織斑一夏はテロリスト ―『お父さん』と呼ぶんじゃねぇ―   作:久木タカムラ

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最近の一言。

血小板ちゃんが素晴らしい。


046. セイセン――荒れ狂う乙女達

「馬鹿者が……」

 

 吐き出したその言葉は、一体誰に向けられたものなのか。

 敵の力を見誤り仕損じた愚弟にか、専用機を得て浮かれていた篠ノ之にか、安易な判断を下して生徒の命を危険にさらした己自身にか、作戦失敗の一因となった心汚い密漁者達か、本来の目的を見失って軍用ISなぞ開発した馬鹿共か、それとも――

 いくら悔いても、いくら唇を噛み締めても結果は変わらない。

 昏睡状態となり、全身に包帯を巻いた痛々しい姿でベッドに横たわる一夏。傍らで目覚めるのをずっと待ち続けている篠ノ之も、この数時間ですっかり憔悴し切ってしまっている。

 想い人が自分をかばって生死の境を彷徨っている――そのショックは一体どれほどのものか。

 千冬自身、もし自分とあの人が同じ目に遭ったら、と嫌でも考えてしまう。

 きっと恐らく、仕事や飲酒に逃げる事すらできないまま、目の前でうなだれる少女と同じように悲嘆に暮れ続けるか、修羅の道に堕ち果てて復讐に身を焦がすのだろう。

 

「篠ノ之。何時また福音が捕捉されるかも分からん。お前も少し休め」

「………………」

 

 何かしらの反応も、返事すらない篠ノ之。

 不安は残るものの、今後の方針を考えるために千冬は部屋を後にした。

 昨日まではあちらこちらから生徒達の賑やかな雰囲気が漂って来ていた旅館内も、現在はまるで葬儀場のように静かで冷たい空気に満ちている。詳しい事情は分からなくとも、室内待機の命令を受けて、ただ事ではないと皆が理解しているのだろう――弟が負傷したと知られて不必要に騒ぎが起こらなかっただけ、まだ救いようがある。

 急ごしらえの対策室に向かう足取りは重い。

 作戦の失敗が及ぼした影響は、もう責任の所在がどうこうの域を超えていた。

 篠ノ之の手前ああは言ったが、アメリカが衛星でも使って福音を捕捉できたとして、その情報をこちらにも教えてくれるかどうかすらも怪しい。

 最新鋭機を使っても止められなかった軍用IS――そんな代物を何時までも野放しにしておくほど政治屋も軍関係者も愚かではあるが馬鹿ではない。

 有効な手段が他に何もないと判断されてしまえば、今度こそ、日本の領海を米軍が埋め尽くして大規模な討伐戦が始まってしまう。少しでも戦力を増やすために、生徒達も訓練機で駆り出される可能性すらある。

 

「……こんな時、あの人なら…………」

 

 どんな状況でも不敵でいる彼は、数時間前から姿が見えない。

 助言を賜りたい訳ではない――ただ傍にいて、脆い自分を支えてほしいのに。

 あの人が、今はいない。

 壁を殴った左手が、心の内を表すように鈍い痛みを訴えていた。

 

「お、織斑先生! たいっ、大変です!!」

 

 廊下の向こうから山田先生が走って来る。

 その慌て振りは福音暴走の情報がもたらされた時よりも切羽詰まっていて、彼女自身にとっても看過できない事態なのだと容易に見て取れた。

 

「す、スミス先生が玄関に、大怪我してるみたいで、血塗れでっ!! 今、篠ノ之博士にも――」

 

 聞き終わる前に駆け出していた。

 現場指揮を執る自分と補佐の山田先生を除き、ほとんどの教師は今も哨戒を続けていて、旅館の従業員にも必要最低限の業務以外は控えるよう通達してあったため、泣き出す寸前の幼児のようになっているであろう顔を誰かに見られる心配はない。

 息せき切って玄関に辿り着いた千冬が見たものは、到底受け入れ難い現実だった。

 

「ぉい、おい! しっかりしろ! 死ぬんじゃねぇぞ!!」

 

 見知った金髪の女が、上がり口に寝かされた彼に懸命に声を掛けている。

 何故か女も彼も髪の先までぐっしょりと濡れていて、身体に巻き付けた白衣を染め上げる大量の血液が、今すぐ治療が必要な重傷であると訴えていた。

 

「あ、あ――」

 

 言葉にならない音ばかりが口から零れる。

 傷だらけで運ばれて来た一夏を見て実は崩れる寸前だったが――それでも努めて冷静であろうと押し留めていた千冬の感情の壁が、あっという間に内側から破壊された。

 荒れ狂う衝動に突き動かされて女の胸倉を両手で掴み、冷たい石畳の上に押し倒す。

 

「お前、お前が…………この人に何をしたぁっ!!」

「うるっせぇ! テメェこそ何もしなかった(・・・・・・・)くせに!! 退けよ馬鹿女!!」

 

 右頬を思い切り殴られ、鼻の奥から熱いものが垂れるのを感じる。

 安全な場所で偉そうに指示を出すだけで、何もしなかった――大事な弟と好きな人が死にそうになっているのに何もできなかった。助けてやれなかった。

 そんな事は今、自分を殺してやりたいほど思い知っているというのに!!

 

「この……っ!!」

 

 馬乗りになったまま、お返しとばかりに女の顔面に一撃を見舞う。

 後はもう、拳に拳を返す、子どもの喧嘩のような醜い暴力の応酬でしかなかった。

 

「織斑先生!? その人はスミス先生を運んで来てくれたんですよ!?」

「ちーちゃんもオーちゃんも何してんのさ!? ああもう馬鹿なんだから! 眼鏡女、いーくんは私が部屋に運んで治療するから二人の事は任せたんだよ!!」

「わ……分かりましたっ!」

 

 殴り合いに混乱する山田先生と、紅椿の調整にも使った機械腕で彼を運ぶ束。

 二人の声が、何処か遠くで聞こえるように感じる。

 我を忘れるとはこの事か――目の前が真っ赤に染まり、自分でも止まらなくなっていた。

 怒りと共に渦巻くのは憎しみではない。

 いざという時にあの人の傍らにいて、支える事ができる得体の知れないこの女が――肝心な時に動けない自分とは違う、彼と同じ闇の世界に染まっているであろう彼女が、どうしようもないほど羨ましくて、妬ましくて仕方がないのだ。

 もう何度振り上げたかも分からない右腕を、山田先生が全身で抱き締めるように拘束する。

 

「だ、駄目です織斑先生! こんな時に喧嘩だなんて……!」

「放せ、邪魔だ!!」

 

 強引に振り解いて再び殴りつける。

 このまま誰にも止められず、ボロボロに疲れ果てるまで続くのだろうか。

 そう思った矢先に、女から力任せに引き離され、バチンッ――と頬を強かに打たれた。返す刀で女にも平手打ちが襲い、突然の事に二人揃って呆然となる。

 平手打ちの主である山田先生は、涙の溜まった瞳でこちらを睨み、

 

「スミス先生だったらこうすると思ったので!! ひっぱたきました!!」

 

 普段の彼女からは想像もつかない、有無を言わせぬ強い口調と力。

 

「今すべき事は喧嘩じゃないでしょう!? スミス先生もきっと草葉の陰で泣いてますよ!?」

「…………」

「…………」

 

 …………いや、いやいやいや。

 

「山田先生、草葉の陰って……」

「アイツ、まだ死んでねぇだろ」

「え……ああっ!? そ、そうですね、ごめんなさい!!」

 

 何故か、一番正しい事をしたはずの山田先生が謝る状況になってしまっていた。

 ひとしきり謝り倒してから、でも、と彼女は顔を上げて揺るぎなく続ける。

 

「スミス先生ならきっと……きっと大丈夫です! とてもお強いですし、誰かを本気で悲しませるような人じゃありませんから!」

「…………ふっ」

「…………ケッ」

 

 あの人は誰よりも強い。それに、やられっぱなしで眠り続けるような男じゃない。

 そんな事は――

 

「「私が(・・)一番良く知ってる」」

 

 ……………………。

 

「あぁん?」

「おぉん?」

「はい喧嘩しない!」

「「すみません……」」

 

 年下なのに、お母さんと呼んでしまいそうになる気迫の山田先生。

 いざ我に返ると、戒めのように顔に痛みが走って何とも情けない気持ちになってしまう。

 口の端や鼻から血を流してアザだらけなこんな姿――あの人が見たら何と言うのだろうか。

 呆れられても構わないから、早く目を覚まして欲しい。

 それは、この場にいる全員の願いだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「歯ぁ食い縛りなさい!!」

 

 部屋に乗り込んで、ぶっ飛ばした。

 悲劇のヒロインを気取っている箒への発破やら日頃の鬱憤やら色々と込めたビンタで、椅子から転げ落ちるくらいぶっ飛ばした。ちょっと危険な感じに頭から落ちたので、やり過ぎたかと内心は冷や汗だったが、箒はすぐに上体を起こすと鈴に虚ろな目を向けた。

 

「ついでに千冬さんの分も殴ったわよ。本当ならグーでいきたかったけど、そこまで野蛮じゃないあたしに感謝する事ね」

「…………」

「文句なら受け付けないわよ。そもそもアンタには落ち込んでる暇なんてないんだから」

「私、私は……」

「『もうISは使わない』とでも言うつもり? ざっけんじゃないわよ!! 今戦えるのはあたし達だけなのよ!?」

 

 一喝。

 床にへたり込んだままの馬鹿女――その襟首を引っ掴み、強引に立ち上がらせて、数時間以上もベッドで眠り続ける一夏の顔に近付ける。

 ああ……イライラする。

 箒の紅椿はあの福音にリベンジできるだけの力を持っているはずなのに、過ぎた事を何時までもうだうだうだうだうだうだと、結局は目の前の現実から逃げているだけではないか。

 

「一夏がこうなったのがアンタのせいだとしても! 仇を討ちたいと思わないの!? 悔しいのに何もしようとしない腰抜けなら、最初(ハナ)っから専用機なんてもらうな!!」

 

 言い切り、箒を突き飛ばすのと同時――ドアが開き、黒い軍服姿のラウラが部屋に入って来た。

 いまだ消沈の箒を一度だけ隻眼でちらりと見たが何も言わず、ブック端末を片手で掲げ、彼女は軍人らしい口調で淡々と報告だけを述べる。

 

「衛星からの目視で発見した。ここから沖合へ三十キロ、その上空に奴がいる」

 

 それと、と前置きしてラウラは続ける。

 

「信じがたい話だが、福音は現在戦闘中(・・・)だそうだ。正確には、福音が一方的に狙撃されて足止めを食っている状況らしい。スナイパーの詳細は一切不明。弾道から逆算して狙撃地点の特定を試みたそうだが、飛ばした無人偵察機どころか、各国が所有する軌道上の衛星まで一基残らずレーザーで撃ち抜かれて被害総額が数十億を超えたとか」

「……日本円で?」

「ドルに決まってるだろう」

 

 超音速飛行を続ける福音の動きを先読みして足止めを行い――のみならず、宇宙空間を移動する衛星すらも破壊するほどの狙撃技能とパワーを有する謎の存在。

 徹底した正体の隠蔽具合から考えると、福音と同様に、何処ぞの国で秘密裏に造られた軍用ISの可能性も否定できないが、それにしては他への損害が大き過ぎる。

 

「どちらにしても、まんま化け物ね。あたし達の邪魔になると思う?」

「味方と判断するのは早計だろうな。直接狙い撃つのではなくただ進路を妨害しているだけなのも腑に落ちん。これが単なる暇潰しだとするなら、私達も撃たれるかも知れない」

「…………待て。鈴もラウラも、さっきから一体……何の話をしているんだ……?」

「決まってんじゃん。福音をぶちのめすのよ」

 

 箒の目が見開かれる。

 

「あたしとラウラだけじゃないわ。セシリアもシャルロットも、今パッケージをインストールして戦う準備を進めてる。後は……アンタが乗るか乗らないかだけ」

 

 どうするの、と意地悪く箒に問い掛ける。

 瞳の中に宿るのは、心の奥底で燻っていた反撃への火種。

 こうでもしないと魂が燃え上がらないなんて、本当に……本当に面倒臭い恋敵(ライバル)だ。

 

「……それこそ決まっている。私だって戦いたい! もう一度、今度は皆と一緒に戦って、そして勝って一夏に謝りたい!!」

「そうこなくっちゃ」

 

 にやりと笑みを浮かべ、ドアを開ける。

 人気のない廊下では、セシリアとシャルロットが待機していた。

 セシリアは新装備のレーザーライフルの銃身を布で磨き上げ、シャルロットに至っては自動装填されるはずのショットガンの弾を一発一発手動で込めている。

 それはまるで、獲物を前に包丁を研ぐ山姥のようで――

 

「あら箒さん、元気になられたようで何よりですわ」

「あ、ああ、お陰様で……」

「すまないけど、もう少しだけ待ってね。すぐ終わらせるから」

 

 言って、銃身磨きと弾込めを再開する二人。

 シュッ……シュッ……カチャリ……カチャリ……と、一心不乱に己の銃と向かい合うその様子は鬼気迫るものがあり、正直言って、友人でありこれから共闘する仲間じゃなければ近寄りたくない雰囲気をこれでもかと漂わせていた。

 箒が助けを乞うような視線で、鈴に説明を求めてくる。

 

「…………さっき言ったでしょ。今戦えるのはあたし達だけだって。ラウラがアンタの姉さんから教えてもらったらしいんだけど……アンタと一夏が運ばれて来たすぐ後に、先生も背中を刺されて担ぎ込まれたそうよ。こっちの敵も正体不明だってさ」

「それを知って二人はこうなったのか……」

 

 激しい恋情を抱くセシリア、一夏と先生に己の過去を救われたシャルロット、ラウラも声音こそ平淡だが、転入当初のナイフを思わせる眼差しを取り戻している。

 大切な人達を傷付けられて燃え盛るその怒りは、自分と箒にも負けないだろう。

 ジャキン――と、一際大きな音を立てて、シャルロットが装填の終わったショットガンに最後に祈りを込め、青を湛えたレーザーライフルがセシリアの手の中で光となって消えて行く。

 

「万端ですわ」

「何時でも出れるよ」

「では始めるとしようか。私達の百鬼夜行(パンデモニウム)をな」

 

 ラウラが先頭を歩き、セシリア、シャルロットと続く。

 恐れなどない。

 ただ狂おしいほどの愛のみが足を――身体を突き動かす。

 

「皆、強いんだな。私よりも、何倍も……」

「当たり前でしょうが。こちとら変に期待させるあのニブチン相手にいつもいつもやられっぱなしなんだからさ。あたし達もアンタも、たった一回負けたくらいでヘコんでたらキリないでしょ」

「……ああ、そうだな!」

 

 最後に残った鈴と箒も、肩を並べて歩み出す。

 暴走する福音と、謎の狙撃手と、さらにもう一機。

 あれほどの力を持っている先生が不覚を取るなど想像すらできないが――これだけ想定外の事が起きている以上、もう何が現れても驚きはしない。揺るぎはしない。

 神や悪魔が相手だとしても知った事か。

 恋する乙女の恐ろしさ、存分に刻み込んでやる。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「おやおやお二人さん、随分と男っぷりが上がったようで何よりなんだよ」

「……ふん」

「うっせ」

 

 皮肉たっぷりに出迎えてやると、親友と恋敵は、試合終了後のボクサーのように絆創膏や湿布でデコレーションされた互いの顔から視線を逸らしつつ、居心地悪そうにぼそりと一言だけ零した。

 今回ばかりは正当な批判だと彼女達も猛省したのか、それ以上いがみ合う様子はなく――純粋に彼を心配しているようだった。

 抜き身の刀とホローポイント弾のような性格の二人をここまでしおらしくさせるのだから、彼も罪作りな男である。本当に。

 

「……それで束、治療の方はどうなんだ?」

「正直言って、手の施しようがないってのが現状だぁね」

「そんな……」

 

 早とちりして顔を青く染めるおっぱい眼鏡。

 

「落ち着きなよ眼鏡。施しようがないってのは、何もする必要がないって意味だよ。これを見て」

 

 ベッドに寝かされ、腕には点滴が繋がっている想い人。

 その身体を隠す毛布をめくり上げると――

 

「うおっ!?」

「ひえっ!?」

 

 悲鳴を上がった。

 無理もない――体長一メートルを超えるダイオウグソクムシが、まるで寄生するかのように彼に覆い被さっていたら、並みの神経を持つ人間なら驚くに決まっている。

 親友の鋭い視線が突き刺さるが、妹や娘達以外の他の誰かならまだしも、意中の彼が傷を負って意識不明になっているこの状況――流石の束も悪い冗談を披露する気にはなれない。

 

「あー……きーちゃんや。お主は何をしとりますのかね?」

 

 宇宙服より頑丈なグソクムシスーツを着た娘を抱え上げ、真っ直ぐに目を見て問う。

 

「パパのお見舞い。パパおケガしたってくー姉様とうー姉様話してたから」

「ラウラの奴め、余計な事を……」

「まあ、半分はくーちゃんの責任でもあるけどね。他の皆は?」

「お部屋で待ってる。じゃんけんぽんして、きーちゃん一等賞だったから来た」

 

 ぶいー、と右の人差し指と中指をチョキチョキさせて得意げな八女。

 要するに、ジャンケンで勝って代表になったから潜り込んだらしい。娘全員で部屋に乗り込んで来なかったのは素直に褒めてあげるべきか悩むところだ。

 

「ねぇ、ママ」

「んー?」

「パパ、朝になったら、おはようしてくれるよね?」

 

 その無垢な問いに、束は心臓が握り潰された気がした。

 目を覚ましてくれる保証など――そんなもの何処にもありはしない。

 それが否応なく分かってしまうからこそ、束だけでなく、親友ももう一人の恋敵も、何も言えず案山子のようにただ立ち尽くすだけだった。

 そんな中、彼と同室のあの女だけが動いた。

 

「そう、ですね。明日になったら――もっとたくさん遊んでくれるはずですよ」

「ほんとっ!?」

「ええ……きっと」

 

 幼子を不安にさせまいと気丈に振る舞うその姿は、母親(たばね)よりも母親らしくて。

 言えなかった事を先に言われて――つまりそれは彼を心底信頼している証左であり、借りを作る形になった束の中で、安堵混じりの仄暗い感情が渦巻いた。

 凡人に嫉妬していると認めたくなくて、払拭するためにパンッ、と手を鳴らす。

 

「さあ、それじゃあママ達はこれから大人の作戦会議をするのであります!」

「おー、作戦会議! 大人の!」

「きーちゃん隊員にはおやすみなさい作戦を命令するであります! よろしいでありますか!?」

「らじゃー、なのであります!」

 

 ビシッと敬礼して姉妹達の元へ戻るグソクムシスーツの愛娘――何度も立ち止まっては手を振る彼女に振り返しながら、思う。

 果たして、今の自分はちゃんと表情を取り繕えているのだろうか。

 笑顔の仮面など、幾度となく被り慣れているなずなのに。

 見送り、部屋の中へ戻ったところで、親友が重い口を開いた。

 

「……実際のところ、どうなんだ?」

「いーくんの胸の傷をよく見てみなよ――いや、もう傷痕(・・)か」

 

 背中から刺し貫かれたらしいが、決して小さくないその傷口は既に血が止まり、ピンク色の肉が盛り上がってほぼ塞がってしまっている。この様子なら縫合さえ必要ないだろう。

 束の目から見ても異常な治癒速度、これはもはや『再生』だ。

 

「ありえねぇ……ツバ塗ってほっときゃ治るような傷じゃなかったはずだ」

「いーくんの体内を循環してるナノマシンの仕業なんだろうけど、致命傷さえ高速修復するほどの性能を持つ代物なんて、そんじょそこらの凡人や組織が作り出せる訳がない。つーか今の私でさえ作れない。極端な話、その気になれば不老不死さえ実現し得る悪魔の芸術品だよ」

「不老……」

「不死、ねぇ……」

 

 あまりに現実味のない単語に、皆一様に微妙な顔。

 口にした束自身も唇がむず痒くなっているのだから、夢物語を吹聴しているような気分になる。

 

「いーくんを旅館(ここ)に運んだのは賢明な判断だったね、オーちゃん。下手にテキトーな病院なんかに担ぎ込んでたら、動けないいーくんを狙って害虫共がわんさかだったトコだよ」

 

 医者や看護師に化けて身柄を掻っ攫おうとするか、それともつまらない国家権力に物を言わせて正面から拘束しようとするか。

 どちらにしても、彼の意識がないと凡人連中に知られたら、今以上に面倒な事になる。

 

「とーにーかーく、初めに言った通り、いーくんの事に関しては私があーだーこーだと考えたって仕方がないって話だよ。ナノマシンでの治療の補助のために栄養剤でも点滴するのが精々だぁね」

「……分かった。ならこの馬鹿の事はお前に任せる」

 

 少しは安心したらしく、普段の落ち着いた雰囲気を取り戻した千冬はそう言うと、去り際に彼の顔をちらりと一瞥してから部屋を出て行った。

 叶うなら、彼が目を覚ますまで傍らにいたい事は表情からありありと読み取れたのだが、現場の最高責任者として、親友にはやるべき事が山積みになっている。

 

「あの、オータムさん、でしたか? 念のため、事情をお聞きしたいんですけど……」

「チッ……わーったよ。手短にしてくれよな」

「は、はい! それじゃあ向こうの部屋で――」

 

 眼鏡女も、聴取のためにオータムを連れ立って退室する。

 残されたのは彼と束だけ。

 

「……ごめんね、ちーちゃん」

 

 零れた謝罪の言葉は、何処へも届かずただ虚空へと消える。

 手早くドアを施錠し、今にも鼓動で破裂しそうな心に後押しされる形で、束は汗に塗れた衣服を次々に脱ぎ捨てていく。

 正直、もう限界だった。

 昨日の夜から昂ぶり続ける身体が、無防備な彼を見た事で完全にタガが外れてしまったのだ。

 

「いーくんが悪いんだからね? 私にあんな事するから……」

 

 生まれたままの姿で彼に馬乗りになる。

 抵抗はない。されるはずもない――想い人が意識不明なこの状況で、親友の弟が死にかけている状況だからこそ、命の危機に直面して性欲が増すように、異常な興奮と背徳感が束を狂わせる。

 バレたらどうなるかなんてもう考えられない。

 

「私が大切に守ってきたもの……貴方に差し上げます」

 

 かろうじて繋ぎ止めていた鎖を自ら断ち切って。

 束は己の欲望に身を任せた。

 




日に日に異常な暑さとなっております。
皆さんも十分お気をつけください。

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