NOCTURNEが結成されてから、二年が経っていた。
黒川愛衣、二十一歳。
篠原琴音、二十二歳。
白石小春、二十四歳。
霧崎奈々、二十六歳。
水瀬千尋、二十八歳。
羽鳥麗華、三十四歳。
榊原真咲、三十一歳。
二年前の初顔合わせから、彼女達はそれぞれの形で人間社会に根を張っていた。
スマートブレイン本社地下特別フロア。
表向きには存在しない、会員制ラウンジとして処理された空間。
そこには、七つの席があった。
黒川愛衣の席。
篠原琴音の席。
白石小春の席。
霧崎奈々の席。
水瀬千尋の席。
羽鳥麗華の席。
そして、榊原真咲の席。
七つの席は、まだ埋まっている。
まだ、誰も灰になっていない。
だが、二年前の初顔合わせと同じ空気ではなかった。
愛衣は、明るい茶髪を少し伸ばし、以前よりさらに派手な服を着ていた。
スマホを片手にソファへ寝転がり、退屈そうに足を揺らしている。
「ねえ、今日の報告会って長い?」
「必要な時間だけ行います」
真咲は端末から目を離さず答えた。
「それが長いんじゃん」
「報告は任務の一部です」
「出た。職務」
愛衣は笑った。
その笑い方は、二年前よりも軽くなっていた。
軽い。
そして危うい。
琴音は、以前と同じように眼鏡の奥から冷静に資料を見ていた。
髪型も服装も大きく変わっていない。
だが、その視線は二年前よりも鋭くなっていた。
彼女は、自分の端末にまとめた資料を投影した。
「先月の使徒再生実施件数は十三件。成功例は三件。灰化は十件。対象選定の精度は、全体平均より上です」
愛衣があくびをする。
「数字ばっか」
「数字は嘘をつきません」
「人間は?」
「嘘をつきます」
琴音は淡々と言った。
その返答に、奈々が喉の奥で笑った。
「琴音ちゃん、相変わらず冷たいね」
「冷たいのではなく、正確です」
「そういうところ」
奈々は、ラウンジの奥の席で煙草の箱を指先に挟んでいた。
禁煙の場所だと分かっているから、火はつけない。
それでも彼女は、いつも煙草を持っている。
吸うためではない。
火をつける前の、沈むための間を持つためだった。
「霧崎さん」
真咲が言った。
「先週の対象接触報告が三件未提出です」
「出したよ」
「出ていません」
「じゃあ、出した気になってた」
「提出してください」
「はいはい」
「一度で結構です」
「はい」
奈々は笑った。
その笑いは、二年前よりも深く沈んでいた。
小春は、柔らかい色のワンピース姿で座っていた。
膝の上には、小さな布袋。
彼女は穏やかに座っている。
ただ、手だけが時々擦り合わされる。
さらさら。
さらさら。
真咲は、その音を聞き逃さなかった。
「白石さん」
「はい」
「前回の現場で、灰化残滓の回収量が報告値と一致しません」
小春は、少しだけ目を伏せた。
「そうなんですか」
「あなたの所持品を確認します」
「今ですか?」
「今です」
小春は困ったように笑った。
二年前と同じ笑い方だった。
だが、今はその笑みの奥に、隠すことへの慣れがあった。
「少しだけです」
「何がですか」
「こぼれた分を、少しだけ」
「灰化残滓の私的保管は禁止されています」
「でも、捨てられるよりはいいと思います」
「管理対象物です」
「管理って、残すこととは違うんですか?」
小春は本気でそう言っていた。
悪意はない。
だから厄介だった。
千尋は、小春と真咲のやり取りを心配そうに見ていた。
薄い水色の服。
穏やかな笑み。
膝の上に置かれた救急ポーチ。
彼女の柔らかさは二年前と変わらない。
ただ、その優しさは、以前よりも相手の内側へ入り込むものになっていた。
「榊原さん、あまり強く言うと小春さんが……」
「水瀬さん」
「はい」
「対象者および構成員への過剰接触は控えてください」
「心配しているだけです」
「あなたの心配は、接触と依存に変わる傾向があります」
千尋は少し困ったように笑った。
「そんなつもりはありません」
「つもりの有無は問いません。結果を管理します」
「結果、ですか」
千尋は小さく呟いた。
その声は優しかった。
だが、優しさの奥に、相手を離さない粘りがあった。
麗華は、ラウンジの窓際に座っていた。
脚を組み、スマホの通知を眺めている。
美容サロン。
新規事業。
会員制イベント。
SNS案件。
投資家との会食。
麗華は、この二年でさらに人間社会の上層へ入り込んでいた。
上質な服。
控えめな香水。
視線を受けることに慣れた姿勢。
二年前よりも、彼女は完成されていた。
「羽鳥さん」
真咲が呼ぶ。
「はい?」
「来月予定されている発表会の申請資料が未提出です」
「準備中よ」
「告知は既に始まっています」
「反応を見るためよ」
「事前承認が必要です」
「真咲さん。反応を見る前に承認を取っていたら、鮮度が落ちるわ」
「スマートブレインへの影響が優先されます」
「もちろん。その範囲で、最大限美しく見せているつもりよ」
麗華は微笑んだ。
その笑みは、二年前よりも完成されていた。
そして、二年前よりも扱いにくくなっていた。
*
真咲は、六人を見た。
黒川愛衣。
篠原琴音。
白石小春。
霧崎奈々。
水瀬千尋。
羽鳥麗華。
全員、生きている。
いや。
一度死に、オルフェノクとして動いている。
NOCTURNEは、この二年間で成果を上げた。
使徒再生成功例、複数。
覚醒した個体のうち、管理可能と判断された者はスマートブレインへ送られた。
管理不能な者は処理された。
覚醒できなかった人間は灰になった。
その灰も、適切に回収された。
少なくとも、報告書の上では。
真咲の端末には、定期報告の下書きが表示されていた。
NOCTURNE月次報告。
稼働状況、継続。
使徒再生成功例、確認。
対象処理件数、基準値超過。
人間社会浸透度、良好。
管理上の問題、増加傾向。
継続監視を要する。
成果はある。
それは間違いない。
だが、問題も増えている。
愛衣の衝動性。
琴音の独断。
小春の灰化残滓への執着。
奈々の報告遅延と自己破壊性。
千尋の過剰接触。
麗華の社会的影響力の肥大化。
真咲はそれらを、すべて職務として処理していた。
処理できている。
そう判断していた。
「榊原さん」
琴音が声を上げた。
「先ほどから、報告書の『管理上の問題、増加傾向』という項目が見えています」
「見えないように表示したつもりでしたが」
「反射で見えました」
「そうですか」
「その項目は、私達全体を指していますか。それとも個別ですか」
「両方です」
愛衣が笑う。
「うちら問題児ってこと?」
「問題を起こす可能性がある、という意味です」
「ほぼ同じじゃん」
奈々がライターを回す。
「二年もやってまだ問題児扱いなんだ」
「二年経ったからこそ、です」
真咲は言った。
「性質の固定化と強化が確認されています」
千尋が首を傾げる。
「性質、ですか」
「黒川さんの快楽。篠原さんの理性。白石さんの狂気。霧崎さんの退廃。水瀬さんの救済。羽鳥さんの栄華」
そして、自分の職務。
真咲はそこまでは口にしなかった。
「それぞれが有用である一方、逸脱の要因になっています」
「つまり」
麗華が静かに言う。
「私達は、役に立つから使われている。でも、役に立つ理由そのものが、いつか問題になるかもしれない」
「その通りです」
「分かりやすいわ」
麗華は微笑む。
「でも、それはスマートブレインも承知の上でしょう?」
「はい」
「なら、問題ないわね」
「問題が発生すれば、処理します」
「でしょうね」
麗華はグラスを持ち上げる。
「あなたなら、最後までそう言うのでしょうね」
真咲は答えなかった。
*
会議が終わると、七人はそれぞれ動き始めた。
琴音は端末に資料を送信してから立ち上がった。
「先月分の対象選定リストを更新しておきました。候補のうち三名は、実施優先度を上げるべきです」
「確認します」
「感情的な判断ではありません」
「分かっています」
「なら結構です」
琴音は眼鏡を直し、ラウンジを出ていく。
小春は布袋を抱えたまま、真咲の前で足を止めた。
「榊原さん」
「何でしょう」
「もし、灰が少しだけ残ったら」
「私的保管は禁止です」
「まだ最後まで言っていません」
「予測可能です」
「……厳しいですね」
「必要です」
小春は困ったように笑い、手を擦り合わせた。
さらさら。
「でも、いつか分かってもらえるかもしれませんね」
「何をですか」
「灰を残したくなる気持ちです」
真咲は答えなかった。
小春はそのまま去っていった。
奈々は一番遅く立ち上がった。
「帰るんですか」
真咲が問う。
「仕事。ラウンジの方」
「報告を忘れないでください」
「忘れないようにする」
「してください」
「はいはい」
「一度で結構です」
奈々は笑った。
「真咲さんってさ」
「何でしょう」
「絶対、疲れる生き方してるよね」
「業務上、問題ありません」
「そういうとこ」
奈々は煙草の箱を指で弾き、ラウンジを出た。
千尋は、小春の去った方向を少し心配そうに見ていた。
「水瀬さん」
「はい」
「白石さんを追わないでください」
「追うつもりでは」
「あります」
「……少しだけです」
「禁止します」
千尋は困ったように笑った。
「榊原さんは、何でも先に言ってしまいますね」
「予測可能な行動です」
「私は、そんなに分かりやすいですか?」
「はい」
千尋は小さく息を吐いた。
「では、今日は帰ります」
「そうしてください」
「榊原さんも、休んでくださいね」
「必要に応じて」
「いつもそれですね」
千尋は優しく笑い、ラウンジを出ていった。
麗華は最後まで残っていた。
スマホを見ながら、真咲へ視線だけを向ける。
「来月の発表会、申請書は明日出します」
「今日中に提出してください」
「細かいわね」
「必要です」
「でも、そういう細かさで二年も持たせたのだから、認めるべきね」
真咲は顔を上げる。
「何をですか」
「あなたが優秀だということ」
「評価は業務成果に基づいて判断されます」
「可愛げがない返事」
「必要ありません」
麗華は微笑んだ。
「真咲さん。あなたは、私達を管理しているつもりでしょう?」
「はい」
「でもね、管理するためには、ずっと見ていなければならないのよ」
「当然です」
「見続けたものは、ただの対象ではなくなることがある」
真咲は沈黙した。
麗華は立ち上がる。
「覚えておくといいわ」
「業務に関係しますか」
「いずれね」
そう言って、麗華もラウンジを出た。
真咲だけが残った。
*
ラウンジは静かになった。
七つの席。
まだ空席ではない。
皆、戻ってくる。
次の報告会にも、その次にも。
そう判断できるだけの記録がある。
真咲は端末を確認した。
月次報告。
成果あり。
継続運用可能。
管理負荷、増加。
逸脱リスク、上昇。
それでも、運用価値あり。
真咲は入力した。
NOCTURNE運用状況、継続。
構成員全員、生存。
成果、基準値以上。
管理上の懸念あり。
ただし、現時点で運用停止の必要なし。
保存。
その文字を見て、真咲は一瞬だけ考えた。
現時点で。
その言葉は便利だった。
今は問題ない。
今は処理できている。
今はまだ崩れていない。
では、いつから問題になるのか。
その境界は、記録できるのか。
真咲は思考を止めた。
必要な判断ではない。
*
その夜。
黒川愛衣は、地下フロアを出てからも、まだスマホを見ていた。
通知。
写真。
メッセージ。
どれも軽い。
軽いものだけが、愛衣には心地よかった。
駅前のガラスに、自分の姿が映る。
二十一歳。
死んだのは、もっと前。
女子高生だった頃。
居眠り運転の車が、視界の端から突っ込んできた。
衝撃。
音。
身体が跳ねる感覚。
その後のことは、曖昧だった。
死んだ、という実感が薄い。
だから、生きているという実感も軽い。
オルフェノクになってからの方が、ずっと楽しかった。
人間より強い。
人間より速い。
人間より自由。
欲しいものを欲しいと言える。
飽きたら捨てられる。
気分で選べる。
愛衣は笑った。
「ちょっとだけ、遊んでこっかな」
真咲の顔が頭に浮かぶ。
無断選定は禁止。
使徒再生は報告。
対象接触は記録。
全部、堅い。
「分かってるって」
愛衣は誰に言うでもなく呟いた。
「ちゃんとやるし」
その“ちゃんと”が、真咲の意味するものとは違うことを、愛衣は気にしなかった。
夜の街へ歩き出す。
ネオン。
路地。
笑い声。
酔った男達。
誰かを見下ろす視線。
誰かを欲しがる目。
愛衣は、その中へ入っていく。
明るい茶髪が、街の光を拾った。
遠くで、救急車のサイレンが鳴っている。
愛衣は振り向かない。
「あー、なんか面白いこと起きないかな」
黒川愛衣は、夜の路地へ消えていった。