この話は何度も書くか悩んだ。
昼休みが終わり五限目が始まってすぐのこと。
携帯が振動したので覗いてみれば、ミヤコさんの名前が表示されていた。授業中なので出るわけにもいかず少しばかり放置していたのだが、流石に一分経っても振動が止まらなければ緊急の要件であることが理解できた。
先生に一言言ってから、教室を出て通話に出る。
「もしもし。今授業中だけど、どうしたの?」
『ごめんなさいアイさん。緊急の要件ができたから、今すぐ翔一君と校門前まできて。今壱護と車で向かってるから』
「えっ……? わかった、すぐに行くね」
これはどうやら相当に不味い事態が起こっているようだ。踵を返して教室に戻り、翔君の側に寄って耳元で呟く。
「翔君、ミヤコさんが急いで校門前までって」
「……わかった」
「先生。私と松田君、早退します」
わかりましたと、先生の了承の声を受け取りながら荷物を片し、足早に教室を出て無言のまま校門に向かう。玄関を出た後、周囲に人がいないことを確認してから翔君が口を開いた。
「それで、ミヤコさん何だって?」
「要件はわかんない。でも、相当慌ててる感じだったよ。今社長と二人でこっち向かってるみたい」
「社長も? おいおい、じゃあ今事務所空っぽかよ。こりゃ相当だな……」
「やばそうな感じだよねー」
「まーた仕事が増えるやつか……」
ボヤく翔君を横目に待っていると、視界の先に見慣れた車が目に入る。校門の前に止まった車に急いで乗ると、ミヤコさんが助手席ではなく後部座席に乗っていることに驚いた。
アイさんはここと、ミヤコさんが自分の隣を示したので素直に座ると、それを見て翔君は私の後ろに腰を下ろす。そして、扉を閉じて早々に慌ただしく車が動き出した。
横目でミヤコさんを窺えばその表情は極めて硬く、口をつぐんでいる。その様子に流石に動揺を隠せないでいると、運転席から社長の声が聞こえた。
「今から話すのはかなり重い話になるから、どうか落ち着いて聞いてほしい。アイ、聞く準備ができたら教えてくれ」
「……そんなに?」
一体何事が起きたというのか。社長がここまでいうほどの事態、しかも指定されたのは私だけだ。このような重大な事態に関わるようなことは全く身に覚えがなく流石に驚きを隠せなかったが、ミヤコさんの様子を見て気持ちを落ち着かせる。
「いいよ、話して」
ふぅと一息ついた後、心を平穏に保てるようライブ用の嘘の意識を身に纏い、仮面を被ってから話を促した。これでどんなことにも対応できるはずだ。
「……わかった。どうか、落ち着いて聞いてくれ」
社長がそう前置きをしてから、その一言を言い放つ。
「アイ……。お前の母親が、どうやら亡くなったらしい」
「……えっ?」
この人は一体何を言っているのだろう。
「ついさっき、警察から連絡があった。昨日の夕方、職場で倒れて病院に運ばれたがそのまま、だそうだ」
「お母さんが、死んだ? ふふ、一体何を言ってるの? 流石に冗談が過ぎるんじゃ……」
思わず、笑いが出た。母が死んだ? 冗談を言うにも限度があるだろう。そのまま笑い飛ばそうとしたが、続けられた言葉が私の心を潰しにかかった。
「残念ながら、事実だ。今警察署に向かっている。お前に本人かどうかの確認をしてもらいたいそうだ」
嘘だ。そう叫ぼうと思って、声が出なかった。だって私は知っている。この人たちが冗談でこんなことをいう人たちではないと、私は知ってしまっている。
感情が荒れ狂い始め、それを抑えて思考を巡らすために無理矢理口をつぐみ、俯いた。
母が死んだ?
あの人はまだ四十ちょっとのはず。それが職場で倒れて死んだって?
確かに健康的な生活をしていたとは思えなかったけど、いくらなんでも早すぎない?
そもそも本人確認をしてくれってことは別人の可能性だってあるはず。
警察にそう言われたのは確かなのだろう。でも誤報だ。流石に誤報だろう。そうに違いない。
そう結論付けた私が顔を上げれば、ミヤコさんが心底心配そうにこちらを窺いながら私の手を握ってきた。
それが決定打となる。
――ああ、そっか。これ、本当の話なんだ……。
認めないわけにはいかない。どうやら本当に、お母さんは死んでしまったらしい。
ストンと、納得してしまった。それと同時に作った仮面が粉々に砕かれ、自分の本心を無理矢理暴かれる感覚を覚える。それに寒気を感じ堪らず身体を震わせると、ミヤコさんが身体を乗り出して私を抱きしめた。同時に私を気遣うように翔君が背中を擦ってくる。
――泣くべき、なのかな?
どこからどう見ても悲痛なシーンだが、身体は震えども何故か私の心が悲しみに沈むことは無かった。
社長の言う通り間違いなく母は死んだのだろう。だというのに心の奥底から黒いものが沸き上がる感覚はあっても、それを現実に投影するほどの感情、あるいは熱量のようなものが存在しない。心の内面と表面を繋ぐ線が断絶してしまったような、そんな感じの印象だ。
――どう、しよう。
何をどうすればいいかわからない。どうにもふわふわとしてしまっていて現実感が無いのだ。事実、今私はミヤコさんと翔君のされるがままになっているのだから。
結局、ミヤコさんの腕の中に納まったまま警察署に着くまで、私の眼から涙がこぼれることは無かった。
それからの数日は本当に慌ただしいものだった。
警察署の霊安室で母と対面――少しだけ肉がついて、しわも増えていた――した後、心不全による突然死で事件性は無かったとのことからすぐに遺体を引き取った。戸籍が完全に抜けていなかったことと、母の持ち物から私を特定して連絡をしてくれたらしい。
その後は手配してもらった葬儀場へと運んで準備に追われた。人が死んだとき残された人間は悲しみに耽るものだと思っていたのだが、とてもじゃないがそんな余裕はなく、葬儀の準備や書類の手続き、関係各所への連絡と只管に慌ただしい。社長夫妻や妙に手慣れた翔君が手伝ってくれたおかげで助かったが、私一人では間違いなく捌き切れなかっただろう。
通夜にはB小町の面々や母の勤務先の人たちも来てくれてそれなりの人数で行うことになった。喪主は私だったが、社長が施主として色々動いてくれたので、私は来てくれた人たちに頭を下げるだけだったように思う。
翌日の葬儀の後、最期の姿を見送り、火葬された母の遺骨を抱えてようやく先程家に帰ってきた。そして今、リビングに設置された後飾り祭壇の前で私は只々座っている。
どうにも考えがまとまらなくてぼんやりと遺骨の入った箱を眺めていると翔君が私の隣に腰を下ろした。
「……まだ、慌ただしいのかな?」
「そうだな。これからは相続とか、アイのお母さんが住んでいた部屋の片づけとか、後は初七日やら四十九日やら、色々あるな」
「そっか。当分は落ち着かなさそうだねぇ……」
視線を向けることなく質問をすれば、どうやらやることはまだまだ残っているようだ。やれやれとため息をついた後、翔君に寄りかかる様に身体を傾けた。
「疲れたか?」
「うん。流石にちょっと、ね。どちらかというと気疲れだけど」
母が亡くなったと聞いてからあまり寝れていないせいか肉体的な疲労がそこそこ蓄積されていたが、それ以上に精神面での疲れが大きかった。
私がまだ十五歳だから皆気遣ってくれて、それはとてもありがたいことだけど、やはり知り合いではない人たちと話すのは少々疲れた。とはいえ、その代わりに私を捨てた後の母の話を聞くことができたので疲れた甲斐があったというものだが。
刑務所から出所した後、母は昔の知人の伝手で事務職に就いたらしい。勤務態度は至って無難で、仕事も真面目にこなす、いわゆる普通の会社員をやっていたようだった。同僚との関係も問題は無かったようだが自分のことをほとんど話さなかったので、今回私みたいな娘がいたことに驚いたらしい。私が捨てられたことを話さなかった故か、母が亡くなったことを惜しんでくれていたのが印象的だった。
私と暮らしていた時とはまるで別人で正直疑わしくも思ったけれど、母の同僚たちが私に嘘をつく理由はなく、本人の主観が入っているとはいえ概ね事実なのだろう。この数年で母に一体どのような心境の変化があったのだろうか。
――そんなに真面目に暮らせるなら、一度会いに来てくれたっていいじゃん。
私のことを愛していないのはわかるけど、それでも暴力を振るわれないなら話くらいいくらでもするのに。私を捨てた手前顔を出しにくかったってのもあるかもしれないけど、それでも仮にも親なのだから様子を見に来るくらいはしてくれてもいいではないか。
そう一言言ってやりたいと思ったけれどその機会はもうない。でも、そのことに怒りが沸くかと言われるとそうでもなく、母の死を告げられた時の様に現実感のない、虚無感のようなものを私は認識していた。
まあ、理由はわかる。
私はこっそり母を探していて可能ならば一度会いたいと思っていたからで、今回の件でその機会が永遠に失われてしまったことに、可能ならば会話ができる程度には関係改善をと思っていたけれど、最早それが叶わないことに失望しているのだ。
色々言いたいことはあったけど、今となっては出てくるのはため息だけだ。はぁと、再びため息をつくと、それに応じるように翔君が口を開いた。
「なあ、アイ。仕事だけど、疲れてるみたいだし少しの間休みをもらった方が良いんじゃないか?」
「んー? うーん、いや、どうかなぁ……」
母が亡くなったとはいえ、私以外の人間にはそんなことは関係がない。芸能人というのは忌引きという概念が存在しないのだ。私は未成年だから多少は融通を利かせてくれるかもしれないけれど、それでも私が休めばB小町の面々や事務所に迷惑がかかるのでそれは避けたい。
「まあ、どうしようもなくなったら休むけど、今は大丈夫かなぁ?」
「……そう、か」
私の答えに、翔君は顔を歪めながらも頷いた。
はて、私そんなに疲れているように見えるだろうか。そう疑問に思っていると、翔君は苦い表情をしたまま私を抱き寄せて、続けた。
「きつくなったら、すぐに言うんだぞ。絶対だからな」
「大丈夫大丈夫、翔君は心配性だねぇ」
心底心配そうな彼に、笑いながら答える。虚無感こそあれど、捨てられたのは何年も前だしそこで完全に道が分かれてしまったと思えば良い。それなりに割り切っていたことではあるし、何よりお母さんは死んでしまったのだから、もうどうしようもないことなのだ。
そう、私は大丈夫。もし仮に辛くなっても、仮面を被れば皆の前で笑うことができるのだから、アイドルをこなすことができる。皆に愛と笑顔を届けることができるはずだ。
翔君の背中に腕を回しながら、私は大丈夫と言葉に出す。それと同時に強く抱きしめられたが、それを受け入れながらも再び大丈夫と続けた。
後日、色々あった後に思い返したが私が全く大丈夫じゃなかったのは明白だった。だって、この時の私は翔君に嘘が通じないことをすっかりと忘れてしまっていたのだから。
訃報というのは突然で、しかも淡々とやってくる。
アンケートの結果を踏まえて先にこちらのルートを書くことにしました。お気に入りががっつり減る気がするけれどワイは覚悟を決めた。
自分で書いたことだけど、流石に展開に自信がないので今回は感想評価ちょっとよろしくお願いしたいかもしれない……。