「宮崎県? あ、ホントだ。高千穂、ねぇ。ここに昔お母さんが住んでたってこと?」
「あ、ああ。住んでたかどうかはわからないけど、間違いなくルーツはここにあるだろうな」
「へぇー、宮崎かぁ……」
書類を覗いてきたアイとそう会話しつつ、動揺が表に出るのを必死に抑えこんだ。
芸能界という魔窟に数多存在する輝きを放つ存在。その中でどうして芸能の神に哀れまれたのか。アイよりも悲惨な境遇を得ている人間はいるだろうに、何故星野アイだけが神に哀れまれることになったのか。長年の疑問だったそれが今、はっきりと理解できた。
そういう物語だから、の一言で終わらせることができない状況に置かれて数年。ようやく納得できる解答の手掛かりを得たように思える。
「……行ってみたいな」
「高千穂にか?」
「うん。お母さんのこと何かわかるかもしれないし」
本籍地を見た後、
それは確かに必要なことかもしれない。アイが施設に預けられたことを考えれば母方の祖父母は恐らく亡くなっているのだろうが、もしかしたらアイの母親の実家が残っていたり近所の人に話を聞けたりする可能性はある。それに、お墓をどうするかという問題もあったので、高千穂のお寺や墓地を調べてみる必要もあるだろう。
「まあ、社長にも相談しなきゃだめだけど、一回行ってみようか」
「うん。高千穂、かぁ。どんなところなんだろうねぇ……」
宮崎県高千穂町。天孫降臨の地として神話関係に興味がある人にとっては有名な場所だろう。原作ではアイが出産する場所で、主治医の雨宮吾郎医師は今もきっと病院で勤めている。時期的にさりなちゃんは既に亡くなった後だろうか。
原作には恐らくなかったはずの、この時期にアイが高千穂に行くという行動が今後にどのような影響を与えるのかという不安はあるが、多数ある不確定要素を少しでも潰せる可能性があるなら訪れてみるべきだろう。尤も、納骨の時期なども考えれば当分先の話にはなるだろうが。
「ま、旅行のことは置いといて、とりあえず事務所に戻るか。午後から撮影だもんな」
「うん。でも、そっか。高千穂に行くことになったら、事務目的ではあるけど事実上の旅行になるんだよね」
「そうだな。日帰りでは流石に無理だろうし、向こうでやることが増える可能性もあるかもだから、三日くらいは見た方が良いかもしれん」
「三日かぁ。そういえば今まで行ったことなかったね、旅行なんて」
施設に居たころは当然行くことなんてできなかったし、アイドル始めてからは仕事で地方に行くことはあっても大体日帰りだしなぁ。ついでに言えば俺もアイも中学の修学旅行行けなかったからね。仕事ばっちり入ってたし、あとはアイがクラスの人と一緒に寝るの不安かもって言って乗り気じゃなかったってのもあるんだが。実際友達じゃない人と同室になるときまずいし、俺も親しいクラスメートは居なかったからなぁ。
しかし、前世では国内旅行は結構したけど、改めて考えてみれば今世ではまだ関東から出たことがないな。それだけ生活が充実してたってのもあるかもしれんが、これはこれで寂しいわ。
「ま、高千穂とは別にどっかで旅行行くのもありかもな。それこそ箱根とか」
「箱根かぁ。温泉とか良さそうだよねぇ」
「そういえば前に行くかって話した記憶があるな」
「あー、なんかあった気がするねぇ。なんだかんだで忙しくて行く機会が無いけど」
連休がないんよ、連休が。
そんな話をしながらタクシー乗り場に向かう。ありがたいことにタクシーはすぐに拾えたのでそのまま事務所へと戻った。
「ただいまー!」
「戻りましたっと」
事務所の扉を勢いよく開けたアイに続いて部屋に入った。ミヤコさんからお小言を頂戴しているアイを尻目に、社長と高千穂の話をする。
「高千穂なぁ。そういや養子縁組の時に謄本郵送で取った記憶あるわ。伝えておくべきだったな、すまん」
「いえ、急ぐことでもないですから」
相続人が複数いるわけでもないだろうし、納骨に関しても四十九日が過ぎてからが基本だ。急がなければならないのは片付けで、手続き関係は後回しでもいい。
スケジュールだけ確認と調整をしてもらった後、出前で昼食を食べてからアイが撮影の準備を始めた。ミヤコさんが車で送ってそのまま今日は撮影現場で付き添ってくれるらしい。二人が事務所を出るのを見送った後、残った社長に話があると声をかけられた。
「それで、今日はアイの様子はどうだ?」
「特に何も、といった感じです。母親の職場に荷物取りに行った後は『私何も知らないな』としょぼくれてましたが、それ以外では違和感を感じることは特に」
「そうか……。お前がそう言うなら、そうなんだろうな……」
「あまり自信はありませんが……」
「俺もミヤコもB小町のメンバーも全員両親が健在だからな。親を失ったという感情を受け止めてやれるのも、理解できるのもお前しかいない。すまんがアイのことは頼むぞ、何か変わったことがあればすぐに伝えてくれ」
「わかりました。何とか頑張ってみます」
心配そうな社長の願いに素直に頷いた。外見は強面そのもので芸能界でもそれなりに名を売りつつあるやり手の社長だというのにアイに対しては実に甘い。何だかんだと言い合いつつも社長はアイのことを娘のように思っていて、そういう人からの信頼が厚いのはありがたいことなのだが……。
頼んだぞという言葉と共に俺の肩をポンと叩いてからデスクに戻っていく社長を見つつ、俺も一人で学校に戻っても仕方がないのでそのままサボって仕事に取り掛かる。パソコンの起動ボタンを押して画面を見れば冴えない表情の俺の顔が映っていて、何とも言えない無力感に只々力なくため息をつくしかなかった。
「はい、オッケーです! 確認お願いしまーす!」
スタッフの声が響き、アイが作っていた表情を崩す。そして、スタジオの端に居たこちらに視線が向いたので笑顔で頷くと、安心したように胸を撫でおろした。
今日の仕事は若年層向けのファッション雑誌のモデルの撮影だったが、カメラや演出の人たちから修正を入れられることは少なく、普段通りにこなすことができたようだ。
――これなら、問題はなさそうだけど……。
今日はアイの母親が亡くなってから最初の仕事。アイらしい人の視線を引き付ける雰囲気を出せるかどうかは不安であったものの問題は無かったようでまずは一息といったところだろうか。
その後すぐに最終チェックが完了したので、アイと一緒に関係者の人たちに挨拶をしてから車で事務所への帰路に就く。
「ふぃー、疲れた疲れた」
「お疲れ様、アイさん。寝ててもいいわよ」
「うん、ちょっと休ませてもらうねー」
そう言ってアイはシートベルトを締めて早々に目を閉じた。普段都内での仕事の時は移動時間も短いので携帯をいじったり私と話をしたりしているのだが、今日はすぐに寝入ってしまったようだ。珍しいなと思いながら、アイを起こさないようゆっくりとアクセルを踏む。
本日の撮影はそこまで長い時間かかったわけでもないし、撮影もハードということもなかった。それでもすぐに寝てしまう状態ということはやはり相応に疲れているのだろう。肉体面でも、そして恐らくは精神面でも。
高校一年生の子供が母親を失くしたのにしっかりと喪主を務め上げ、その後一週間も経たないうちに仕事に繰り出しているのだから当たり前の話ではある。私が高校一年の時なんて友人と馬鹿しながら騒いでたくらいしか記憶が無いのに、それに比べればこの子は本当に自立している。
そんな印象もあって昼の会話では本人が言うならとアイが仕事に出ることに反対しなかったが、この様子を見る限りではやはり無理矢理にでも休ませた方が良いかもしれない。
事務所に帰ったら改めて相談しようと心に決め、そのまま暫く車を走らせ続ける。事務所に到着してもアイはまだ寝たままだったので、運転席から降りてそっとドアを閉める。次いで後部座席のドアをゆっくり開けた後、アイの肩を優しく叩いた。
「アイさん、起きて。事務所着いたわよ」
「ん、ううん……」
肩を叩いてもすぐに覚醒しない様子を見るに本当に消耗しきっているんだろうなと思いながら、再び肩をぽんぽんと叩く。
「ほら、起きて」
「ん……おかあ、さん……?」
ひゅっと、思わず息を飲んだ。
「……あ、おはよ。もう着いた?」
「……ええ」
アイの問いに動揺を抑えながら何とか言葉を絞り出す。
「ごめんごめん、結構がっつり寝ちゃってたよー。運転ありがとね」
そう言って、アイはシートベルトを外して車から降りてドアを閉めた後、まるで何事もなかったかのようにそのまま事務所の屋内へと向かって行った。
何も聞かなかったことにするべきか一瞬だけ逡巡する。しかし、前を歩くアイの背中がどうしてか普段よりも小さく見えてしまって、私は沸き上がった衝動に身体を任せることにした。
「アイさん」
そう声をかけると早足でアイに近づく。そして、私の声で振り向いたアイを抱きしめた。突然の私の行為にアイは一瞬だけ驚いたように身体を強張らせたが、やがて納得したように力を抜いて、呟く。
「……やっぱ聞かれてた?」
「しっかりと」
「あちゃー。いやぁ、夢で見ちゃっててさぁ。起きてすぐでぼんやりしてたから口に出ちゃったんだよねー」
ごめんねーと失敗したかのように言うアイ。どうして謝るのだろう。捨てられたとはいえ、アイにとっては母親は唯一の肉親。それを失くして、夢に見るくらいに悲しくて、寂しがっているというのに。
それくらい言ったっていいでしょう、あなたはまだ子供なんだから。
それくらい言ってくれたっていいでしょう、私は大人なんだから。
込み上がってきた口惜しさと悲しさを抑え、それを表に出さないようにぐっと飲みこんだ後、心の底から思う言葉を伝える。
「もっと、頼ってくれてもいいから」
「えっ?」
「寂しかったらいつでも言って。必ず側に居てあげるから」
「ミヤコさん……」
既に大人であるこの子にとっては、私は頼りない大人に見えるだろう。それでも、こうして寂しい思いをしているときに抱きしめるくらいはできるはずだ。たとえ形式上であったとしても私はこの子の母親なのだから。
「……本当に、どうしてこう、私の周りの人達は、私に優しいんだろうねぇ」
背中に腕が回される。微かに震えた言葉尻が私の涙腺を刺激するが、ここで私が泣くわけにはいかないと、涙をこらえられるようにアイをぎゅっと抱きしめた。
ミヤコさんどんな感じになるだろうなーってぼんやり思い浮かべて、大天使になる以外の選択肢が見えなかったので大天使ミヤエル書きました