ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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strike a chord

 

 つい数分前のことだ。

 ウタワールドの廃墟群に集結した海賊達の下に、“民衆の英雄”が帰ってきた。

 

 海軍本部大佐コビー。かの青年は今、廃墟の石壁に凭れ掛かり目を閉じている。

 情報収集に出た麦わらの一味の帰還を待つ間、一時休息をとることになったのだ。

 相棒のヘルメッポ少佐は血気盛んな海賊達を宥めて回るので精一杯。一時協力関係にあるブルーノは愛らしいサイズに縮んでそのナリに相応しい疲労をみせている。周りはといえば基本的に協力に向かない海賊達ばかりで、さらにいうなら親交を深めている場合でもあるまい。

 故に、“英雄”コビー大佐は一人佇んでいる。

 

 つまるところ、青年将校の心の奥底にひたひたと広がるそれに気付けたのは、ドンキホーテ・ドフラミンゴだけだった。

 

「よォ、大佐殿」

「ドフラミンゴさん。どうかしましたか?」

 

 コビーが顔を上げる。

 特段変わった様子もなく、相も変わらず瑞々しい溌剌さを保ったまま。声音も反応速度も気になるところはない。

 要は、やけに元気なのだ。

 内心穏やかなわけもなかろうに。

 

「お疲れの様子だな」

 

 ドフラミンゴが声をかけると、コビーは瞳を揺らして後ろ頭に手をやり、困り顔で呟いた。

 

「そう見えますか」

「見えねェから言ってやってんだ」

 

 不思議そうに見上げてくるコビーの横に並び、彼にならって石壁に凭れ掛かる。苔むした壁はじとりと冷たく、仮想世界とは思えないほど鮮明な不快感を覚えた。

 

「小娘の説得には失敗したようだな」

「力及ばず、すみません」

 

 短く応えたコビーの眉間には僅かな皺が刻まれている。

 それは作戦の失敗を反省しているというより、もっと別の、例えば歌姫との接触そのものを悔いているような反応だった。

 

「元から望み薄ではあった。そう気に病むことはねェだろう」

「いえ、ぼくが浅はかでした」

 

 “英雄”の仮面がずれた拍子、青年の心がのぞく。

 一心不乱に走り続けている青年にふさわしい、まだ青く不確かで成長途然の羞恥と苦悩。

 

「浅はか? 言葉は適切に使うんだな。あんたのそれは生真面目と言う」

 

 ドフラミンゴの指摘に苦く笑い、青年はかぶりを振る。

 

「ぼくの心持ちがどうあれ失敗は失敗です。ウタを止められないばかりか、むしろ……」

「いい。状況は能力で把握してる」

 

 言い淀むコビーを遮り、ドフラミンゴは上空を見上げた。

 妙に青い空に、遠くを旋回している音符の槍兵。言われるまでもなく、なんとも空想的な空間だ。とてもではないが、現実的な視野をもつ人間が描く世界とは言えない。

 

「あの女は既に追い詰められていた。あんたがどうあれ、どのみち破綻していただろうさ」

 

 幸せを願い、悪を監視し排除する。それが新時代なのだとして、善悪を決定づける神の目は正しくあり続けられるだろうか。

 ウタワールドにおいて(ウタ)は自由だ。だが同時に一人きりでもある。

 つまり、孤独なのだ。

 いくら楽園創世のためとはいえ、自らと人々全ての命を擲つという重罪から目を背けたウタ。そんな彼女が孤独に耐え得るとは思えない。

 

「今回のライブは歌姫の救世計画であると同時に、あの女の盛大なる自傷他害だ。ああいう奴にはな、問題があると真正面から突きつけてやれる他人がいた方がいい」

 

 行きずりの他人であれ、敵対する者であれ、正道を示してくれる人間は得難い。

 愛情と思慮の結果とは言え、ウタは世間から隔離されてきた。外を知らない彼女にとって、コビーの真っ直ぐな在り方と言葉は新鮮に映っただろう。

 

「おれ達は歌姫を止める。これは決定事項だ。そうだな、大佐殿」

「ええ、必ず」

「だとすれば、あの女と民衆共の人生はこれからも続く。大佐殿の存在と言葉は、奴らのこれからにこそ生きてくる」

 

 かつて、父殺しの罪を背負った子どもがいた。

 彼は罪の重さすら理解できないような、どうしようもない獣であった。

 だが、愚かで甘い人間が彼へと手を伸ばし続けたことによりその命運は変わったのだ。

 今もまだ、彼の歩みは変わり続けている。彼自身、変わり続けていこうと誓っている。

 過去の言葉達、そして思い出へ、歩んできた道のりを誇れるように。

 

「つまり、後悔するにはまだ早い。そういうことだ」

 

 ドフラミンゴが笑ってみせれば、呆気に取られていたコビーもまた口の端を上げた。

 それはまだ苦く、反省の色を濃く落とした笑みではあったが、確かに彼自身の光を宿した苦笑である。

 

「ドフラミンゴさんって親切ですよね」

「馬鹿を言え。海賊が海兵に優しくするわけねェだろうが。気のせいだ」

 

 この程度、善行云々という程大したことであるものか。

 落ち込んでいる青少年を放置するのはどうにも後味が悪い。ただそれだけの話である。

 

「反省は立派だが引きずりすぎるなよ。正義を背負うなら前を向くのが筋ってもんだ」

「ご忠告、肝に銘じます」

 

 肩の力が抜けたのか、青年将校は一つ伸びをしてへらりと笑う。

 

「ドフラミンゴさんは後悔や未練にとらわれたりしなさそうですよね」

「あんた、意外に失礼な物言いをするな」

「えっ? あっ、すみません!」

「フッフッフ、冗談だ」

 

 勢いよく頭を下げたコビーが面白く思えて思わずからかってしまった。

 沈み込む青少年を見逃すのはもちろんよくない。ただし、慰労にかこつけて弄りすぎるのもまた非道である。

 咳払いをひとつ落とし、ドフラミンゴは言葉を紡ぎ始めた。

 

「後悔はするし、どうにもできない未練も……まァある。だが、感情のまま受け入れることはねェ。ほとんどな」

「後悔や未練の思いのまま、ですか?」

「そうだ。後悔したなら改善策を。未練についても同じだ。おれはおれ自身のために言葉と行動で示し続ける」

 

 これは矜持というよりも意地に近い。

 行動規範は合理的である一方、感情面では神経質で過去を引きずりがち。そんなドフラミンゴが前へ前へと足を進めるために必要な覚悟である。

 見るもの触れるもの、全てのありのままを知って考える。全てを咀嚼しエネルギーにして生き様へ繋げる。そうすることで活路は見えてくるものだ。

 

「すごいや。どうにもぼくはうじうじと考えがちで」

「おれだって悩むさ。だが結局、たらればには意味がねェ。ましてやないものねだりなんてのは“怪盗”の名が廃るからな」

 

 仮にも海賊、つまりは悪党の言葉だ。無視してもいいだろうに真正面から受け止め理解しようとする生真面目な青年を眺めているうちに、ふと思い出したことがあった。

 

「そういえば大佐殿、あんたに訊きたいことがあったんだった」

「はい。なんでしょう?」

「頂上戦争でのことだ。赤犬に逆らって雄叫びを上げたって噂だが、実際のところ何と叫んだんだ?」

「えっ⁉︎」

 

 想定外の質問だったのだろう。

 コビーが慌てた様子で視線を泳がせる。

 

「あの時は無我夢中で、ただ思ったことを言っただけといいますか」

「成程? 未来の英雄が戦場で何を思ったのか、フッフッフ、気になるじゃねェか」

 

 ドフラミンゴは小柄なコビーの顔を覗き込むようにして詰め寄る。客観的にみれば、ガタイのいい悪漢がいたいけな青少年にタチ悪く絡んでいる図でしかない。

 人波からやや離れた場所で対話を展開していたものだから、余計に悪さをしているように見えただろう。案の定、もう一人の海兵が慌てた様子で二人の間に割り込んだ。

 海賊達を無理矢理納得させてすっ飛んできたヘルメッポ少佐である。

 

「おいこら、元七武海のチンピラめ! てめェ、コビーを困らせるんじゃねェよ!」

「ヘルメッポさん、やめてください。違うんですよ。突然質問されて驚いただけで答えたくないわけじゃ……」

「答えづらいことを聞かれたのか? 放っておけ! 海賊の戯言なんざ無視だ、無視!」

「フッフッフ、つれねェなァ」

 

 ドフラミンゴが一歩下がれば、警戒もあらわなヘルメッポがコビーを後ろへ庇って追いやる。おそらくそんなつもりはないのだろうが、完全に害獣扱いだ。

 ヘルメッポとドフラミンゴを見比べ、困り顔のコビーがぼそぼそと呟く。

 

「ぼくってそんなに頼りないですか?」

「んなわけあるか。コビーのせいじゃねェよ」

「じゃあ、どうしてです?」

「馬鹿、お前! ドンキホーテ・ドフラミンゴはあの“宗教屋”と繋がりがあるんだぞ? 警戒して当然じゃねェか」

「待て。今の評価には徹底抗議したいが、とりあえず待て」

 

 小声で囁き合う海兵達の間に割り込み、ドフラミンゴは半笑いになった。

 額には青筋。悲しいかな、普段と違うラフな格好がチンピラみを増強している。

 

「おれはただ、頂上戦争での大佐殿について聞きたかっただけだ」

「頂上戦争だァ? てめェ、あれだけ派手にど真ん中へ飛び込んでおいて、まだ知りたいことがあるのかよ」

「とっとと逃げ出したもんで、大佐殿が赤犬に放った罵倒とやらを聞き逃してな」

「あァ、あの時の」

 

 ヘルメッポとドフラミンゴの視線を一身に受け、コビーがなんとも言えない表情で姿勢を正した。

 

「罵倒では、ない……ですよ?」

 

 きっと多分おそらく、そうだといいな。

 

 そういったニュアンスを含んだコビーの声に、ヘルメッポが額を抑えてため息を吐く。

 

「罵倒じゃねェのは確かだ。そこは保証する。ただまァあれはなかなか、うん」

「濁さないでくださいよ!」

 

 相方に梯子を外されかけて動揺した様子のコビー大佐を眺め、ドフラミンゴはくつくつと笑った。

 

「蛮勇ではあったようだなァ、大佐殿」

「というか、何で今更二年前の話なんだ。お前ら、ロッキーポートの件でよろしくやってたじゃねェか」

「ヘルメッポさん、事件については一応機密事項なので……」

「こんな状況じゃ誰も聞いてねェよ。それにちゃんとぼかしてる」

 

 ヘルメッポが軽い調子で肩を竦めた。

 

 ロッキーポート事件とは数年前に勃発した世紀の大事件である。

 海賊島ハチノスを舞台とし、大海賊時代においても稀に見るほどの一大抗争が繰り広げられたこの騒動。

 事態が終息する頃には海賊島だけに留まらず裏社会全体の勢力図が丸ごと書き変わっていたというのだから、いかに大きな出来事であったかは語るまでもない。

 

 この事件において、名を上げた者が二名いる。

 

 一人は青年海兵コビー。事件の最中、無辜の民衆を守り抜いた“英雄”だ。

 もう一人は“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ。海賊島ハチノスを混沌の底へと叩き落とした首謀者である。

 

「ロッキーポート事件、か」

 

 サングラス越しでも分かるほど遠い目をしたまま、ヘルメッポがぽろりと溢す。

 

「あの時は大変だったよなァ……」

「ええ、本当に……」

 

 万感の思いこもる海兵達の呟きに、“首謀者”ドフラミンゴは顔を背けるしかない。

 

 コビー大佐は清廉潔白な英雄。

 ドフラミンゴは百術千慮の首謀者。

 ────そういうことになっている。

 

 真相はといえば、一言では語り尽くせぬほど珍妙怪奇なものであった。

 

 巻き込んでしまった人々、そして自身の矜持を守るべく激闘を繰り広げるドフラミンゴ。複雑に対立し鬩ぎ合う海賊達。別の目的で乗り込んだはずが、四面楚歌のドフラミンゴに頼み込まれて共闘するコビー。

 この時点で事態は混迷を極めていたというのに、さらに“黒ひげ”が参戦したのだからもうどうしようもなかった。

 続々増える役者達に招かれざる災禍。島はまさに蜂の巣を突いたような有様となり、ついには島の主たる“王直”をも引き摺り出すまでの事態へと発展していく。

 あわや島全体が死の海と化す──そんな前代未聞の危機的状況を前にして、想定外の協力関係が生じたのは奇跡であり、同時に逃れ得ぬ必然でもあったのだ。

 

 事件終息後、世界政府および海軍は頭を抱える羽目になった。

 

 “英雄”の誕生、それはいい。

 だが人々を守るためとはいえ、海兵が“最悪の世代”の二名、しかも頂上戦争を掻き回した筆頭凶悪犯共と協力し合ったなどと認めるべきではない。

 イデオロギーの崩壊もいいところである。

 そうでなくとも、頂上戦争以来、世界は揺らいでいるのだ。これ以上の混乱を招くわけにはいかなかった。

 かくして諸々を隠蔽すべく動き出した政府方であったが、騒動に畳み掛けるように裏社会へと激震が走る。

 それまで勢力を広げていたはずの国々が次々と崩壊し、裏社会の要人達の顔触れが一気に変わり始めたのだ。

 原因はハチノスで管理されていた、密輸に関する数百の裏帳簿、その紛失。 

 裏帳簿を握っているのは転んでもただでは起きない不屈の“怪盗”で、さらにいえばこの男、出自が出自のために扱いが難しいときている。

 

 結局、世界政府はドフラミンゴに王下七武海という首輪を与えて管理するしかなくなった。

 ハチノスでのコビーとドフラミンゴの共闘は『七武海入りの試験』として解釈されることとなり、後に四皇となる“黒ひげ”の関与だけが秘匿されるに至ったのである。

 

「さすがに無理筋すぎると思ったもんだが、案外世間には受け入れられたよな」

 

 ヘルメッポの身の蓋もない感想に、コビーが疲れた様子で首肯した。

 

「最早事実の方が奇なりの状況で、ドフラミンゴさんは事件以前も有名だったから」

「ロッキーポート号もなァ、一般乗客や乗組員はともかく要人が……いや、助かったといえば助かったんだが、あれはさすがによ」

 

 色々あった。

 とにかく色々あったのである。

 

 当時の混乱について身を以て知る彼らは、三者三様に苦い表情を浮かべてため息をついた。

 悪い記憶を遠ざけようとしたのか頭を振ったヘルメッポがぼそりと呟く。

 

「しかし、コビー。あの時も思ったが、お前ら二人は妙に息が合うよな」

「おいおい馬鹿を言うなよ、少佐君。真相はともかく海賊と息が合うなんて言われちゃ英雄殿の名に傷がついちまう」

「ドフラミンゴさん、その顔、実は面白がってますよね……?」

「ほら、それだ! お前らときたら最初から仲がいいというかなんというか」

 

 警戒を緩めたらしいヘルメッポが二人を見比べて鼻頭に皺を寄せる。なにやら考え込んだ彼は突然柏手を打って大声を上げた。

 

「わかったぞ! シンパシーってやつだな? 船を間違えた者同士、感じいるものがあるわけだ」

「ちょっ、ヘルメッポさん⁉︎」

 

 声もデカければ衝撃もデカい。

 ヘルメッポ少佐まさかの失言にコビーが青褪め、ドフラミンゴが顔を引き攣らせる。

 

 ロッキーポート事件はドフラミンゴが巨大客船をジャックして海賊島に乗り込んだことをきっかけに始まった。当然ながら、船のジャックは計略の一環────とされている。

 

 そもそも、だ。

 誰が信じるだろうか。

 

 船を乗り間違え、慌てて降りた先が海賊島だったなどと。

 

 真相を知る者の一人、ヘルメッポが口を押さえて視線を泳がせた。

 

「やべ、今のなしな」

「ガープ中将の真似をしても駄目です」

「すまねェ。許してくれよ」

「本当にもう、頼みますよ」

 

 嗜めるコビーと謝るヘルメッポ。これはどうしてなかなかいいコンビである。

 ところで、若い海兵同士の清涼なやりとりから取り残された“うっかり海賊”ドンキホーテ・ドフラミンゴはどうしているかというと、だ。

 

「……てない」

 

 ドフラミンゴは一人、地獄の底から這い出るような低音を響かせていた。

 

「おれはまちがえてない」

 

 ぎりぎりと歯が鳴る。

 昨今続く心労で摩耗した奥歯がさらに擦り減り悲惨な音を奏でている。

 額には青筋、口元には引き攣った笑み。

 異変に気付いた二人の海兵が仰反るほどの凶相を浮かべ、ドフラミンゴは絶叫した。

 

「おれは! 間違えてなんかねェ!!」

 

 そう。

 “ロッキーポート事件の首謀者”こと“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴは船を間違えたりしていない。

 そもそもの話、海賊島上陸を目指していたわけでもなかったのだ。

 

 事件前のこと。

 とある密輸船の利益を掻っ攫うべく、ドフラミンゴは入念に調査していた。

 密輸船ともあろうものがどこぞの国旗をぶら下げている意図はもちろんのこと、同じ国旗を掲げる巨大客船ロッキーポート号の存在とて事前に把握していたのだ。

 故に間違うはずがない。

 少なくともである。ドフラミンゴが密かに乗り込み積荷に紛れ込んで一眠りを始めるまで、そこは確実に密輸船だった。

 ただ、気持ちよく目覚めたらば、豪華客船ロッキーポート号の船内にいただけの話なのだ。

 

「────だけの話なわけがあるか!」

「どうしたんですか、ドフラミンゴさん……?」

 

 急に一人ツッコミを始めたドフラミンゴに恐れ慄き、コビー大佐が両手を彷徨わせる。どうやら宥めようとしているらしい。

 身長差があるため、客観的にみればドフラミンゴの腰辺りでわたわた慌てているだけの状態だ。

 

「あの、大丈夫ですよ。船を乗り間違えるくらい、ええ、誰だって一度や二度」

「一度だってねェよ、そんなドジ!」

「うっ」

 

 何故かダメージを受けて呻くコビー大佐を押し退け、ドフラミンゴは歯を食いしばった。

 

 冷静にならなければ。そう思えば思うほど、ロッキーポート事件のあれこれが脳裏をよぎる。

 世間的には秘匿されているとしてもだ。世紀の大事件の全てが自身の失態から始まったと誤認されている、この現状に歯軋りが止まらない。

 

 そう、あの時は最悪だった。

 

 船に忍び込んだドフラミンゴが目覚めた時、貨物室の扉の向こうから聞こえたのは乗組員の愚痴。

 密輸に関する情報でも拾えるかと耳をそばだててみれば、なにやら愚痴の内容がおかしいではないか。

 

 やれお貴族様は手がかかる、金持ちのくせにチップをケチるとはしけている、船にサーカスを呼ぶな等々。

 

 密輸船に似つかわしくない愚痴の数々から察するに、船は王族や要人を乗せて航行中。しかも航海の目的地は海軍の重鎮と天竜人が集う島で、既に到着間近ときた。

 この事実を知った時、ドフラミンゴの受けた衝撃たるや、筆舌に尽くし難い。

 さらにいえば、退避するため身を潜めながらデッキに出てみればどうだ。島影一つない紺碧の海が広がっているではないか。

 

 折しも天気は快晴。

 雲一つなく突き抜ける青空の清々しいこと。

 

 ドフラミンゴは焦った。

 まずいどころの話ではない。

 海も空も状況も全てが最悪。

 糸を掛けるとっかかり一つないわけで。

 

 能力による脱出も不可能と思い知り、全部を投げ出して不貞寝しかけたあの時、ドフラミンゴの心と未来は決まったのだ。

 

 もうやるしかない、と。

 

 もちろん、事を荒立てる気は一切なかった。あくまで丁重にお願いし、近くの島に降ろしてもらおうと考えただけである。

 ドフラミンゴは貴賓室に忍び込み、寝ぼけ眼の王族を起こして極力優しく囁いた。

 

『声をあげるな。誰も呼ぶんじゃねェ……!』

 

 悲しいかな、まぎれもない脅迫である。

 王族は『誰だ、貴様』だか『どうやってここに』だか喚いていたが、後半についてはむしろドフラミンゴが問いたいくらいだった。

 何はともかく黙らせる必要があったため、騒ぐ王族の口を押さえ、こう頼み込んだのだ。

 

『進路を変更して一番近い島を目指せ。利口にしていれば悪いようにはしねェ』

 

 ちなみに、一番近い島こそがかの海賊島ハチノスであることを、この時のドフラミンゴはまだ知らない────

 

 そういうわけで、ロッキーポート事件の首謀者あらため真の発端は別にいる。

 密輸船とロッキーポート号の積荷を総入れ替えし、ドフラミンゴを陥れた人物だ。

 

 人知れず行動し、数多の積荷を丸ごとすり替える。そんな荒唐無稽な離れ業を片手間でやってのける男を一人、ドフラミンゴは知っていた。

 トラファルガー・ロー、その人である。

 

 後から調べたところによれば、件の密輸船はドフラミンゴが惰眠を貪っている間に海軍と接触しかけたらしい。

 船にはモノからヒトまで違法なあれこれが積まれており、そこには摘発されれば一発で終わりのご禁制品も含まれていた。

 これに発注元の名まで記されているとくれば、海の正義も垂涎の物証となり得るわけで。

 

 ドフラミンゴも船内で確認したその名。

 見覚えのある粘液の跡、その傍に記された妙に流麗なサインはジョーカーのものだった。

 

 かくして、密輸船と近海を航行中だった豪華客船ロッキーポート号、両船の積荷が入れ替わる珍事が起きたわけだ。

 

 禁製品の発注元は疑うまでもなく、忌まわしき粘液男のトレーボル。

 ローは配下の関与を隠蔽すべく能力を行使しただけであり、積荷にドフラミンゴが紛れていたことなど把握していないだろう。

 師弟揃って仕事が雑すぎる。

 

「どいつもこいつも……!」

 

 当時の屈辱が振り返し、怒りに打ち震えるドフラミンゴだ。

 トレーボルの鼻を明かしてやるついでに、利益を掻っ攫って近隣国へばら撒く。ただ、それだけのつもりだった。

 嫌がらせと怪盗業の両立に心弾ませていた愚かな己を殴ってやりたい。

 

「アイアイ」

 

 長々と回想に悩まされているうちに、ベポが近くまで移動してきていたようだ。ドフラミンゴの足をぽふりと叩く手は呆れ半分哀れみ半分の優しいタッチである。

 慰めてくれるのはありがたい。だが、ロッキーポート事件についてはクルーもドフラミンゴの言い分を信じていない節があった。

 なにせ密輸船の件は裏取りも下準備もドフラミンゴ単独で行っていたのだ。疑われるのも当然といえよう。

 だが、時代を揺らがすレベルのドジをかました船長などと思われているのは心底心外だった。

 

「本当に間違ってねェからな」

「キャプテン……アイアイ(よしよし)アーイアイアイ(よーしよしよし)

 

 言葉を成さずとも雑に流されていることくらい分かる。

 ドフラミンゴがショックを受けていると、こちらも謎に打ちひしがれていたコビー大佐がよろけながらも動き出した。

 

「すみません。ぼく、ちょっとルフィさんと話してきます」

「おー、元気貰ってこい」

 

 ヘルメッポの励ましもどことなく適当だ。

 

 力無く揺れるコビー大佐の背を見送った後、ヘルメッポがこちらへと向き直る。サングラス越しでもはっきりわかるほどの渋面だ。

 

「あいつはあんなだから拒まねェだろうが、気安く話しかけてんじゃねェよ、元王下七武海」

「普段はともかく今は協力関係にあるんだ。仲良くしようじゃねェか、少佐君」

 

 ドフラミンゴは口の端をつりあげた。舐められまいと張った虚勢の笑みだが、すかさず脛を蹴り付けるベポのせいでいまいち格好がついていない。

 何を思ったか、ヘルメッポ少佐の表情はますます渋くなっていく。

 長いため息を吐き、少佐がぼやいた。

 

「またてめェと協力し合うはめになるとは、まさに悪夢だな……」

 

 どうやらロッキーポート事件の記憶(古傷)が疼いているらしい。

 確かに、正義を愛する海兵の彼らからしてみればとばっちりもいいところであっただろう。

 さすがに申し訳ない気持ちもあって、ドフラミンゴは口をへの字にした。

 

「すまねェな。あの時は世話になった」

「お、おお? 礼を言うならおれじゃなくてコビーに言えよ」

「いや、あんたにも面倒をかけた。今更だが礼を言う」

 

 実際、海兵達の協力がなければ民衆を守り切ることはできなかった。

 ドフラミンゴが一般市民に大きな被害を出した場合、ハートの海賊団のルールに抵触する。それまで地道に積み上げてきた善への努力を無に帰すばかりか、ハートの海賊団追放も免れない状況だ。

 

 そう、追放されてしまう。

 キャプテンなのに。

 

 つまるところ、ドンキホーテ・ドフラミンゴにとってのロッキーポート事件とは、まさに絶対絶命の一大窮地だったのである。

 

「ベポ、これでいいよな?」

「アイアイ、キャプテン!」

 

 素直に礼を言ったことでベポの教育的指導キックが中断された。大きく頷いて満足を表現したベポがドフラミンゴの脛についた足型を拭って笑う。

 いつものことながらどうにもしまらない。

 通常運転のハートの海賊団に、さすがのヘルメッポ少佐も毒気が抜けただろう。彼は肩を竦めて気の抜けた声を漏らした。

 

「なんだかなァ。お前らときたら、闇のブローカーでもやってそうなナリしてるくせにメルヘンすぎるぜ。それも“宗教屋”の影響か?」

「ひでェ誤解だ」

 

 ドフラミンゴは眉間に寄った皺を押し伸ばして呻く。もはや釈明する気すら起きない。

 

 もう知らん。

 どうにでも言ってくれ。

 

 そんな投げやりな気持ちで空を仰ぐうちに、当初抱いていた疑問を思い出した。

 

 そうだ。

 ロッキーポート事件ではなく、頂上戦争である。

 

「時に少佐。結局、コビー大佐は頂上戦争の時、何と言って赤犬を止めたんだ?」

「マジで気になってたのかよ」

 

 閉口気味であるのを隠そうともせず、少佐は壁にもたれ掛かった。サングラスに遮られて感情までは窺えないものの、ドフラミンゴをみるその目は胡乱げに眇められている。

 

「細かいことは言えねェ。ただ、あいつは戦争を止めようとした。敵味方関係なく命を惜しみ、これ以上の争いは無意味だと言い張ってな」

「戦場に立っておいて戦いを無駄と言い張る、か。そりゃまた場違いな説教だ」

 

 戦場では常軌を逸脱した高揚と絶望が渦を巻く。そこでは誰も彼もが命を蔑ろにし、他者どころか自身の命までをも天秤に賭け、勝利という幻想を掴もうとする。

 皆、己が信条を正道へと押し上げるために戦っているのだ。

 

 だが、悪を討てば正義だろうか。ならば、悪とはなんだ。殺人を犯した者が悪であるとして、正義による殺人は悪ではないのか。

 決まりはない。勝敗以前に善悪の規範こそが幻であり、この世界では正義も悪も容易に覆る。

 絶対もない。ただ一つ言えることがあるとすれば、定義を決めるのは勝ち残った者だ。

 勝った者だけが正義を決める。

 

 価値観の違う者同士が潰し合い、世界を定義する権利を奪い合う。

 それがこの世の本質なのだ。

 

 頂上戦争は世界の未来を決める分水嶺に他ならず、戦場にあっては勝敗も善悪も定まる前。世界の定義は未明の空白であった。

 あの時あの場所においては、命の奪い合いだけが絶対の摂理であったはず。

 

 戦場という世界の始点に立っておきながら、戦いでの死──つまり、世の理を足蹴にした。

 コビーのそれは、世界の有り様に対する反逆であると言えよう。

 

 素晴らしい。

 なんとも痛快ではないか。

 

 コビー大佐は現在、市民を助けたことで英雄と呼ばれている。

 しかし、彼の魅力は正義や人道を飛び越えて既存の定理を破壊するほど強固な実直さだ。

 皆が正気を失う戦場でこそ、彼の平凡すぎる異質さは輝き、人々の視野を変えるに違いない。

 彼もまた、ドフラミンゴと同じく、世界を変える道を選んだ人間なのだ。

 歩む道は違えど、頼もしい限りである。

 

 一人笑うドフラミンゴを睨み上げ、ヘルメッポが声を低くした。

 

「おい、海賊。うちのエースを誑かそうってんじゃねェだろうな」

「案ずることはねェさ。確かに大佐殿はユニークで情報源としても悪くない。だが、クルーにはいらねェ。おれは海軍が嫌いなんだ」

「その言葉、違えるなよ」

「フッフッフ、お仲間思いで結構なことだ」

 

 笑みで緩む顔を掌で覆い、湧き上がる高揚を押さえつける。興奮の余波を堪えながら、ドフラミンゴは問いかけた。

 

「ときに、ヘルメッポ少佐」

「まだ何かあるのか」

「大佐殿が船を間違えたってのは何の話だ」

 

 ぎしりと音を立て、ヘルメッポが硬直する。

 顔を引き攣らせた彼は、錆びついた人形のように緩慢な動作で口を開いた。

 

「……ふっ、馬鹿め。海賊に教えると思うか?」

「いやそうは言ってもお前、途中まで自分から話してるじゃねェか」

 

 当然のツッコミに対し、ヘルメッポが顔を背ける。

 明後日の方向を向いてしまった彼の背中に向かい、ドフラミンゴは畳み掛けた。

 

「さては機密事項だろう。しかも、清廉潔白な“英雄”であらせられるコビー大佐の評判にヒビをいれるような秘密だ」

「…………」

「海軍と英雄殿の弱みを握るのも悪かねェよなァ」

 

 凶悪に嗤うドフラミンゴから逃れるべくヘルメッポが走り出す。脱兎もかくやの勢いだがそうはいかない。

 

「フッフッフ、逃げても無駄だ。もっと仲良くお話ししようじゃねェか」

「誰がてめェみたいなチンピラと仲良くするか!」

 

 指を蠢かせ糸を放つドフラミンゴと必死に拘束を掻い潜り回避するヘルメッポ。

 そんな二人の攻防を少し離れた場所から眺める者がいた。

 ベポだ。

 ベポはため息を吐いた。

 

「アイー……」

 

 会話中、ドフラミンゴが自身の背で隠しながらベポへと送ったハンドサイン。それはサイファーポール所属のブルーノの注意を逸らし引き離せという至極真っ当な指示だった。

 世界政府も一枚岩ではない。サイファーポールと海軍は目的も手段も別の組織であり、海軍の英雄たるコビー大佐の弱味をブルーノに握らせるわけにもいかないという、ドフラミンゴなりの配慮だろう。

 指令を見事に果たしたベポであるが、当の船長はといえば、この非常時に余裕面で海兵を追い回して遊んでいるではないか。

 幼馴染兼航海士としては、進むべき道を示してやらねばならないだろう。

 ベポはぽよぽよと些か愛らしすぎる音を立てながら跳ね、飛び蹴りのウォーミングアップを始めた。

 

 空には音符の槍兵。

 降るは花。

 メルヘン極まりないウタワールドは健在だ。

 曇りなき青空の下、ミニ白クマの強烈キックが唸る。

 

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