まあオリ要素一杯だしオリ主だしこのまま行くわ。(諦め
時刻は夜の十時過ぎ。入浴と身体のメンテナンスを終えた私は、入れ替わりにお風呂に入った翔君をリビングのソファーで待ちながら一人思考の海へと沈み込んでいる。
学校生活にアイドルと忙しい日常を送っているが、それでも精神的に余裕があるせいか最近はよく過去のことを思い返すようになった。
星野アイがこの世で生きてきた約十五年と少し。その短い時間の中で、私はある意味二つの人生を経験していると言っていいだろう。
一度目は生まれてから母に捨てられるまでの九年ちょっと。
二度目は施設に入ってから現在に至る六年弱。
時間こそ倍の差があるけれど、生きている実感を感じることができたのは圧倒的に二度目の方。それもそのはずで、母に捨てられた時に私は間違いなくすべてを失った。しかし、虚無に苛まれる人生を覚悟していた私は今、気が付けば両手に求めていたあらゆるものを握りしめているのだから。
仕事の関係と言いながらも、優しく見守ってくれる戸籍上の両親。
駄目な私を見捨てずに、叱咤激励し合いながら目標に向かって一緒に進んでいる気の置けない友人達。
そして、自分の人生を預けようと思えた、大切で愛しい人。
独りぼっちになったはずが、いつの間にか私を大切にしてくれる人たちが周りを囲んでくれていた。
しかもそれだけじゃない。安全な家に住み、食べるにも自分を着飾るにも困らないだけの金銭があり、芸能界という華やかな世界の片隅で切磋琢磨しながら、星野アイという十五歳の小娘は生きているのだ。
人生何があるかわからないとはよく言うものだが、私ほどそれを体現している人間はそうは居ないのではないのだろうか。そう思ってしまうくらいには、前半生と後半生――半生というには短いが――の落差は凄まじいものがあった。
幸運だった。本当に運が良かったと、つくづく思う。
何か一つでもボタンを掛け違えていたなら今の私の境遇は無かった。Ifを考えるのは無意味なことだとわかってはいるけれど、自分には過ぎる環境を得て余裕があるからなのかやはり気になってしまうのだ。あの時翔君と出会っていなかったらと。
もし私があのまま一人だったなら、施設でも、小学校でも中学校でも、きっと誰にも心を開くことなく孤独な日々を送っていただろう。
アイドルには……スカウトされたら、なっているかもしれない。隣に翔君がいない私はきっと心から愛に飢えていて、あの時の私が説得されてしまったように口車に乗せられてコロンと転がってしまっただろう。
でも恐らくメンバーとは仲良くなれなかった。B小町も翔君のフォローがあったから何とかなったけど、私だけだったらきっとどうにもならない。人間関係の構築が苦手な私ではあのままずるずると険悪なムードになって、その内仕事だけの関係になってしまったに違いない。休日に一緒に遊ぶなんて絶対にありえないはずだ。
そんな状況だろうからきっと心は不安定で、所謂メンヘラってやつになっていたと思う。これだけははっきりと想像できてしまうのが悲しいところだが、それはきっと今の私にもそういう素質があるからなのだろう。私は結構弱い人間なのだから。
異性関係も、まあ、乱れていたと思う。アイドルになっていればそれが重石になるからそうでもないだろうけど、もしアイドルになってなかったら毎日男と宿を変えるような生活を送っていたかもしれない。
――それこそ、お母さんみたいな生活を送ることになっていたかも。
もしもを考えた時に何度も至った結論ではあったが、血の繋がりというのは皮肉なものだと心底思う。母のようにはなりたくないと思っていたのに、環境によっては間違いなく母と同じになっていたと確信のようなものが持ててしまうのだから。
私は何故母に捨てられたのか。これは星野アイの原点の一つであり、向き合わないわけにはいかない疑問の一つだったのだが、こうして考える余裕ができたので色々な人に――一番大きく影響を受けたのはミヤコさんだった――話を聞いたりした結果、最近になってようやく自分の中で納得がいく回答を得ることができた。
母は綺麗な人で、その華やかさに惹かれて多くの男性が母の周りに集まっていたと思う。もしかしたら友人も多かったかもしれない。でも、心から気を許せる人はその中にきっと存在しなかったのだろう。母と暮らしていた時男の人は何人も見てきたが、女の人を見たことは記憶に存在しないのだから。
苺プロに入る前に恐らく母と同じような世界で生きていたと教えてくれたミヤコさんはこんな話をしていた。「もしあの時壱護に拾われていなかったら、私は誰かの愛人になって適当に孕まされて捨てられていたでしょうね」と。
恐らく母はミヤコさんにとっての斉藤社長、私にとっての翔君に出会うことができなかった。その結果、悪い男に利用されて私を作り共々捨てられたのだろう。
でも母はそこで諦めることができなかったのだと思う。東京という輝かしい街の上部で華やかな生活を一度でも体験してしまえば、そこから抜け出すことも、手放すことも簡単にはできないと言った時のミヤコさんの顔からは諦めか、それとも恨みか、そのような複雑な感情を感じ取れた。
私が今考えていることが正しいかどうかは母と会うことができていない以上わからない。だが、もしこの推察が大筋で合っているのならばつくづく悲しい話だ。
母が選んだ東京で生きていくための方法は、優れた容姿を活かして女を前面に出し、それを売り出すというものだったと思う。これはアイドルをやっている私と同じだ。もちろん方向性は違うがそれでもやっていることはほぼ変わらない。違いは物理的な距離感が遠いか近いかということだけだ。
そして、それは一度は成功したのだと思う。母が身に着けていた服や装飾品は間違いなく上等なものが多かったから。でも、ミヤコさんが言うには大学を卒業するあたりで自分の立ち位置を思い知らされるらしい。
若くて容姿のいい女性は次々に現れてくるのに、人間の容姿はどう頑張っても二十代の半ばを境に下降していく。今後は自分が落ちていくだけの存在であることを母は認められず、その世界にしがみついた結果ろくでもない男に孕まされたのだろう。
私を生んだ直後は、もしかしたら幸せを感じてくれたかもしれない。しかし、この町で生きるための女としての面、子供を育てなければならない母としての面、両方を使い分けるという器用なことが母にはできなかったのだろうと、芸能界の闇を少しだけ見聞きした今なら察することができた。
無論、仮にこれが事実だったとしても私は理不尽にも虐待を受けた側で、それを許すことなど恐らく一生できない。克服できたことは多いけれど、それでも時折夢に見て、夜中に隣で寝ている翔君に抱き着いてしまうくらいにはあの頃の生活は私の心に深い傷跡を残しているのだから。
しかし、酷いことをされてもなお、会って話してみたいと思ってしまうのは、やはり血の繋がりというものなのだろうか。
もちろん今後実際に会うことができるかどうかはわからないし、仮に会うことができたとしても良い結末が待っているとは限らない。むしろ会わなければよかったと思う可能性の方が高いだろう。
「それでも、私は……」
誰もいないリビングでそう独り言ちると、声はそのまま一人きりの空間に消えていく。そこでちょうどよく翔君がお風呂から上がってリビングに入ってきたので、私は思考の海から顔を上げた。声は小さかったから聞かれていないとは思うが、考え事をしていたのを悟られないように平静を装う。
さっぱりしたーと言いながらソファーに座ってきた翔君は私と、次いで何も映ってないテレビを見た後、「ふむ」と一言呟いてから足を開いてその間をポンポンと叩いた。意図を察した私は躊躇うことなく足の間に座りなおすと、すぐにお腹に両腕が回されて項に顔を埋められた。
「あー、癒される」
どうやら癒しが欲しいらしい。高校入学してから忙しそうだったもんね。
「突然だねぇ」
「突然でも許してくれるアイは優しいなぁ……」
そう言って翔君が腕に力を込めた。
「んっ、ベッドじゃなくていいの?」
「うん、ちょっとここが良いな」
「そっか」
これからすぐに一緒に寝るのだけれど、どうやらそれとは別枠らしい。
されるがままに翔君の腕の中にすっぽりと納まった私。背中には入浴後の高い体温が伝わり心地が良く、普段ならば眠くなってしまいそうな穏やかな感覚を覚えるのだが、髪越しに私の項に顔を埋めて呼吸をされているために恥ずかしさが睡魔に勝った。
後ろから抱えられるのは何度も経験はあるけれど、基本的には私が自分から座りに行っている。そのため彼からこういうことを求められるのは珍しいので流石に気恥ずかしさを覚えてしまう。
普段なら気にならない彼の呼吸音も、いつもと違う導入だったためにどうしても意識してしまう。もしかしたらこのまま、とも思ったがそれから十分ほどが経っても彼の両手が動くことはなかった。
――焦らされてるのかな……?
そう思って、自分がそういう行為を前提としていることに気づいて思わず赤面してしまうが、そんなところで翔君がおもむろにもぞもぞ動き出した。
「……堪能した」
そう言って翔君は深く呼吸をした後、私を解放する。
「堪能されちゃったなぁ」
「うむ。癒されたわ、ありがとう」
「うん」
とはいえ敢えてここから動く必要性も感じないので、とりあえず彼をこのまま座椅子にするべく寄りかかると改めて腕が回された。
「暑くないか?」
「それは大丈夫だけど、眠くなりそう」
「もう寝ちゃう?」
「んー、もうちょっと起きてようかなー」
このままベッドに行くのも悪くないが、折角なのでもう少しだけこのまま腕の中に納まっていることにする。
そこから暫し無言の時間が流れた。聞こえるのは時折外から聞こえてくる車の音とお互いの呼吸音だけで、これはこれで彼の存在を強く意識してしまう。
ゆっくりするはずだったのにどうにもそちらの方向に思考が行ってしまって、どうにも落ち着かない。それを表すように身じろぎしたところで後ろから声がかけられた。
「アイはさ、なんか俺に話したいことある?」
「話したいこと?」
急に何の話だろうと考えて、すぐに思い至った。どうやら私が何か考え事をしていたのを察してくれたのだろう。
「うーん……。今はまだ、大丈夫かなぁ?」
とはいえ、切羽詰まっているわけでもないので今話す必要はないだろう。捨てられた母に会いたいなんてそこそこの地雷案件だし、今すぐに何が何でもという話ではないのだ。いつかは話す必要があるけれどそれはある程度環境や場が整ってからでいい。それこそ成人した後の方が問題も少なくて済むだろうし。
「そっか。まあ、何かあったらいつでも言ってくれ」
「うん、ありがと。でもどうして急にこんなこと聞いてきたの?」
こうして気遣ってくれるのはとてもありがたいけれど、流石に察しが良すぎると思う。よく見てくれてはいるのだろうけれど。
疑問を素直にぶつけると、翔君は何でもないようにこう答えた。
「いやぁ、俺も考え事するときは同じようなことしてるからな。俺の場合は自分の部屋の時もあるけど」
「ああ……。というかそうだよね。テレビもつけずにボーっとしてたら、疲れてるか考え事してるかどっちかだよねぇ」
「そういうこと」
言われてみれば簡単なことだった。そりゃ翔君が気づかないわけないよねぇ。それでもちょっと嬉しいので背中を押し付けると、応じるように回されていた腕の力が増す。
カチリと、二人きりの時にはとてつもなく緩くなるスイッチが入った。どうやらベッドに行くのはもう少し遅くなるだろう。
後ろを窺うように顔を向ければ、それを待っていたかのように顔が近づいてきて距離が零になる。動き出した手の動きを受け入れながら、私は彼に身を委ねた。
あの後しばらくしてベッドに移動し、いつも通り二人で眠りについた。
朝目覚めたとき、私の方が早く起きることができたら最初に目に入るのは翔君の顔。早く起きたほうが朝の準備をするのが普通になっているのだけれど、今日はちょっとだけ離れがたくて彼の胸に顔を埋める。
すると、既に浅い眠りになっていたのか翔君が目を覚ました。
「あ、起こしちゃった?」
「いや、なんかそろそろ起きそうな感じだった……。おはよ」
「おはよう翔君」
そう言って改めて身体を擦り付けると、応じるように抱きしめられた。こうやって朝ベッドの中で二人だらだらする時間が私は大好きだ。寝起きでお互いに素面だからか一番愛を感じれる時間な気がするんだよね。
これは翔君も同じようで、平日はなかなか時間が取れないけど休みの日とかは結構長い時間ベッドの中でくっついているし、翔君が離してくれない日もたまにある。つくづく愛されてるねぇ。私も愛してるけど。
しかし、残念なことに今日は平日なので名残惜しさを感じつつも身体を起こした。起きた後は交互にシャワーを浴びて、ご飯の準備をして、制服に着替えて学校に行く。
二人で暮らし始めてから変わることのない一日の始まり。昨夜思い返していた母との生活とは比べ物にならない平穏で平凡な日々。それでも、この平凡さこそが幸せの土台であることを私ははっきりと認識していた。
――私は、幸せだ。
幸福感、そして母に対する優越感と罪悪感を感じながら、星野アイは日々生活を送っている。
しかし、私は目を背けていたのだ。
幸福というものはあっけなく壊れるものであること。親に捨てられた私が幸せなんて簡単に手に入れれるわけがないということに。
この日の昼過ぎ、一本の電話が苺プロにかかってくる。それが私の運命を大きく揺るがすものであることを、この時の私はまだ知らなかった。
そして事態は動く。