その少女に初めて会ったのは小学校の四年生の時だ。夏休みが終わって二学期の始業式、彼女は先生に連れられて教室へと入ってきた。
「星野アイです。よろしくお願いします」
誰もが目を惹かれる容姿、飛び切りの笑顔から繰り出された挨拶は、その一言でクラス中の男子を虜にする。いや、男子だけではない。同性である女子たちですら彼女の虜になるだろう。
事実、椅子の間を進み自分の席へと向かうその最中でも、教室の中のほぼ全員が彼女に対して視線を向けている。その視線には好奇や羨望、中には一目惚れしたのか熱い視線を送る男子も見受けられた。
そんな風に観察していると、空いていた隣の席に転校生たる彼女が座る。
「えっと、今日からよろしくね!」
そして先ほどと寸分も変わらぬ笑顔で告げられた挨拶。
――ああ、この時期の彼女はこんなにも気持ち悪い表情をするのか。
彼女の身に何が起こっているのか、知識としては知っていた。だが、こうして目の当たりにすればそのような感想しか出てこない。それが、彼女にとって防衛手段の一つだと理解しているとしてもだ。
「ああ、松田翔一だ。よろしく。星野さん」
内心の苦い思いを表に出さぬように答えるが、彼女には何かしらマイナスなことを考えていることは気づかれるだろう。
「……うん、よろしくね山田君!」
少しの間の後にそう言って、彼女は黒板の方を向く。
――名前の言い間違いをするのも正に原作通りか。
ニヤリとしてから、自分も黒板の方を見る。既に朝のホームルームが始まり先生が何やら話し始めていたが、それが脳に入ってくることはなく思考は別の方向に向く。
かぐや様か、推しの子か。
四宮財閥やら秀知院学園やらと、どこぞで聞いたことがある単語が出てきていたから察しはついていたが、彼女の登場によってこの世界はどうやら後者のほうであることが確定した。
(それなら、やっぱり助けたいよなぁ?)
十年後に隣に座る彼女は一等星の輝きを一瞬だけ見せ、儚く散る。最愛の子供たちを残したまま、未練と共に死んでいくのだ。
そんなバッドエンドはノーセンキュー。求めるのはハッピーエンドだ。
勝利条件はドーム当日の事件を何かしらの形で防ぐこと。そして、その首謀者たるカミキヒカルを排除すること。
そのためには隣に座る彼女の信頼を得なければならない。しかも、隠し子と住む自分の部屋の住所を教えてもいいと思えるくらいの信頼をだ。
――これ無理ゲーかもわからんね……。
前世今世、そして恐らく未来も女性経験なしの自分にはあまりにも荷が重かった。
それでも、未来のことを知っているのは自分だけ。自分が諦めれば恐らく彼女は死ぬ。それだけはどうしても避けたい。
だからやるしかない、やるしかないが、何をやっていいかさっぱりわからない。
だが、とりあえずコミュニケーションは取らなければならんことは理解しているので休憩時間に前世の仕事経験を活かして話しかけてみた。おじさんみたいって言われて見事に引かれた。辛かった。
「星野アイです。よろしくお願いします」
十時間ぶり二度目の挨拶と歓声を聞きつつ、隣に座った彼女を横目で見る。
この施設の食事は食堂にみんなで集まって食べることになる。つまり、これから朝昼夜と彼女と共に食事をするわけだ。
それ自体は何もないというか、むしろ接点ができて好都合だ。だが、提供される食事のメニューに関しては、大きく問題があった。
本日のおかずのメインは焼き魚。それに味噌汁と野菜の煮物とデザートのリンゴが一切れついて、主食は当然白米と一見全く普通のメニューに見える。だが、この横に座る少女にとって白米というのは地雷原に等しい。
『白米の中にさ、ガラスとか入ってたらどうしようって思う』
母親に投げられて壊れたグラスの破片が、白米の中に混ざっていて怪我をしたという事実。
きっと彼女は白米を見る度にこのことを思い出すのだろう、現に様子を窺えば表情が強張っているように見えた。
とはいえ用意してもらっている食事のメニューを変えてくれと言えるわけもなく、また一人だけ別メニューともなれば疎外感を覚えてしまうかもしれない。そして何より、指摘してしまえば星野アイが白米が苦手という情報を知っていることがばれてしまう。
ならばと、立ち上がった俺は施設のおばちゃんに声をかける。
「おばちゃん、卵もらっていい?」
「いいよ。翔君は本当に卵かけご飯好きだねぇ」
そう、白米が苦手ならば白米じゃなくしてしまえばいいじゃない。暴論が過ぎる。
だが、今の自分にはそれくらいしかできんと割り切って、いそいそと冷蔵庫に向かう。
後ろから聞こえる俺も私もという声に軽く応えつつ、必要な数の卵を器を持った後席へと戻る。そして、隣に座る彼女に一個ずつ差し出した。
「えっと……、急に何かな?」
戸惑う彼女を尻目に、卵を割りつつ答える。
「卵かけご飯、うまいよな」
「え? う、うん、そうだね……?」
「だよな。白米に卵と醤油をかけてまぜるだけで白米がくそ美味くなるんだ、最高だぜ。あ、卵割れるか?」
「うん、それは大丈夫だけど……」
自分で混ぜれば中に何も入っていないとわかるし、それが不審な行動にもならない。意図に気づいてくれたかどうかはわからないが、まあこれで少しでもご飯を美味しく食べてくれればいいと思う。
――生卵がダメだったら全部台無しだけどな!
まあ戸惑いつつも卵を割り始めた様子を見るに苦手ということはなさそうだ。毎度毎度卵かけご飯というわけにもいかんので緊急避難的な処置ではあるが、これで少しでも気楽に食事してもらえればいいと思う。
「えっと、ありがとう」
嘘が上手い彼女であるから本心かどうかはわからない。正直押しつけがましい感じもあったし。
だが、少なくともお礼を言ってくれる程度には問題のない選択だったということでいいのではないだろうか。
いつかパーフェクトコミュニケーションを達成してみたいものである。
さて、そんな形で星野アイの好感度を上げる日々がはっじまっるよーして数か月経ったわけだが、残念なことにその後の結果は散々たるものであった。
自分こと松田翔一は小学生の形をしているがその中身はただのおっさんである。正に身体は子供頭脳は大人状態。
そんな人間が今を時めく学生たちの流行の話題についていけるわけもなく、そんな状態では当然女子との会話がスムーズにできるわけがない。
――自分がこれほどコミュ障とは思わなんだ……。パーフェクトコミュニケーションとは何だったのか。
気難しいアイドルとのコミュで容易く完璧な対応をするPはやっぱすげぇよと内心感嘆しつつ、横に視線を向ければ我らがアイさんは鞄に荷物を入れている最中だった。
終礼が終わって今は放課後、クラスメイト達は各々の友人たちと集まって話しているが、俺とアイの周りには人が集まる気配はない。
いや、最初はあったのだ。転校してきて半月ほどの間、アイの席は休憩時間の度に人が集まるような状態で実に邪魔であったのだが、しばらくすると徐々に人は減っていき、今ではアイに話しかけようとする者はいなくなった。友人の候補であっただろう同じクラスの女子ですら、遠巻きに見ているようなありさまだ。
まあ、それも会話しているのを見ていると然もありなんとも思うわけだが。
別に失礼な態度を取っているわけではない。話しかけられたら無難に答えるし、笑顔も見せる。しかし、まだ彼女の【嘘】も未熟なのだろう。会話の最中に感じてしまうのだ、壁があると、警戒されていると。
そうなると話は早い。遊ぶのは別にアイでなくてもいいと今までの友人たちの元へと戻っていく。そして、残るのは浮いた転校生一人というわけだ。
これが会社ならば、仕事を円滑に回すために人間関係のフォローに入る人も多少はいるだろう。しかし、ここはただの小学校。興味がないものに対して極めて残酷な子供たちが集う場所である。
結局、アイが孤立するのにそう長い時間はかからなかった。
そんな状況のせいもあってか、学校でアイと積極的に関わるのはほぼ俺一人ということになる。そうなると同じ施設で暮らしているため一日中一緒にいるようなものだ。おかげでそれなりに会話の機会は増えるのだが、いかんせんコミュ障と嘘を被った少女であるので会話の内容は無いようである。
――どうしたもんかな。このままじゃ友人はおろか、単なるモブCあたりで終わりかねん。
せめて友達認定してもらうには何かしらアプローチをしなければならないのはわかっているが、自分がやったところでただの奇行になり果てるのは明らかだ。かと言って、何もしなければただのモブである。完全な手詰まりであった。
おお神か仏よ、何故私にコミュ力を与えてくださらなかったのですか。困った時はゲンドウポーズと、机に肘をつき頭の前で手を組むと流石に異様に思ったのだろう、アイが声をかけてきた。
「ねぇ、何やってるの……?」
「この世の不条理を嘆いてる」
「あっ。そ、そうなんだ……」
声色的に間違いなく引かれてる。辛い。でも負けるわけにはいかないと思ったところで、
「太田君って、いっつも変なことばっかりしてるよねぇ」
「やかましいわ。あと、松田だ」
原因たるアイさんに追撃された。やっぱつれぇわ。
「まあいい、そろそろ帰ろうぜ星野。今日はおばちゃんの手伝いあるし」
「うん、そうだね」
鞄をもって立ち上がると、アイもそれに続いた。学校を出た後俺とアイは並んで歩く。
アイはどちらかというと歩幅が広いのだが、いかんせん小柄であるので歩くのはそこまで早くない。一方俺は意識的に行った運動の結果平均よりは身長が高いので、アイに無理をさせないようなるべくゆっくりと足を進める。
「今日の晩ご飯は何かなー」
「ハンバーグらしい。今日の朝おばちゃんが言ってたわ、こねるの手伝えってさ」
「ハンバーグかぁ……、悪くないね! でもこねるのは腕が疲れそー」
「まあ作る量が量だからなぁ……。毎食毎食感謝やでホンマ」
「ホンマやねー」
相槌を打ちつつカラカラとアイが笑う。
こんな感じで登下校中は基本的に会話に困らない。最初の三日間くらいは俺から話題を振ろうとしたのだが会話が続かずに諦めた。
そして、そんな俺に気を使ってくれたのかアイがわざわざ話題を振ってくれるようになったのだ。誕生日はまだらしいから十歳にもなってないのに、気遣いができるアイさんマジ天使である。
「星野は気遣い上手だなぁ」
「えぇ、急に何……?」
「いや、思ったことを口に出しただけ」
「すぐ適当なこと言うんだから」
いやいや、長所を口にするのは大事ですよマジで。人間超能力はもってないので、直接言葉にしなければ伝わらんのである。
そんな感じの言葉を続けると、多少は興味を惹かれたのかアイが聞き返してくる。
「そういうものなの?」
「そういうものだろ。してほしいことは言わんとなー。察するとかよっぽど親しくして無いと無理無理。してても無理かもしれんけどなぁ」
「ふーん、そっかぁ。――じゃあ、私が今考えてることわかる?」
「腹減った」
「流石に失礼だよね!?」
俺の即座の返しにアイがぷんすかと怒り出した。でもちょっと前に晩御飯何かなとか言うからいけないんやで。
教室や施設の食堂など人が多いところでは途端に【いい子】になっているアイも、こうしているときは年相応の少女といった感じだ。そう考えれば何だかんだで意外といい感じの関係は作れているのかもしれない。
――まあファーストコミュニケーションからしてTKGだからね、仕方ないね。
そんなとりとめのないことを考えながら、肩をぺちぺちと叩いてくるアイを軽くいなすのだった。