ある所に、それはそれは美しく――
「こんにゃく廃棄ですわ!!」※婚約破棄
――すこぶる滑舌の悪い令嬢がおりました。
思いつき短編。一話完結。
◆◆◆
むかしむかしのことだ。大陸の東にタングツンゲという国があった。
国の東を雄大なるツンゲ海に面し、三方を山に囲まれた天然の要害。
幾筋もの清流から際限なく得られる清き水。温和な気候に花は咲き乱れ、作物は常に豊作極まれり。
民は笑い、歌い、長き繁栄を謳歌していた。
国の四方を統治する侯爵家は王の盾であり剣。常日頃より領地を富ませ、武を練り上げ、その力を以て外敵を駆逐する。それこそが彼らの使命であった。
その侯爵家の一つにして、国の東部を守護するカツゼッツ侯爵家。そこに、ある一人の少女がいた。
名を、シィタラズーナ・タン・カツゼッツ。亡き母の血を色濃く受け継いだ彼女の容姿は、それはそれは美しく。あらゆる才能に溢れながらも、常に努力を惜しまず、まさに侯爵令嬢の鑑とでも呼ぶべき少女であったそうな。
故に。彼女が時の第一王子、ベロスハイト・ベー・タングツンゲの婚約者となることに、なんら不思議な事は無かった。幼少の頃より契りを交わした二人は、共に遊び、学び、絆を深めた。
画家たちは競い合うように並び立つ二人を描き、吟遊詩人は挙って比翼の鳥と唄う。民草は二人を祝して酒を酌み交わした。
誰もが、その先に広がる明るい未来を信じて疑わなかった。雲一つない晴天のように、国の行く末は晴れ渡っていた。
――令嬢の欠点が明らかとなるまでは。
そう。彼女には唯一にして、致命的な欠点が存在したのである。
最初は幼さ故と誤魔化せたものの、成長と共に隠し通す事が不可能となっていったソレ。
――それは“舌足らず”であったこと。
極端に短い舌を持って生まれた彼女は、それ故に滑舌が悪かったのだ。
彼女の美点たる努力も、この生まれつき抱えた欠点を覆すことはできなかった。
どれだけ訓練をしても。舌を鍛えても、発声を工夫しても。如何なる手段も滑舌を改善するには至らなかった。
とはいえ、それでも構わなかっただろう。
彼女の美貌も、能力も、人格も、家柄も。その美点の数々が失われるわけでは無かったのだから。
だが。
当時のタングツンゲでは、1つの迷信が広く根深く信じられていた。
曰く。舌が短い者の魂は穢れている――と。
前世にて悪しき嘘を重ね、罰として舌を神に切断された。
滑舌を悪くすることで、他者を騙せぬようにされている。
そう、人々は本気で信じていた。
故に。いつからだろうか。
国には1つの噂が飛び交い、染み付いた。
令嬢は王子を騙している。国を乗っ取ろうとしている“悪魔”なのだと――。
◇◇◇
婚約破棄ですわ。婚約破棄ですわ。婚約破棄ですわ。
もう、絶対に婚約破棄してやるのですわ!
あの顔と血筋、あと財産と武と知と、ついでに身長だけが優れた王子……憎たらしいことに全部良いですわね。
と・も・か・く!
あんな男なんて見限ってやるんですのよ!
もう怒ったですの! 怒髪天ですの! ムカ着火ファイヤーですの!
確かに!
それ故に常に耳目が集まっていて。学院内での関係性、成績、トラブル、会話内容、一挙手一投足に至るまでが注視されている。その程度の事は重々承知しております。
“悪魔”と囁かれる私と必要以上に触れ合うことが出来ない事も分かりますわ。国益を損ない、国に混乱を生じかねませんもの。
国を守り続けて来た侯爵家の血を継ぐ者として、次期王の婚約者として、そんなことは認められない。第一に優先すべきは国の利、民の安寧。骨の髄まで理解していますとも。
で・す・け・ど!
他の女とイチャつくのは流石に違うのではなくて!?
確かに、一夫多妻制は貴族であれば普通ですわ。力ある者が後継者を欠けば、世は乱れて民が惑うは自明の理。血筋を後世に繋ぐことは、私たち貴族の重要な使命の1つであり、王族ならば尚のこと。
ですから、王子が好色であることは構いませんの。どんどん盛ってくれて良いんですの。
でも! そこには順番ってものが存在するんですの!
正妻は私ですのよ! 齢五の時から定められ、その為に全てを捧げて来たんですのよ!
自由な時間なんて一切無くて! 王家に嫁ぐ者として、王の妻となる者として必要な全てを磨いて来たんですの!
そんな私を差し置いて。見せつけるように四六時中イチャイチャイチャイチャ!
しかも、しかも! 相手は何処の馬の骨とも分からぬ平民の女!
無論、血筋など所詮は祖先の威光。生まれ育ちだけで人を判断するなど愚か極まりますわ。
あの女も特待生として入学するくらいです。素晴らしき資質を有しているのでしょう。特権に胡坐をかくだけの愚図共などと比べるのも失礼なのでしょう。
されど。王家とは、王の血筋とは、そう安いものではありません。決して“伝統”と“格式”抜きで語ることは出来ませんの。
それらを軽んじてしまえば、国そのものの“重み”が消えてしまうのです。国内の貴族、各分野の有力者、そして他国からも下に見られてしまうことでしょう。国が侮られ、軽んじられてしまうのですわ。
だからこそ私が……由緒ある侯爵家令嬢が、正妻として不動の立ち位置にある必要がありますの。
それら全部をガン無視して。平民と王子がベタベタベタベタ、キャッキャウフフ!
もう流石に我慢なりませんわ。
このままでは最悪の場合、“伝統派”“革新派”などと国を二分して内乱になりかねませんわよ。
或いは他国が付け入る隙となる可能性もありますわね。王家のイザコザに干渉して国を弱らせるなど常套手段ですわ。
そして。その何れにせよ、割を食うのは民たち。守るべき民たちを苦しめてしまうことになるのです。こんな愚かな事はありませんわ。
故に。
「……すぅ――――」
暇さえあれば取り組んでいる、日課の舌トレーニングを中断。
巨大で荘厳な扉を前に、大きく深呼吸。
この先にはパーティ会場。国内の有力者は勿論、他国の賓客たちを大勢招いての晩餐会が開かれています。
そこで。証人あふれる、決して覆せぬ場で。
私は宣言するのです。王子に突き付けてやるのです。
「はぁ――――」
簡単な話で。
現状の一番の問題は正妻と側室のバランスが崩れてしまいかねない事。
確かに、正妻に格式が必要なのは事実。ですが、それは後からでも何とかなる可能性があります。
私が十年の絶え間ない研鑽の果て身に着けた、王妃に求められる諸々全て。そう易々とマスターできるはずも有りませんが、それでも不可能では無いのです。
あの平民女も、これから血の滲む努力を重ね続ければ……私以上に死に物狂いで努力すれば。さすれば、結婚までの数年で王妃らしい格式を身に付けられるかもしれません。可能性はゼロではありませんわ。
そして。そうであるならば、あとは私が身を引けば良いだけ。お父様には申し訳ありませんが、全ては国益の為です。絶対に理解を示してくれます。
対立の元凶たる私が……“悪魔”の私が潔く去れば良い。それだけ。
当然、悔しい。悔しくて、やるせなくて、泣き出したいほどですわ。
でも、それはカツゼッツ侯爵家の者として相応しくない。敗する時、死する時も、最後の最後まで気高く美しく。それこそが我らカツゼッツ侯爵家。
優先すべきは、いつ如何なる時も国益。民の安寧と笑顔。己の感情など問題にもなりません。
「すぅ―――――……」
いっそのこと、王子なんて比較にもならない最高の殿方とラブラブになってみせますわ。
私の短い舌を、舌足らずの言葉遣いを可愛いと思ってくれて。
浮気なんて以ての外。愛人も側室も抱えず、生涯ただ私だけを愛してくれて。
そんな殿方と結ばれてみせるんですの。
――よし。覚悟は決まった。
扉を力強く押し開く。
大きな音が響いて、耳目が集まる……今っ!
「こんにゃく廃棄ですわあああああ!!」
◇◇◇
「こ、こんにゃく?」
「こんにゃくとは、どういうことだ?」
「廃棄せよ、と?」
「おい、あれは例の侯爵令嬢ではないか?」
「あれが噂の……」
さて。案の定、会場はガヤガヤと大騒ぎですわね。
声が重なり過ぎて何を言っているのかは分かりませんし、聞く気もありません。
「お、おい、シィタ? 急に何を言って……」
元婚約者様が何か言っているようですが、無視です。
女々しく居座るつもりも、一度は将来を誓った殿方に不満をぶつけるつもりもありませんし。
当然ながら、
言うべき事は言いました。
気高く優雅に美しく。誰より強く、誇り高く。
会場に背を向け、真っ直ぐに。
何千と練習した完璧なウォーキングで、十年の全てへ別れを告げた。
◆◆◆
それ故、令嬢は気付かなかったのだ。
晩餐会に並べられた、タングツンゲ国の特産の1つ。“こんにゃく”の中に致死性の毒物が入れられていた事を。
令嬢の指摘によって誰かの口へと入る前に発見され、彼女の指示通りに“廃棄”された事を。
この一件が、一帯の国々を悩ませ続けた、巨大犯罪組織壊滅へと繋がっていく事を。
令嬢の評価が国内外で鰻登りとなっていく事を。
当時“悪魔”と呼ばれた『舌足らず』が、遥かな未来にて“カワイイ”の代名詞となった事を。“個性”の1つとして寛容に、優しく社会に受け入れられている事を。
その立役者として、彼女の名が歴史書に刻まれている事を。
重度の吃音に悩む一人の青年が、彼女の物語を知って救われた事を。その青年が、こうして彼女の物語を執筆している事を。
――彼女は、知る由もない。
◆◆◆
この物語を、あらゆる“欠陥”に悩む全ての人に贈る。
『彼女』の生き様に倣い、吾輩は断言しよう。
“欠陥”は恥じ入るべきモノではない、と。
確かに、ソレは辛く苦しいモノだろう。
選択の余地なく押し付けられた、理不尽で腹立たしいモノかもしれない。
周囲との差異に悩む夜もあるだろう。その悩みを理解されずに泣く夜もあるだろう。
部外者から“個性”だと言われ、違和感を覚えた者も少なくないのではないか?
何も知らないくせに知ったような口を利くな……と、怒りの感情を抱いた者だっていた筈だ。
思えば。こんな問いかけを良く目にする。
“欠陥”は“個性”か否か、と。
正直、この問いに答えるのは難しい。個々人によって捉え方が異なる以上、明確な答えなど存在しないのかもしれない。
だが。唯一これだけは断言できる。
“欠陥”は“可能性”だと。
時として世界すら変えてしまう、輝かしきモノなのだ、と。
『彼女』がそうであったように。“欠陥”を有する多くの者が、新しき地平を切り開いてきた。歴史に名を残してきた。
故に。
この“可能性”を否定する事だけは。
世界の誰にも――己自身にすら出来ないのだ。