「……起きて……マサ、起きて!」
意識が浮上する。目を開くと、いつも見慣れているはずの自分の部屋の中は薄暗い。ぼんやりとした視界を遮る影もある。こんな所になにか置いたかな?と目を細めて確認しようとすると、その影は喋り始めた。
「おはよう!マサ!」
「お、おはようございます?」
はて?昨日は家に誰か上げただろうか?と一瞬考えてしまったが親しいものからの愛称を呼ぶ、この声の主は知らない声だ。それならばいつの間にか家に上がりこんでいるこの子は一体?と考えながら手はいつも通りの動きをして、眼鏡を取る間に目の前の子は話しかけてくる。
「おはようございます?いつもは、おはようって言ってくれるよね?ございますってどういう意味になるの?」
「どういう意味って……敬語ですかね?そもそも、いつも言ってると言われましてもあなたとは初対面のはずなのですが?」
眼鏡をかけつつそう答える。まだ日の光が弱い室内でも、影の姿は判別できるようになった。そして、目に入ってきたものに驚愕することになる。
「猫耳……?」
ぼやけた視界と影になっていて分からなかったが、目の前の人物にはしっかりと猫耳がついている。それによく見るとゆらゆらと揺れている尻尾も確認できた。
その姿に言葉を失っていると、その特徴的な人物は猫耳を後ろに倒しながら
「初対面だなんてひどい!ミウのこと忘れちゃったの!?」
なんて告げてくる。ミウ……美羽か!?
美羽とはうちの飼い猫だ。雑種で白地に頭頂部と尻尾がキジトラ模様である。尻尾は先端だけ曲がっていて、瞳は緑色。どこへ行くにもついてきて離れず、家に帰ってきたときも鍵を開けようと近づく前から中で鳴いている。
そんな美羽が目の前の人物……?
「お前、本当に美羽なのか?」
「ミウだよ!」
美羽はゴロゴロと喉を鳴らしながら元気な声で答えた。
しかし、目の前の人物が美羽だというのならば疑問が湧く。
「それなら美羽はどうして人に近い姿をしているんだ?」
そう。目の前の美羽はどう見ても猫の姿ではない。かといって完全に人の姿というわけでもないが。そんな疑問をぶつけてみると
「それが分からないんだぁー、目が覚めたときにはこの姿になってたから」
とのこと。一体何が起きたのか。そう頭を悩ませていると、くぅという可愛らしい音が。
「マサー、ミウお腹空いちゃった」
「とりあえずご飯にした方がよさそうだな。美羽は……どっちの食事なんだ?」
「マサと一緒がいい!いつもいい匂いがしてたけど、ミウは食べちゃダメだと思って我慢してたんだー。この体ならいいでしょ?」
いいでしょと言われてもな……本当に大丈夫なのだろうか?とはいえ調べようにも今の美羽の姿を誰かに見せるというのも憚られる。
「それなら同じものを用意するけど、なにか体調に変化があったらすぐ言うんだぞ?もしものときは病院で対応してくれるといいけど……」
「ビョウイン?ってもしかしてなにか刺されるところ!?ミウ行きたくないよー」
「とは言われてもな。なにかあったときに助けてくれる場所なんだぞ。いつも注射を刺すのは美羽が病気にならないようにしてくれてるんだよ」
「ミウが病気にならないように……そうだったんだね!じゃあ次からはミウ、がまんするね!」
「偉いぞ美羽。じゃあご飯を用意するから、待っててくれな」
「はーい!マサとおんなじご飯たのしみ!」
なんて美羽は喜んでくれているが、俺がいつも食べているのは冷凍食品だ。お米は昨日のうちに予約してある。今日は休みなので夜の分まで横着して炊いておいたのだが、二人分となると少し減らすとしても昼までしかないだろう。まぁ後でまた炊けばいい話だ。
温めたおかずと共にテーブルへご飯を運ぶ。
それを目にした美羽は瞳孔を細くして今にも飛びかからんばかりだ。本当に飛びかかられては困るのでさっさと食べることにしよう。
「いただきます」
「いただきます!」
箸が使えるのか不安だったのだが、どうやら問題ないようだ。美味しいと目を細めて食べ進めている。口に合ったのならなにより。どうせなら、もっと美味しいものを食べてほしいが生憎と料理はできない。
食べ終えて、ごちそうさま、と一緒に挨拶をして流しに食器を持っていく。美羽はここでもついてくる。
ご飯を用意している間も隣に居て、電子レンジで温めている間も不思議そうに眺めていた。部屋へ戻るときも側をついてくる。見た目は変わっていても、こういうところは変わっていなくて安心する。
「マサ、もう出掛けちゃう?」
普段はご飯を食べると、すぐに家を出ていたから気になったのだろう。
「今日は休みだからずっと家にいるよ」
「そうなんだ!やった!じゃあミウと遊ぼ!」
遊ぶといっても、猫じゃらしとかでいいのだろうか。試しに目の前で振ってみる。美羽は瞳孔を細くして顔を猫じゃらしが振れる方へ向け、お尻をふりふりと揺らす。これでいいらしい。
そうして振っていると飛びついてきた。そのまま俺の方へ飛び込んでくる。どうやら目測を誤ったらしい。支えきれずに共に倒れてしまう。
「ごめんなさい!大丈夫!?」
「大丈夫だよ。美羽こそ、どこも怪我はない?」
「ミウは大丈夫だよ!今度は失敗しないからもっと遊んでくれる?」
「美羽の気が済むまで遊んであげるよ」
「やった!だいすき!」
しばらく時間を忘れて遊んでいたのだが
「ミウ、またお腹空いてきちゃった」
時計を見るとちょうどお昼時だ。
「それならご飯にしようか」
「マサと一緒のご飯、とっても美味しいからミウすき!」
「それは良かった」
特に食事に問題はなかったようなので、朝ご飯のときと同じように食べて流しに持っていった。けれど、一人分の食器しか家にはないため洗うことにする。
そのときに水を怖がった美羽が少し離れたりもした。普段は目に入る高さではないので怖かったようだ。そのまま水を使うので、今のうちにと夜ご飯の予約をして戻る。
「お腹いっぱいになったら眠くなってきちゃった」
「それならお昼寝するか?」
「うん」
美羽は目を擦りながらそう言うと、俺にくっついた状態で体を丸めてしまった。
「美羽、その体でくっつかれると身動きが取りづらいんだけど」
という抗議は一足遅かったようだ。すぐ隣からは、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえる。
それなら自分も昼寝を、というわけにはいかなかった。今、寝てしまえば。目が覚めたときに夢だったなら。
こうして話すことが出来たのが夢幻だったなら……。
そこには猫としての美羽がいて、昨日までの日常と変わらないはずなのになぜか怖いと感じている自分がいるのだ。なぜかは分からない。でも今この時間を大切にしたいと思う。
そういうことを考えながら美羽の頭を撫でる。撫でる手が耳に触れるとピクピクと動く。そんな動きも愛おしい。
「ミウはずっと側にいるよ……」
美羽は優しい声で呟く。
「ありがとう美羽。俺は幸せだよ」
美羽を起こさないように、そっと囁く。
美羽の体温を感じながら、だんだん瞼が落ちてくる。そのときに願うのは、どうか今日のことが幻想ではありませんように。ただそれだけだ。
その思いを胸にしながら瞼を
「美羽……」
涙が頬を伝う。ふとその滴が舐め取られた感触がした。
《ミウはずっと側にいるよ》
「ありがとう美羽、これからも見守っていてくれな」
起き上がると肩に重みが乗った気がする。
「さて、朝ご飯にしようか」
夜ご飯にと炊いたお米を見て思わず微笑むのだった。