名のない囚人騎士は幾多の地獄で猛獣・罪人・獄卒・天使・神と戦い続ける   作:西東 吾妻

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第七話:等括地獄(とうかつじごく)に降臨した神は焦燥する

 この地獄において、私は空を舞う一つの塵に過ぎなかった。重力の誘惑に引きずられ、無機質な大地へと真っ逆さまに落ちていく私は、神との距離感を目測で測り、脳裏に彗星の如く浮かんだ「勝ち筋」を急速に具体化させていく。

 

 思い付きのアイデアが、一笑に付すべきものでは決してない……否、右腕が消し飛び、辛うじて指が残っている左手で牛頭の肉断ち包丁を握り締めるこの状況下では、最良の策であることに気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝てる……神に……勝てる!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱を帯びた高揚感が私の心臓をバクンと打ち、血が滲んだ口角からは自然と笑い声が吹き上がる。

 

 まともに力が入らない左手に激痛を走らせ、風圧の制御に苦戦しながら、私は肉断ち包丁の刀身を体の前へと持っていく。肉を抉るような風圧をはたと感じなくなるが、その代わりに肉断ち包丁はじゃじゃ馬のように暴れ出し、壊れかけの左手は言葉にならない悲鳴をあげ始めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、構わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤熱した鉄串を刺しこまれていくかのような激痛が走り、私の肉体が再生していく中で、私はそう言い聞かせた。

 

 この痛みに耐えれば、神に勝てるのである。

 

 気まぐれで降臨し、地獄に筆舌に尽くしがたい暴虐の嵐を振りかざした、あの憎んでも憎み切れない邪神に、私はこの肉断ち包丁を振り下ろし、その肉を切り裂くことが出来るのである。それを解っていて、何故、肉体の再生という些末な痛みに対して赤子のように泣き叫ばなければならないのだろうか?

 

 はじけ飛んだ左手の指が生えそろい、右腕がボコボコと音を立てて再生していく。私の身を覆う鎧はガチガチと耳障りな不協和音を鳴らしながら浮き上がり、鉄の茨で織られた鎖帷子が、再び全身を覆い、絶え間ない苦痛を私に与え始めていく。

 

 しかし、その代わりに両手を使い、風圧と共に暴れ狂う肉断ち包丁を制御できるようになった私は、脳裏に思い描いていた未来予想図にしたがって、空を漕いだ。

 

 肉断ち包丁の幅広の刀身を帆とし、私は落下の軌道を調整していった。私の切っ先が神の頭へと届くよう、だんびらで空をかき混ぜ、落下の軌道を思い通りにずらしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 うまくいった! 未来が動いた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 嵐のように吹き付ける風と共に、死というゴールへ驀進する私は、顔を醜く歪ませながら歓喜の叫びをあげていた。

 

 真っ逆さまに落ちるばかりだった私の体は今、鳥のように自由に空を舞い、己の間合いへと神を引きずり込んでいる!

 

 数秒先の未来が映し出す私の姿は、溶岩に埋もれた地獄の大地で炭せんべいと化した無様な物ではなく、神に致命の一撃を与えた英雄となった輝かしい物へと変わったのである!

 

「ひぃひ!! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ!」

 

 肉断ち包丁を私は振り上げた。

 

 剣が防いでいた爆風が、再び私の全身に襲いかかり、鉄球を叩きこまれたかのような衝撃波は、私の肉体がはじけ飛んでしまったのではないかという錯覚すら私に覚えさせる。

 

 しかし、私の肉体はまだ私の脳髄の制御下にある。吹き上がる風は私の肉体に鎖のようにまとわりつき、体から自由を奪おうと画策しているが、この程度の責め苦など私は地獄の中で幾度も味わってきたのである。

 

 それは今更、気にかけるような物でもないのである。

 

「ははははは!! はぁははははは!!」

 

 神の姿を私は真下に捉えた。

 

 神はまだ、私に気づいていない。

 

 否、気づく余裕がない。

 

 神はこの時、「何か」と既に干戈を交えていたからである。

 

 神が放つ不可視の礫は、上空からだとその軌道がよく見えた。余りにも多くの礫を、神が放っているから、私はこの恐怖の攻撃をこの目に納めることが出来たのだろう。

 

 墨のように黒い、針のように細い線が、地獄の空を薙ぎ、雷のような破裂音を轟かせながら地獄の一点へと集中している。

 

 鋼線のようなそれの収束点では、噴火した火山が巻き上げるような噴煙が立ち昇り、銅鑼をかき鳴らすかのような爆音が響き渡り続けている。等括地獄を瞬く間もなく溶岩煮えたぎる無の世界へと変えたあの礫を、神が一点にかき集めている。

 

 並の囚人であれば、あの女武者のように悲鳴をあげる間もなく塵にするあれを、神は何故あんな狭い場所に集中させているのか?しかもそれを、なぜ今も続けているのか?

 

 荒れ狂う不可視の礫が、呆れるほどに小さなか空間をいたぶり続けている。それは、上空遥か彼方からでも鼓膜を破るような爆音を響き渡らせているが、不可視の礫が吹き上げる爆炎は、徐々に、否、急速に神の方へと近づいてきている。

 

 神が何を思っているのか、私には察しきる事も出来ない。

 

 確実なのは、神は今、地獄にいた何者かによって、「追い詰められている」ということだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神が追い詰められている。私以外にも、神を追い詰めている何かがいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 このことに気づいた時、胸の内から鉄砲水のように吹き上がる歓喜に、私は飲み込まれた。

 

 隕石のような落下速度を「遅い」と感じる日がまさか来るとは思わなかった。

 

 私が神に勝つ日が来るとは、これまで夢にも思わなかった。

 

 しかし、夢は今、正夢となって私の前に現れようとしている!

 

 重力は今や私の味方となり、神へと振り下ろすこの必殺の一撃に、より強力な威力を付け加えていた。完全に再生した肉体からは血管が浮き出し、鉄すらも握りつぶしてしまいそうな膂力が、私の肉断ち包丁に神殺しの力をこれでもかと付与していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神は焦燥しているように見えた。弱者をいたぶるために降臨してきたはずが、今、神にとってはカスに等しいはずの地獄の囚人たちによって、追い詰められようとしているのだ。

 

 焦らない方がおかしい事態だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、この予想外の事態は、神にとっては許しがたい冒涜に映ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神の姿が、変わり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 より、禍々しく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 より、凶悪に。

 

 

 

 

 

 

 

 

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