「お散歩お散歩らんららんらら〜ん 」
天使の歌声が聞こえる。陽光の下でこのように戯けていられるのも、溢れ出る魔力のお陰だろうか。優しく、小動物も握り殺せそうにない…そんな手を持つ少女。余の右手を握りしめながら、その歳相応の笑みを浮かべる。
「久しい外は楽しみか?」
「うん!!連れてきてくれてありがとう!!お兄様っ!!」
この屈託のない笑顔を守るために…己は存在している。左の手でフランドールの頭を少し乱暴に撫でる。鈴のようなキャッキャッという音が少女の笑いとともに心の凝りがどんどんとほぐれていく。いつもの霧の湖も天国かと見間違うかのようだ。
「…普段なればこの青天は良い天気とは言えぬが…兄が日傘の代わりをしてやろう。」
「日傘なんてないよ?」
「魔力を薄い膜上にして陽光を遠ざけているのだ。兄の膨大な魔力を持ってして行われること。…余と散歩に出かけたいと望んだ己を褒め称えろ。」
小首をかしげるフランドールの頭に手を置く。
この天使の為なれば、盾にも傘にもなろう。とはいえ、そのまぁるい眼球はなんの知識も得ていないように思えるが。わからぬことは理解しなくても良い。たかだか、その程度のことだ。
「そんなことしてお兄様疲れない?」
…なんと。
これのどこが悪魔なものか。小首を傾げて此方を見るその瞳は実に美しく、余の姿がなんの歪みも霞みもなく、余の
「疲れるものか。…汝との散歩は甘美の時間だ。この時間に使わずしてどこで使う。有り余っているのだ。少しは使わせてくれ。」
「え?あっ…う、うん。」
「汝は気にせずとも良いのだ。…フランドール。」
何の効果か、陽光のせいか。
キラキラとフランドールの顔が輝いて見えた。
散歩…と言っても人里には降れない。
己1人なら造作もないことだが、フランドールを他者の目に止まらせたくはない。過去の話だが、知り合いが攫われたこともある。あれは人ではなく、実力を見誤った愚鈍の仕業だったが。
「魔理沙がねー。外の世界の話をよくしてくれたんだぁ!!」
湖近くの道に入る途中、フランがそう言った。
霧雨魔理沙はフランの良き話し相手であり、良き友人だ。何度も余に挑んできては屈辱を喰うものの、フランドールにあの娘の謳う物語は刺激的だったことだろう。何せ、フランの知る灰色の冷たい牢獄に色を塗り重ねたのは霧雨魔理沙なのだから。
「そうか。」
「魔理沙ね、おもしろいの。色んな魔法見せてくれるし、あとお本も読んでくれるのよ!!」
「…そうだな。人間は実に面白い。」
フランドールの顔が晴れやかになる。石の塀の中に閉じ込められていた妹が真の友人を手に入れた…と言うべきか。だが、それが人間とは…なんとも奇妙なものだ。いや、己もか。人間を義妹と呼び、人間を従者にした己も…奇妙か。
「フランね。もっと色んなものを見てみたいの。」
「…何?」
その言葉は初めて聞いた。
もとより、フランもレミリアもこの兄に一片の我儘も言わなかった。初めて…フランに驚かされた。
「花畑も見てみたいし、人の里も見てみたい!…だって、幻想郷に来てずっとお部屋の中だもん。」
「…人の里…か。」
花畑は多少面倒だが、悪くない。どうせ、毎度宴会ごとに絡まれるのだ。それが早まるのみ。…だが、人里はどうか。綺麗な薔薇には棘があるとはよく言ったもので。この余の手をぎゅっと握る小さき天使は世界に嫌われたのか、吸血鬼という種族であり、あらゆるものを破壊する力を持つ…。
それは姉ですら畏怖させたほど。閉じ込めるしかなかった。…紅魔館を飛び出し、妹らを捨て置いた己がそれを否定することはない。人間らがどう思うかは知らぬ。だが、人々がどのような行動に出るかは…火を見るより明らかである。
恐怖と非難に埋まるだろう。
そして、人類の最強の味方に我々を殺せと願い出る。我々はただ生きたいだけであるにも関わらず。理解するとは軽蔑するよりも遥かに難しい。
「お兄様?どうしたの?」
「…なんでもない。」
ありもしない未来を見て頭を悩ませても仕方ない。その考えを拭うようにフランの頭を優しく撫でた。指の隙間から見えるルビーのような瞳が此方をチラチラと見る。
「次の宴会は一緒に行ってみるか?」
「え?…や…うーん。」
最近、何故か博麗神社の宴会が多い。あの咲夜が愚痴をこぼすほどだ。次が満ちる回数よりも奴らの顔を見ている気がする。フランが小首をかしげるのも納得がいく。余とて紅魔館の主という立場でなければ、また、咲夜が行っていなければ顔を出すのも憚れるほど多い。流石に多すぎるほどだ。
「無理はしなくとも良い。また今度、解を聞かせておくれ。」
そう言うとフランはまた小首を傾げた。
「…。」
ふとフランの方を見れば顳顬から汗粒が一つ流れていた。懐からハンカチを取り出し、その汗粒を拭いとる。
「疲れたか?」
「ううん?…でも、最近暑くって。」
…確かに。文明が進んだ外ほどではないにしろ、桜は散り、緑を蓄えた景色に茹だるような日照。まさしく夏だ。春を待ち望んだあの銀色の日々がすでに懐かしい。
「寒いよりはマシだろう?」
「そうかなぁ。」
「…ふむ。」
吸血鬼は気温の変化にとても弱い。病にふすことはないが、それでも心配になる。幻想郷も徐々に夏が暑くなってきた。表す数値や何かがあるわけではないが、感覚として緩やかにではあるが、変化はある。
「…苦しいか?」
「そこまでじゃないよ?」
「…そうか。少しでも暑さが苦しくなったら言うといい。」
妹の服を弄る趣味はないが、背に腹は変えられない。気温維持の魔法刻印を刻むか。或いはそもそも太陽を破壊するか。少々寒く、暗くなるが構わんだろう。
「だいじょーぶ。ちょっと暑いだけだもん。咲夜にまた涼しい服にしてもらうよ。」
「…そうか。」
「心配してくれてありがと。お兄様。」
…妹に気を遣わせるとは。なんとも不甲斐ない兄だ。それにしても微笑むフランはやはり天使か何かか。ギラつく太陽などとは違い、眩いまでの柔らかな光を放つ。…この瞬間こそが心の底から生を実感する。
「…。」
霧の湖は湖の周りを鬱蒼も茂る森により守られているかのように存在しているのだが、その中でも何故か木々が開けた場所がある。何処ぞの阿呆が暴れたか…そもそも、人がこの場を切り落としたか。切り株に囲まれた広場。
くぅ……
そして、時を察してか。
隣の天使の鐘が鳴る。ふと横を見れば、フランの顔が少し赤い。幼稚な我が妹でもそれに対しての恥じらいはあるのだろう。
「まだ昼飯を食ってなかったな。咲夜から弁当を預かっている。少し汚れるが、そこに腰をかけて食うといい。」
「ほんと!?やったぁ!!」
満面の笑みで微笑みながら、バスケットに入ったサンドイッチに手をつけるフランドール。キラキラとした目で小さな両手で大きなサンドイッチを掴み、そのまま三角形の頂点から食らいつく。
「ん〜〜〜!!」
空腹とはもっとも料理を引き立てるスパイスである。
そう言わんばかりに、フランドールの顔が満面の笑みに染まる。此方も腹が減った。白い柔肌の直角三角形に嬉々として齧り付く。爽やかなトマトの酸味と濃厚な卵の味わいが舌に絡みつく。軽食としては最適解である。
「…フラン。」
「…?」
小首をかしげるフランドール。その顎に手を当て、胸元のポケットに入っている真白のハンカチーフで口元を拭い取ってやる。
「美味いのは勝手だが、淑女として恥じぬ行動を取るよう。」
「…うん!」
そう言って微笑むフランドールの頭を優しく撫でてやる。胸の中に去来する陽だまりのような感情。自然と口元が緩む。昼食を食べ終えたなら…館へと戻ろうか。