このお話のコンセプトは可愛いアイを書く、です
オリジナル展開が続いたけど、ここからやっと原作に絡めれるんじゃ……
眠れない。喉が渇いた。
ベッドから起き上がり、扉を開ける。音を立てぬよう廊下を歩き、居間の扉を開けて備え付けられた時計を見やればすでに二十三時を回っていた。
専用のコップを取り出し冷蔵庫から取り出した麦茶を入れると、その場でぐいと一気に飲み干す。
暦は七月。すでに夏の真っ盛りということで、扇風機だけでは流石に夜は寝苦しい。居間にはクーラーがついているので少し涼もうと、もう一杯麦茶を入れた後、いささか冷蔵庫を乱暴に閉める。普段食事をとっている席に腰を下ろしてクーラーのスイッチを入れた。
しばらくすると冷風を感じそこでようやく一息つくと、早速というべきか眠れない原因が脳内に湧き出てくる。両肘をテーブルに着き、溜息と共に頭を抱えた。
アイとの会話が無くなってから、半月ほどが経った。一緒だった登下校は別々になり、学校では目線すら交わすことが無い。飯を食う時も、以前は隣に座っていたのに今では一番遠い場所にいる。
何とか話しかけようとしても、精々が一言二言で到底会話になりえない。
どうやら本格的に避けられてしまったようだ。
今までそれなりに仲良かった子に距離を取られるのは中々きついものだが、然もありなんとも思う。
俺がやったことは、自分が傷つかないように、相手を傷つけないようにわざわざ纏った貝の殻を無理矢理ハンマーで叩き割ったようなものなのだから。
――しかも初手で、なぁ。そら距離も取られるわ。
アイドルやり始めても住所を教えてもらえるくらいの仲になる、そんなぶち上げた最終目標がどれだけ途方もないものだったか、今改めて思い知っている。
――仲良くなるどころか嫌われて。今が一番大事な時なのに……。
前世で何かを成すこともなかった俺が、業界の頂点へと駆け上がる人間を救おうと思うなど、おこがましい話だったのだろうか。
「どうすりゃいいんだ……」
頭を抱えたまま、ひとりごちた。すると、
「どうしたの、こんな時間に頭抱えちゃって」
顔を上げ居間の入り口に視線を遣ると、初老の女性の姿が見て取れた。俺やこの施設に住む子供たちが最もお世話になっている、施設の母親役と言うべき人だ。
「ああ、おばちゃん。悪い、起こしちゃった? ちょっと寝苦しくて、少し涼もうかなってね」
「そうかい。まあ、今年はどうにも暑いからねぇ……」
やれやれといった風に笑みを浮かべつつ、俺の対面に腰を下ろした。
「それで、どうしたんだい? 大方察しはつくけども――アイちゃんと、最近話してないんでしょう?」
「……話が早くて助かるよ、おばちゃん」
素直にそう言うと、おばちゃんは軽く微笑んだ後、一転して真面目な顔をする。
「それで、実際のところどうなんだい? 私たちの方でも気をつけて見てはいるけれど……」
「うーん……。学校は最初は孤立気味だったけど、一年経ってそういうのもなくなってきてるし、あの事があった後も特に問題なく過ごしてる感じ。それはここでも変わらない。少なくとも、表向きは」
そう、表向きは変わらない。あの出来事を経た後のアイの嘘はより自然になった。俺はアイが嘘をつくと知っていたから感づいたものの、そうではない人たちは余程に普段から注視していないとわからないだろう。
ただ、嘘がわかったからと言って、彼女の奥底まで量れるわけではない。少なくともわかるのは、まだアイに嘘をつく余裕がかろうじて残っているということだけだ。
実際原作でもアイの人生はまだ続くし、仮に俺というイレギュラーがいたところで大きな流れが変わることは無いだろう。
だから、アイがすぐに命を絶とうとするような状況にはないと、そう答える。すると、おばちゃんは一度頷いてから溜息をついた。
「それは、施設の職員としては欲しかった回答ね。――――でも、私が聞きたいのは、そういうことじゃないのだけれど」
「というと?」
「アイちゃんと、仲良しに戻れそうなのかい?」
「それは――」
厳しい。そう言わざるを得ない。
今俺が本心をさらけ出したところで、アイが信じることは確実に無いだろう。
今の彼女は人生において最も身近な人間に裏切られたばかりだ。そんなところに、出会ってたかだか一年のガキが何を言ったところで信用してもらえるわけがないのだ。
無論そんなことは目の前の人も理解しているはずで、事実職員さんたちはアイのことを注視はしていても、かける言葉は短いものに限定されていた。
今は見守るしかない。そして、助けを求められた時には全力で手を差し伸べる。結局のところ、それが結論なのだ。
「全く、翔君は相変わらず大人みたいなことを言うねぇ」
「ま、中身は大人だからね。これくらいは流石に考えるさ」
「身体は子供なんだけどねぇ」
おばちゃんが面白そうに笑う。まあ事実を言っているんだけどね、冗談にしか聞こえないよね仕方ないね。軽く肩をすくめると、おばちゃんの笑い声が少しだけ大きくなった。
「全く、そういうところは昔から変わらないねぇ。――でも、正直驚いてるのよ。翔君が人間関係で悩むことなんて見たことなかったから」
「まあ、今回はちょっと特別だからなぁ……。何とかしてやりたいとは思ってるよ」
「ふふ、翔君がここまで言うなんて。思えばアイちゃんがここに来た日からずっと傍にいてあげたもんねぇ。愛されてるわね、アイちゃんは」
愛されてる、ねぇ。まだ小五なんだがこちとら。
「まだ愛を語れる歳ではないけどなぁ」
「ふふ。でも大人なんでしょう?」
「ああ言えばこう言うってやつやね」
この人に口で敵うことはことは無いんだろうなぁと思いつつ。二人で笑う。
実際、愛というものについて俺が言及できることは無い。俺とアイは男と女で、愛というならば一般的にそういう方向の物だと思うのだが、前世ならともかく身体に精神が引っ張られてる今では彼女に愛情を持つにはまだ早い気もする。小五やで小五。
だけどまあ、愛とは違うけど、言えることは間違いなくある。
「愛してるってのは、わからないな。まだ小五だし。でも……」
「でも?」
「幸せになってほしい、とは思ってる。間違いなく。大切な子だからね」
原作の知識や、この一年の記憶を、アイの笑顔を思い返しながら、そう言い切る。瞬間、居間の扉がきしむ音がした。次いで誰かが廊下を走る音、次いで扉が閉まる音が続く。どうやら相当慌てていたようだ。
「なんだなんだ。そんな慌てることないだろうに」
「……まあ、慌てる子もいるんじゃないかしら。こんな声で言われたら、ねぇ?」
「うん……? うん!? まさか星野か!?」
――いやいやいやいやあかんでしょ。もう二度と話してくれんわこんなんどうすんの……!?
聞かれたらまずい話はしてない……してないよね? なんか不安になってきたが、それ以上に明日どうやって顔合わせりゃいいんだ、というかそもそも顔合わせてくれるのか?
聞かれちゃったわねぇと笑うおばちゃんを尻目に、俺は再び頭を抱えたのだった。
耳に届いた言葉を理解した瞬間、慌てて廊下を走り部屋に飛び込む。そして、そのままベッドにダイブした。そのまま顔を埋めると、心臓の鼓動がいつもよりも激しいことを実感して、堪らず身体を丸め込む。
――どういうこと? 私、何もしてないよ?
この一年私が彼としたことと言えば一緒に学校に行ったくらいで、それ以外のことなんて本当に、本当に何もしていない。むしろ、気遣ってくれた彼を突き放してしまったのだから、嫌われてても仕方ないくらいなのに。
それなのに、どうして、
――どうして、あんな優しい言葉が出てくるの?
初めてだった。
幸せになってほしい、なんて。
大切な人、なんて。
言われたの、初めてだった。
こんな優しい言葉を言ってくれる人なんて今までいなかった。
――もう、何もわかんない。わかんないよ。
手探りで枕を掴み、抱え込む。
つい先日、絶望的な裏切りにあって私はずっと一人ぼっちだと思っていた。なのに、急にあんなことを言われたら考えなんてまとまるわけがない。
面と向かって直接言われたなら、きっと嘘だと切り捨てることができたはずだ。同情なんていらない、気遣いもいらないと、理不尽にキレ散らかして嫌われていたことだろう。
でも、あの状況で彼が嘘をつく必要性がないことも、あんな優しい声色の言葉が嘘ではないことも、私は理解してしまっていた。
だからきっと、あの言葉は本当の言葉で。
本当に幸せになってほしいと思ってくれていて。本当に、大切な人と思ってくれていて。
――まだ、いたんだ。いたんだなぁ……。
家族はいなくなった。でも、私のことを見て、想ってくれる人はいたのだ。
堪らず、涙がこぼれる。同時に枕をぎゅっと抱きしめた。
夜で良かったと心から思う。今ならば誰にも見られることなく、この荒れ狂う感情と向き合うことができるから。
今日はもう寝れないかもしれない。でも、こんなに嬉しい夜は終わってほしくないから、寝れなくていい。それに考えなきゃいけないことがいくらでもあるのだ。一番重要なのは、
――明日、どんな顔して会えばいいんだろう。
今の私では、あの人をだまし切る嘘なんて作れない。どんな表情を作っても、それが嘘ならきっと見破られてしまうだろう。
この半月、彼を避けていた原因。それが、今までとは全く逆の方向性をもって私を悩ませる。
何も聞いてないフリする?
――無理、絶対顔に出る。というか絶対聞いてたの気づかれてる。
じゃあ、素直に言う?
――もっと無理、絶対何も話せない。
つまり、私から何もできない。ということは明日の私は何かを言われるまでずっと、彼のことを窺っていなければならないわけだ。
――あっ、詰んでるこれ。
絶対に主導権を取ることはできない。それに気づいてしまった私の思考はしっかりと停止した。