まごころを、ぼくに   作:赤坂緑語

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使徒と陰謀

 

今日のNERV本部発令所は少し騒がしかった。

この施設を支えるスーパーコンピューターMAGIの定期診察の為である。

 

技術部の面々が画面と向き合いながら必死にキーボードを叩く中、「お疲れ様!」と気さくな様子で作戦課の課長である葛城ミサトが現れた。

 

「MAGIの診察は終わった?」

「大体ね。約束通り、今日のテストには間に合わせたわよ」

「流石はリツコ。頼りになるわね。はい、これ差し入れ」

「あら、ありがとう。気が利くわね」

 

一口サイズの食べやすいシュークリームセットと、ポッドに入れた熱々のコーヒーに紙コップという差し入れに目を輝かせるリツコ。

隠しているようだが、キーボードを叩いているマヤも興味津々のようだ。

 

アスカの住居確保や、四号機獲得の為に色んな所へ顔を出し、キーパーソンを懐柔してきたミサト流の気遣いである。

 

『MAGIシステム。3基とも自己診断モードに入りました』

『第127次定期検診異常なし』

『了解。お疲れ様。みんな、テスト開始まで休んでちょうだい』

 

責任者である赤木博士の言葉を受け、職員たちは一気に肩の力を抜いた。

 

「あっ、リツコ。ちょっとマイク借りていい?」

「どうぞ」

 

発令所用のマイクを借り受けたミサトは、意識して明るい声で技術部の面々に告げる。

 

『えー、技術部の皆さんお疲れ様! 葛城ミサトでーす! 作戦課から差し入れ用意しといたから、みんなで分け合ってね~』

 

技術部の面々が目を丸くする中、さらに大量のシュークリームセットを抱えた日向と青葉が扉から現れた。

どうやらリツコとマヤの分だけではなく、技術部全員分を取り揃えていたらしい。

 

予期せぬ差し入れ――それも頭脳労働で疲れ、糖分を欲しているところにちょうど欲しいものを用意してくれたという段取りの良さに、職員たちは一斉に笑顔になった。

 

「……相変わらず抜け目ないわね、ミサト」

「技術部にはいつもお世話になっているからね。当然のことよ」

 

そう言いながら、ミサトはお礼を言いに来る技術部の職員たちに笑顔で接している。

冷徹で職員たちから恐れられているミサトではあるが、偶に見せるこういった気遣いがその求心力を維持しているのは間違いない。

 

(つくづく侮れないわね……技術部がミサトに乗っ取られるのも時間の問題かしら)

 

すっかり懐柔されてしまった様子のマヤを見ながら、リツコは覚醒した親友の底知れぬポテンシャルに内心戦慄していた。

 

 

 

順調にMAGIの診察が終わったこともあり、予定通りに実施されることになったテストだが――

 

「えぇ~! また脱ぐのぉ?」

 

チルドレンたちがいるボックス内に甲高いアスカの悲鳴が響いた。

リツコは淡々とマイク越しに説明する。

 

『ここから先は超クリーンルームですからね。さらに洗浄工程が待っているわ。悪いけど、我慢して頂戴』

「……まぁ、仕事だから我慢するけどさぁ」

 

駄々をこねるアスカだが、これが彼女1人に対して実施される内容であれば、こうなってはいなかった。

彼女が顔を赤くしながら抗議している理由はただ一つ。

 

「いやぁ、開放感があるね」

「……アンタはもうちょっと恥じらいってもんを持ちなさいよ」

 

隣の部屋でシンジ少年も同じ目に遭っているからだった。

自分に自信がある彼のことだ。全然恥ずかしがる様子を見せずにパッと服を脱いでいるに違いない。

 

今頃彼は、彼女の隣で全裸――

 

想像してしまったアスカは顔を赤くして俯いた。

水着姿は目にしたが、思春期には色々と酷な仕打ちである。

 

『アスカ。悪いけど、実験のスケジュールや費用上、どうしても一緒に移動してもらうしかないのよ。もうちょっと我慢して頂戴』

「……ミサトがそういうなら」

 

渋々といった感じで黙り込むアスカ。

 

その後、計17回の洗浄工程を経てエヴァのパイロット3名はようやく実験の準備を終えた。

ピッカピカの状態で出荷された3名はその後、実験用のエントリープラグまで遮るものがない廊下を全裸で移動する予定だったのだが――

 

「――ねぇ、リツコ。うちの子たちに何させるつもり?」

 

予め実験内容に目を通していたミサトがブチ切れたことにより、急遽お互いの視線を遮るための壁が用意されていた。

後にリツコは述懐する。

 

“あの時のミサトはマジで怖かった”と。

 

やっぱり葛城ミサトに逆らうべからず。

赤木リツコは、順調に親友への恐怖心を肥大させていた。

 

 

 

 

「各パイロット。エントリー準備完了しました」

「テストスタートします。オートパイロット記憶開始」

 

プラグスーツの補助なしで直接肉体からハーモニクスを行う実験。

その経過は概ね順調だった。

 

「システムを模擬体と接続します」

「シミュレーションプラグ。MAGIの制御下に入りました」

 

定期診察を終えたNERVを支えるスーパーコンピューター、MAGIが躍動する。

人間には不可能な演算速度でデータが回収されていく様は、そういった分野に詳しくないミサトから見ても圧巻であった。

 

「みんな、調子はどう?」

『うーん、いつもと違う感じがします』

『感覚がおかしいわ。右腕だけハッキリして、あとはボヤけた感じ』

『何か違うわ』

 

左から初号機、弐号機、四号機と並ぶ中、各パイロットたちが各々の所感を述べる。

ちなみに、並び順はエヴァの製造順に並べているだけで特別な意図はない。

 

「そう……シンジ君。右手を動かすイメージをしてみて」

『了解』

 

アスカの具体的な感想を元に、更なるデータを回収しようと左端の模擬体にいるシンジ少年へリツコが命じる。

淡々と従うシンジ少年がいつもエヴァに乗る時のように右手を動かすイメージをした。

微かに動く模擬体の右手。

 

「データ収集、順調です」

「問題はないようね。MAGIを通常に戻して」

「MAGIか。改めて凄いマシーンね」

 

ジレンマを抱える超スーパーコンピューター。

よくできたシステムに感嘆するミサト。

 

「私が造ったわけではないけどね」

「知ってるわよ。リツコのお母さんでしょ?」

「……よくご存じで」

「最近、色々とここのことを調べ始めたからね」

「あら。NERVのことが信用ならないの?」

「逆に聞くけどリツコ。貴女はNERVを信用しているの?」

「……」

 

ミサトの鋭い視線がリツコを射抜く。

信用も何も、NERVの闇の一端を担っているのは他ならぬ彼女だ。

その秘密がバレた時、ミサトはどうするのだろうか。

もしその秘密が子供たちに危険を及ぼすと知った時、彼女は――

 

「赤木博士」

「どうしたの? マヤ」

 

小声で囁き合い、睨み合いをするNERVの女傑2人。

その嫌な空気を断ち切るようにマヤが受話器片手に声を上げた。

 

「発令所から連絡です。どうやら、この上のタンパク壁で侵食が発見されたらしいとのことです」

「参ったわね……テストに支障は?」

「今のところはありません」

「では続けて。このテストをおいそれと中断するわけにはいかないわ。碇司令もうるさいし」

 

意識を切り替えたリツコは白衣に両手を突っ込みながら、実験へ集中することにした。

ミサトも今はそれ以上追及するつもりはないのか、大人しく実験を見守る。

 

「シミュレーションプラグを模擬体経由でエヴァ本体と接続します」

「エヴァ初号機。コンタクト確認」

「ATフィールド。出力2ヨクトで発生します」

 

微小のATフィールドが格納されているエヴァ初号機に生じる。

その瞬間のことであった。

館内に鳴り響く警告音。

 

「なにごと?」

「シグマユニットAフロアに汚染警告発令!」

「第87タンパク壁が劣化。発熱しています!」

「第6パイプにも異常発生!」

「タンパク壁の侵食部が増殖しています! 爆発的スピードです!」

 

ただごとではない。

赤木博士はすぐに決断した。

 

「実験中止! 第6パイプを緊急閉鎖!」

 

迅速な対応が実施される。

だが、ほんの少しだけ遅かった。

 

「ダメです! 侵食は壁伝いに侵攻しています!」

「ポリソーム用意!」

 

異常な状況ではあるが、明晰な頭脳と冷静な判断能力で赤木博士が指示を出す。

 

「レーザー出力最大! 侵入と同時に発射!」

 

侵食に備えてスタンバイするレーザー機器たち。

後手に回っているが、撃退の準備は十分。

皆が固唾を飲んで見守る中、敵は予想外の場所から責めてきた。

 

『うぅ……うあぁッ‼』

「シンちゃん⁉」

 

突如発せられたシンジ少年の悲鳴。

第5使徒にレーザーで焼かれながらも根性で耐え抜いていた彼が、苦悶の声をあげている。

 

『シンジ! 大丈夫⁉』

『ミサトさん。碇君になにが――』

 

皆の顔が一斉に青ざめる中、状況はさらに悪化する。

 

「侵食部さらに増大! 模擬体の下垂システムを侵しています!」

『うぅ……』

 

硝子を隔てた向こう側では、初号機の模擬体が何かに耐えるように震えている。

 

「シンちゃん! 一体何が起こっているの⁉」

『わ、分からない……なんか、変なものに乗っ取られているような……身体の自由が効かないんだ』

 

未知の感覚に苦しみながらも、状況を端的に伝えるシンジ少年。

 

『ごめん……ちょっと、耐えられないかも……!』

 

我慢強く、ポジティブで、諦めることを知らない少年が早々にギブアップを宣言している。

それが一体どういうことなのか。

事態を重く見たミサトは即座に進言する。

 

「全模擬体のシミュレーションプラグを射出しなさいッ!」

 

鬼の形相で指示された局員が反射的にボタンを押そうとする。

 

『ダメだ! ミサト! 逃げて!』

 

その瞬間のことであった。

無理やり拘束具を破壊した模擬体の右腕が、ミサトたちがいる実験室目掛けて襲い掛かって来た。

 

(まずい……!)

 

反射的に動いた赤木リツコが緊急用のレバーを引き、外部操作で模擬体の腕部を引きちぎる。接近間近だった巨大な右腕は、彼女の英断で硝子を叩き割る直前で静止した。

それでも、頑丈な硝子に亀裂を入れてしまうほどの衝撃はあったが。

 

『うぐっ……!』

 

突如右腕を切断されたシンジ少年が激痛に耐える声が響く。

 

「全プラグの緊急射出急いで!」

 

愛する少年の苦痛を想像し、唇を噛み締めながら激昂したミサトが指示する。

緊急手順により、模擬体から引き抜かれたシミュレーションプラグが外部へと射出された。

 

ホッと一息つく間もなく、続けて赤木博士が命令する。

 

「レーザー射出!」

 

発射されたレーザーが異常部へ殺到する。

ただならぬ出来事の連続に皆が警戒を続ける中、遂に異常事態の正体が明らかとなった。

レーザーを弾く、謎の障壁。

 

「ATフィールド……まさか!」

「間違いないわ。パターン青、使徒よ!」

 

史上初の使徒NERV本部内への侵入。

 

今、前代未聞の使徒との戦いの幕が上がった。

 

 

 

 

「状況を整理しよう」

 

厳かな態度でそう言うのは碇ゲンドウである。

 

使徒侵入という緊急事態に動じた様子はない。

寧ろ、この中で一番落ち着いた様子だ。

 

状況を把握した瞬間にエヴァ全機の隔離とセントラルドグマの切り離しを実行させ、さらに使徒侵入の事実が外部に漏れないように工作まで指示させた判断の速さは流石、最高司令官というべきか。

 

だが、気になる点もある。

 

腹心の部下である日向から報告を受けていたミサトは、碇ゲンドウが地上へ逃がすエヴァの中で初号機を最優先にしていたという話を聞いていた。

他の2機は犠牲にしても構わないとまで言い切って。

 

(どうして? どうしてそこまで頑なに初号機を守ろうとするの? もう一番古い型式だというのに……)

 

最初は彼なりに息子のことを心配しているのかと思った。

だが、真に息子のことを思うのであれば、そもそもエヴァには乗せようとしないはずだ。

 

(なにを考えているの……?)

 

ミサトが感情を覆い隠すサングラスの向こうにいる彼の思惑を探ろうとする中、ゲンドウは淡々と起きた事象を口にする。

 

当初、弱点であると目されていたオゾンによる撃退を試みたこと。

あっという間にオゾンへの耐性を身に着けることで克服され、それどころか逆にオゾンを吸収することで自己増殖されたこと。

 

さらに勢いそのままにNERVのサブコンピューター内に侵入され、メインバンクを介してMAGIシステムへの侵入を開始。

I/Oシステムのダウンも効かずMELCHIORに侵入を許し、自爆決議を実行されたこと。

 

「赤木博士の英断により、ロジックモードをシンクロコード15秒単位にする事で演算速度を低下させるも、我々に残された時間はあと2時間足らず。この認識に問題はなかったか?」

「……はい。碇司令にご説明頂いた通りです」

 

唇を噛み締めながら頷く赤木博士。

彼に褒められたこともプラスにならないほど、彼女は落ち込んでいた。

彼女自身は刻々と変化する状況の中、柔軟に対応していたと言えるが、それ以上に使徒が乗っ取ったMAGIにこそ彼女の思い入れはある。

 

亡き母への、複雑な思いが。

 

だからこそ、リツコは今回の件は自分で片を付けるべきと考えていた。

 

「私から一つ、提案があります」

「なんだね」

「今回の使徒は、進化し続ける群体です。異常な速度の進化ですが……それを逆手に取ります」

 

嘗て大学で勉学に励んでいた知識人でもある碇ゲンドウは、すぐに彼女の目論見を悟った。

 

「進化の促進かね?」

「はい」

「進化の終着地点は自滅……死、そのものだ」

「ならば、進化をこちらで促進させてやればいいわけか」

 

同じく、大学で教授をしていたという異色の経歴を持つ冬月副司令もまた、すぐに作戦の意図を理解した。

 

「使徒が死の効率的な回避を考えれば、MAGIとの共生を選択するかもしれません」

「でも、どうやって……」

「目標がコンピューターそのものなら、カスパーを使徒に直結。逆ハックを仕掛けて自滅促進プログラムを送り込むことができますが……」

「同時に使徒に対して防壁を開放することにもなります」

「カスパーが速いか、使徒が速いか。勝負だな」

「はい」

 

流石は世界最高峰のインテリ集団というべきか。

アプローチ方法さえ決まればとんとん拍子に作戦が決まっていく。

あまりそちらの分野に詳しくないミサトは、今回は大人しくリツコたちに任せようと一歩引いた。

 

その胸に、碇ゲンドウへの疑念を抱えながら。

 

 

 

 

「驚きね。こんな場所があったなんて」

「MAGIの内部を見る機会なんて、滅多にないものね」

 

秘匿されていたMAGIの格納エリアを開放した赤木博士は、助手としてマヤ(と何故か後ろからついてきたミサト)を引き連れて自爆促進プログラムを造り上げようとしていた。

 

時間には一刻の猶予もない。

赤木博士たちはすぐに行動を開始した。

 

「レンチ取って」

「はいよ」

 

手際よくマヤがMAGIの外側でキーボードを叩く中、リツコは新たな助手としてミサトをこき使いながらMAGIの最深部に触れるべく、邪魔な部分の解体を進めていく。

 

「……大学の頃を思い出すわね」

 

夢中で機械と向き合う赤木リツコの姿を前に、懐かしい思いになったミサトがそんなことを言った。

 

「そうね。あの頃から随分と時が経ったけど、やっていることは変わらないとは……私も大して成長してないってことかしらね」

「そんなことはないんじゃない? リツコ、大人になったじゃない」

「どうだか……25番のボードを取って」

「はい」

 

思い出に浸るような会話をしながらも作業する手は止まらない。

ミサトも手際よく要求されたものを手渡していく。

 

「大人になったのはミサトの方でしょう? やっぱり子供がいると女は成長するものなのかしら」

「どうかしらね……ただ、あの子たちを見ていると色々勉強になることは確かね。特に、私は青春時代を無駄にしていたから、こんな感じなんだって参考になるわ」

 

生きる屍だったミサトの過去を知るリツコ。

保護者としての責任感だけではなく、彼女なりに色々と思うところがあるらしい。

 

「リツコはどうなの? 男、いるの? 結婚は? 子供は?」

「自分の話はしない主義なの。面白くないもの」

「え~、教えなさいよ。暇だし」

 

じゃあ、外で待っていろよと思うが、どうせミサトのことだからあれこれ理由をつけてここに居残るだろう。

渋々、工具を片手に彼女は口を開いた。

 

「結婚とか、子供とか、そういうのは考えてないわ。忙しいもの」

「男は否定しないのね」

「……」

 

手にある電動のこぎりでニマニマと笑う悪友を真っ二つにしたい衝動に襲われるが、戦闘力でミサトに勝てるわけもないので、仕方なくその怒りをカスパーにぶつける。

 

「しっかし、意外だったわ。リツコに男がいるなんて」

「私もいい歳なのよ。別におかしなことじゃないでしょ?」

「そう? まだまだ私たち若いじゃない」

「ポジティブねぇ……シンジ君みたい」

「褒めても何も出ないわよ」

「褒めてないわよ」

 

本当にそっくりね、良くも悪くも。

リツコは頭痛の種である少年を思い出しながら溜息をつく。

 

「どんな人なの?」

「言ったでしょ。自分の話はしない主義なの」

「えぇ? ケチねぇ……ま、結婚式には呼んで頂戴な。盛大に祝って挙げるから」

「……多分、結婚はないから安心していいわよ」

「どういう意味よ? 甲斐性なしの男なわけ?」

「そういうのに興味ない人なのよ」

 

多分、あの人は自分と結婚することはないだろうとリツコは割り切っていた。

いや、正確には割り切ったふりをしていた。

そうじゃないと、心が耐えられそうになかったから。

 

「ふーん……なんか、思ったよりも複雑な恋愛してるのね。ますます意外だわ。リツコはそこら辺、サバサバしてそうだったから」

「そう? でも、こういうのはロジックではないでしょう?」

 

(ねぇ、母さん)

 

遂にご対面となった母の人格を移植したカスパーの脳ともいうべき箇所に心の中で問い掛ける。

もちろん、返事はなかった。

 

「そういう貴女はどうなのよ。加持君からアプローチ掛けられているんじゃないの?」

「加持君? あー、いい人だとは思うんだけどね」

 

完全に脈がない時の言い方だった。

興味がないと言い換えてもいい。

 

内心で旧友に同情しつつ、リツコはテキパキと作業を進めていく。

 

「じゃあ、肝心のリツコの彼がそんな感じだから、子供にも興味がないってわけ?」

「子供を産んで育てることだけが女の幸せってわけでもないでしょう?」

「それはそうだけど……」

 

現在進行形で子供たちに幸せを感じているミサトが複雑そうな表情で頷く。

価値観は人それぞれだ。

そう考える人もいるだろう。

 

「でしょう? それに私に子供は向いてないわ」

「そうかしら? 案外、向いてるかもよ」

 

優しい笑顔でそういうミサト。

彼女なりに心配してくれていることはリツコにも伝わっている。

だが――

 

「……ミサト、調べたのなら知っているでしょう? このMAGIの正体を」

「人格移植OSのこと?」

「そう」

 

自分の目の前にいる母の人格を移植したMAGIの脳みそを前に、リツコは嘗ての記憶を思い出す。

 

「……死ぬ前の晩、母さんが言っていたわ。MAGIは3人の自分なんだって。科学者としての自分、母としての自分、女としての自分。その3人がせめぎ合っているのがMAGIなのよ。人の持つジレンマをわざと残したのね」

「……」

「実はプログラムを微妙に変えているのよ。私には最後まで母としての母さんが分からなかったから。そして、これから先も分かる気がしないわ」

「……苦手だったの? お母さんのこと」

「そうね……あまり好きではなかったわ。でも――」

 

あまりにもミサトの声が優しいからか、リツコはポロっと本心を漏らした。

 

「母さんのこと、好きになりたかった」

 

言ってから、ハッと目を見開く。

どうしてこんなことを言ったのか。

自分が信じられない様子のリツコ。

 

そんな親友の様子が妙に可愛くて、ミサトはそっと彼女の頭を撫でた。

 

「……なによ。私の母親役も兼任するつもり?」

「まさか。ただ、最近こういうスキンシップをする機会が増えてね。リツコにも幸せのおすそ分けよ」

「……」

 

リツコは憤然とした表情でキーボードを叩き続ける。

だが、アスカでツンデレの扱い方になれたミサトは、彼女が本気で嫌がっているわけではないことを察していた。

 

「ところで、このカスパーはリツコのお母さんのどの側面にあたるの?」

「女としてのパターンよ。……これが最後の砦になるあたり、実に母さんらしいわ。女としての自分を最後まで守るつもりなのね」

「女として、か」

 

科学者としてではなく、母親としてではなく、最期に守る矜持が女としての自分とは。

シンジ少年とアスカを心から愛するミサトには少し理解に苦しむ価値観だ。

 

「だから不安なの? ちゃんとした母親になれるかどうか分からないから」

「そうね……そうかもしれないわ。親子って嫌でも似るって言うじゃない? 私は、母さんのようにはなりたくない」

 

親子は嫌でも似る。

それは、ミサトにも心当たりがある話であった。

嘗てのミサトは父に囚われていて、そして父と同じ道を辿ろうとしていた。

 

だからこそ分かる。

 

(リツコは、お母さんに囚われているのね)

 

高名な科学者であったという赤木ナオコ。

娘に十分な愛情を与えられなかった赤木ナオコ。

そして、カスパーについて話していた時に垣間見えた“女”としての赤木ナオコ。

 

リツコはいつだって彼女の影に悩まされてきたのだろう。

どこに行っても彼女の名前がある。

彼女の存在の痕跡がある。

 

それは、嘗ての葛城ミサトとよく似た状況だった。

 

「ねぇ、リツコ」

「ん?」

「私、貴女のこと大事な友達だと思ってるわ」

「……どうしたのよ急に。朝ドラごっこでも始めるつもり?」

「いいえ。ただ、伝えておきたかったの。貴女と仲良くなったのは、赤木ナオコ博士は関係ないってこと」

 

そういえば、そうだった。

出会った時から、ミサトはリツコの母親のことなど一切気にしていなかった。

あまりにも高名な赤木ナオコという名に距離を取る同級生たちとは違い、ただ偶然の出会いを楽しんでいた。

まぁ、今にして思えば似た者同士だったからこそ通じ合うものがあったのだろうが。

 

「知ってるわよ。貴女は、昔からそうだった」

「でも、私だけじゃないわ」

 

自信を持ってミサトは告げる。

 

「マヤも、日向君も、青葉君も、シンちゃんもアスカも、貴女のことを優れた科学者として尊敬しているわ」

「……」

「だから、もうお母さんのことはいいんじゃない? 貴女、よくやっているわ」

「……ミサト」

「なに?」

「貴女のこと、ママって呼んでいい?」

「……それは勘弁して」

「冗談よ」

 

本気で嫌そうな顔をするミサトを見てクスリと楽しそうに笑う赤木リツコ。

その顔は、何かが吹っ切れたように明るかった。

 

――と、2人が改めて友情を確かめ合っていた時のことである。

 

「バルタザールが乗っ取られましたッ!」

 

切羽詰まった様子の日向の声が発令所に響き渡った。

想定よりも早い。

非常にまずい状況だ。

 

だがミサトは焦っていなかった。

何故なら、リツコが全く動じていないからだ。

 

『自律自爆が決議されました。自爆措置は三者一致の後、02秒で実施されます』

 

人間とは思えないタイピングスピードでリツコの手が動く。

ミサトと話している間も動いてはいたが、また一段と加速したらしい。

 

「リツコ」

「大丈夫よ」

「そう」

 

落ち着いている下に対し、上の発令所はパニック状態だった。

冬月副指令が怒鳴り、日向と青葉は何とか使徒の攻撃を食い止めようと手を動かす。

最期の砦であるカスパーを突破されたら人類は終わりだ。

その危機感と使命感が彼らの指を何とか動かしていた。

 

だが、必死の抵抗も虚しく、カスパーもまた使徒に侵略されていく。

徐々に赤く染まっていく人類最高峰のスーパーコンピューター。

 

『自爆装置作動まで、10秒』

「リツコ」

『9秒、8秒、』

「なに?」

『7秒、6秒、5秒、』

「貴女のお母さんも、きっと貴女を誇りに思ってるわ」

『4秒、3秒』

「……マヤ!」「行けます!」

『2秒、1秒』

「押して!」

『0秒』

 

同時に押されたエンターキー。

発令所を包み込む沈黙。

少し遅れて、

 

『人工知能により、自律自爆が解除されました』

 

彼らの勝利を示す声が響いた。

一斉にガッツポーズをする発令所のメンバー。

余裕そうに見えていたリツコもそれなりにプレッシャーを感じていたのか、ホッとした様子で力を抜いた。

 

「おめでとう、リツコ。人類初エヴァ抜きで使徒を撃破した人間になれたわね」

「ありがとう。私にも勲章をくれるのかしら?」

「もちろん。作戦課から上に依頼しておくわ」

「冗談よ。ゴミになるだけだから、要らないわ」

「それは残念」

 

淹れたてのコーヒーを手渡しながら、ミサトが笑う。

意外と美味しいそれを口にしながら、不意にリツコは語り出した。

 

「……母さんみたいになりたくないと言ったけど、多分、私は母さんと同じ道を歩んでいるわ」

「そんなこと――」

「分かるの。私だからこそ、分かるの」

 

自虐に満ちた寂しい笑みを浮かべながらリツコは断言する。

しかし、すぐに明るい笑顔を浮かべた。

 

「でも、貴女のお陰で色々と吹っ切れたわ。もういない人のことを引きずるなんて、合理的じゃないものね」

「そうよ。未来は明るいんだから、楽しくいきましょう」

「あら、私たちもう30になるのに?」

「女は30からが本番よ。結婚してくれそうな新しい彼を見つけたら?」

「余計なお世話よ。ミサトこそ、いつまでシングルマザーを続けるつもり?」

「私、自分の話はしない主義なの。面白くないから」

 

リツコの台詞を丸々パクってはぐらかすミサト。

お互いの地雷に触れあうような、ヒリヒリするこの会話。

エンジンが掛かって来たリツコはニヤリと悪い笑みを浮かべて言った。

 

「じゃあ、競争しましょうよ」

「競争?」

「そう。どっちが先に結婚できるか。負けた方はそうね……勝った方の結婚式で“私も結婚したい!”って叫ぶの」

「……最悪ね、それ」

 

心底嫌そうな表情を浮かべるミサトを見て、リツコは楽しそうに笑った。

久々の、心からの笑みだった。

 

 

 

 

「――あぁ。そういうことで頼む。また借りを作ってしまったな」

『返す気もないんでしょう?』

 

受話器の向こうで低い声の男性が笑う。

ゲンドウは何も言わずに通話を終了した。

伝えるべきことは伝えたからだ。

それに、この男相手に妙なことを話して言質を取られるのは避けたかった。

 

「今回は一段と厄介な使徒だったな。老人共への報告は?」

「今、鈴に鳴らないよう連絡をしておいた」

「加持リョウジか。最近色々と嗅ぎまわっているようだが、信用できる男なのか?」

「問題ない。知りたいことがあるなら勝手に調べさせておけばいい。老人共に余計なことを報告しなければな」

「老人共か……」

 

自分たちの上司にあたる存在を思い出しながら、冬月は懸念事項を口にする。

 

「そういえば、米国から引き継いだS2機関の研究についてだが……」

「あぁ。既に赤木博士には連絡してある。()()()()()()()()()()()()()

 

葛城ミサトの活躍によって米国支部から強奪することに成功したエヴァンゲリオン四号機と、その付属として引き継いだS2機関の研究。

ゼーレにはパイロットを余らせるのは非合理的であること、そして米国支部は説得し終えたことを理由として本部で研究を進める了承は得ているが、ゲンドウが言ったようにその研究は全く進んでいなかった。

 

他ならぬ、彼自身の指示によって。

 

「老人たちが黙っているのか? あれはエヴァシリーズ完成の為に必要なデータだろう?」

「技術的に無理と言う話であれば老人たちも納得せざるを得ないだろうさ。奴らに技術資料は読めない」

 

赤木博士協力の元、S2機関の研究が進まない言い訳用の資料は既に完成している。

彼女レベルの科学者が目を凝らしてようやく分かるレベルの改竄資料をゼーレが見破れるはずもない。

 

「それに、これはチャンスだ冬月。エヴァシリーズの完成を遅らせることが出来れば、我々のシナリオを進めやすくなる」

「……初号機の覚醒か」

「あぁ。痺れを切らした老人たちがいつ暴挙に出るか分かった物ではない。時間を稼ぎ、その間にユイを目覚めさせる」

 

そう上手くいくものだろうか。

冬月は問題の中心にいる初号機及び、そのパイロットを思い出す。

 

「しかし、初号機パイロットのシンクロ率は未だに不安定なままだぞ。おまけにこの1年で基礎能力が向上したせいで覚醒もなしで戦闘を乗り切っている。弐号機に加えて四号機まで到着した今、そう易々とピンチに陥るものかな?」

「使徒を甘く見過ぎだ、冬月。ゼーレがここまでの戦力を揃えるだけの意味を考えるべきだ。それに使徒には各個体に情報共有力がある。今後、戦いが激化していくのは必至だ」

「……どうだかな。俺にはどうにもあの少年の心が折れる光景が想像できんよ」

 

NERV本部内で皆から好かれ、チヤホヤされている少年のことを思い出す。

お調子者のように見えるが、それだけで誰からも好かれることなどできない。

他者を気遣う配慮と、人を思いやる心があるからこそ人心を掴めているのだ。

 

大概のことでは怒らず、穏やかで、自然体。

あんなに懐が大きく、安定したメンタルの持ち主が早々に絶望する光景は想像できなかった。

 

しかし、ゲンドウの考えは違うらしい。

 

「人を絶望させる方法など幾らでもある」

 

彼が視線を落とした先には、とある報告書が置かれていた。

サードチルドレンに関する監視報告書。そう書かれている。

そして、そこには満面の笑みで抱き着き合うシンジ少年と、彼女の写真が添付されていた。

 

“葛城ミサト”

 

極めて優秀な部下。

鬼の指揮官。

ゲンドウに代わり、碇シンジを保護している女性。

そして――シンジ少年が母親のように、姉のように慕っている女性。

 

ゲンドウは言う。

 

最後の使徒を倒してもユイが目覚めないその時は――

 

「……そう簡単に仕留められる相手かな?」

()()()()()()()()()()()()()()()。脆い生き物だ」

 

ゲンドウは自分の手のひらを見つめる。

加持リョウジに届けさせたアダムはまだ適合できていない。

だが、いずれは彼の身体に現れるだろう。

 

そして、その時こそ彼は脆い人間という枠を超え――愛しき妻に再会できるのだ。

 

「今はまだ彼女の力が必要だ。だが、最後の使徒がいなくなれば()()()()()()()()

 

優秀な部下を失うのは辛いがな。

 

ゲンドウは思ってもないことを呟いた。

 

 

 

 

鮮やかな色合いの青いルノーが夜闇を切り裂いて疾走する。

ミサトは現在、久しぶりに愛車をかっ飛ばしていた。

助手席に座るのはシンジ少年――ではなく、

 

「――ほう? 碇司令がそんなことを」

 

加持リョウジであった。

本当は久々にシンジ少年と一緒にドライブと洒落こみたかったのだが、致し方ない理由がある。

 

「えぇ。しかも他の2機を犠牲にしても良いと言い切ったのよ? 信じられる? 今や初号機が一番の旧式だというのに」

 

話している内容は、発令所で碇司令が取った不審な行動についてである。

使徒戦を終えてから改めて彼の行動を振り返ってみたが、やはりその行動に合理性を見出すことが出来ない。

 

「確かにそれは不自然だな」

「私の勘だけど、初号機には()()()()()。というわけで追加の依頼」

「初号機について調べろって?」

「そう。もちろん、報酬は支払うわ。受けてくれる?」

「君の頼みなら喜んで」

 

彼女が言う報酬とは、金銭面もあったが、それ以上に加持が関わっていなかった発令所内での出来事や、ミサトが自身で調べた情報であった。

ミサトは加持に情報収集を頼む。

加持は報酬としてミサトから金銭か、或いは同対価の情報を貰う。

 

正しくギブ&テイク。

2人の関係は、互いの利害の上に成り立っていた。

 

「それから、前に頼んだ綾波レイの件はどう?」

「どうにも調べれば調べるほどきな臭いな。しかも、りっちゃんが絡んでそうだ」

「……そう」

 

赤木リツコ。

今日、改めて親交を深めた友人のことを想う。

 

(何をしているのリツコ……)

 

彼女が何かとんでもないことに関わらされているような気がして、ミサトは心配で眉をひそめる。

 

「加持君。さらに追加で依頼よ」

「人使いが荒いなぁ……」

 

不満の声をガン無視し、ミサトはその依頼を口にした。

 

「赤木リツコについても調べて」

「……いいのかい? 親友だろう」

「親友だからこそよ」

 

葛城ミサトだからこそ、赤木リツコが誤った道を進んでいる時、それを止める必要がある。

彼女はそう考えていた。

 

「分かった。出来る範囲で調べてみよう」

「ありがとう」

 

見事なハンドル操作でルノーが唸り声を上げながら疾走する。

この後は、いつものように彼を適当なところで降ろして、何事もなかったような顔で家に帰る予定だ。

今日はシンジ少年に痛い思いをさせてしまったし、仕方がなかったとはいえ、エントリープラグ内に暫く放置してしまったこともある。

2人に謝らないといけないな、と思いながら、早く帰りたくてアクセルを踏む足に力を込める。

 

「……なぁ、葛城」

「なに?」

 

不意に、黙って窓の外の景色を見ていた加持が口を開いた。

その声音が真剣だったことから、ミサトは少し警戒心を抱きながら応じる。

彼は普段の軽薄さが消えた冷たい声で言った。

 

「碇ゲンドウには気を付けた方が良い」

「分かってるわよ」

「いや、()()()()()()。子供たちが大事なのは分かるが、少し焦りすぎじゃないか? あまりやりすぎると彼に警戒されるぞ」

「……時間がないのよ。これは私の勘だけど、何か良からぬことを企んでいる連中がいる気がするの。何か、私の想像を超えたようなことが計画されているような気がして……居ても立っても居られないのよ」

 

なかなか大した勘だと加持はミサトを内心で称賛した。

その行動力と洞察力に敬意を表し、

 

「じゃあ、これは俺の勘だが、このまま突き進めば君は近い将来――」

 

闇の住人として、加持は警告する。

 

「死ぬことになるぞ」

「……」

 

殺されることになる、ミサトにはそう聞こえた。

 

「あら、随分と気が利くのね」

「おい、葛城。俺は真剣に――」

「分かっているわよ。NERVがそんなに甘い組織じゃないことくらいね。でも、ここで止まるわけにはいかないわ」

「……死ぬつもりか?」

「まさか」

 

恐る恐る口にした加持の懸念を一蹴するミサト。

 

虚勢ではなく、彼女は死ぬつもりなど――殺されるつもりなど微塵もなかった。

今が楽しいのに、どうして死ぬ必要があるのか?

どうしてわざわざ気に食わない連中に殺されてやる必要があるのか?

 

第一、 自分がいなくなったら誰がシンジ少年とアスカを守るというのだ?

親に見捨てられた彼らを誰が――

 

「死なないわよ」

 

だから、強い意志でミサトは宣言する。

 

「絶対に、私は死なないわ」

「……その言葉を聞いて安心したよ。君がいなくなると寂しくなる」

「あら、私の側につくことを決めてくれたの?」

「俺は最初から君の側だよ」

「どうだか」

 

鼻で笑いながらミサトはギアを入れ替える。

さらに加速するルノーを完璧にコントロールしながら、彼女は言う。

 

「何が目的か知らないし、聞く気もないけど、あんまり優柔不断だと貴方の方が先に死ぬわよ」

「真摯に聞いとくよ」

 

以前と変わらぬ答え。

だが、その言葉に宿る重みが増したような気がする。

少しでもこちら側に傾いてくれているといいのだが。

使える手駒は多い方が良い。

 

(――そう。私は死なないわ。シンちゃんと、アスカが待っているもの)

 

決意を改めながらアクセルを踏み込む。

助手席で悲鳴を上げる加持を無視してミサトはハンドルを切った。

 

(NERVがなによ。誰を相手にしているのか、教えてやるわ)

 

 

青いルノーが、光を目指して闇の中を一直線に突き進む。

 

 




予告

母の墓参りへ赴くシンジ少年。
友人の結婚式へ出席する葛城ミサト。
そして、自主練に励むアスカ。
珍しくバラバラの休日を過ごす3人。
それぞれの場所で、各々の本音がぶつかり合う。

  次回
本音と告白【前編】
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