──大抵の場合、『生命の危機』というのは唐突にやってくる。それは彼女も例外ではなかった。
かぐやがいつものように
「やぁ、初めまして。俺は童磨」
琵琶の音がして、空中に出現した襖から
(──はぁっ!?
柱に匹敵する実力を持つ錆兎は、甲の質を見定める指令の補佐を行なっていた。故にここ最近、かぐやと錆兎は別行動を取っていることが多くなっていたのだ。
そして、上弦の姿を見た彼女は──脱兎の如く逃げ出した。
「えっ。
……鬼ごっこかい? 生憎俺は、本物の鬼なワケだけど」
鬼を目の前にして、躊躇なく逃げる柱は初めてだったのだろう。童磨は一瞬固まっていたが、すぐに追跡を開始した。
「わぁ、速いね。目がいいんだ」
(嫌味ですかコンチクショウ!)
山を走り抜けるのは非常に危険だ。それが暗闇の中なら尚更に。それでもかぐやが止まらずにいられるのは、彼女が持つ切り札の一つが理由だ。
(こちとら
──花の呼吸における『
彼女の場合、水の呼吸と日の呼吸という不純物を敢えて混ぜることで、ノーリスクで比較的長時間の使用を可能としているのだ。
(それでも、距離が離せない……!)
(うーん、このまま普通に追い続けてもいいんだけど……山を抜けられて朝が来たら面倒だな)
そしてここで、童磨が血鬼術を使用した。
──血鬼術
氷の蔦が、かぐやを絡め取らんと迫り来る。だが……。
(……あれ、むしろ距離が離れちゃった)
(…………?)
歴戦の柱である彼女にとっては、背後からしか来ないと分かっている技なぞ『勘』で避けられる部類らしい。
血鬼術に意識を回した分、かぐやと童磨の距離は開いた。
(なら、コレはどうかな?)
結晶ノ御子
童磨の手元から、彼によく似た氷の人形が一体出現し──。
「そぉれ!」
童磨は、それを投げた。
かぐやの『勘』が、警鐘を鳴らす。
──投擲、軌道は頭上を通って正面へ。
形状の意図を推察。分身系の血鬼術である恐れあり。その場合、分身体の大きさから戦闘方法は血鬼術を用いるものと思われる。
(あ、コレは駄目ですね)
──変転 風の呼吸
炎ノ型弍番 昇り炎天
かぐやは咄嗟に風の呼吸へ切り替え、分身を撃破した。
「眼だけじゃなくて、勘もいいんだね。だけどそんなのに構ってると、俺に追いつかれちゃうぜ?」
「問題ありません! だってもう、山を抜けますから!」
「へぇ? 直線の走りで鬼の俺に勝てると──ってあらまぁ。想像以上に速かった。
……でもそれ、
「余計なお世話です!」
上弦ですら、痣者を知るのは黒死牟のみ。その身体能力に驚きこそしたものの──彼は持ち前の頭脳で、それが『真っ当ではないもの』と瞬時に察した。
(まぁいずれにせよ、姑獲鳥ちゃん相手には全く本気じゃなかったワケだ)
かぐやは童磨を
「──さぁ、そろそろいいでしょう」
そして彼女は開けた場所で立ち止まり、向き直った。
「おや、もう鬼ごっこはお終いかい?」
「そもそも私、逃げてませんから。刀を振りやすい場所に移動しただけですので」
「あぁ、やっぱり? それと、朝まで粘れば日光で追い返せるというのもあるよね」
「日光なんていりませんよ。朝より先に、私が首を落としますから」
「あー、待って待って。戦う前に、ちょっとお話しないかい?」
「お話? まぁ、構いませんが……」
この状況、時間を稼げば日が刺すことに加え、かぐやには増援が来る可能性がある。童磨には不利な提案の筈だが……彼は本当に話し始めた。
「姑獲鳥ちゃんの目を通してね、キミの戦いを見させて貰ったんだ」
「うぶめ?」
「下弦の壱だよ。キミがあの子の血鬼術を消し去るところを見た」
「……だったら何です?」
「──ヒノカミサマとお話しする方法を、教えておくれよ」
「……申し訳ありませんが、私はあの舞によって加護を得ているものの……神の声を聞いたことはありません」
「じゃあ、姿を見たことは」
「ないですね……」
「…………そっか、
「……では、殺し合いますか」
「──あぁ待って。まだ聞きたいことが残ってる」
「…………」
かぐやは油断せず童磨の動きを注視しているが……彼女には、彼が本気でただ聞きたいことを聞いているだけにしか見えなかった。
「……ねぇ。輪廻転生って、本当にあると思う?」
「……生まれ変わりはありますよ。私自身が体験しました。……仏教における輪廻転生とは、違うと思いますが」
「──そっか! 生まれ変わりはあるのか!」
病的に青白かった肌を紅潮させ、童磨は『そうかそうか』と
「俺は、とある宗教の教祖をやってるんだけどさ?」
「……教祖、ですか」
「うん。教義は『穏やかな気持ちで楽しく生きること』」
「良いですね」
「ありがとう。元々は両親が教祖でね。この教義はそのまま使ってるんだ。二人もきっと喜んでるよ」
「……すみません、話が見えないのですが」
「おっとすまないすまない。俺自身、こういう『感情』にまだ慣れていなくて……いつもみたいに、上手く話せなくなってるみたいなんだ」
「まぁ私としては、時間が過ぎる分には都合がいいので構いませんが」
「よかったよかった。
それで俺はこの教義に従って、沢山の人を
「…………はい?」
「人間は愚かだから。生きてても苦しいだけで、穏やかにも、幸せにもなれない。だから俺の血肉として、永遠に存在できるように──そう思って、沢山食べたんだ」
「…………そうですか」
かぐやの表情に、感情はなかった。少なくともまだ『感情』を本当の意味で理解できていない童磨には、読み取れなかった。
今まで饒舌だった彼は、急に重くなった舌に違和感を覚えつつも、結論に至る。
「……両親の意思で、教祖を継いで。俺自身、救うことが、使命だと思って。でも俺は、『救われた』と感じたことがなかった。俺には、
──俺が救ったと信じていた人達は、本当に救われていたのかな?
なぁ、答えてくれ。俺は、俺がやってきたことは……
──教えてくれ。ヒノカミの化身、神仏の代行者よ。直接の言葉でなくとも……俺は、答えを求めずにはいられない」
相変わらずかぐやの表情からは、何の感情も読み取れなかった。
そして感情が無い顔のまま、彼女は返答する。
「──私、
「えっ」
仏教における輪廻転生では、自殺した人間の多くは人間道などの三善道には行けず、地獄道などの三悪道へ行くとされている。彼女が『輪廻転生とは違う』と言ったのは、『過去への転生だから(それも創作とされていた世界と非常に似通っている)』だけではなかった。
「生きることが辛いと、そう感じる人は多いです。私がそうであったように──
「……俺は、辛くなんて」
「でもあなた、
言われて童磨は目に手をやる。
──確かに彼は、涙を流していた。
「あれ? え、コレは、どうして」
「……『感情が無い』なんて、そんなのあり得る訳がないでしょう。
今までずっと、苦しかったんですよね。私も狂ってるので、解るんですよ。他人と心の在り方が違う苦しみは」
「……俺、は……苦しかった?」
「毎日毎日、『自分は狂っている』と自覚しながら生きてるんですよ? 皆が笑っているのに笑えない。悲しんでいるのに悲しめない。呼吸を読んで、意見を合わせて、取り繕うことはできますけれど……そんなの、辛いじゃないですか」
童磨は知っていた。それは彼の在り方だ。
「本当に感情が無いなら、
「それ、は」
生活する上で合理的だったから?
いいや、違う。鬼になってからは、確かに宗教は良い隠れ蓑だったろう。だが、
「人を救い続ける──それは、間違いなく
「俺の、
「えぇ。故に、私の回答はこうです。貴方のしてきたことは──
その瞬間、童磨の思考にかかっていた靄が晴れた。
(そうだ。俺は、
『死は救済である』という考えは、死を望む者の発想だ。彼は無意識のうちに、己の望みを救済に反映させていた。
鬼の死因は限られている。上弦にもなれば、それは戦死以外にはないだろう。だがきっと彼は、死の間際でも『負けて悔しい』とは思わない。頸の弱点を克服することもない。
──だが、己を殺した者に『深い感謝』を覚えるかもしれない。それこそ
「──ありがとう。やっと分かった。俺は死にたいくらい、苦しかったんだ。でも、生まれた意味も分からないまま死ぬのは嫌だったんだ」
「それで? 貴方は、何のために生まれたんですか?」
「決まってる。人を救うためだ」
「人を喰らう、鬼なのに?」
「そうだよ。君も鬼にならないかい? 君が側に居てくれたら、俺はもっと人を救える」
「断ります。私は何があろうと鬼にはなりません」
「残念だよ。できれば自分の意思で鬼になって欲しかった」
「何がなんでも私を鬼にすると言うのなら、私は貴方を殺します」
「それはそれで、綺麗な終わりで良いね。俺には勿体ないくらい」
狂人達は距離を取り、武器を構えた。
「俺と一緒に生きてくれ」
「生まれ変わって、また会うことがあったのなら。その時は友達になってあげてもいいですよ」
「そう言わず、今生で仲良くしようぜッ!」
「しつこい男は嫌いですッ!!」
刀と扇がぶつかり、火花が二人を照らした。