隻腕の狼、テラに忍ぶ。   作:子犬

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 前話も評価や感想などありがとうございます!




遭遇

 

 日没後の冷え切った風が吹き抜ける薄暗い廃都市の路地を、狼は褪せた柿渋の羽織と襟巻を靡かせながら歩いていた。白くなった吐息を背後に残しながら路地の中ほどまで辿り着いた狼は、徐に義手を持ち上げそこに仕込まれた"ほそ指"を口元に近づける。次の瞬間、灰色の壁に挟まれた空間に悲しげな、澄んだ音が響いた。

 指笛を使用してから程なくして、背後から足音が聞こえてくる。振り返ると、そこには先程狼が確認した道を追ってきたジェシカがどこか緊張した面持ちで立っていた。

 

「お、お待たせしました」

 

「ああ」

 

「あの、やっぱりこれって大丈夫なんでしょうか…… 遠くまで響いていたり……」

 

「……加減はした。遠方まで届くことはないだろう」

 

 狼が使用した指笛──義手忍具【泣き虫】。特殊な指輪をはめた、穴の開いたほそ指を忍義手に仕込んだものである。廃都市で移動を続ける中で、この異常とも言えるほどの凍えるような寒さの影響かは定かではないが通信機を使用することができなくなったため、せめてジェシカとの間だけでも意思の疎通を可能としておきたかった狼が提案したものがこの指笛を用いた簡単な合図という手段だ。

 狼が先行して様子を探り、問題がなければ指笛を吹いてジェシカへ知らせるというこの方法は、単純ではあるものの、この状況下における任務の遂行に十分な効果を発揮していた。

 

「もう少しでこちらの調査は完了ですね。……行きましょうか、オオカミさん」

 

「……大丈夫か?」

 

 立ち止まっている自身の横を通り抜けたジェシカの背中に、まるで何かを案ずるように狼はそう問いかけた。

 時が経つにつれて彼女の口数は減り、声色からも力が抜けていった。顔に差す陰も、きっと日没によるものだけではないだろう。

 

「……え?」

 

「気分が、優れないように見える」

 

 そう言って振り向いたジェシカは一瞬驚き呆けたような表情でこちらを見ていた。狼の言葉を受けた後、直ぐ困ったように笑って取り繕おうとするもその笑顔は引き攣っているように見える。

 

「わ、私のことでしたら全然大丈夫ですからっ!」

 

 そうは言っているものの、やはり平生を保っているようには見えないジェシカの状態について、狼は思案する。見知らぬ男との行動、そして周囲を取り巻く不気味で不穏な気配。思えば、明らかに異常といえる状況にありながらジェシカに対し気を配ることができず、多くの負担を負わせてしまっていた。

 

 行動を共にしておきながらジェシカに多くの心労を掛けてしまっていたという事実と、そんな彼女に対し何もしてやれていないということが狼の眉間の皺を深くする。しかし、この状況下において彼女にかけるべき言葉を狼が紡ぐことができないこともまた、事実だった。

 

「……そうか」

 

 万一ジェシカの身に大事があれば、彼女の仲間達に対し申し訳が立たない。しかし此度まで、とりわけ葦名での狼は単独で行動しており、取り巻く環境もそのほぼすべてが主従によって成り立っていたため、狼にとってロドスのような規模の組織での振る舞いは未だ知り得ないものであった。

 

 狼はジェシカから視線を外し、徐に背後へ振り返る。今までにいくつもの路地や通りを通過してきたが、今ではあの白装束の歩哨の姿を目にすることは最早無くなった。敵と出会わないことに越したことはないのだが、先に進むにつれて人の気配を感じなくなっていくと同時に狼は今までに感じていた気配の根源へと徐々に近づいているような、言いようのない気味の悪さを感じていた。

 寒さが体力を徐々に奪い、すぐ近くにまで迫っているように感じる何かの気配が胸を騒がせる。狼としても、あまり長く留まりたくはない心地だった。

 

 頭によぎる不吉な想像が実体を持って襲い掛かってくる前に、終わりかけの調査を終えてしまおうとまた歩き出そうとしたがやはり妙な胸騒ぎが拭えず、狼は路地を出て今一度集中し、周囲を見渡す。───その時、忍びとしての感覚が周囲の空気の変化と、微かな"敵意"を感じ取った。

 

「……待て」

 

「どうかしましたか?」

 

「備えろ、敵だ」

 

「ッ!ど、どこ、に──」

 

 瞬時に銃を保持し直したジェシカが狼の視線の先に目をやると、いくつもの人影が細い路地から姿を現し、さらに屋根の上でも影が立ち上がりこちらを見下ろしていた。

 狼とジェシカをいつの間にか囲んでいた者達のその姿は白装束の兵達と似ていたがその頭部にあの奇妙な仮面は無く、装いも寒冷地で見られるような物だった。何よりも、即座に展開し陣形を整えたその一連の動きには今までの兵達には見なかった統率も見て取れる。推察するに、敵方の精鋭なのだろうか。

 狼は突然姿を現した敵とどう斬り合うかを組み立てながら───静かに、恥じていた。

 

 足音、呼吸音、微かな殺気。

 本来であればそれらすべてを、たとえ雨風の中であろうと嗅ぎ分けていたはずだった。だがそれがどうだろうか、こうして至近に迫られるまで気配を感じることができなかった。狼は、己の怠慢を悔いる。技が鈍ったか、敵の技量か、気の緩みか、或いは齢か、いずれにせよ言い訳にはならない。

 楔丸を構え、敵の動きを具に観察しながらも、狼の眉間の徐々に皺は深くなっていく。悔いも、恥も、すべてを己の内に押し込め、そうして一つの決意を静かに結んだ。

 

 ───次は、決して遅れを取らぬ

 

 それは刃を研ぐのに似て静かに、だが確かな熱を伴った誓いだった。

 

 

 先に仕掛けたのは、白装束の兵達だった。地上の兵の中で先頭に立っていた者が、得物を構えながら駆けてくる。こちらに振り下ろされた刃を油断なく弾き、続けて放たれた二回目の斬撃もまた、荒廃した街に甲高い音を響かせながら弾く。

 攻撃を弾かれた白装束の兵は、その場で飛び退いた。狼はそれを追い攻勢に出ようと足に力を入れたが、ジェシカとの距離が離れてしまうことを危惧し、取り止める。その直後、パシンという音と風切り音が頭上から続けて響き、狼に向けて二本の矢が飛来した。幸い屋根の上の射手達を視界の端で捉え続けていた狼は、これを難なく弾き落とす。

 

「……っ」

 

 自身の斬り込みと隙を突いた射撃により手傷を与えられると考えていたのであろう眼前の兵は目を見開いていたが、すぐに持ち直すと、今度は後ろから新たに二人の兵が歩み出てきた。それを見た狼は、僅かに目線を鋭くして息を軽く吐き、楔丸を構えなおす。

 戦いとは数だ。多くの敵に囲まれてしまえば、どれほど勇猛な将であっても容易く討ち取られてしまうように、このような多数を相手取る場合では彼我の戦力によほどの差がなければ切り抜けることは困難である。しかし、今はこの目の前の三人に屋根上の射手達を加えた攻撃を捌ききらなければ、ジェシカ共々共倒れであり、それは何としてでも防がねばならなかった。

 

「……行くぞ、合わせろ」

 

 そんな声に合わせ、兵達は狼を正面と左右から挟み込むように展開しながら駆けてくる。狼は全員の動きを観察しながらまずは正面の敵の攻撃を弾くと、続けて左側面から振り下ろされた刃も最小限の動作でいなす。いなされた刃がそのまま地面へ向かい大通りの路面を砕くと、狼は体勢を崩した敵の首に向かって素早く刃を振り下ろそうとした。しかしそうするよりも先に、残った一人からの攻撃が背後から迫っていることを気配で捉えた狼は横へ軽く跳ぶことでそれを回避したが、その瞬間またもやあのパシンという音が耳に届いた。

 

「ぐっ……!」

 

 唐突に差し込まれるようにして飛来した矢を辛うじて捉えた狼は、身体を無理やり捻るようにしてそれを弾き落とした。しかし、その際夜闇に覗くことのできた射手の顔には焦りの色はなく、狼がその意図に気付いた時には既に体勢を立て直した兵の一人の刃がこちらに向かってきていた。

 

 死ぬことをも覚悟し、"次"の行動を考え始めた狼だったが、その考えは敵の使用している弩とは違う、より強く乾いた発砲音によってかき消された。

 

「がッ!?」

 

 突然、胴体に何かが複数回衝突した衝撃により敵が大きくよろめく。狼は弾かれたように音の方向へ顔を向け、その先で拳銃の銃口からのぼる煙を見たとき、ジェシカの放った銃弾が自身を窮地から救ったことを認識した。

 

「っ…… 大丈夫ですか!オオカミさん!」

 

 どうやら通りに横たわる瓦礫や破壊された建物の影などの環境を巧みに利用し身を隠しながら、何時でも援護ができるように備えていたらしい。だが、援護の為に銃声を発した上、姿をも見せてしまった結果敵方からの視線を集めることになったジェシカは静かに身体を強張らせた。

 その時、一人の射手がジェシカに向けて弩の照準を向けたことを確認した狼はその射線に跳び込むようにその場で跳躍し、矢を両断すると、よりジェシカに近い位置へ静かに降り立った。

 

 ジェシカの位置を確認し、迫る矢を弾きながら距離を詰めてくる敵を見つめる。

 

「来るか…」

 

「……っ!」

 

 数に勝る相手からの攻勢をしのぐ為、自然と狼は自身とジェシカへの攻撃を防ぐことに傾注し、ジェシカも後方からその死角を補う。しかし、敵も烏合の衆ではなく、時折矢の中に鋭い氷弾のようなものが交じるようになるなど徐々に攻撃はより苛烈なものへと変わっていった。

 

 攻撃をいなし、弾きながら狼は周囲を見やる。───明らかに、先程よりも敵の数が増えていた。狼の技とジェシカの射撃により辛うじて膠着していたが、このまま戦いが長引けばこちらが先に擦り切れてしまうということを感じ取った狼は、考えを巡らせると隙をついて瞬時にジェシカの元へと駆け寄り、口を開いた。

 

「一度退くぞ」

 

「は、はい!」

 

 そう狼が端的に低く呟くと、ジェシカは敵を注視しながら左手を腰の後ろに回す。

 

「発煙装置、起動しますっ!」

 

 掛け声の直後、ジェシカが肩に下げていた筒状の装置から勢いよく吹き出した白煙が周囲を包み、姿を覆い隠す。それを見て意図を察したレユニオンの兵達は追撃を試み、いくつかの矢と氷弾が煙幕を裂いたが、白煙が晴れたころにはジェシカと狼の姿はどこにもなかった。

 

 

 

 廃都市を駆けまわった末にレユニオンの兵達から逃れ、ついに足を止めた狼は今後の行動について思案していた。既に調査を終えているであろう別動隊との合流を急ぎたかったが、互いの位置が不明であるためそれは容易ではない。だが、あちらもこちらとの通信が不通となったことで何らかの異常を感じ取っていることだろう。

 そこまで考えていた狼の耳が、背後から小さな呻き声と物音を捉え背後を見る。すると、ジェシカが何やら尋常ではない様子で俯き足を止めているのが見えた。

 

「ジェシカ殿……」

 

「う…うぅっ… ご、ごめん、なさ…… す、すぐに行きます……」

 

 近くの壁に力なくもたれかかり、身を抱いて震えるジェシカの身を案じた狼は声をかけながら近付いた。しかしその声が届いている様子はなく、彼女は呼吸を乱しながら言うことを聞かぬ自身の身体に戸惑っているようだった。

 

 狼は急いでジェシカのもとへと駆け寄ると、目の前で屈み視線を合わせる。その時覗き込んだ瞳はひどく、揺れていた。

 戦場とは常に大きな力などが渦巻いているものであり、それらは恐怖や死の気配を纏い、そこに立つ者達を容赦なく飲み込まんとしてくる。恐らく、今の彼女は正しくそれに飲まれようとしているのだろう。

 

 恐怖に飲まれた者は目まぐるしく変化する戦場に適応することが困難となり、そうして気付いた時には既に死は己の背後へと忍び寄っているのだ。───怖気づくと、人は死ぬ。それを理解していた狼はこのままジェシカが正気を擦り減らしてしまうのはまずいと直感的に考え、懐から薬包紙に包まれた粉薬を取り出した。

 

「これを飲め、楽になる」

 

 狼はジェシカを壁に背を預けた状態で座らせ、その傍らに膝を折った。そして左手で頭部を支えながら、薬包紙を口元に近づけ傾けていく。この行為を彼女が果たして受け入れるかどうかわからなかったが、ひとまず拒まれる様子がない───或いは、拒む気力すらないのか───ことに、狼は内心安堵した。

 

「───っん」

 

「……そうだ、それで良い」

 

 紫がかった顆粒───【怖気消し】を少しずつ、さらさらと口へと流していく狼だったが、直後にジェシカが顔を顰め、苦し気な呻き声を上げたことでその手を止めた。

 よもや薬を間違えたかと考えた狼だったが、すぐにあることを思い出す。狼が所持している薬水や粉薬といったものはどれも薬効こそ確かなのだが、得てしてひどく臭く、そして不味い。それを失念していた狼は少しでも飲みやすくなるよう水の入った容器を取り出し、蓋を開けてから差し出した。

 

 本来、【怖気消し】などは墓守や介錯人といった忌み仕事の者達が"怖気"に備えて持つものであり、狼はそれらを主に怨霊の類と相対する際に用いていた。

 今回はそうではないが、その薬効は人に怖気に抗う力を与える。もしやこれが気付けとなり、彼女が少しでも持ち直すことができるやもしれない。狼はそんな望みに賭け、ジェシカにまた容器を差し出した。

 

「けほっ… すいません、オオカミさん……」

 

「身体はどうだ」

 

「……はい、少し、楽になりました」

 

 しばらくするとジェシカの乱れていた呼吸も次第に落ち着き、顔色を見ても元の調子を取り戻したようで、その言葉を聞いた狼は「そうか」と呟いてから立ち上がり少女の様子と路地の外を窺える位置で壁に背中を預けた。

 

 肌寒い風が吹き抜ける空間に、沈黙が満ちる。それはあの二人と別れた時の浮足立ったようなものと比べ重苦しさを孕んだものだった。その空気を破るように、狼がジェシカに問いかける。

 

「…一つ、聞きたい」

 

「…? はい、なんでしょうか…?」

 

「お主はなぜ、戦いに身を置く?」

 

「えっと、それは……」

 

 狼はジェシカが戦場に身を置こうとするものとしては精神面が心もとないことに勘づいていた。何故、それでも彼女は武器をとるのか。狼はどうにも気になったのだ。

 狼の問いに対し、吹き抜けた風に腕をさすりながらジェシカは答えた。

 

「…私には、目標があるんです。BSWに入ったのも、成長して、そこに近づくためで…… 今は、立派な傭兵を目指しています」

 

「傭兵、か……」

 

 傭兵。主に雇い主から依頼を受け、テラの各地で起こっている戦闘に参加する者達を指す言葉であるが、その依頼内容は物資輸送の護衛から紛争への参加までと幅広いようだ。傭兵が身を投じる戦場の規模は様々だが、請け負った任が物資の護送であれ戦闘への参加であれ、危険が伴うことに変わりはない。

 

 ジェシカの目指す"傭兵"がどのようなものであるかは定かではないが、その気質が傭兵という生き方において枷になり得ることは彼女自身もよくわかっているだろう。だが、それでも彼女はこの場に立っている。いつか不安と恐怖に打ち勝ち、自らの足で立たんとする覚悟。彼女の握る銃こそがその証明なのだろうか。

 

「オオカミさんは… 以前傭兵をされていたんですよね」

 

「……ああ」

 

「私は、果たしてなれるのでしょうか。 ずっと、不甲斐ない姿ばかりお見せしてしまいましたし……」

 

「……」

 

 自身を取り巻く空気にあてられ、心が揺れ動き、その末に零れた言葉。それを受けたところで、やはり言葉は出てこない。だが夜空からの光に照らされた彼女の姿、やけに小さく見えるそれを目の前にした狼は慣れないながらも少しずつ、言葉を紡ぎ始めた。

 

「願いについては、お主次第だ…… だが、お主は未だ道中ばなのだろう。過ちのひとつふたつ、さしたる問題ではない。俺とて、数知れぬ過ちを重ねてきた」

 

「過ち、ですか」

 

「そうだ」

 

「その過ちを、思い出してしまうことはないんですか? ……そのせいで、また同じことを繰り返してしまうんじゃないかと怖くなってしまうことは……」

 

 その問いに、狼は葦の地を駆けた多くの時と数々の死の記憶、そしてあのススキ野原での光景を脳裡に浮かべながら、口を開く。

 

「……悔やむことは、ある。 だが、この足を止めたことはない」

 

「やっぱり、凄いですね。 ……オオカミさんが目指している場所は、どんなところなんですか?」

 

「それは…… 言えぬ」

 

「そうですか…… ごめんなさい、困らせてしまって。……どうやらまだ落ち着けていなかったみたいです」

 

「良い、これは俺に故あってのことだ」

 

 会話に区切りがつくと、ジェシカの様子を横目に確認し息を吐く。そこでふと、伝えるべき言葉を失念していたことに気付いた狼は、顔を少女の方へ向け再度口を開いた。

 

「……ジェシカ殿」

 

「は、はい」

 

「先の戦い、助かった」

 

 狼の脳裡に浮かぶのは、己を敵の刃から守ったジェシカの弾丸。あれが無ければ退くことはおろか、生き残ることもかなわなかったやも知れない。

 狼は為すべきことの為であればにべもなく実を取るが、決して情がないわけでも、恩知らずでもない。故にこの恩をいかにして返すべきか、思案していた。

 

「…え? あっ、い、いえ! 私も、守っていただいてばかりでしたから…… オオカミさんを守ることができて、良かったです」

 

 突然狼から感謝を伝えられたジェシカは一瞬呆けたような表情を浮かべた後、少し落ち着きのない様子を見せていたが、瞳には光が宿り、その表情や声の調子には僅かに喜色が滲んでいた。

 

 先程までの重苦しい雰囲気が少し緩む。───なかなかウタゲ殿のようにはいかない、と会話を振り返る狼を、葦名を駆けていたころを知る者達が見れば珍しいものを見るような眼をするであろう。

 

 束の間の休息の後、「そろそろ、行きましょうか」という声に狼は首肯で以て返すと、ジェシカはゆっくりと立ち上がり、狼も背中を預けていた壁から離れた。

 再び歩き出した時、狼は自身の隣を歩くジェシカを横目に見やる。彼女の足取りは先程よりも少しだけ、しっかりとしていた。

 

─────────

 

「うぅ、なんだかさっきよりも寒くなったような気がします……」

 

「……」

 

 周囲に気を巡らせながら、歩を進める。先程までも身が縮むような寒さが続いていたが、それは身体の動きを少し鈍らせることに目を瞑ればまだ耐えられるものだった。

 しかしこの時には少しの風が吹くだけで曝された皮膚の一部には痛みが伴い、視界の先に広がっていた冷気の靄は最早霧のようになっていた。

 

「やはり、何かがおかしい」

 

「い、一度もと来た道を───」

 

 吹き抜ける風に身体を少し縮こまらせていたジェシカがそう言い切る前に、耳に装着した通信機からザザッと小さく音が響き、それに続いて長らく聞いていなかったように感じる声が聞こえてきた。

 

『───ジェシカ!オオカミ! 聞こ──か!』

 

「えっ、フロストリーフさん……?」

 

『っ! 繋がったか……!』

 

 その声の主は数時間前まで行動を共にしていたフロストリーフだった。通信が不可能となってからというもの、あちらの状況を把握することができず狼の頭の片隅には最悪の状況も浮かび始めていたが、声を聞いた途端にそれも霧散した。しかし、通信機のフロストリーフの声には通信が回復したことによる安堵以外にもどこか緊迫したような雰囲気があった。

 

「どうした」

 

『さっき、レユニオンの幹部と遭遇した。今は奴らに追われてる』

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

『ああ、今はな。 だけど……あいつらを撒くためにメテオリーテとは一旦分かれた。多分無事だとは思うけど…… ああそれと、本艦への連絡は済ませておいた。とりあえずお前たちは無事でよかったよ。なかなか繋がらなかったから何かあったのかと思ってたんだ』

 

「そのことなんですが… 実は、こちらもレユニオンと遭遇してしまったことに加えて異常なほど気温が低くなってて…… 報告しようとしていたんです。 恐らく、今まで不通だったのもこれの影響かと……」

 

『……なんだって?』

 

 ジェシカがそう言った直後、フロストリーフの声色が変化した。先程までの安堵と少しの緊張が混じったような雰囲気に、今度は驚きと焦燥が混ざり始め、それに気が付いた狼は内心小首を傾げる。ジェシカがそのまま言葉を続け、状況の仔細をフロストリーフへ伝えると通信機の向こうからすぐに言葉が返ってくることはなく、狼とジェシカはそんな様子に目を見合わせながら通信機に耳を傾けていた。

 

『こっちの状況に加えて、お前たちのその話…… もしかしたら、私達が置かれている状況は最悪なものかもしれない』

 

 不通だった仲間の声を聴くことができたことによる安堵に影が差し始めるような少しの沈黙の後に返ってきたのは、そんな“最悪”の二文字だった。

 

「え……?」

 

『これは私の予想だけど、もしかしたらこの廃都市には……っ!───ックソ、あいつらもう追いついて来たか。 ……またすぐに連絡する。お前たちは警戒を───』

 

「え、フロストリーフさん?! 大丈夫で───」

 

「どうした」

 

「つ、通信が、切れてしまいました……」

 

「なんだと……」

 

 ブツリという音と共に声が聞こえなくなった通信機を固く握りしめながら、ジェシカはそう呟いた。

突如伝えられたフロストリーフとメテオリーテの危機、そして再びの通信の途絶。これが示すのは状況のさらなる悪化であり、この廃都市で蠢く名状しがたい不穏な影がいよいよこちらを飲み込まんとしているように感じられた。

 

「オオカミさん、助けに行きましょう……!」

 

「承知し───」

 

 

 危

 

 

「───ッ!」

 

「──……ふぇ?」

 

 突如、感じた殺気。狼は右手で瞬時に目の前のジェシカを抱き寄せると、殺気の方向を向いて義手を鳴らした。すると、火花を散らした義手から傘のような鉄扇が二人を守るようにして開く。衝撃と、僅かな"冷気"が狼の身体に伝わってきたのはその直後だった。

 

「お、オオカミさんっ!?」

 

「───っ、見つかったか」

 

 狼が鉄扇──義手忍具【仕込み傘】を閉じると、視線の先の靄の中から一人、また一人と人影が浮かんでくる。その姿は先ほど見た、まるで冬を思わせるような寒冷地の装い。

 

「……ジェシカ殿、ここは引き受ける。先にフロストリーフ殿とメテオリーテ殿の助勢に向かえ」

 

「だ、ダメです!オオカミさんを置いていくなんてできませんっ! そ、それに、あの数は……」

 

「だが……」

 

「先輩方のようにお役に立てるかはわかりませんが…… もう一度私も、戦いますっ!」

 

 先程とは様子の違うジェシカの様子を見た狼は、一瞬面食らったような表情を浮かべる。こちらを真っ直ぐ見つめる翠色の双眸の奥には怖気消しの影響が窺えるが、それ以上に勇敢さと確かな意志をそこに感じることができた。

 どうやらここに来て彼女の気弱さの裏側に輝くもの、その一端を覗くことができたようだ。

 

「……そうか、礼を言う。だが、あの者達のもとへ急がなければならなくなった時は躊躇うな」

 

「!……わかり、ました」

 

 先程聞こえたフロストリーフの声は通信機越しであっても疲弊しているように感じられた。経歴から、戦闘経験が豊富な者達である事は知っているが、とはいえ敵の追撃を振り切ることは容易いことではないだろう。すぐにでも助勢に向かいたいが、そのためにはこの場を何としてでも切り抜けねばならない。狼は楔丸を抜き、ジェシカも銃器の安全装置を弾く。そして相手を見据え、自身の得物を構えた。

 

 

 ───その時互いが吐いた息は、一層白く染まっていた。

 

 





『怖気消し』
忌み仕事の者が用いる、怖気を抑える粉薬

状態異常「怖気」の蓄積を減らし、
一定時間、その耐性を高める

墓守や、介錯人、あるいは供養衆…
忌み仕事の者たちは、
怖気への備えにこれを持つ

そして備えは、今一つ。怖気したなら、尻隠せ





 今回の後書きのアイテムとそのフレーバーテキストはSEKIRO原作のものです。

 気ままに書いている自給自足作品とはいえ、毎回ここまで遅れているとだんだん申し訳なくなってくる今日この頃です。今回に関してはここまで遅れるとは思いませんでした……

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