灰になるまで   作:ギガマツタケ

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最終話 職務の蜂

 NOCTURNE専用ラウンジには、七つの席があった。

 

 黒川愛衣の席。

 篠原琴音の席。

 白石小春の席。

 霧崎奈々の席。

 水瀬千尋の席。

 羽鳥麗華の席。

 

 そして、榊原真咲の席。

 

 今、座っている者は一人だけだった。

 

 榊原真咲。

 

 黒いスーツ。

 白いシャツ。

 社員証。

 管理端末。

 

 姿勢は崩れていない。

 

 髪も乱れていない。

 

 表情も変わらない。

 

 六つの空席に囲まれながら、真咲は端末を操作していた。

 

 黒川愛衣、灰化確認。

 

 篠原琴音、灰化確認。

 

 白石小春、灰化確認。

 

 霧崎奈々、灰化確認。

 

 水瀬千尋、灰化確認。

 

 羽鳥麗華、灰化確認。

 

 残存構成員、一名。

 

 榊原真咲。

 

 ホーネットオルフェノク。

 

 NOCTURNE管理責任者。

 

 真咲は、画面を閉じようとした。

 

 その時、端末が短く震えた。

 

 社長室からの呼び出しだった。

 

   *

 

 スマートブレイン本社、上層階。

 

 社長室は静かだった。

 

 大きな窓の外には、夜の街が広がっている。

 

 無数の灯り。

 

 車の流れ。

 

 人間達の生活。

 

 そのすべてを見下ろすように、村上社長は椅子に座っていた。

 

 真咲はデスクの前に立ち、静かに頭を下げる。

 

「榊原さん」

 

 村上の声は穏やかだった。

 

「NOCTURNEについて、最終判断を下します」

 

「はい」

 

 真咲は即答した。

 

「まず、前提として」

 

 村上は端末に視線を落とした。

 

「NOCTURNEは、結成から二年間、一定以上の成果を上げてきました。使徒再生による個体増加、人間社会への浸透、対象処理。いずれも評価に値します」

 

「ありがとうございます」

 

「あなたの管理能力も、評価しています」

 

 村上は続けた。

 

「記録、監視、報告、運用、管理。どれも高水準だった」

 

「ありがとうございます」

 

 真咲は同じ言葉を繰り返した。

 

 それ以外に返す言葉はなかった。

 

「ですが」

 

 村上の声は変わらない。

 

 穏やかなままだった。

 

「黒川愛衣の灰化以降、短期間で構成員の大半を喪失した」

 

「はい」

 

「篠原琴音、白石小春、霧崎奈々、水瀬千尋、羽鳥麗華。いずれも組織の中核となる個体でした」

 

「はい」

 

「現時点で、NOCTURNEは組織としての継続性を失っています」

 

 真咲は頷いた。

 

 継続性を失っている。

 

 報告書として、正しい表現だった。

 

「管理責任は、私にあります」

 

「ええ。あなたにあります」

 

 村上は淡々と頷いた。

 

 成果を評価する。

 

 失敗も認める。

 

 継続不能と判断する。

 

 ただ、それだけだった。

 

「榊原さん。あなたは、彼女達を制御しきれなかった」

 

 その言葉に、真咲の指がわずかに動いた。

 

 制御。

 

 それは正しい。

 

 愛衣は命令を破った。

 

 琴音は自己判断を優先した。

 

 小春は灰に執着した。

 

 奈々は沈みたい人間を連れ出した。

 

 千尋は退院患者を追った。

 

 麗華は舞台で灰のショーを行った。

 

 全員、制御できなかった。

 

「申し訳ありません」

 

「謝罪は不要です」

 

 村上は言った。

 

「必要なのは、処理です」

 

 真咲は顔を上げた。

 

「処理、ですか」

 

「NOCTURNEの残存構成員は、あなた一人です」

 

「はい」

 

「榊原さん。あなた自身を含めて、計画を閉じなさい」

 

 社長室が静かになる。

 

 窓の外では、街の灯りが揺れている。

 

 真咲はその命令を理解した。

 

 自分を含めて、計画を閉じる。

 

 つまり、最後の職務。

 

「承知しました」

 

 真咲は頭を下げた。

 

「NOCTURNE最終処理へ移行します」

 

 村上は何も言わなかった。

 

 真咲は踵を返す。

 

 社長室を出る直前、村上が言った。

 

「榊原さん」

 

「はい」

 

「あなたにとって、NOCTURNEは何でしたか」

 

 真咲は振り返らなかった。

 

 答えるべき言葉は、すぐに出た。

 

「職務です」

 

「そうですか」

 

「はい」

 

 それ以外の答えは、必要ない。

 

 真咲はそう判断し、社長室を出た。

 

   *

 

 NOCTURNE専用ラウンジに戻ると、照明はまだ低く落とされたままだった。

 

 六つの空席がある。

 

 愛衣の席。

 

 琴音の席。

 

 小春の席。

 

 奈々の席。

 

 千尋の席。

 

 麗華の席。

 

 真咲は自分の席には座らなかった。

 

 中央のテーブルの前に立ち、端末を開く。

 

 最終報告書を作成する。

 

 NOCTURNE最終報告。

 結成から約二年間、一定の成果を確認。

 使徒再生成功例、複数。

 対象処理および人間社会浸透任務、一定水準で達成。

 

 黒川愛衣の灰化以降、短期間で構成員六名を喪失。

 現在、残存構成員一名。

 

 榊原真咲。

 個体名:ホーネットオルフェノク。

 性質分類:職務。

 

 管理責任者として、NOCTURNE最終処理へ移行。

 

 真咲は続けて入力した。

 

 本報告以降、一定時間内に更新がない場合、榊原真咲の灰化または行動不能と推定。

 灰化確認は、現場残滓および社員証照合により後続班が判断すること。

 

 合理的な処理だった。

 

 自分が戦闘中に報告できるとは限らない。

 

 むしろ、できない可能性の方が高い。

 

 だから、先に残す。

 

 職務は、事前準備を含めて職務だ。

 

 送信予約を設定する。

 

 一時間後。

 

 それまでに自分が更新しなければ、報告書は自動送信される。

 

 真咲は画面を確認した。

 

 誤字はない。

 

 項目も不足していない。

 

 文体も適切。

 

 最後に、補足欄が空いているのが目に入った。

 

 そこには、任意の記録を残せる。

 

 真咲はしばらく画面を見つめた。

 

 愛衣の笑い声。

 

 琴音の冷たい声。

 

 小春が手を擦り合わせる音。

 

 奈々の煙草。

 

 千尋の微笑み。

 

 麗華の香水。

 

 不要な記録だった。

 

 報告書には、不要。

 

 真咲は補足欄を空白のまま閉じた。

 

 送信予約、完了。

 

 端末を置き、ラウンジを見渡す。

 

 六つの空席。

 

 いや。

 

 自分の席も、もう空席になる。

 

 真咲は深く息を吸った。

 

 襲撃前のルーティン。

 

 深呼吸。

 

 感情を消すためではない。

 

 感情を、職務へ変換するため。

 

「最終処理を開始します」

 

 そう言って、真咲はラウンジを出た。

 

   *

 

 夜の街に、雨は降っていなかった。

 

 真咲はスマートブレインの車を使わなかった。

 

 徒歩で移動し、途中で地下鉄に乗り、また歩いた。

 

 目立たない移動。

 

 追跡を避けるためではない。

 

 ただ、単独行動に適した手段を選んだだけだった。

 

 端末には、ライダー出現予測が表示されている。

 

 過去一週間のオルフェノク反応。

 

 灰化残滓の発生地点。

 

 ファイズ出現記録。

 

 スマートブレイン関係施設の位置。

 

 通報履歴。

 

 監視カメラの欠落区域。

 

 それらを照合した結果、もっとも出現確率が高い場所。

 

 港湾地区の旧物流倉庫群。

 

 かつてスマートブレインの下請け企業が使用していた区画。

 

 現在は放置され、夜間は人通りが少ない。

 

 オルフェノクが潜伏しやすい。

 

 ライダーが出現しやすい。

 

 人間の目が少ない。

 

 最終処理には、適切だった。

 

 真咲は端末を閉じた。

 

 倉庫群の奥から、金属が砕ける音が聞こえた。

 

 戦闘音。

 

 予測通りだった。

 

   *

 

 港湾地区の旧倉庫。

 

 錆びたフェンスの向こうで、すでに戦闘は始まっていた。

 

 ファイズがいた。

 

 その相手は、スマートブレイン所属ではないオルフェノクだった。

 

 灰色の外骨格。

 

 獣とも昆虫ともつかない歪な姿。

 

 恐らく、野良の覚醒個体。

 

 戦闘能力は低くない。

 

 だが、統制がない。

 

 腕を振る。

 突進する。

 吠える。

 逃げようとする。

 

 無駄が多い。

 

 ファイズは淡々と追い詰めていく。

 

 真咲は倉庫の影で、それを観察していた。

 

 記録する必要はない。

 

 もう、報告書は作成済みだ。

 

 それでも、癖のように分析していた。

 

 ファイズの踏み込み。

 

 攻撃間隔。

 

 回避角度。

 

 必殺技移行までの時間。

 

 やがて、ファイズフォンの電子音が響いた。

 

 Exceed Charge.

 

 赤い光が走る。

 

 クリムゾンスマッシュ。

 

 野良のオルフェノクは胸を貫かれ、数歩後退した。

 

 次の瞬間、青い炎が内側から噴き出す。

 

 その身体は崩れ、灰になった。

 

 風が吹く。

 

 灰が港湾地区のコンクリートの上に散った。

 

 ファイズはしばらく立っていた。

 

 真咲は、そのタイミングで影から出た。

 

 まだ変身はしない。

 

 黒いスーツの女として、静かに歩く。

 

 ヒールの音が、倉庫に響いた。

 

 ファイズが振り返る。

 

 真咲は一定の距離で足を止めた。

 

「戦闘終了を確認しました」

 

 ファイズは答えない。

 

「対象オルフェノク、灰化。あなたの処理能力は、記録通りです」

 

 真咲は社員証を胸元で揺らしたまま、ファイズを見る。

 

「スマートブレイン、榊原真咲です」

 

 夜風が二人の間を抜ける。

 

「あなた方ライダーにより、NOCTURNE構成員の多数が灰化しました」

 

 ファイズは構えない。

 

 ただ、警戒している。

 

「黒川愛衣。篠原琴音。白石小春。霧崎奈々。水瀬千尋。羽鳥麗華」

 

 名前を読み上げる。

 

 呼び出しではない。

 

 報告だった。

 

「黒川愛衣および篠原琴音は、カイザとの交戦により灰化。白石小春、霧崎奈々、水瀬千尋、羽鳥麗華は、主にあなたとの交戦により灰化しています」

 

 真咲は淡々と続けた。

 

「彼女達の行動には、規定違反がありました。判断ミスがありました。衝動、慢心、執着、退廃、依存、自己演出。いずれも管理不十分でした」

 

 ファイズは静かに構える。

 

「責任は、管理者である私にあります」

 

 そこで、真咲は少しだけ沈黙した。

 

 港湾地区の夜は、無機質だった。

 

 海の匂い。

 

 錆の匂い。

 

 古いコンクリートの匂い。

 

 六人の匂いはしない。

 

「したがって、NOCTURNE最終処理として、あなたを制圧します」

 

 真咲は、ファイズの腰に装着されたベルトへ視線を落とした。

 

「そして、そのベルトを回収します」

 

 真咲は深く息を吸った。

 

 襲撃前のルーティン。

 

 深呼吸。

 

 その瞳が、灰色に濁る。

 

 黒いスーツの輪郭が歪む。

 

 背中から薄い翅が広がる。

 

 腕に鋭い節状の外骨格が浮かび、腰から針を思わせる装甲が伸びる。

 

 頭部には、蜂の複眼を思わせる冷たい意匠。

 

 腹部には、共通のオルフェノクレスト。

 

 ホーネットオルフェノク。

 

 女王蜂ではない。

 

 群れを守る者でもない。

 

 命令を遂行する、冷たい執行者。

 

 ホーネットオルフェノクが地面を蹴った。

 

   *

 

 速い。

 

 愛衣のような獣の速さではない。

 

 琴音のような跳躍でもない。

 

 真咲の動きは、最短だった。

 

 直線。

 

 角度。

 

 急停止。

 

 刺突。

 

 蜂の針のような腕部装甲が、ファイズの胸元を狙う。

 

 ファイズは半身でかわす。

 

 火花が散る。

 

 真咲はすぐに次の動作へ移った。

 

 距離を取らせない。

 

 視界を塞ぐ。

 

 逃げ道を潰す。

 

 反撃の初動を読む。

 

 管理者である真咲は、他の六人の戦闘記録をすべて見てきた。

 

 ファイズの拳。

 

 蹴り。

 

 ファイズエッジ。

 

 クリムゾンスマッシュ。

 

 アクセルフォーム。

 

 すべて想定する。

 

 すべて対処する。

 

 そのはずだった。

 

 ファイズの拳が来る。

 

 真咲は避ける。

 

 蹴りが来る。

 

 翅を震わせ、横へ抜ける。

 

 ファイズエッジ。

 

 間合いを外す。

 

 ホーネットオルフェノクの針が、ファイズの肩に刺さる。

 

 火花が散った。

 

 浅い。

 

 装甲を貫くには足りない。

 

 真咲は即座に後退し、再度踏み込む。

 

 ファイズは無言だった。

 

 その沈黙が、真咲にはやりづらかった。

 

 愛衣なら笑った。

 

 琴音なら分析した。

 

 小春なら喜んだ。

 

 奈々なら諦めたように喋った。

 

 千尋なら優しく声をかけた。

 

 麗華なら見せつけるように語った。

 

 だがファイズは、何も言わない。

 

 真咲の職務に対して、返答しない。

 

 ただ、止める。

 

 ただ、倒す。

 

 それはある意味、真咲に似ていた。

 

 真咲は一瞬だけ、その考えを不要と判断して切り捨てた。

 

 再び踏み込む。

 

 ホーネットオルフェノクの翅が高速で震え、空気が鳴る。

 

 ファイズの背後へ回り込む。

 

 針を突き出す。

 

 ファイズが振り向く。

 

 読まれた。

 

 拳が腹部に入る。

 

 重い衝撃。

 

 真咲は後方へ飛ばされ、倉庫のシャッターへ叩きつけられた。

 

 装甲に亀裂が入る。

 

 だが、倒れない。

 

「損傷軽微」

 

 真咲は立ち上がる。

 

 声は冷静だった。

 

 冷静でなければならなかった。

 

「戦闘継続」

 

 ファイズがファイズフォンを操作した。

 

 電子音が鳴る。

 

 Complete.

 

 真咲の複眼が、わずかに揺れた。

 

 ファイズの姿が変わる。

 

 赤いラインが、加速のための輝きへ変わる。

 

 アクセルフォーム。

 

 記録上、最高警戒対象。

 

 真咲は即座に距離を取ろうとした。

 

 だが、遅かった。

 

 ファイズが消えた。

 

 いや。

 

 消えたように見えただけだ。

 

 一撃目。

 

 背後から、赤い光の衝撃がホーネットオルフェノクの身体を貫いた。

 

「ぐっ……」

 

 青い炎が、胸の奥で灯る。

 

 真咲は踏みとどまろうとした。

 

 速度差。

 

 追跡不可。

 

 回避困難。

 

 対処――

 

 二撃目。

 

 左側面から。

 

 身体が横へ弾かれる。

 

 肩の装甲が割れ、青い炎が噴き出す。

 

 その炎の向こうに、愛衣の笑い声がよぎった。

 

 命令違反ばかりだった。

 

 端末の通知を無視した。

 

 規定を軽く見た。

 

 でも、ラウンジに戻ると、いつも空気が少し明るくなった。

 

 三撃目。

 

 正面。

 

 ファイズの足が、ホーネットオルフェノクの胸部へ叩き込まれる。

 

 装甲が砕ける。

 

 内部から青い炎が裂けるように噴き出す。

 

 琴音が眼鏡を外す姿が見えた。

 

 冷静で、辛辣で、扱いにくかった。

 

 けれど、提出する資料はいつも正確だった。

 

 小春が手を擦り合わせる音が聞こえた。

 

 さらさら。

 

 さらさら。

 

 灰を見ている時だけ、本当に嬉しそうだった。

 

 四撃目。

 

 背後から。

 

 翅が砕けた。

 

 薄い蜂の翅が、青い火に包まれ、灰として散る。

 

 奈々が煙草を指で回していた。

 

 何もかも分かっているような顔で、真咲の言葉を面白がっていた。

 

 彼女がいなくなってから、ラウンジの夜は少し深くなった。

 

 千尋が、誰かの手を握ろうとしていた。

 

 優しすぎる危険性を、真咲は何度も指摘した。

 

 それでも、彼女の声があると、部屋はほんの少し柔らかくなった。

 

 五撃目。

 

 最後のクリムゾンスマッシュが、真咲の中心を貫いた。

 

 赤い衝撃が、これまで受けた四つの衝撃と重なった。

 

 世界が、一瞬だけ止まる。

 

 麗華が微笑んでいた。

 

 最後まで美しかった。

 

 自分の死すら舞台にした。

 

 理解できないはずだった。

 

 なのに。

 

 覚えている。

 

 六人の声を。

 

 六人の癖を。

 

 六人が空席になっていくたびに、ラウンジが広くなっていったことを。

 

 真咲は、その一瞬で理解した。

 

 管理していたのではない。

 

 記録していたのでもない。

 

 処理していたのでもない。

 

 見ていた。

 

 覚えていた。

 

 あの日々を、失っていた。

 

 NOCTURNEは職務だった。

 

 そのはずだった。

 

 けれど、職務だけではなかった。

 

「……みんな」

 

 声になったのかどうかも分からない。

 

 青い炎が、胸の奥で膨れ上がる。

 

 限界だった。

 

 ホーネットオルフェノクの肉体が、五つの衝撃に耐えきれず、内側から裂ける。

 

「いたんですね……」

 

 次の瞬間、青い炎が爆発した。

 

 胸から。

 

 背中から。

 

 肩から。

 

 腹部から。

 

 砕けた翅の根元から。

 

 炎は噴き出すのではなく、真咲の肉体そのものを内側から爆ぜさせた。

 

 鋭い節構造が一瞬で崩れる。

 

 腕の針が粉になる。

 

 脚部装甲が青い火の中で砕ける。

 

 頭部の複眼がひび割れ、その奥の光が消える。

 

 燃え尽きる時間さえなかった。

 

 上位個体として保っていた肉体が、限界を越えた瞬間、一気に灰へ変わった。

 

 榊原真咲は、青い爆炎の中で灰になった。

 

 港湾地区の夜に、灰が舞う。

 

 蜂の翅だった灰。

 

 針だった灰。

 

 スーツだった灰。

 

 職務だった灰。

 

 社員証が、灰の中へ落ちる。

 

 スマートブレイン社員。

 

 榊原真咲。

 

 その名前が印字されたカードの上に、管理者だった灰が静かに降り積もった。

 

 ファイズは、しばらくその場に立っていた。

 

 そこにはもう、NOCTURNEの構成員はいなかった。

 

   *

 

 スマートブレイン本社地下特別フロア。

 

 NOCTURNE専用ラウンジの照明は、自動で点灯した。

 

 定刻だった。

 

 会議開始予定時刻。

 

 だが、誰も来ない。

 

 黒川愛衣は来ない。

 

 篠原琴音は来ない。

 

 白石小春は来ない。

 

 霧崎奈々は来ない。

 

 水瀬千尋は来ない。

 

 羽鳥麗華は来ない。

 

 榊原真咲も来ない。

 

 七つの席は、すべて空いている。

 

 テーブルの中央に置かれた管理端末だけが、静かに起動した。

 

 真咲が送信予約していた報告書が、自動送信される。

 

 NOCTURNE最終報告。

 結成から約二年間、一定の成果を確認。

 使徒再生成功例、複数。

 対象処理および人間社会浸透任務、一定水準で達成。

 

 黒川愛衣の灰化以降、短期間で構成員六名を喪失。

 現在、残存構成員一名。

 

 榊原真咲。

 個体名:ホーネットオルフェノク。

 性質分類:職務。

 

 管理責任者として、NOCTURNE最終処理へ移行。

 

 本報告以降、一定時間内に更新がない場合、榊原真咲の灰化または行動不能と推定。

 灰化確認は、現場残滓および社員証照合により後続班が判断すること。

 

 その下には、自動追記された一文が表示された。

 

 一定時間内の更新なし。

 

 対象:榊原真咲。

 個体名:ホーネットオルフェノク。

 性質分類:職務。

 状態:行動不能または灰化と推定。

 

 残存構成員:零名。

 

 灰化確認:未了。

 

 備考:現場確認待ち。

 追記:なし。

 

 灰化確認、未了。

 

 最後まで記録してきた女の、自分自身の最後だけが、未完のまま残った。

 

 ラウンジには、静けさだけがある。

 

 誰かの笑い声もない。

 

 眼鏡を置く音もない。

 

 手を擦り合わせる音もない。

 

 煙草の匂いもない。

 

 優しい声もない。

 

 香水の残り香もない。

 

 端末を打つ指の音もない。

 

 ただ、七つの空席がある。

 

 テーブルの中央の端末が、最後の一覧を表示した。

 

 NOCTURNE構成員一覧。

 

 黒川愛衣:灰化確認。

 篠原琴音:灰化確認。

 白石小春:灰化確認。

 霧崎奈々:灰化確認。

 水瀬千尋:灰化確認。

 羽鳥麗華:灰化確認。

 榊原真咲:灰化確認、未了。

 

 NOCTURNE運用状況:終了。

 

 灰になるまで。

 

 彼女達は、人間の姿で生きた。

 

 怪物の姿で戦った。

 

 誰かを襲い、誰かを灰にし、成果を上げ、失敗し、そして自分達も灰になった。

 

 快楽も。

 

 理性も。

 

 狂気も。

 

 退廃も。

 

 救済も。

 

 栄華も。

 

 職務も。

 

 すべて、灰になった。

 

 照明が、少しだけ揺れる。

 

 誰もいないラウンジで、空調の風がテーブルの上を撫でた。

 

 灰はもう残っていない。

 

 けれど、そこに七人がいたことだけは、消えない。

 

 記録されなかった最後の一行の代わりに、静かな空席がそれを語っていた。

 

 NOCTURNEは、終わった。

 

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