「失礼します」
カラカラと立て付けの悪い扉を開ける。
部屋の中には1人の男と小学校の椅子と机。
男は手を椅子の方に向けると、にこりと笑った。
生徒用の椅子は相変わらず座り心地が悪い。
「それで、なんでしょうか、先生」
「その呼び方がいいならそうしようか、さて……君は今に満足しているかい?」
「随分抽象的な問いですね、答えるとすれば『している』の一言だけでしょうか」
しているはずだ。
就職活動からは逃げたが仕事にはしっかりつけている。
現状は不便も多いが時期に慣れるだろうし、出来ることもやれることも増えていくだろう。
「……ふむ、それなら今ここに君はいないはずだ」
「不思議なことを言うんですね」
「問いかけの方が面白いだろう? それともこのやり方は好みではなかったかい?」
「どちらでも構いませんよ」
そうかい……一言ぼやいてから先生は目を閉じた。
何を考えているのだろう。
「机の中は確認したかい?」
「いいえ、なにも……これは?」
「ふむ、太鼓のバチかな? 君は小学生の頃は太鼓を習っていたそうだね」
「眺めているようなものですよ、大声で騒いだり、遊び呆けてばかりで指導者には相当疎まれていましたね」
懐かしい感触だ、昔と違うのはバチを握った指に余裕があることだろうか。
「何か思い出したかい?」
「太鼓の発表会の時に妙に舞い上がって、ステージに忘れ物をしたのを思い出しました、あれはお気に入りだったからそのまま無くした時は相当凹みましたね」
先生はクスリと笑った。
太鼓とは少しズレた記憶だったからだろうか。
「それで……今とその時と変わったかい?」
「……何も変わってはないと思います」
体躯は成長で変わったといえるだろうが……飽き性でわがままなのは今と変わらない。
何度か手首を振ってみる。
……振り方は思い出せないがどういうリズムを打っていたかはぼやけて頭に浮かぶ。
「……もう何も思い出せないものかと思ってました」
「意外と残っているものさ、特に小さな頃にやったことは」
「目新しい物は覚えやすいとかそういうアレですか?」
「そういうアレだね、子供には派手に見えてかっこよかったんだろう、だから打ち方よりも打ってるリズムは覚えてるんだろう」
……年上の人は派手な衣装に声も張ってたからよく覚えていたのかもしれない。
バチをそっと机の中にしまう。
「もういいのかい?」
「いい思い出ばかりでもないですからね、結局迷惑かけてばかりだったから辞めさせられましたし」
瞬きをする。
座っている椅子と目の前の机が一回り大きくなった。
「今度は何が入っているかな」
「これは……卓球のラケット……」
部活か。
中学の三年の間だけ……なんなら勝ったわけじゃなかったから二年と少しか。
好きなことに熱中するようになったのはこれが1番初めな気がする。
まぁ終わる頃には嫌いになりそうだったけど。
「日本式ペンホルダーか、裏にも加工されてるね」
「えぇ、おかげで手本になってくれる先輩がいなくて苦労しました」
懐かしいと同時に……少し愛おしい。
無我夢中で打って声を出していたあの頃が浮かぶ。
「結局団体戦は一度も勝てませんでしたけど」
「個人戦は勝てたのかい?」
「えぇ、まぁ所詮地元の下の中ぐらいだと思いますけどね」
同期の一人は強かった。
多分嫌いになり始めた原因はこいつだった気がする。
初めは良きライバルかと思ってたけど、同じ努力量でも追いつかなくなっていく背中にやきもきしてたことは覚えてる。
「後輩も強かったですから……自分よりも」
先輩の代は恵まれていた、という言い方は僻みだろうな。
強豪なんて言われてたのに自分達の代で落ちぶれた。
まともな後進は同期の一人だけ。
後輩は指導者にも恵まれてイキイキとしてた。
「自分じゃなくてもなんて何度も思いましたから」
「でも終わりまでは辞めなかったのはなんでだい?」
「……意地ですかね? ここまでやってやめたらここまでやった自分を裏切りのが嫌、みたいな」
多分そういう考えをしだしたのはここからかもしれない。
見限られたくない、捨てられたくない、裏切りたくない。
前を向いて進むのは苦手だけど後ろをみて立ち止まらないのは得意だ。
……ラケットを机に戻す、もういいだろう。
「早いね、好きなんじゃなかったのかい?」
「好きだから苦い思い出の方が多いんですよ、振り返るのが嫌になることも」
「なら進もう、前を向いてね」
机も椅子も見た目は変わらない。
……机の中には何もない。
「場所を変えようか、ここじゃない場所だ」
扉はスムーズに開く、公立校は備品がボロいなんてのはよくあると思っていた。
横並びに白いパソコンが並んでいる。
どれもこれも動いていて2Dのキャラが動いていたり、パワーポイントやエクセルが起動している。
自分の席には……画面が真っ黒なままのパソコンが一つ。
「立ち上げないのかい?」
「中には何もありませんから」
……念の為なんて思ってパソコンを立ち上げる。
初期のままのホーム画面にポツリとファイルが一つだけ。
ファイル名は『友達』、ふざけた名前だが大切なファイルだ。
「パソコン部だったのにこれだけか」
「やっぱりそうなりますよね、自分でもそう思います」
隣のパソコンのファイルは『勉強』『部活』『友達』……多くのファイルが並んでいた。
パソコンによっては画面がファイルで埋まっている。
「自分はここの高校に入りたくなかったんですよね」
「……ここは公立校で、すごい! とまではいかなくても中堅は間違いなくある学校なのにか?」
「友達がいませんでしたから、一緒に受けた友達が」
中学から高校の受験で、同じところを目指した人は二人いたけど……二人共私立の方に行ってしまった。
本音を言うならここに来たくはなかった、遠いのも面倒だったし。
「まぁここでの出会いも悪くないから唯一のファイルが友達なのかもしれませんけど」
好きなこと以外に打ち込めないのを自覚したのはここが一番大きかった気がする、何をするにも億劫だったから。
「授業とか何一つとして覚えてないですからね、卒業できたのは今でも不思議ですよ」
「そいつは笑えるけど笑えないな、先生としては」
「……呼び方がそうなだけでしょうに」
再び黒くなった画面にはニコリとも笑っていない自分の顔が写っていた。
やる気のなさそうな顔だ、せめてやる気があったらここまでの馬鹿ではなかったかもしれない。
……いや、変わらないか。
「さ、これで最後になるかな」
「黒いパソコン、えぇ、最後になりますね」
ノートパソコンを開くと小説のサイトと授業が半々に映し出されている。
「今思うとこの授業もまともに聞いてませんでしたね」
「ITなんて覚えておけばどこでも使えたろうな」
「今の職業にも使えるものもありましたからね」
パソコンの隣に山積みになっていた資料をパラパラと開いて……ゴミ箱に捨てる。
「捨てて何かわかったかい?」
「何も」
パソコンに向き合ってカタカタとひたすら文字の羅列を打ち込んでいく。
同じ意味の言葉や意味のない造語も並べて、消して、並べて、消して。
終わりがなさそうに見える。
「熱意だけでは出来上がらないよ」
「よく分かってますけど、このやり方しかできないし知りませんから」
「案外学ぶつもりがないだけかもしれないがね」
書き上げて投稿する……瞬間に全てが真っ白になった。
最後に書いたのはいつだったろうか。
「さて……答えは出たかい?」
「正直なところはまだですね」
満足している……気がするが、ここに戻ってきたのはそういうことなのかもしれないし。
「それで、先生はなんなんですかね?」
「それは君が決めることだ、問答の相手か? 思い人か? 仇か?」
「哲学は好きですけど答えがないのは苦手ですね」
「また見つければいいさ、まだ終わらないんだろう?」
「はい、もう少しは頑張りたいと思ってますから」
「……ここに戻ってくる時は土産話を頼むよ」
扉は随分と重いような気がした。