未来でボンゴレリングを砕いたという教え子の行動の異常さに気付いたのは、チェッカーフェイスからトゥリニセッテの真実を聞かされて、戦いの傷を癒していたときのこと。不意に、気付いてしまったのだ。リボーンの優秀な脳味噌は、その真実とあの行動を結びつけた。
ユニの先祖が初代ボンゴレ・プリーモを管理者として選んだのは、彼の一族が持つ脅威的な直感力が、トゥリニセッテの一角を守るに相応しい力であると判断したからだ。これはあくまでもリボーンの仮説のひとつであるが、長いあいだ継承され続けてきた事実が、この仮説を裏付けしている。
最初こそ、リボーンの仕事は、あくまでも教え子をボンゴレ十代目に相応しい男に育て上げることであった。が、おしゃぶりの呪解に伴いトゥリニセッテの真実を知った今となっては、ただマフィアのボスに育てれば良いわけではなくなった。
リボーンが育てるのは、地球という星を守る使命を受け継いだ男なのだから。
新約聖書の一節、ルカによる福音書 三十一回・弟子の性質 六章・四十節にこんな言葉がある。
『弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります』
当時と今では時代も常識も在り方さえも異なるけれど、一般論として、弟子は師以上の者にはなれないとされていた。
エスプレッソを片手にリボーンは熟考する。
師と弟子という言葉は自分たちには似合わない。置き換えるならばやはり、家庭教師と教え子が相応しい。
リボーンの教え子、沢田綱吉という男は世の中のたいていのことに苦手意識を持っている。これもまた、リボーンの仮説であるが、九代目によって幼い頃に類まれなる直感力を封じられたことで、生物に本能として備わっている嗅覚のようなもの、経験として培われる第六感と呼べるものが、機能を止めて、育たなかったがために、成功体験へのアンテナが狂い、球技ではいつまで経ってもボールとの距離感がつかめず、効率の良い勉強法もストックされず、そのため成績も伸びず、犬に吠えられない接し方を探すこともできなかった。こうして逃し方のわからない劣等感だけが溜まりに溜まったことで不登校寸前にまで追いやられていたのではないか。
封印が解かれた今、綱吉はようやく生物としての本能を取り戻したと言える。経験は感覚として培われて、そのうちボールを顔面でキャッチすることもなくなるだろう。けれども幼少期に経験した劣等感というのは大人になっても人格形成に影響を及ぼし、家庭教師としてそばで見てきた結論から言うと、リボーンの眼に映るそれは、美徳であり、決定的な欠落と言える。
ボンゴレという巨悪のボスになるということは、綱吉の指針が裏社会の指針になるということ。平凡で争いを嫌い、弱い者の痛みを理解できる綱吉の指針を、口には出さずともリボーンは信頼している。幼子が持つには大きすぎる力であろうと九代目が下した判断は、計らずして──神の采配とまで呼ばれる直感力を持つ彼は良い方向に転がることにだけは気づいていたに違いない──ボスの資質を育てることとなったのだ。これがリボーンが美徳と思う理由。
次に、欠落と思う理由は、綱吉が己の評価を他者に依存させていることにある。リボーンが強制的にボスを守護する者達を集めたのは、継承すべき役割と指輪があったからで、仮にボンゴレリングが大空のリングだけであれば、綱吉は早々にボンゴレ本部で教育を受けていただろう。だが、地球人がトゥリニセッテの力に耐えるには七つにわける必要があった。偶然にも数を分けた石のおかげで綱吉は仲間に出会い、彼らに認められることで致命的な欠落を埋めつつある。
そして、その仲間のために、綱吉は地球上の生命力のバランスを補正し、正しい進化に向けて生命を育むための、この星の秘宝を、砕いたのだ。
なんという大罪だろう。トゥリニセッテの真実を知っていればできるわけがない所業。だが、たとえ真実を知らなくとも、リボーンは己がボンゴレリングの重要性を教えなかったとは思わない。アルコバレーノの任についての秘密は守っても、継承することの必要性と役割は受け継ぐ者の義務として九代目からも話があったはず。
それでもなお、リングを砕いた。それはやはり異常としか呼べぬ所業である。
ではなぜ綱吉がその判断に至ったのか。重要になってくるのは、致命的な自己肯定感の欠落である。
綱吉にとって仲間とは、自分が自分であるためになくてはならない存在である。大きな力から幼子を守ろうとした九代目は、結果としてボスの資質を育てることとなったが、招いてしまった欠落は既に人格形成として影響を及ぼし、いまさら自分で育むことはできないだろう。
リボーンは必要であったから仲間を集めた。大空以外のリングの後継者として。次に、綱吉の欠落を埋めさせるために。
未来の綱吉がボンゴレリングを砕く結論に至ったのは、白蘭によって行われたボンゴレ狩りから仲間を守る為だ。白蘭が狙うならば、仲間を傷つける争いの火種になるならば、いっそのこと砕いてしまおう。そこに葛藤がなかったとは言わない。ボンゴレプリーモに、俺がボンゴレをぶっ壊してやる、と啖呵を切った時点でその片鱗はあったのだから。
世界のため、アルコバレーノ復活に命の炎を燃やし尽くした少女と、仲間の命のため、秘宝を砕いてしまった教え子を比較したリボーンは、頭痛にこめかみを押さえて唸る。カップの底に残るエスプレッソを飲み干したところで、頭痛は治らない。教え子の性質も、いまさらどうにかできる問題ではない。
世界よりも仲間を選ぶその性質を、欠落と呼ばず何とあらわそう。
トゥリニセッテは第八属性の炎によって半永久的な安定を手に入れた。が、ボンゴレリングとマーレリングがトゥリニセッテの一角である事実に変わりはなく、この星に住む種族の義務としてこれからも継承されていく。
ボンゴレリングは、トゥリニセッテは、綱吉の人生と切り離すことはできない。選ばれてしまったからには、継承する以外の道はないのだ。たとえ綱吉本人にとってこの星が、仲間が生きるための土台でしかなかったとしても。
リボーンは家庭教師としての自分が一種の確信のようなものを抱いていることを認めていた。それは、状況が追いつめれば、ボンゴレリングは何度でも砕かれるという確信である。綱吉はやるだろう。他でもないリボーンの確信、それ即ち確定事項なのだ。
ならばどうする。元・アルコバレーノの一人として、家庭教師として、リボーンにできること、それは──
「絶対にツナより先に死ぬんじゃねぇぞ。死ぬなら化けてでも自分の死体の始末をつけるんだ。ツナの眼に腕一本でも晒してみろ、地球は滅びの危機に直面することになる」
沢田家の二階、綱吉の部屋に守護者を集めたリボーンは、手加減なしにそう言い放った。
獄寺隼人、山本武、笹川了平、六道骸の代わりにクローム・髑髏、窓の外、屋根の上には雲雀恭弥。ランボは綱吉に散歩に連れて行かせた。しばらくは帰って来ない手筈だ。
「あの、リボーンさん、どういうことでしょうか、詳しく説明をお願いします」
殺気混じりのリボーンの眼光はナイフのように鋭い。これが冗談ではなく本気であることに生唾を飲みながら、隼人は背筋を伸ばして問う。
「未来のツナがボンゴレリングを砕いたことは知っているな」
全体を見渡せば、皆が恐る恐る頷く。
「代理戦争の一件で、ボンゴレリングは地球がこれからも生命活動を行うには必要なものだということが判明したな。本来ならあいつの一存でどうにかしていい代物じゃねぇ。だが、あいつはファミリーのために必要ないと思えば何度でもリングを砕く」
たとえそれで地球のバランスを崩すとしても。
「ツナにリングを砕かせるな」
綱吉の采配はファミリーの肩にかかっている。ファミリーが健やかならば良し、リングがあることでファミリーの利益になるならば良し。逆に、リングのせいでファミリーが傷付くことがあれば、間違いなく砕かれる。アルコバレーノに呪いをかけたチェッカーフェイスは好かないが、指輪を砕かれた衝撃にだけは同情する。
「話はそれだけかい」
窓の外から覗き込むようにする恭弥の顔には、くだらない話で呼び出すなと書いてある。
「言われなくとも無様に死体を晒すつもりはないよ」
それだけを言うと、さっさとどこかへ消えてしまうのが彼らしい。
「──大丈夫。万が一のことがあれば、骸様の体は私達で荼毘に付すから」
恭弥に続くクロームには迷いがない。彼女たちは彼女たちで既に話し合いを終えているようだ。
「それなら、俺は一緒に死ぬかな」
あっけらかんと言うのは武である。
「ツナは屋上ダイブに付き合ってくれたんだ。最後まで親友として、俺は隣に立ちたいと思う」
「俺は、悪いが沢田には葬式に参列してもらうつもりだ。家族だけで内々にやってもかまわんが、京子は沢田に来てほしいだろう。守護者一人の葬儀くらい、こなしてもらわんとな」
腕を組む了平は、さも当たり前のように綱吉への信頼を口にする。
リボーンとて、いつかその日が来たならば、マフィアのボスたるもの部下の弔いもできなくてどうする、と言ってやる覚悟はとっくにできているのだ。必要なら尻を蹴飛ばし、拳銃で脅し、手榴弾を投げてでも前に進ませてやる。そう、いままでのように。
けれども、リボーンはあくまでも家庭教師。守護者のようにいつもそばにいてやることはできないのだ。兄弟子のように、独り立ちの時は必ずやってくる。その時までに欠落との付き合い方を教えてやるのが務めである。そのためには、まずは外堀から埋めていこう。
「獄寺、ツナの盾になろうだなんて思うなよ。それで肉体を守れてもツナの心が壊れることになる」
「俺が死ぬのは十代目を看取ってからです。なのでご安心を。山本が一緒に死んでくれるなら寂しくはないでしょう。埋葬は俺が引き受けますので」
「マジか、俺のことも埋めてくれるんだな」
「てめぇはついでだ、ついで!」
誰よりも先に綱吉を十代目と呼んだ獄寺は、ボンゴレ十代目の忠犬のようでいながら、綱吉の性質を深く理解している。誰よりもマフィアに向いていないからこそ巨悪に相応しいことも、未だ表面には現れていないが、未来でリングを砕いてしまった事実が証明する、ファミリーへの強い依存と執着も。かつては盲信のような感情を抱いて己の命を粗末にした男は、今では看取る覚悟を決めている。
リボーンはいつか来るかもしれない未来を想う。
有象無象の者たちよ、どうか教え子の逆鱗に触れてくれるな。さもなくば地球が滅ぶことになるぞ。