隻腕の狼、テラに忍ぶ。 作:子犬
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薄雲が漂う青空の下、屋根の上を狼が全速力で駆けていた。視界の端を建物の輪郭が目まぐるしく流れていくが、その足音は限りなく小さい。
ふと空を見上げると日は既に地平から離れ、朝の空の中ほどへ差しかかっている。街に落ちる影はまだやや長かった。
目覚めてすぐ響いてきた爆発音と、遠方に立ち昇る土煙から察するに、かの場所では激しい戦いが起こっていると推測できる。
―――だがその場合、刃を交えているのは一体誰と誰なのか。
脳裡に浮かぶのはあの白装束の集団と、ジェシカを含む共に任務へ赴いた三人の姿。
特に、あの白兎は手練れである。彼女らの実力を疑うわけではないが、相対したとなればどうなってしまうかはわからない。
最悪の状況が頭を過った狼は踏み込みをより強くし、その速度を上げた。
ふと、狼は自身の身体に意識を向ける。
目覚めてからというもの、徐々に強くなっていく違和感。だが違和感と言っても不調の類ではなく、むしろ体が軽くなり、感覚が鋭くなった気さえするほどだった。
思考も明瞭で、流れていく景色がよく見える。
それはまるで葦名を駆けていた頃のような心地であり、今であれば例え類稀なる強者が相手であってもそう易々と後れを取ることはないとすら感じるほど。
その違和感の正体について、狼は既に思い至っていた。
これまで己を覆っていた、日々の鍛錬のみではどうにも落としきることのできなかった錆。戦いにおける勘や剣筋を鈍らせていたそれは、今や跡形もなく取り除かれている。
八年という歳月の中で、知らず知らずのうちに身体へ染みついていた鈍り。平穏の中では決して拭い去ることのできなかったそれを、死の淵で味わったあの凍てつく苦痛が、呼び覚ましたのだ。
―――死という強烈な衝撃を以て、狼の牙を鈍らせていた錆は完全に落とされたのである。
無論、肉体の消耗が全くないわけではない。あの氷に閉ざされた身体には、今なお鈍い痛みが残っている。
しかし、それすらも今の狼にとっては些細なものだった。
痛みがあれば、疲労もある。だが、それらを抱えたまま如何に動くべきか。どこまで踏み込み、どのように刃を振るうべきか。その感覚が、今の狼にははっきりと分かる。
気付けば、狼の耳に先程まで響いていた戦闘の音が静まり、代わりに多数の人間の声が聞こえてきていた。耳をすませば、何やら言い争っているように聞こえる。
「これは……」
声の発生源に近づいた狼が、屋根の上から眼下を覗き込む。そこにいたのは、共に任務へ赴いた三人と、あの手練れの白装束の集団。
―――そして、口から血を吐き膝をつく白兎の姿だった。
双方の武器は既に下ろされつつあったが、依然として緊迫した空気が漂っている。白装束の集団は膝をつく白兎を庇うように取り囲み、その向こうではロドスの者たちが何やら声を掛けていた。
なぜあの白装束とロドスが刃を交えずにいるのか。
どのような経緯でこうなったのか。
―――ジェシカ、フロストリーフ、メテオリーテと共に白装束と相対している見知らぬ三人は一体何者なのか。
疑問は尽きなかったが、少なくとも今はいずれの側にも争いを再開する余裕はないように見える。
ひとまず状況を確かめるため、狼は僅かな逡巡の後屋根から跳び下りた。
―――――――――――――――
夜間に始まった追撃戦は、日が昇ってなお続いていた。
廃墟の街には足音や荒い呼吸、金属同士の衝突音が響き、アーツと矢が飛び交っている。
衣服には未だ、あの広場に立ち込めていた焦げ臭さが染みついている。立ち止まれば、炎に包まれた建物の光景が脳裏を過った。
「次から次へと…っ! フロストリーフ、気を付けて! 奴ら迂回してきてる!」
「クソッ…」
「フロストリーフ、少し下がれ。 アーミヤ、彼女の後退の援護を」
「はいっ!」
放たれた黒いアーツが敵の足元を穿ち、砕けた石畳が視界を塞ぐ。その隙にフロストリーフは後退した。
直後に冷気が吹き抜け、足元に薄氷が張る。それに合わせて距離を詰める者達に対してメテオリーテが援護射撃で距離を取らせるたびに、別の路地からは新しい敵が現れた。
ドクターはバイザーの下から周囲を見渡す。付近の路地は氷で封じられ、逃げ込めそうな建物にすでに敵の気配があった。
「申し訳ありません……ドクター…」
その傍らでそう零し、ジェシカは手元の銃に視線を落とした。
弾薬の残りは僅か。長時間の戦闘で腕は重く、引き金を引く指先にも力が入りづらくなっている。
未だ脳裡を過るのは、自身を逃がすため一人残った狼の背中。
逃走を続けるうち、ようやく実感が追いついてきたのだろうか。先ほどまで遠い出来事のように感じられていたあの光景が、今は嫌にはっきりと思い出せる。
自分にもっと力があれば、彼を置いていかずに済んだのではないか。そう考えるたび、胸の奥が締め付けられた。
「大丈夫だ、ジェシカ。 君はよくやってくれているが、装備の消耗が大きいんだ。 今は、仲間に任せて下がっているといい」
「でも、私――」
「――だがもし、私に危険が迫ったときは君を頼らせてくれ。 私では、到底太刀打ちできそうにないからな」
「ぁ…わ、わかりました…!」
これまで耐え続けていたロドスではあったが、長時間に及ぶ逃走劇は徐々に体力と装備を削り、現在その機動力は大幅に減少していた。
しかしドクターの指揮の下、五人という人数で追撃をしのぎ続けるロドスに、いよいよスノーデビル側にも疲労の色が見え始めている。
「……まさかここまで耐えるとは。 こほっ… 存外やるようだな、ロドス」
追撃する側の後方で、フロストノヴァが小さく息を吐く。
「姐さん、どうする…?」
「私がやろう」
そう短く答えると彼女は片腕を持ち上げ、前へと向けた。
すると、足元の路面の薄氷が――同胞を避けながら――音を立てて広がり、壁面へ白い霜が這い上がる。
―――直後、冷たく美しい歌が響いた。
歌声が空気を揺らすたび、彼女の頭上には黒ずんだ氷晶が次々と生成され、その鋭い先端をロドスへ向ける。
「あれは……ッ!? 皆さん、隠れて!!」
それが詠唱であると最初に気付いたアーミヤが叫ぶ。
フロストノヴァの指先が振り下ろされようとした、その時だった。
「―――ぉぉぉぉぉお……らあッ!!」
「なっ…くっ!?」
頭上から轟く声。
フロストノヴァが顔を上げると、そこには唸りを上げるチェーンソーを振りかぶりながら、こちらに向け急速に落下してくるフェリーンの姿があった。
「チッ……!」
フロストノヴァは咄嗟に短剣を掲げ、その刀身へ氷を纏わせる。直後、振り下ろされた駆動する刃が、氷に覆われた短剣と激しく衝突した。
耳を劈く衝突音とともに大量の火花が散り、足元の石畳には亀裂が走る。その衝撃で巻き上がった土煙が、二人の姿を覆い隠した。
土煙の中、二つの刃は暫し拮抗する。だが、回転する刃の圧力は増すばかりであり、このままでは押し切られると判断したフロストノヴァは、足元から一気に冷気を放つ。
すると、フェリーンは即座にチェーンソーを引き、後方へと跳び退いた。
土煙の中から飛び出したフェリーンはロドス一行の前に降り立つと、視界の悪い前方を見据える。その立ち姿に隙は無く、纏う気は場の空気を塗り替えてしまうほどのものだった。
「―――ブレイズさん!」
「……間に合ったか」
「やっほー! アーミヤちゃんにドクター!」
声を聞いたフェリーン―――ブレイズは、視線だけを背後に向け陽気な声で答えた。その手元では彼女の得物であるコンバットチェーンソーが低く唸りを上げており、心なしか周囲の冷えた空気が僅かに揺らいだ気がした。
「要請聞いてすぐに飛んできちゃった!」
「助かりました! でも、あんなに高いところから……!」
「へーきへーき! それより、みんな怪我は?」
「この場に動けない者はいないが、装備も体力も限界に近い」
ドクターの返答を聞き、ブレイズの目が細くなる。
「なるほどね。じゃ、ここからは私の番かな」
「……単独で深追いはするな。相手の連携とアーツは厄介だ」
「分かってるって、ドクター!」
彼女はチェーンソーを構え直し、口角を上げた。
「君たちに、強襲オペレーターの戦いを見せてあげる!」
「新手か……」
フロストノヴァは、刃の一部が欠けた短剣を握り直す。
「……姐さん、俺がビッグベアともう少し前に出る。 だから、少し下がってくれ」
「ごほっ…こほっ… 大丈夫だ……」
「だが、顔色が―――」
「―――お前たち、来るぞ」
言葉が終わるより早く、ブレイズが力強く地を蹴った。
踏み込みとともに熱風が巻き起こり、振り抜かれたチェーンソーが前衛のスノーデビルに襲いかかる。
「ぐっ……なんて力だ!」
長剣で受けたビッグベアの巨体が、後方へ押し戻される。隣の隊員が脇から突いた槍も、ブレイズは身体を捻って弾き、そのまま二撃目へ繋げた。
「悪いね! ちょっと熱くなってきた!」
足元の氷が弾け、白い湯気が上がる。
彼女はただ力任せに得物を振り回しているのではない。踏み込みに合わせて熱した気体を膨張させ、自らの身体を押し出しているのだ。
「下がれ、お前たち」
静かな声の直後、鋭い氷槍がブレイズの目前へ突き刺さった。
「おっと!」
跳び退いた先を、二本目、三本目が追う。ブレイズはチェーンソーで一本を砕き、飛び散る破片の中を強引に駆け抜けた。
フロストノヴァは相手の動きを見つめた。無闇にアーツを撃ち込んでも、あの機動力では避けられる。かといって、近づいても近接戦闘ではこちらに分がない。
―――ならば、足場そのものを奪ってしまおう。
短剣を握る指が僅かに動いた。すると路面が凍り、ブレイズの進む先へと白い帯を伸ばしていく。
既に生じた氷槍を囮として避ける方向を決めさせ、その先で動きを封じようとしたが、ブレイズの下へと伸び切る前に急速に勢いを失い、跡形もなく溶けていった。
「なるほど。 熱を操るアーツか」
「まあそんなとこ! そっちこそ、ずいぶん冷たいじゃない!」
フロストノヴァの足元からさらに氷が広がる。路面は悉くが氷に覆われ、ブレイズが移動しようとする場所には次々とアーツが撃ち込まれた。
ブレイズは跳んで躱すと僅かな隙間へ着地し、すぐさま跳躍する。
それでも全ては避けきれず、頬を氷片が掠め、続く一撃が袖を少し裂いた。
「……やるじゃん!」
そう言って、ブレイズは歯を見せて笑ったが、笑みとは裏腹にその視線は相手から逸れない。
戦いの最中も相手を冷静に観察していた彼女は、フロストノヴァが氷槍を放つ際、ほんの一瞬だけ動きが鈍ることにも気づいたのだ。
そうして機会を待ち、再び氷槍が放たれた瞬間、ブレイズは地面を蹴った。熱によって膨張した空気が背を押し、弾丸のように前へ飛び出す。
自身を狙った攻撃に対して下がるのではなく、むしろそれを好機として前へと踏み込み、反撃に転じたのだ。
「ッ……!」
フロストノヴァは瞬時に氷壁を生み出す。
直後、轟音とともに刃が食い込むと、氷は削れた端から厚みを増し、チェーンソーの回転を押し留めようとした。
「そんなものでは―――」
「―――だったら、もっと熱くするだけ!」
急激な温度差に氷壁の表面へ亀裂が走り、刃がそこを捉えた瞬間、氷の壁は砕け散った。
だがその時にはフロストノヴァは既に後退しており、氷片が彼女の周囲で再び集まると、ブレイズへと襲いかかる。
「しつこいなぁ、もう!」
チェーンソーが唸り、冷気と熱風がぶつかると両者の間に白い蒸気が立ち込める。
フロストノヴァが広範囲に冷気を放つと、ブレイズは一度距離を取った。それは踏み込むたびに靴底が凍りつき、ほんの一瞬とはいえこちらの動きが鈍るため、その一瞬が、相手にとっては十分な隙になり得てしまうからだ。
対するフロストノヴァも無傷ではなく、先ほどからアーツを行使するたび、胸の奥に奇妙な違和感が生じていた。刃そのものは避けているが、戦闘による消耗が次第に無視できない段階へ向かっていることを感じ取っていたのだ。
過るのは、あの男との戦い。そこで力を使いすぎたのか、あるいは病が進行したのか。いずれにせよ、今は身体を休める余裕などないと、彼女は呼吸を整え、再び短剣を握り直した。
「……お前のようなのが何人もいるのか、ロドスには」
「さあね! 知りたかったら、来てみる?」
「冗談が上手いな」
「本気で言ってるんだけど、ね!」
その言葉と同時に、ブレイズが大きく踏み込む。フロストノヴァはこれを迎え撃つべく腕を動かしたが、横手から飛び来た一矢が足元の氷を砕き、狙いを乱した。
「……!」
それは位置を変えたメテオリーテの援護であり、ドクターは遠く離れたブレイズと視線を合わせ、次の指示を示すように片手を上げた。
倒す必要はない。この場で必要なのは追撃を止め、撤退できるだけの距離を作ること。その意図を読み取ったブレイズは、踏み込む方向を僅かに変える。
敵の正面ではなく、スノーデビルの陣形を切り離す位置へ。
遠距離ではフロストノヴァが優位に立ち、近づけばブレイズの刃が防御を削り取る。しかし互いに決め手を欠いたまま、戦いは長引いていた。
だが、その間にも戦場全体は動いている。
「メテオリーテ、あの崩れかけた壁を狙えるか。敵の迂回路を塞ぎたい」
「なるほどね、任せて!」
弾頭が壁の支柱を捉え、爆音が響く。瓦礫が路地へ雪崩れ込むと、回り込もうとしていたスノーデビルたちの足を止めた。
「くそっ、道が!」
「左へ回れ! 姐さんの援護を―――」
「フロストリーフ、左の通路を押さえてくれ。ジェシカは後方の警戒を」
「了解」
「は、はい!」
フロストリーフが斧を構え、左手の通路へ走る。突きを繰り出した敵の腕を柄で弾き、体勢の崩れた相手を地面へ押し倒した。
一方のジェシカはドクターの背後へ回り、建物の陰を窺っている。その時ふいに、視界の端で人影が動いた。
「ドクター、8時方向!」
銃声が響くと、足元を撃たれたスノーデビルがよろめき、再び物陰へと退いていく。
「よく見つけた、ジェシカ!」
「……はいっ!」
その頃戦場中央では、ブレイズが再びフロストノヴァへ迫っていた。
「そらッ!」
「ぐっ…!」
チェーンソーが氷壁の防御を削り、砕けた破片が宙を舞う。その勢いのまま放たれた蹴りに、フロストノヴァの身体が一歩揺れた。
「姐さん!」
「来るな!」
駆け寄ろうとした部下を、彼女が一喝して制止する。
背後では部下たちが必死に隊列を立て直している。少し前まで優位に追い詰めていたはずのロドスが、今は一人の増援によって息を吹き返しつつあった。
「……こほっ」
思わず咳が漏れた。
いつもの発作なら分かる。身体に巣食う鉱石病の苦痛は、既に嫌というほど知っていた。しかし、今は胸の奥に妙な不快感と熱がある。
―――いったい何だ、これは。
フロストノヴァは唇を引き結び、違和感を押し殺した。
「……しぶといね、あんた」
「……お前もな」
「そろそろ決着つけたいところなんだけど?」
「同感だ」
フロストノヴァが片手を胸に添える。
―――これ以上、戦いを長引かせるわけにはいかない。
彼女は小さく息を吐き、覚悟を決めた。
すると、あの歌が再び響き周囲に凍てつく風が吹きすさび始めた。急速に気温が低下し、空気中にあの黒い氷晶が浮かび上がる。
先ほどまでとは違う、肌を刺すような冷気。
ブレイズの足元を覆う氷が、彼女の熱を押し返すように広がっていた。
「……ちょっとまずいね」
ブレイズはチェーンソーの握りを確かめる。
「ドクター、下がって!」
「…全員、遮蔽物へ! あの攻撃をまともに受けるな!」
しかし氷晶は増え続ける。一つ、また一つ。鋭い槍先が空中に並び、逃げ場を塞ぐように向きを変えた。
フロストノヴァは意識を集中させる。
これで、終わらせる。そう決めた、その瞬間。
「ッ……!?」
胸の奥が、引き裂かれた。
「ッ!? ごほっ!ゴホッ…! かはっ…!」
突如、フロストノヴァが咳き込み始める。その咳はなかなか止まず、徐々に湿り気を帯び始めたかと思うと顔色も一層青白くなっていく。
喉から押し出される咳を止められない。肺に空気を入れようとするほど、内側から何かがせり上がってくる。彼女が口元を押さえた指の間に、湿った熱が触れた。
「!? 姐さんッ!!」
異変に気付いた一人の隊員が叫ぶが、振り向こうとしても首が動かない。次第に周囲の音が遠くなり、拍動だけがどくどくと、耳元でうるさく鳴っている。
過去、発作に耐えてきた時と同じようにフロストノヴァは苦痛を押さえ込もうとした。だが、喉の奥からは新たな咳が込み上げる。
以前にも血を吐いたことはある。だから、この程度で驚くはずはなかった。
―――しかし、今の苦しさは違う。身体を内側から削るような痛みに、覚えのない重さが重なっている。
「……っ、ぐ……!」
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
制御を失った氷晶が震え、次々と砕けていく。宙に並んでいた氷槍は、誰にも届かないまま地面へと崩れていった。
一人の叫びを合図に、前衛の隊員たちが一斉に動く。幾人かはフロストノヴァを取り囲み、残る者はロドスへ武器を向けた。
「どうした、姐さん! しっかりしてくれ!」
「……こほっ、ゴホッ……!」
返事はなく、彼女は肩を震わせ荒い呼吸を繰り返している。その突然の異変に、ブレイズは訝しげに目を細めた。
一瞬、演技の線が頭を過ったが、すぐにその疑念を打ち消す。
膝をつくフロストノヴァの苦悶の表情。そして、彼女を取り囲み狼狽するスノーデビルたち。どちらも、敵を欺くための芝居とは到底思えなかったのだ。
「……これは、まずいね」
ブレイズはチェーンソーの回転を落とす。
「ドクター…!」
「ああ。 全員、戦闘中止。 だが警戒は続けてくれ」
ロドスの一行は攻撃の手を止める。張り詰めていた戦場に、咳と荒い息遣いだけが残った。
アーミヤが一歩前へ出る。
「待ってください! その方は危険な状態です! 今すぐに適切な処置をしないとっ…!」
「……何だ?」
「私たちロドスは、鉱石病の治療に取り組んでいます! どうか、その方の容態を確認させてくださいっ……!」
「……あんたらが?」
男は訝しげに眉を顰めた。
彼らも、ロドスについて全く知らないわけではない。鉱石病の治療を掲げ、感染者問題の解決に尽力しているらしい企業。
無論、スノーデビルとて、好き好んで戦いに身を投じてきたわけではない。彼らが望んでいたのは、ただ仲間たちが迫害に怯えることなく、当たり前に生きていける場所だった。
レユニオンとロドス。手段こそ異なるものの、その根底にある願いは、決して遠いものではないはずだ。
そして、これまでの戦いを通じて、少なくとも目の前の者たちが感染者を無差別に殺そうとしているわけではないことも、薄々感じ取っていた。
―――敵ではある。だが、決して相容れない相手というわけでもないのかもしれない。
「おい、どうする」
「どうするも何も……姐さんがこんな状態なんだぞ」
「だからって、こいつらに任せていいのかよ」
「じゃあ、お前に何かできるのか?」
「……それは」
言葉に詰まった男が、苦々しく顔を歪める。
彼らの足元では、フロストノヴァが今も苦しげに咳き込んでいた。
「……くそっ。こういう時に限って、何もできねえ」
誰かが吐き捨てるように呟いた。
その時、傍らで黙っていた一人が口を開く。
「……ま、俺はいいと思うぜ」
「は?」
「そこの嬢ちゃん、悪い奴には見えねえし」
男はそう言って、アーミヤを顎で示した。
「…それによ、ほら、うちの姐さんと同じウサギだろ? 案外、気が合うかもしれねえぜ?」
「お前……今そんなこと言ってる場合かよ」
「分かってるよ。だから言ってんだろ」
男は肩を竦めた。
「こいつらがレユニオン狩りに来た連中じゃねえってことくらい、戦ってりゃ分かるさ。だったら、今は頼ってみてもいいんじゃねえか?」
「……お前はいつも呑気だな」
「お互い様だろ」
軽口を交わしながらも、その表情に余裕はない。
男は一度フロストノヴァへ視線を落とすと、再びアーミヤへ向き直った。
「なあ、嬢ちゃん。本当に、姐さんを助けられるのか?」
「……必ず助けられるとは、お約束できません。ですが、私たちにもできることがあるはずです!」
アーミヤは真っ直ぐに男を見つめた。
「……なあ、一つ聞いてもいいか」
「はい?」
「あの男のことなんだが。昨夜俺たちと戦ってた奴だ。……あいつも、あんたらの仲間だったんだろ?」
その言葉に、ジェシカの肩が僅かに震えた。
「……俺たちは、あんたらの仲間を殺した。それでも、姐さんを助けてくれるってのか?」
アーミヤは一瞬、言葉に詰まる。
「……簡単に割り切れることではありません。ですが、だからといって、今ここで苦しんでいる方を見捨てることもできません」
男はしばし押し黙ると、苦々しく息を吐いた。
「……そうか。勝手な頼みなのは、分かってるんだがな」
そう呟いた後、男は顔を上げた。
「……よし、決まりだな」
「お、おい!」
「今は休戦だ。姐さんを助けるのが先だろ?」
そう告げて、男は持っていた武器を下ろした。
「ただし、まだ全部信用したわけじゃないからな。妙な真似は勘弁してくれよ?」
「……はい! ありがとうございます!」
アーミヤが深く頭を下げる。
その様子を見た男は僅かに目を丸くした後、どこかばつが悪そうに笑った。
「ははっ、なんでそっちが頭下げてんだ。 本当は、こっちが下げなきゃなんねぇのによ」
「……全く、お前って奴は」
隣の男も呆れたように息を吐き、ようやく武器を下ろした。
「アーミヤ、まずは容態の確認を。ブレイズは周辺の警戒を頼む」
「了解!」
「はい、ドクター!」
「残りの者は通信状況の確認と―――」
こうして、つい先ほどまで刃を交えていた両者の間に、束の間の休戦が成立した。
しかし、緊迫した空気が完全に消えたわけではない。
フロストノヴァは今も苦しげに呼吸を繰り返し、その口元を押さえる指の隙間からは、”淀んだ赤”が滴り落ちていた。
その時だった。
―――背後から、どさりと音がした。
リアルが落ち着いたらもう少し更新できるようになる…… はず。
『回生』
竜胤の御子の力
たとえ斃れても、蘇ることができる
だが、常ならぬ力は淀みを生む
頼り過ぎれば、やがてそれは溢れ出すだろう