夜、パゼオンカの私室で謎めいた問答を続けた末に……。
パゼオンカとのしっとりとした小さな一幕です。

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第1話

 

 §

 繊細な桜色の流れに、指を絡め、それから櫛を流した。上品な香りが舞い上がり、手にしなやかな感触を残した。腰元まで豊かにウェーブし、簡単に切れてしまうほど繊細な髪。極力丁寧に手を動かすうち、いつしか息を止めていたらしい。

 

「少々、緊張しすぎではありませんこと?」

 やおら振り返るものだから、ぴくりと手を止める私。片や亡命貴族のご令嬢は、呆れたような流し目でこちらを見ている。切れ長の目はローズクォーツに似て、長いまつ毛にやや憂いを湛えた瞳。こういった流し目に、どうも私は弱いらしい。

「淑女の髪に触れるなんてやりつけなくて。緊張するのもしかたないよ」

「……不器用なくせに、口だけはお上手なようですわね」

 ロゼ色の髪を揺らし、鏡に向き直る。夜の私室、ランプひとつばかりの暗い部屋。現代的で工学的なロドスの一室を古風なものにしつらえなおし、すでにパゼオンカの気配で満ちている。自分の世界を持つもの独特の住まい方だった。

 

「こちらこそ、パゼオンカが他人に髪を触れさせるなんて意外だけれど。何か心変わりでも?」

「わらわは別に、何も変わってなどおりませんわ。少し見てみたいものが出来ただけですの」

「その心は」

 彼女は答えない。ただ、ひとつ息を吐くだけ。

 

 またも沈黙。今日はどうも、黙りがちだ。

 

 髪を梳く、しなやかな音が隙間を埋める。船の微かな振動が通奏低音となり、時計の音、それに雨の音も混ざり始めた。遠くアナウンスが鳴っているが、輪郭を得ない。

 どこか瞑想を誘う雰囲気。鏡面から、美女とも美少女とも言える顔立ちがこちらを見ている。見据えている。

 

 ……この美貌に、心変わりがないと言えば嘘のはずだ。

 彼女の言葉と裏腹に。パゼオンカに変化の兆しが見られるのは確かではあった。少なくとも報告によれば、彼女はゼルウェルツァで一度変わり、今も変わろうとしている。

 地上に対する警戒は解けないが、……そもそも戦場に立つのだから解けようはずもないが、失望が深まったようには見えない。私の言葉にひとつ頷いた時、顔を上げた彼女の目には浮かぶ色が変わっていた。

 言うなれば彼女は、何かを確かめたがるようになった。

 それがなんであるかを、敢えて聞き出そうとは思わない。出しゃばるつもりはなかった。

 

 当の元ご令嬢は、長く重いまつ毛越しに目を伏し、時折こちらに一瞥くれては毛先を弄んでいる。

「貴方は余程、意気地のない人とお見受けするけれど」

 そのまま、手慰みといった風に一言。

「よく言われるよ」

「全て言わないといけないのかしら」

 古風な、高貴な女性にこうも呆れられると弱い。凛とした佇まいとその口調が、ふとした手つきの所作が、どうもその出自を隠しきれない。

「貴方、わかってやっていますの? わらわに恥をかかせるおつもりかしら。ドゥリン達とは別のコミュニケーションがあると思っておりましたが、わらわの買い被りでして?」

「私は難しいことが苦手だから」

「貴方ねぇ……」

 そう言って振り返った時。

 ロゼ色の髪の奥から、ほっそりとした肩の白さが垣間見えた。上から見下ろせば、白い襟元から美しい鎖骨のラインも覗いている。

 だが、シャツを着ているのではない。フリルシャツの襟元だけがあり、デコルテが隠されていない。そして、乳房は水着のような黒布で覆われているだけだ。

 

 前言撤回するべきかも知れない。

 上品な佇まいをしているが、その出で立ちはかなり強烈だった。黒い水着をドレスに仕立て直したような、それも不揃いな布を縫い付けたような、かなり奇抜な格好だ。シャツから襟元だけ切り抜き、アシンメトリーな長手袋をまとい、左脚に至ってはほぼ完全に露出している。

 その服装を気にさせないのだから、あるいは高貴な雰囲気は本物なのかもしれない。だが、ふとした瞬間にそれは無視し難いものとなる。

 

 ……亡命してる時、ウルサスをこの格好で逃げ続けたとは思えない。何より故国の物を彼女は良しとしない。とすればゼルウェルツァに入ってからのものか。そう考えるのが自然とは思えた。小人達の国に、この長身女性に合った服があるはずがないのだし。

 ただ、それを聞き出すのはあまりに野暮で、かつその度胸もない。貴女の服装は煽情的に過ぎますがどこでお求めに、だなんて。長手袋を纏ったその腕が、鞭にならないとも限らない。目を背け、見なかったことにした。

 

 とはいえ、相手は貴婦人な訳で。

「気づいていますわよ」

「何をかな」

「鏡。目の前にありますもの」

 慌てる私に、まったく……と嘆息するパゼオンカ。

「何を考えていたかは知らないですけど、貴方でなければ追い出していた無作法ですわ」

「私だったら許されるのかな?」

 取り繕った冗談だった。パゼオンカは何も答えない。いつものように、澄ました顔をしていた。

 いや。

 違う。

 頬を赤らめ、顔を背けている。

 

「パゼオンカ……?」

 ピクッと肩を振るわせ、ウルサス語で何やら呟く。それから、言葉を探すようにむにむにと唇を揺らし、今度は諦めのため息をついた。

 

 次いで、キッとこちらを睨みつけると、

「……わらわにここまでさせたのは、貴方が初めてですわ」

 そう言って、櫛を持つ私の手を止めたのだ。

「パゼオンカ……?」

「わらわにしてみれば、促されて出た地上で貴方が初めての善性だったのですけれど。認識を改める契機だったのですけれど。そうですわね、貴方にしてみれば、それは知らない話かもしれませんわね」

 不貞腐れたのか揶揄っているのか、意味深なことを言う令嬢。

 それから、ぴっちりとした手袋をまとった手が頬を撫でる。ゴム生地の張り付く指先が、長く私の顎先をなぞった。腕から指先まで克明に形を浮かび上がらせる手袋の、その感触が心をくすぐる。

 

「特別にはっきり言って差し上げますが、わらわはこの感覚を究明するのに躊躇は致しません。手段も選びません。わらわの気質を理解していれば難しい話ではないでしょう」

 豊かなロゼ色の髪の中、パゼオンカの美貌が真正面から私を見つめる。それから、両手で頬を包むと。

「今回だけ、特別ですわ」

 するりと、私の顔に顔を埋めた。

 

 目を丸くする私を包む、長い長い髪。

 唇に、柔らかくぷっくりとしたものが触れる。押し当てられ、鼻先が触れ合った。色白の少女の、熱のこもった口元。指先が、私の頬を包んで離さない。

 

 おまけにパゼオンカが立ち上がれば、今度は上を向かされてしまう。すらりとした長躯、177cmの体格。彼女の長身が、消し去り難いウルサスの出自を主張してくる。女性に上からキスを注がれる、独特の感覚が背筋を走り抜けた。華やかな香りと少しの吐息。キスの中、私はその体格差に圧倒されつつあった。

 

 恐ろしく長い接吻だった。

 

 ややあって、ループスの娘がするりと身を引く。黒く目元を縁取る長い髪が伏し、羞恥に目を背けた。赤面しながら腕で唇を隠す。

 鏡を見れば、私の唇にほんのりとルージュの痕跡。なおキスの気配を、彼女の熱を、唇の弾力を、唇が忘れられずにいる。

 

 深紅のドレスを翻し、窓の方を向くパゼオンカ。

 それから、一言、一言だけ。

「わらわが本来臆病であることを、貴方はよく知るべきですわ」

 最後に、そう呟いたのだった。

 

 

 




いつもとは少し違った感じなので続きを書くか迷っているのですが、区切りがついたのでいったん投稿いたします(書くならFanboxで成人向け。もし書いた場合はハーメルンからは削除いたします)。ご意見ありましたらお教えください。


(7/30追記)
問い合わせたところ「その作品のみで読者の方にお楽しみいただける状態であれば、
続編等が外部サイトでのみ公開されていても問題とすることはございません」とのことでしたので、こちらでもご報告させていただきます。
こちらの作品の後半部を書き換え、R18の長編にすることにいたしました。もしご興味があればご覧ください。


https://sakizakikoruri.fanbox.cc/posts/6438354

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