「どうなんです先生? さりなちゃんの名に賭けてどうなんです?」
容赦なく投げられる言葉の槍をスルーしつつ、背後から突き刺さる目線を受けながら自らの仕事場たる産婦人科の診察室に戻るべく足を進める。
昼休みを終えてこれから午後の診療となるわけだが、先ほどB小町のアイが活動休止するというというニュースに触れてしまった俺の――雨宮吾郎のモチベーションは著しく、本当にここ最近では最悪の状態と言えるほどに落ち込んでいた。
昔、まだ研修医のころに担当したある女の子に勧められたB小町というアイドルグループ。彼女はその中で最も人気が高かったアイという少女に強く憧れ、目を輝かせながら推していた。
それに影響されて彼女と同じようにB小町を追いかけるようになってから早や数年経ったが、いつの間にか自分にとってもアイを推すことが生きがいの一つと言えるくらいには自分の中で大きい存在となっている。
それこそ暇な時間にこっそり入院している患者さんの部屋のテレビでB小町のライブ鑑賞をしていたりするぐらいには俺の心はB小町――というかアイに奪われていたのだが、そんな中でのあのニュース。
二か月ほど前、先日アイがお母さんを亡くしたという話が公式から発表されており、それに関連してか最近はあまり調子が良くないというのは公式のライブ配信で匂わされていたので、ニュースを聞いた時にはやはりこうなるかという想いもあった。
十五歳の女の子が実の母親を亡くしたのだ。その衝撃がどれほどのものかは察するに余りあるが、ゆっくり休養してほしいという思いと共に、早く元気になって活動してほしいとも思ってしまうのはファンのエゴというやつだろう。
(なんとまあ、身勝手なもんだよな)
最低の気分にプラスして自己嫌悪にまで陥った結果、もう本当に今すぐにでも帰ってB小町のライブのビデオで盛り上がりたい気分になってしまったが、そこは腐っても社会人である。職場放棄をするわけにもいかず、給料という名の人質を解放してもらうためにもうほんっとうに重い足を引きずりながら、顔面だけは何とか整えて診察室の中へと歩みを進めた。
「はい、おまたせしましたっと」
一直線にデスクの前に向かい前に置かれたそこそこいいお値段の椅子に腰を下ろす。キーボードの横には問診票と紹介状が置かれていたので早速問診票に目を通した。年齢は十六歳、東京の病院で診察を受けていたが事情があってこちらで出産を希望しているらしい。
顔を上げ、そこで初めて患者たちの姿をはっきりと確認する。目の前には帽子を被った少女が座っており斜め後ろにチャラい感じの中年の男性が、そしてその反対側に若い男性がこちらに視線を向けつつ座っていた。
「えっと……、星野さんは初めてですね」
「はい」
「そちらは親御さん?」
「はい。と言っても義理なのですが……」
「そうですか。それで、あなたは彼女の?」
「夫、ということになると思います。籍はまだ入れれませんが」
(お互いに未成年。しかも十八歳未満か)
この仕事をしていれば未成年の妊娠は良く聞く話ではある。とはいえこの条件だと大抵は揉めて不穏な雰囲気が漂っているはずなのだが……。
「夫だってー。どう思うおとーさん?」
「うるせぇ、静かにしてろ」
「おとーさーん」
「お前もかよ……」
目の前のやり取りを見る限り関係は良好らしい。珍しいことだなと思いつつ、ギスギスした雰囲気で診察を続けるよりは余程良いと気持ち気が楽になった。そのうちに問診票を読み終えたので続いて紹介状に手を伸ばす。
「紹介状の方も確認させてもらいますね」
「はい、お願いします」
俺の問いに保護者の男性が頷いたのを見てから封を切り、紹介状の中身を確認していく。書類を読みつつ彼女のお腹に目を向けると書いてある通り双子の二十週くらいの大きさであることが見て取れた。
添付された検査の結果に関しても確認した限りでは問題ない。とはいえこちらでも実際に確認しなければいけないことであるし、このまま入院という話であるので改めて血液検査やエコーを行う旨を伝える。
「ではこちらでも改めて検査させていただきますが、よろしいですか?」
「はい」
俺の言葉に彼女は頷くと、そこで初めて帽子を取る。
――瞬間、俺の意識は真っ白になった。
「……先生? 如何されました?」
「はっ!?」
飛んだ意識が保護者の方の声で無理やり引き戻される。
(いやいやいやいやいやいやいや、どういうことどういうことどういうことどういうこと!?」
先ほどまで考えていた今後の診察方針などは全て吹き飛んだ。その代わりに俺の頭を埋め尽くしたのは衝撃と疑問。
どうして俺の前に最推しのB小町のアイが居るのか。しかもお腹をおっきくして、その相手も連れて産婦人科なんかに来ているんだ。
「………………では、検査の準備をしてくるので、しばらくお待ちください」
混乱の極致にあった俺は何とか言葉をひねりだして立ち上がり、診察室を出る。直後、扉が閉まった瞬間に俺はたまらず頭を抱え込んだ。
(ちょいちょいちょいちょい!? えっ本物!? 実際に見るとめっちゃ可愛いんだが!? ってそうじゃねぇ、なんか妊娠してるんだけど!? 推しのアイドルが妊娠してるんだけど!?)
あまりのショックで先ほど食べた昼ご飯が出てきそうになるのを必死に抑えていると、部屋の中から会話が聞こえてきたので思わず耳を傾ける。
「アレは気づいてたな」
「だねぇ。だって顔ガン見した後同じこと繰り返してたよ」
「おい、翔一。本当に大丈夫なのかここで」
(翔一!? アイを孕ませた男の名前は翔一っていうのか!)
腹の底から湧き上がる憤怒。俺の大切な推しに何してくれやがると怒鳴りたい気持ちを必死に抑え、深呼吸しつつ冷静を取り戻そうと頭を回す。
アイに恋人がいるという話は公式から発表されてない。だが、アイが特定の男性と一緒に居る隠し撮りの写真はいくつもネットに流れており、またアイの同級生を名乗る人物が実際にネット掲示板で恋人がいるという旨を書き込んでいたりもした。
運営もアイに恋人がいることを否定するどころか恋愛自由化などと謳っている始末だし、実際に配信などで恋愛の話が出た際に平然と惚気るアイに他のメンバーが突っ込むというのが定番のネタになっており、ファンの中ではアイに恋人がいるというのは公然の事実となっている。
(なっているんだ、なっているんだけどさぁ……!)
恋人がいるとは知っていても、それでも目を離せない彼女のパフォーマンスに魅せられて推しているのだ。それでも、こうして実際に現実を見せられると中々に苦しいものがあった。
(やばい、吐きそう……)
あまりのショックに耐えられずよろよろと床に膝を付いて突っ伏した。
(うぅ、アイが、俺の推しが妊娠してる……)
アイのファンの中でもやはり自分はそれなりに過激な方だったのかもしれない。推しの幸せを願わねばならないところなのだろうが、それを素直に行うことができない情けなさと推しのクッソ可愛い顔を間近で見たことによる幸福感、さらには相手の男への怒り、様々な感情が沸き上がっては混ざり合う結果どうにも自分の動きを抑制できず、グネグネと身体をねじらせたり床に頭を打ち付けたりと奇行に走る。
「先生、大丈夫ですか……?」
それを止めてくれたのは後ろから俺についてきていた看護師。それはもう物凄く気持ち悪いものを見る目をこちらに向けており、それを見てようやく我に返った俺はコホンと一つ咳払いしてから改めて検査の準備の指示を出す。
(あぁ、本当にどうしてこうなった……)
検査室へと向かう看護師の背中を見送りながら、どうにもやりきれない感情を抑えるために深いため息を一つ吐いた。ここでじっとしていても意味がないし、気を紛らわせるために自分も検査の準備に行くかと石にでもなったかのように重い足を無理やり動かす。ところが、そこで部屋の中から会話が聞こえてきたので思わず先ほどと同じように扉に近づいて耳を傾けた。
「なあ、アイ。流石に妊娠したなんて情報が流れたら事だぞ。今からでも病院変えた方がいいんじゃないか?」
「うーん、確かにばれたのは問題かもだけど……」
(そりゃそうだよなぁ……)
保護者の方の言葉は現役アイドルを管理する立場ならば当然の言葉だろう。何せわざわざ隠れて出産をするために東京からこんな地方まで来ているというのに、担当医に一目で気づかれてしまったのだから。
医者としても、ファンとしても失態を演じてしまった。いや、状況的に自分が冷静な対応を取れたかというと全くそんな自信はないが、もう少し上手い事動揺を隠すことはできなかったのだろうか。
(こりゃこちらから声かけた方がいいかな)
こちらとしては業務上で知ったことを口外するつもりは全くない。だが、うやむやにしてしまうことで入院中にアイやその関係者に不安を持たせてしまうのは問題だろう。
俺が察していることは向こうもわかっているのだから、この場合ならあえてこちらから事情は何となく理解していると伝えることでこのまま入院か、それとも別の病院に行くかを決めてもらった方がいいのかもしれない。
それならば伝えるのは早い方がいいかと、扉に手をかけて再び診察室に入ろうとしたところで、
「ここでいいと思うな。信頼できそうな人だったし」
推しの声が聞こえてきたので動きを止めた。
「信頼できそうってお前なぁ……。根拠を言え、根拠を」
「うーん、なんとなく?」
「……おいおい」
「私のカンは良く当たるからね!」
(なんとなく、か)
何となく、カン、何一つ根拠になりえるものなどないが、それでも自分の推しが初対面であろう自分を信頼しようとしてくれているのは理解できた。
(推しにそう言われたら、それに応えなきゃファンとしても医者としても名が廃るわ)
我ながらちょろいもんだと思わず苦笑が零れるが、推しの言葉というのはファンにとってそれくらい大きい意味を持つものなのだ。
こうなれば、いつまでもふわふわとしているわけにはいかない。両手でパンと頬を叩いて気合を入れなおしてから、改めてノックと共に扉を開ける。そして、椅子に座ってから改めて三人と向き合った。
「今、検査の準備を始めたので少々お待ちください。ですが、その前に相談しなければならないことがあります」
「はい」
俺の言葉にアイが頷いた。そして、両側の二人からの視線を受け止めてから意を決して口を開く。
「お気づきでしょうが、私は本当に偶然ではありますが星野さんの事情を多少なりとも存じております」
「あはは、そうだよねー」
「そうですか。いや、そうでしょうな……」
俺の言葉を聞いてアイは笑い、保護者の男性は一度頷いてから頭を抱える。パートナーであろう男の子は苦笑を浮かべたまま無言だ。
「その上で、もしリスクを最小限にしたいということであれば他の病院を紹介することも可能です。無論、その場合は業務上で知ったことですから絶対に今回のことは口外しないと確約しますし、改めて紹介状を作らせていただきますので不都合はないと思います」
そこで一度言葉を止め、そして改めて全員を見渡してから自分の意思を伝える。
「ですが、もしそれでも当院を選ばれるのであれば全力を尽くさせていただきます」
最後に、無論星野さんだけ特別にというわけにはいきませんがと軽い口調で付け加えた。患者にどんな事情があろうと適当なことはしない。これは医者である雨宮吾郎の意地である。
俺の言葉を聞いて、アイはにっこりと笑みを浮かべてパートナーの少年を見る。すると、少年は同じように笑みを浮かべ、二人の視線は保護者の男性へと向かった。
それを受けて、男性はため息を一つ着いてから居住まいを正す。
「先生、アイをよろしくお願いします」
「せんせー、よろしくね」
「よろしくお願いします」
三つの頭が下げられ、それに合わせるように俺も一言力強く答えてから頭を下げた。
「お任せください」
こうして、検査の結果を経てアイの入院が決まる。俺の人生において決して忘れることができないであろう患者がまた一人増えることになるのだった。
原作読めばわかることはあんまり書きたくないんですが、オリ主が増えたので一話使わせてもらいました。
次回は屋上シーンとかになると思います。いつになるかはわかりませんが!