「今日も立派なレディを目指して邁進して行きますわよ〜!」
壱百満天原サロメはいつでも明るい。
そんな彼女には一つの信念があった。
『立派なお嬢様になる』
『お嬢様』という存在に憧れ、そしていつだって目指している。
しかし本当の理由を配信で語った事は無い。
だが、誰に何を言われてもこの信念が揺らいだ事は、そしてこの決断を後悔した事も無い。
今日も2時間弱に及ぶ配信を終えた彼女はそっとパソコンを閉じる。
ふぅ、と息を付いたその顔はリスナーが知る『眩い光』でも『静かな木漏れ日の光』でもなく笑顔でありながらどこか物憂げなものであった。
「……今日はどこまで『お嬢様』に近付けたかしら」
ボソリ呟くそれは誰に聞こえるでもなく、一人の部屋にポツリとこぼれ落ちどこに行くでもなく溶けていく。
「もうすぐ……ですわね。また今年もこの日がやって来ますわ……」
祈りを捧げる様に両手を組み、静かに目を閉じる。
その姿はまるで神秘的な程美しく、それでいて穏やかでありながら……とても悲痛なものに見えた。
とある日の朝。
この日から数日、配信を休む事を告知していた。
理由はぼかし『地元に大切な用事がある』という一点だけ伝えこの日のツイートに「行ってきますわ〜」と一言残し、彼女は配信者の顔からただ一人の女性の顔になる。
「良し、メイクオッケー、服装オッケー、髪型もオッケー。うん、これなら……大丈夫ですわね」
壱百満天原サロメの地元は関西圏にある。
東京から行き日帰りにはなるものの、単純に東京から関西への日帰りは相当な労力を要する。
だが本当のところは、そんな単純な事で数日の休みを取る訳では無い。
確かにそれも大きな理由の一つにはなるが、彼女としては用事の内容での精神的な面で数日休みを取らなければ明るく振る舞えないという理由だった。
しかしそれでもこの日は人生の中で最も大切な日と位置付けていた。
『誰かに会うのか』と思われる程の気合いの入り様に、いつだったか知り合いと鉢合わせ聞かれた時「そうとも言うしそうとも言わない」と、そう曖昧に答えていた。
誤魔化されたと知り合いは感じていたが、サロメ本人としてもどっちとして捉えれば良いか分からなかったからだ。
だから彼女としては「そうとも言うしそうとも言わない」が本心からの答えだったのだ。
新幹線に揺られる事数時間、心の整理をいつもの様に付け地元の最寄り駅に降り立つ。
この日以外に里帰りしていたのならば意気揚々と地元巡りをしていたのだろうが、今日という日だけはいつになっても慣れないと彼女は早る自分の胸の鼓動を感じて、若干の呆れとリラックスしようという魂胆の二つの気持ちを持ちながら息を吸い、吐き出す。
「……行かないといけませんわね」
もう何年も繰り返しているのだから、と自分に言い聞かせる様に言い歩き出す。
その道中彼女は花屋に立ち寄った、これもまたこの日には毎年繰り返している事だ。
「お姉さん、今年も来たんやね。いつもので?」
「ええ、そうですわ」
お陰で店主の壮年の男性とは顔見知りになり、彼は聞かずとも彼女の求めるものを理解していた。
優しく聞き、そして『そうである』と分かると店主は予めこの日の為に準備していた花を二輪、渡した。
「ありがとうございますわ」
「かまへんかまへん、花言葉で何となく何の為にウチに毎年来てくれるかってのは想像付くから。ほなこれお釣り……また来年な」
「はい、また来年」
このやり取りにももう慣れたものだ、と彼女は内心呟く。
また来年……必然的に翌年も来るのは彼の中で確定事項なのかと苦笑してしまうが、来ない訳には行かないというのもまた事実。
気の良い店主に会釈をし、その場を後にする。
「毎年毎年この道を行かねばならないというのも、少しハードですわね……」
冗談交じりに、少し山道になっている場所を歩きながら誰に聞かれるでもない独り言をこぼす。
そうでも言っていないと自分の気持ちに押し潰されそうになってしまうからだ。
もう夏も真っ盛りの季節に山道を歩くという事自体が単純に疲れるというのも勿論要因だが。
「ふぅ……着きましたわね」
山道を歩く事20分程、照り付ける日差しが
そこは誰もいない閑静な墓地であった。
まだ盆を迎えるには1ヶ月以上あり、おいそれと来れる程の場所でもなく、天候を考えてもこの時期誰も寄り付かないのはわざわざ立ち寄ったサロメとしても『当たり前だ』と何の躊躇も無く断言するレベルだ。
それでも彼女の目的はこの日、ここでしか果たせない。
足は迷わず一つの墓へと向かう。
「…………お兄様、来ましたわ。1年振り、ですわね」
そう語り掛けるサロメの顔は、もう二度と叶わない恋をしている憧れと笑顔と、その裏に隠された苦しみ、悲しみを一緒くたにした様な表情をしていた。
この墓は、彼女にとってこの世で最も大切な男性が眠る墓だった。
『お兄様』そう言いながらも血の繋がりがある訳ではなかった、戸籍上にも家族としての血縁関係は一切無い……だが、兄と慕う程の幼馴染であった。
そして彼女の最初で最後の恋の相手でもあった。
「もうお兄様が亡くなってから何年経つんでしょうか。わたくしもう……数えたくもありませんわ。だって数えたら……お兄様がいない現実を直視して死にたくなってしまいますもの」
「……ふふっそんな事言ったらお兄様から『嘘でもそんな事言うたら化けて出てやるからな』ってお説教されてしまいますわね」
本当に兄の様な、頼りになる、格好良い存在だった。
そう思い出に浸る。
成長するに連れて兄と慕う以外の気持ちを覚え、その気持ちがなんであるか悩み、そして答えを見つけた時の胸の鼓動。
サロメはあの日の事を忘れた事は無い。
いや、もっと言うのであれば『彼と過ごした日々を一日足りとも忘れた事は無い』それ程までに大切な日々であったと彼女は断言するだろう。
「思い出すだけで楽しかったと、そう思い返せる日々ばかりですわ」
彼女は静かに微笑む。
昔を懐かしみながら、想い人に馳せる気持ちをそっと口にしながら、それでいて……とても悲しそうな微笑みで。
「だからこそ……毎年ここに来るのが辛く、苦しい、そう思ってしまう、来るのが憂鬱になってしまう……おかしいですわね、わたくし」
「でも。お兄様との約束、忘れてませんわよ。貴方とわたくしを繋ぐ、唯一の約束ですもの。忘れる訳ありませんわ」
そして馳せる気持ちの中には『立派なお嬢様になる』と彼と約束したあの日の事も含まれていた。
キッカケは些細なものだった。
元々関西弁が強かった彼女は小さい頃から『ですわ』という、特徴的な関西弁が何よりの口癖だった。
その事は無論、幼馴染である彼も聞き慣れたものでいつも気兼ねなく他愛も無い話をしていた。
この日も何気無くそんな話をしていたが、ふと彼の口からこんな言葉が出てきた。
「そう言えばサロメの口癖の『ですわ』ってニュアンス変えるとお嬢様言葉になるんだよな。不思議なもんやなあ」
何もおかしな事は無い、ただ単の感想。
同じ言葉でもニュアンスを変えるとそれだけで全く違う人間が使う言葉になるのだと言うたったそれだけの発言。
だが、この時壱百満天原サロメは既に自分の中に眠る恋心を自覚した直後だった。
いつも優しく、頼りになり、いつだって守ってくれる格好良い幼馴染に恋焦がれていた。
そして女性という存在は得てして、好きな男性に可愛く見られたいと思うものである。
そんな中で『何が可愛いか』を考えていた彼女にとって、その言葉は正に
「……男子ってやっぱりお嬢様みたいな女の子好きだったりするん?」
恋する乙女は積極的だ……というのはサロメにとっても例外では無かった。
思い切って聞いたそれは、少し上擦った声になるくらい緊張してしまうものだったのも今となれば笑い話だろう。
「ん、せやなあ……確かにお嬢様みたくお淑やかな女の子は好きやな。ま、言うてサロメにやれとは言わんけどな〜」
「う……ウチがやったら嬉しいとか、可愛い、とか……お兄ちゃんは思う?」
「な、なんや急に……まあ、サロメは可愛いし? やってくれたらそりゃ役得や思うけども?」
「分かった、ウチお嬢様になるわ」
「ええ……」
好きな人の言葉が人を変えるとは良く言われるが、彼女は本気だった。
大好きな人の好みになる為に頑張ろうと必死にお嬢様言葉を覚え、作法や身だしなみにも気を遣い、慣れない事に
その事は今の彼女を見ていれば明白だろう。
やがてその努力は実を結び、彼にも褒められる様になり。
それは夢の様な時間で、きっとこんな幸せで大切で、楽しい時間がいつまでもいつまでも続くものだと、信じてならなかった。
だが、そんな時間は唐突に終わりを迎える。
彼が事故に遭ったのだ。
道路に飛び出した小さい子どもを守って大型トラックに轢かれ、即死。
別れの挨拶も何も無く、突然失われた日常に彼女は最初茫然自失であった。
「お兄様が……死んだ? う、嘘ですわ……だっ、だって昨日も沢山お話して、また明日って……」
そして何より信じる事が出来ないでいた。
前日まで何事も無く話していた最愛の人が死んだと聞かされ、信じられる人間の方が少ないだろう……と周りの人間も気の毒に思ったのか、深く話す事は無く『葬式には連れて行くからな、最期の別れも出来ないんじゃサロメも、あの子も、あんまりにも報われない』とだけ告げた。
そんな彼女は葬式でも泣けなかった。
それは最愛の幼馴染の遺体を見てもそうであり、その姿が余計に周りの悲壮感を駆り立てた。
彼女が幼馴染の死後初めて泣いたのは火葬直前の事だった。
これで今生の別れ、もう二度と会えなくなると言われたサロメはようやく幼馴染が死んだという実感を得た、得てしまった。
心にロックが掛かった様に無表情だったその目から、今まで泣けなかった分の涙が溢れ、
別れたくないと、連れて行かないでと。
「いや!! いやあ!! 連れてかないで!! お兄ちゃんを連れてかないで!! ウチの、ウチのお兄ちゃん連れてかないで!! お願いだから!! いやだあ!!」
それは作り上げたお嬢様の風貌も、言葉も全て壊し昔の素の彼女のまま泣き叫ぶには充分過ぎる悲劇だった。
彼女の母親は気持ちをよく知っていた。
どれだけ大切にされ、大切にし、想われ、想っていたか、よく知っていた。
だからこそ努力を見守り、応援してきた。
母親は、静かに抱き締めるしか無かった。
知っていたからこそ、何も言う事が出来ずに、ただ抱き締めるしか出来なかった。
それから数ヶ月、サロメはすっかり塞ぎ込んでいた。
表情も抜け落ち、抜け殻の様に自室に引きこもる以外に何も出来ないでいた。
しかし彼女はそれでも無理やりこの現実を割り切った、割り切るしか無かった。
どれだけ塞ぎ込んでも時間は戻らず進むだけ、そして進めば進むだけシングルマザーである母親を心配させてしまうと理解していたからだ。
だから無理をして、この現実を割り切った。
「わたくし、お兄様に約束したんです。『立派なお嬢様になる』と」
「だから、この約束を違える訳にはいかないんです」
この傷が癒えた事は無い。
それでも彼女は、生きるしか無かった。
無理やり現実を見るように振り切って、その癖本心では現実から目を逸らしながら、それでいて年に一度はこうして現実を見て。
矛盾の中で、生きている。
「それで、誰かに成長を見てもらいたくてVTuberって言う仕事を始めて。毎日成長を見てもらっているんですのよ、リスナーさんはみんな楽しい人で配信する事が天職だと思うくらいですわ」
思い出を振り返った彼女は、改めて墓前へと向き直る。
そして事前に買った二輪の花を手向ける。
一輪は『キキョウ』もう一輪は『月下美人』、どちらも夏場に全盛を迎える花だ。
この花は毎年、同じように一輪ずつ供えている。
それは彼女の想いがこの二輪に込められているからだ。
――キキョウの花言葉『変わらぬ愛』
――月下美人の花言葉『ただ一度だけ会いたくて』
言葉にすれば、きっと彼女の心はもう一度決壊してしまう。
だから言葉にせず、想いを花に込め。
「……いつかこの気持ちを。きっと言葉に出来た日がわたくしが立派なお嬢様になれた日になると思います」
「だからきっと、ずっと。見守っていてください……お兄様」
彼女はその想いを心の奥底に仕舞い込み、また配信者としての日常へと舞い戻っていく。
「皆様ご機嫌よう、壱百満天原サロメですわ〜!」
いつかきっと、その言葉を花言葉では無く、自分の言葉で言える日が来ると信じて。
※この話は『壱百満天原サロメ夢小説企画』に『スローロリス』の名前で寄稿させていただいております