あの日もまた、今日同様に月が綺麗だった。
慌ただしい新生活が落ち着きはじめる五月頃。この時期の流行り病たる五月病に罹患していた俺は、講義をサボり家でだらけてネットサーフィンに興じていた。SNSを開いてスクロールを繰り返したり、適当な動画を視聴したり。
俺がVtuber『微忘ルナ』の事を知ったのは、そんなときだった。
偶然流れてきた『#Vtuberはじめました』というハッシュタグがついた発信。このハッシュタグ自体は、企業勢や個人勢問わず新人Vtuberが宣伝する際によく多用するものだ。当時まだデビューすらしてない準備中Vtuberだった彼女もまた、それを付けて宣伝活動に勤しんでいた。
――新人なのに、頑張ってるんだなぁ。
最新の呟きを見て、そう思った。
俺は普段、個人勢の配信はあまり見ない。大手企業所属Vtuberとコラボできるレベルの、面白さとアバターの質でいえば企業勢と変わらないような活動者はたまに見る。しかし、彼女のようないかにも垢抜けない――「配信の設定、これで合ってるのかなぁ?」と、かまととではなく本気で悩んで試行錯誤しているまさに新人感があるVtuberのことはあまり知らなかった。
――ちょっとだけ気になる。
――一応、フォローだけするか。
軽い気持ちで俺は、微忘ルナのSNSをフォローした。
すると、微忘ルナから反応が返ってきた。
【クロバナ様、はじめまして!】
【フォローありがとうございます】
吃驚した。
まさかVtuberからメッセージを送られるなんて。
もちろん宣伝行為だと理解していた。デビュー前から注目を浴びる大手企業勢とは違い、彼女はだれも関心を寄せない新人個人勢である。ゼロからリスナーを募る為にはこういう地道な営業努力が必要なんだろう。世知辛い裏事情を察すると驚きも冷めるがそれはそれとして、新人なりに頑張ってるんだなぁ、と感心した。
俺は返信する。
【ご丁寧にありがとうございます】
【初配信、応援してます】
必要最低限の言葉だけ送った。
暫くすると、また返信が来た。
【嬉しいです!】
【その、なにぶん素人ゆえ、ご期待に沿えるかわかりませんが……】
【ルナ、一生懸命がんばりますね!】
若々しい素直な反応。我ながらチョロいと思うが無意識に口角が緩んだ。明日の予定が空いている事を確認して「明日の初配信ぜったいに見に行こう!」と、俺は心に決めた。
翌日。予告通り月がうっすら見える夕方に、微忘ルナの初配信が開始された。
待機画面から、本配信に切り替わり……。
微忘ルナのアバターが姿を現す。
「はじめまして。微忘ルナ、と言います」
改めて俺はその姿をまじまじと見た。
夜を吸ったような濃い黒髪。皓々と輝く明月のようなやや白帯びた金眼。露出を抑えた上品な漆黒の
全体的に自作感漂うアバター。だが細部をよく見ると、手が込んでそうなこだわりがいくつも発見できた。挙動にすこし違和感はあるけど、まあ個人勢だしそこはご愛嬌なんだろう。
挨拶は程々に。
微忘ルナは次々と自己紹介を進めた。
「ルナは、月のお城に住むお姫様なんです。配信を始めた理由は、暇で暇で仕方がなかったから……。月の世界って、娯楽がないので」
最初は滞りない進行だった。たぶん台本があるんだろう。
設定や今後の配信活動のことを話した後。微忘ルナはまるで台本内容が尽きたかのように、急に「えっと、その……」と歯切り悪い口調になった。そして、次の話題に悩んで暫く無言になった後。微忘ルナはふと思いついたように、
「――そうだ。なにか、質問ありますか?」
コメント欄に向けてそんな言葉を投げかけた。
質問と言われても。
急に頼られた俺達……。
うーんと唸り質問内容を考える。そして普通すぎる質問と思いつつ、かたかたとキーボードを叩いてコメントを送信した。
【好きなゲームありますか?】
質問を確認したとき。
微忘ルナは「……ぁ」となぜか小さな声を漏らした。
「クロバナ様、ご質問ありがとうございます! はい、好きなゲームですね。ルナはその、【フェアリー・スカイ】というゲームが大好きで――」
まるで水を得た魚。微忘ルナははきはきと語り始めた。
俺は「よくこんな話題で、何分も喋れるなぁ」とちょっと嬉しい気分になった。普段はロム勢で、配信を観てもコメントを書き込まない俺である。性格的に自己主張が好きなタイプじゃないから、今まではペンライトを振り回し声援を飛ばす人達の陰に隠れて、観客席の隅でひっそりと応援してたけど……。自分のコメントひとつで喜んでいる彼女の姿を見ていたら、これまでのスタンスを曲げて、積極的に応援したくなる。
「他にもなにかありますか? ルナに答えられる範囲であればなんでも答えます。お時間があるならぜひ気軽に、コメント打ってください!」
【そう? だったら――】
水を差し向けられて俺は続々とコメントを書き込んだ。困られるような事は嫌だったから、少しづつ間合いを測り素朴な事から。微忘ルナもまた喜んでいた。律儀にぜんぶコメントを拾ってくれて話題を展開してくれた。
そんな感じに配信が続いていき……。
月影がますます濃くなった頃。
微忘ルナは「さて……」と一息吐いた。
「そろそろ配信終わりにします。たくさん話せて楽しかったぁ」
緊張が解れた柔らかい口調で彼女は告げた。同様に俺も【お疲れ様でした! 楽しかった!】と、やや肩の力が抜けた気軽さで返事する。
配信画面が暗転して、微忘ルナの姿が消えた。
それを確認して俺は、使い古した軋む椅子に凭れ掛かった。背筋を伸ばして「いやぁ良かったなぁ」と、午睡のような心地良い余韻に浸る。
――そして数分後。
微忘ルナからDMが来た。
【突然申し訳ありません】
【先程配信に来ていただいたクロバナ様のアカウントで合ってますよね?】
俺は吃驚して椅子から転げ落ちた。いたた、とぶつけた頭を擦る。
――どうして俺にDMを? もしかしてさっきの配信のコメントで、なにか悪い事言っちゃってたかな。
厳かな雰囲気を察して不安になった。
返信を躊躇いしばらく経つと、微忘ルナから追加でまたメッセージを送られた。
【急に驚かせてしまい申し訳ありません。でも変な事じゃないんです。ただその、お礼を言い忘れたな、と思って】
【お礼? なんのことですか】
【最後まで配信視聴してくれたこと。それと、何度もコメントしてくれた事です】
俺は怪訝に眉を顰めた。確かに最初から最後まで配信観ていたし途中からコメントも打ってたけど、わざわざ個別でお礼を言われるような事ではない。
そう思っているんだが……。
【ルナ、実はちょっと困ってたんです】
彼女からしたら、また違う様子。
【配信始めてもまったく同接数が増えない。そしてコメントも。……そんな状況が続いていたから、やっぱりその、ちょっと喋りづらかったんです】
まあ確かに。数字の事を言うのは野暮かな、と思いあえてスルーしていたが……はっきり言って彼女の記念すべき初配信は、
具体的にいえば、同接数は常に一桁。
コメント欄に関しては俺が書き込む以前は、無地のキャンパスのように真っ白。
とはいえ。これはしょうがない事ではある。
なにせVtuber界隈は『寡占市場』――大手企業に属する一部の企業勢Vtuberが、界隈の視聴者の母数の大部分を支配している市場である。だから逆に、それ以外のVtuber。零細企業勢や個人勢などは、いざ配信活動を始めてもなかなか注目を集めにくい界隈構造になっているのだ。
界隈の暗黙の了解として、そういう世知辛い事情は誰もが知っている。だから俺も配信中はそういうものとしてスルーして、純粋に彼女との交流を楽しんでいたわけだが……。まあVtuberも人間なんだし、数字が悪いと落ち込むよな。まして彼女は今日が初配信である。
【あんまり気にしなくていいと思います!】
【少なくとも自分は、すっごい楽しかった!】
俺はそんな返信を送った。気恥ずかしいが称賛は素直に言うべきだ。
既読だけ付いて暫く時間経過した後――【ありがとうございます! ほんとうに、ルナみたいな個人勢からしたら、そういう言葉がとても嬉しくて――】と、全力で喜びを表現するような長文を送られた。不思議な気分である。配信の時も思ったが、こちら以上に彼女が言葉を尽くしてくれる。
【改めて配信観に来てくれてありがとうございました!】
【ぜひまた立ち寄ってください!】
微忘ルナは軽く宣伝する。【はい!!】と、俺は強めに返事して……。
それでやりとりは終了。
☆
俺は椅子に凭れ掛かり、ふぅ、と息を吐いた。Vtuberさんとのやりとりで緊張したせいか、胸の鼓動がばくばくと煩い。
無意識に俺は、
「……うん。いいな、この子」
と呟いた。もちろん、微忘ルナの事である。
素人目でも未熟さは多々目立つ。現状の印象は『真面目そう』の一言しか無い平凡なVtuber。だけど普段、既に完成されている有名Vtuberしか追わない俺的には、そういう未熟さもまた新鮮に感じて応援したくなった。
例えるなら、そう。
誰もいない真冬の郊外。
極寒さながら過酷な環境で路上ライブする少女に出会い、その健気さに心打たれたような……。そんな感覚が俺の胸中で去来していた。
――次の配信、絶対に観に行こう。
そんな決意を抱いて、俺は微忘ルナのチャンネルを登録した。