今日は彼が後見人さんと用事で朝から外出してて、部屋にいるのも暇だったので渋谷に繰り出したらスタバの前でおじさんに声をかけられた。聞けば芸能事務所のスカウトだという。苺プロ、聞いたことないね。
何か目的があって歩いていたわけではないし、ちょうど喉も乾いていたので抹茶ラテと名刺をもらって休憩がてら話を聞いてみると、なんと驚き「アイドルにならないか」なんて言葉が出てくるなんて。笑っちゃうね。
――アイドル、ねぇ。
口では興味ないと一蹴しつつ、おじさんの「絶対向いてる、保証する」なんて言葉を聞きながら頭の中で少し考えてみる。
私がアイドルという存在に対して持つイメージは、かわいい女の子たちがみんなに笑顔を振りまいて、歌って踊って声援を受ける、光り輝く存在だ。
容姿は――まあ、悪くないのだろう。こうして見た目だけで判断されるスカウトを受けてるのだから、このおじさんが求めてる最低限の容姿以上はあるはずだ。何より、彼もかわいいかわいいって言ってくれてるし。
小学生の頃から休みの日によくカラオケに行って暇つぶししていたから、歌うことも苦手じゃない。むしろ好きな部類に入るかも。
踊りは、まあ、要検討だけど。
考えてみれば意外といけるかもねと、何となくだが思った。もちろんアイドルなんて仕事が簡単なものであるわけがないことは理解しているけれど、やってみてもいい仕事の一つには当てはまるかもしれない。
それに中学生ではまだバイトができないから、収入ができるというのも魅力的だ。施設から毎月お小遣いはもらっているとはいえ、結局彼と遊ぶ時は全部出してもらっていた。
それができるだけのお金を持っていることは知っているし、将来返してくれって笑いながら言っていたけれど、今後もそれが続くのは申し訳ないし、悔しい。そう思えば、今回のこのスカウトは渡りに船と言えなくもなかった。
――でもねぇ……。
多分、足りないだろうなと思う。
やる気、根拠、熱意、そういったものが足りない。
成功すれば得られるであろうものに興味がないのが原因だろう。人からの視線なんて煩わしいだけだし、金銭も最低限のものがあればいい。自尊心は既に十分なほどに得ている。
そして何より、私のような闇を抱えた人間が関わる職業ではないと思えた。
やはりここは断ったほうが身のためだろうと、脅しも兼ねて自分の過去を口にする。
「止めといた方が良いと思うよ。私、施設の子だし」
片親であること、その親が犯罪を犯したこと、そして迎えに来てくれなかったこと。初対面の人にどうしてこんなこと話してるんだろうなぁと思いながらも、自分の傷口を抉りながら続けた。
「アイドルって輝ける人がやるものでしょ? 私みたいな暗い過去を持つ人間がそんなことできるわけがないでしょ」
ここまで話せばまともな人間なら引くだろう。これ以上話すことは無い、抹茶ラテごちそうさまと立ち上がろうとする。だが、おじさんの言葉にその動きは止まった。
「別に問題ないだろ、そんなの。そもそもアイドルなんて普通の人間が向いてる仕事じゃない。お前の暗い過去とやらも、芸能界なら個性の一つだからな」
――驚いた。
浮かしかけた腰を元に戻した。改めておじさんの様子を窺ってみるが、本人からすれば当たり前のことを言っただけなのだろう、さっきの言葉に嘘を感じることは無かった。サングラスで眼は隠れていたけれど、言葉だけでもそう思わせる自然さがあったのだ。
――私の過去が、ただの個性、ね。
それなりに折り合いをつけてきてはいたが、やはり親に捨てられた過去というものは今の私の根幹に根付くものだ。その事実に対して気にせず話せるのは数人しかいなくて、ほとんどの人は可哀そうにと気遣ってくる。それはありがたいことだとわかっているのだけど、煩わしいと思ってしまうのもまた事実だった。
実際客観的に見ても重い話だと思うのだが、この人はたった一言でバッサリと切り捨てた。まるでつまらないことを言うなと言わんばかりにだ。実に面白い。
なるほど芸能界とはそういう世界か。この程度の闇など気にするに値しないと、そういうことなのか。
今のセリフを聞いて怒る人も当然いるのだろう。だが、怒るならばその程度の人間、それこそおじさんの言う「普通の人間」ということなのかもしれない。じゃあ、それを面白いと思ってしまった私は、一体どんな人間なのか。
――興味、湧いてきちゃったなぁ。
ちょろすぎるかなーと思わなくもないが、湧いてきてしまったものは仕方ない。ならばと、少しばかり話を続けてみる。
「私、彼氏いるけど、いいの?」
「売れてないうちは気にしなくていい。仮に売れた後でも、隠せるなら構わない」
「じゃあ一番大事な話を聞くけど――私、愛してるって言葉を言うの怖いんだよね。親に愛されてなかったからさ、愛ってのがいまいちわかってなくて、愛してるって大切な人に言って、それが嘘だってわかってしまったらって思うと、怖いの」
そう、とても怖い。だって、彼にすらまだ愛してるって言えてないくらいなんだから。というか一番言えない相手だよね。もし彼に愛してるって言って、それが嘘だと自覚してしまったら――私、一体どうなるんだろう。好きって言葉はいくらでも言えるのにね。
「だから、私は心から愛してるなんてファンの人たちに絶対に言えないよ? 嘘つきになるけど、それでもいいの?」
大切な人にすら言えないのだ。その他の人達に愛してると言えと言うなら、嘘で塗り固めたものしか口に出せない。絶対に、本心から愛してるなんて言えるわけがないのだ。
それでもいいのかと、サングラス越しではあるがじっとおじさんの眼を見つめる。すると、私の視線から逃れることなく、おじさんが口を開いた。
「なるほどな。――まあ、問題ないんじゃないか? 客が求めてるのは綺麗な嘘。好きだの愛してるだの、嘘だと心の底ではわかってるのに、それでも求めてくるのがアイドルのファンってやつだ。だから練習だと思っていくらでも言ってやりゃいいのさ」
「――練習、ねぇ。おじさん、ホントに面白いこと言うねぇ」
堪らず笑ってしまった。実に口が上手いと心から思う。断ろうと思っていたのに、今ではやってみたいという気持ちが上回ってしまったではないか。
「ん、わかった。でもこの場では決めれないから、一旦持ち帰って彼氏と相談させてもらうね」
「ああ。って、彼氏とか? 施設の人とじゃないのか?」
「うん。施設の人はぶっちゃけ大丈夫、彼氏がおっけーって言えば、ね」
あの人ホントにおばちゃん達からの信頼厚いからね。施設の運営のことで相談受けてるし、たまにパソコンで事務仕事代行してるの見るし、もう職員みたいなもんだねあれ。金銭的にも「スポンサー様」だし。
「……そうか。じゃあ一度、その彼氏君にも会わせてくれ。話したいことがあるしな」
「ふーん? じゃあ、聞いてみるね?」
「ああ。さっきの名刺に連絡先が書いてあるから、予定が決まったら連絡してくれ。可能な限り合わせる」
なんとまあ丁寧なことでと思いつつ、会話が終わったのでごちそうさまと言って店を出た。おじさんと別れた後、うーんと腕を上げて身体を伸ばす。
ただの暇つぶしだったはずなのに、いやはや随分と大事になってしまった。
――まあでも、悪くなかったね。
少なくとも価値観が広がる時間ではあった。アイドルをやるにしろやらないにしろ、そういう世界があると知れただけでも十分だ。良い出会いだったと思う。
あの人はどう思うかな。私がアイドル、なんて。驚くかな? 笑うかな? もしかしたら、怒られるかもしれないな。何にせよリアクションが楽しみだと思った。
ソファーで本を読んでいると、コンコンと、聞きなれたリズムのノック音に視線を上げた。どうぞと答えれば、扉を開けて入ってきたのは想像通りの姿。中学に上がると同時に友人から恋人へランクアップした星野アイさんは、扉を閉めると勝手知ったるといわんばかりに俺の隣に腰を下ろした。
「スカウトされちゃった」
「それはおめ」
「軽くなーい?」
「そめ」
「略すな」
適当に答えたらぷんすこしだした。腕をぺしぺし叩き始めたので、溜息一つついてから続ける。
「そりゃスカウトの十や二十受けるだろうよ。鏡見ろ鏡」
「……」
無言で腕を絡めてくるアイ。「んふー」ってにっこにこですね、顔を肩に置くんじゃない、かわいすぎるだろうが。
「それで?」
「ん?」
「どう思う? スカウトされたこと。アイドルだってさ」
「……まあ、来るべき時が来たって感じだなぁ」
スカウトマンからもらったであろう名刺をこちらに差し出しながら聞いてくるアイ。本を置いて名刺を見れば、苺プロダクション、斉藤壱護と書かれていた。それを見ながら、俺は感慨深く答える。
遂に原作が動き出した。これをきっかけにアイがスターダムにのし上がり、その頂上に手をかける直前に散っていく。俺というイレギュラーによって原作はすでにブレイク必至だが、アイの様子を見る限りスカウトを受けることに対して否定的な感じではなさそうだ。
神様やら転生やらが平然と存在する世界だ、そう簡単に世界の方向性が変わるとは思えない。だからきっと俺が反対しても、アイはアイドルになるのだろう。ならば、多少の改変はあろうとほぼ原作通りに進むと、漠然とだがそう感じる。
――覚悟はしておかなきゃならん。
俺たちは今中学一年生。つまりあの事件まであと七年とちょっと、長くて八年ある。
それまでに俺は、死ぬ覚悟を決めておかなきゃならない。
あの場を凌げばいいだけなら、ドアチェーンをかけることを徹底的に教えればいいだけだ。だが、その後はどうなるのか。
家のセキュリティをどれだけ上げても必ずアイが一人になる時間というものは出てくるし、あのクソ野郎が芸能関係者である以上、アイがどこにいるかという情報はいくらでもつかめるだろう。
殺すだけなら家である必要などない、撮影現場や練習場所、それこそトイレの中でもいいのだ。何せ、某リョースケとやらを使わなければならない必要は奴にはない。殺意を煽ることができるなら実行犯は女でもいいのだから。
つまり、俺は最初のコンタクトで必ず、カミキヒカルを排除しなければならないのだ。そして、その可能性が一番高いと俺が想定しているのが原作におけるアイの家での殺傷事件を利用することだった。
その事件までの流れを想像する度に、腸が煮えくり返りそうになる。だが、忘れるなよ松田翔一になった俺。最も優先するべきは星野アイを救うことだ。だから、そのためなら俺は――そこまで考えて、不意に俺の視界に影が走る。
瞬間、唇に柔らかいものが触れた。
アイの顔がゆっくりと離れていくと、視線が合った。恋人同士のキスの後とは思えないほどに真面目な表情に、固まった思考をほぐしながら口を開く。
「――急に、どうした?」
「それこっちのセリフ。名刺見ながらいきなり考え込んだと思ったら……今凄い怖い顔してた」
「……ちょっと色々考えてた。でも、なんでキス?」
「だって、初めてだったんだもん。君がそんなに怖い顔して、考え込んでるの見るなんて――少し、不安になった」
いつの間にか腕をほどき俺に覆いかぶさるようになっていたアイに、そのまま抱きしめられる。俺もそれを受け入れながら、余りにも深く考え込みすぎたことを反省し溜息をつく。
「ごめん」
「ううん。スカウトされたの、そんなに嫌だった?」
「いや、そうじゃないんだ。考えてたのは、他のことだな」
「ふーん……」
そう言って、少しだけ離れたアイと視線が合う。何かを確認するかのようにじっと見つめられていたが、しばらくして満足したのかポフンと俺の横に座りなおした。
「ま、良しとしましょう。表情も戻ったし」
「そいつはどうも」
「それで、さっきの続きだけど、どう思う?」
「……まあ、決めるのはお前自身で、だな。あ、俺は反対しないぞ」
「そっか。じゃあ、やってみようかなーって。おばちゃんたちの説得も、協力してもらっていい?」
「了解」
俺が頷くと、「ん、良かった」とアイが再び腕を絡めてきた。かわいすぎか。
はてさて斉藤社長とどんな話し合いがあったのか見当もつかないが、アイは見事に口説き落とされた。しばらくすればアイドルとしての活動が始まるのだろうけど、初期の活動って詳しい描写されてないからわからないんだよね。
とりあえずはB小町の初期メンバーとの関係維持とか、あとはファッション誌とか服買ったりしよう。原作で芋娘とか言われてたからね、俺にはファッションセンスは無いけどせめて芋は取ってあげたいよね。
「今度渋谷に買い物行くか」
「え? うん、行く行く」
友人から恋人という関係性になってぬるま湯に浸りながら過ごしてる感すごいけど、幸せならオッケーですって誰かが言ってた。実際アイさんが幸せならマジで無問題。それにこういうスキンシップは二人きりの時だけだから安心してくれな! 共同生活だから節度って大事なんや!
その後少しばかりの時間逢瀬を楽しんでいたが、しばらくしてアイが突然「あっ!」という声と共に立ち上がった。
「ん、どした?」
「忘れてたことあった。なんかね、今日会った佐藤さん? が君にも会いたいから連絡くれって言っててさー」
「なんと」
それは驚いた。いくらスカウトした子の彼氏とは言え、普通時間取ってまで会いたいなんて言うだろうか。
――これ本当に原作通り進むんかな……?
原作開始早々に起ったいきなりの展開に、流石に戸惑いを隠せなかった。
アイとオリ主の告白秘話とか先に書こうと思ったけど、話を進めることを優先したマン
その内番外で告白と初めてのちゅう編でも書きます