみや不信、対立......私たちが陥ってしまった、闇の勢力への加担を生み出す時流は、あの頃たしかに存在していました」
「そうです先生!闇の帝王のような人物がたとえ生まれながら現れてしまうとしても、彼に加担し、力を養ってしまう環境を削いでいくことは必要です」
「そうだ、加担してしまった私たちが一番わかっています。先生も、後ろめたさがあってそうおっしゃるのではありませんか?あなたは彼が
かわるがわる語るレギュラスとラクランを見つめるスラグホーンの目は、もはや敵意に溢れていた。
「君たちはあの悪辣さを知らない!蛇のような周到さ、あの異常なカリスマを......!」
口を開こうとしたラクランを、レギュラスが腕だけで素早く制する。
「たしかに、私は知りません」
彼は一歩、歩み寄って先生の背中を叩いた。横には大きい先生だが、背はそう変わらなくなった。
「一端しか触れることなく愚かにも恐れをなしました。取り返しがたい過ちを犯してから間違いに気づき、無謀にも多大な代償を支払って今ここになんとか立っている。まだ人間らしくあったころのあの人を見たこともありません。先生のおっしゃるように、あの人が初めからどうしようもない、我々と全く隔絶した悪であったという可能性も、たしかに否定できません」
口調はかつてのように穏やかに、けれどたしかな誇りが乗った力強い声音になった。灰色の瞳は煙が燻っているようにうねって見えた。
「でも先生、どうか腰を落ち着けてください......いいですか、何によってあの人が生まれ、このような惨状を生み出し得たか、どちらの起源もその完全性を証明することは不可能です。つまりあなたも、私も、永遠に絶対の無実は主張できないんです」
自身の無辜さを訴えたって、この場にそれを信じる者はいない。
そう言い切られてから、スラグホーンはぴたりと動きをとめ、視線を素早く動かし始めた。
先生はあまり心当たりがないのかもしれないが、そもそも本当に無辜の人物は、自身の無辜さを大して責められもしないうちからここまで頑なに主張しない。ないものはないのだから。
しかしラクランとレギュラスは、無辜の人をより恐れる。間違いを犯していないということは、まだなにが間違いであるかを知らず、人の間違いは他人事で、他者に学ぶことのないまま間違いを犯す可能性が高いということを意味する。
「あの時代は誰しも大なり小なり戦争に加担していて、なにかしらの間違いに覚えがあります。この場に間違いのない者はいません」
スラグホーンの頑なな姿勢が、かえって彼の間違いの自覚を顕にしていた。だからこそ、彼は信用に足る。
「間違いを犯し、それを自覚し、恥と思っている先生だから私たちはお願いしたい。ダンブルドアの主導する闇の帝王打倒が成ったのちの、魔法界を構築していく根回しに、どうかご協力を」
「......言いたいことはわかるが、本当に倒せると思うのかね?」
決闘の時のように深々とお辞儀したレギュラスを見下ろすスラグホーンの瞳は、すでに計算高い輝きで溢れはじめていた。
保身と名誉欲、歴史への好奇心、善意、いろいろがないまぜになって、まったく純粋ではない。
けれど、だからこそ信頼できる。
「はい、少なくとも、我々は確信しています」
「根拠は?」
「セブルスです。セブルス・スネイプがダンブルドアを信頼して献身しているからです」
ひょいと眉を上たスラグホーンに、レギュラスは少し困った顔をしたが、ラクランはかまわず自信たっぷりに宣言した。
「セブルス?セブルス・スネイプか?」
「覚えておいででしょう、魔法薬はことさら優秀でした。今も実力を遺憾なく発揮していますが......あれ、先生は研修を担当されていないんですか?」
「ゴホッいろいろあってだな......だがそうか、彼の様子は?」
「精力的に厳しい教師をやっていましたよ、寮監も見回りも採点も、素晴らしい勤めぶりだ。数年でちょっとは手伝えたかなと思いたいですけど、全然仕事は奪えませんでした。よく校長室にも呼び出されて面倒を押し付けられてもいましたね」
「なに!?いや、そうか、そうか......」
同寮の生徒だけに、そしてスラグホーンは、優れた魔法薬学教授でもあったが故に、セブルス・スネイプという人物のことは本人以上によくわかっているかもしれない。魔法薬学というのは意外なほど性格が出てしまうものだ。血色のよくなった顔で指折り考え始めたスラグホーンに、レギュラスとラクランは机の下でグータッチした。
「はいはい、そろそろ頭から湯気が出ちゃうからお茶でもどうぞ。先生は甘いのお好きでしょ、エルダーフラワーコーディアルですけど」
イザベラがナンシーをともなって、氷水の入ったピッチャーとエルダーフラワーのシロップの瓶、それに冷えたグラスを持ってきてくれた。
「イザベラ、君のエルダーフラワーシロップは格別だよ」
「ナンシー、ありがとう」
「はいはい、お代は煙突と箒レンタルね!ストーツヘッド・ヒルでクィディッチやるんだ。へスターたちと待ち合わせしてんの。去年は選抜漏れちゃったからさ〜!」
イザベラには似ず、料理を作ったりサーブしたりというのはちっとも好きじゃないナンシーは得意げに"お代"を請求する。
「そりゃいいけど、あのチャーリーからシーカーの座を奪う気か?」
「うるさいな、たしかに体格を活かせるのはシーカーだけど、チェイサーもありかなって思ってるよ!マジで転寮したい。トンクスがハッフルパフはシーカーがいないって言ってて」
「ねえナンシー、また正面衝突なんてしないように気をつけてね、一応」
「"女の子なんだから!"誰でも鼻を折るのはマズいよ」
「それはそうだけど、ほらまだ傷が残ってる!」
「ハイハイ気をつけます」
傷を消し去ることはできるかもしれないが、傷ついた事実は変わらない。ナンシーの頬から鼻にかけて走る古傷をつっつくイザベラをなだめつつ、ラクランはふうと息を吐いた。
魔法を使えばあるいは、時を巻き戻して傷つく前に戻り、傷つく原因を除くことはできる。
けれど、その瞬間は取り除くことができても、その瞬間に至るまでの長い長い伏線全部をたどって、なかったことにできるだろうか?
伏線になったあらゆる事象全部を変えない限り、取り除いた側から、その次の日、あるいは前日に避けたかった事象は起こりうる。
だから魔法は万能ではないし、なんでも解決できるわけではない。
「ねえラッキー!」
「アイアイ、それじゃせっかくならおれも同行しようかな。ウィーズリー家も近いんだろ?」
「モッチロン!」
間がずいぶん空いてしまいました〜
イギリス魔法省財源どこ問題、拙作はこんな感じで
行こうと思います。(わかりやすい税金なし、種族別で徴収・搾取構造がある)
◽️Wired Sisters(妖女シスターズ)
シェイクスピア、マクベスに登場する魔女たちの名を冠しているので、映画アズカバンの囚人でも引用された部分をシャウトとか交えて歌っててほしいです。
◽️スタン・シャンパイク
ナイトバス車掌のスタンですが、おそらくパーシーと同年なので、ホグワーツは行っていないか、中退した可能性が高い人物です。拙作ではホグワーツに行っていないを採用。
◽️スラグホーン先生
人脈や政治力という点ではとても優れた人物。ホグワーツを離れても、そうそうコネクションは手放さないだろう、ということで再登場してもらいました。リリー関連はハリーだけが掘り起こせるものですが、スリザリン寮生だからこそ共感したり見えてくる要素もあるのかなと思います。
スネイプ先生との絶妙にぼかされた距離感が掴みづらいです。
◽️スネイプ先生
学生時代スリザリン内でもかなり目立っていたはずで、マローダーズとの確執の原因としてリリーが関係していることをとくに隠している風ではなかったので、スリザリンの近い世代から見るとリリーの死後スネイプがダンブルドアの下で元気にバリバリ働いているというのは衝撃的であり、色々察せるのではないかなと思っています。