──この世に神がいるのなら、ソイツはきっと頭に『邪』か『悪』と付く系統のクソ野郎だ。
十歳の時、両親が死んだ。
親戚はいなかったから、俺の家族は双子の弟だけになった。
弟は、心の綺麗な奴だった。どんな状況でも、自分より他人を優先できる奴だった。……母のために嵐の中薬草を摘みに行き、帰らぬ人となった父と、同じくらい。
だから俺は、俺が弟を守らなければと思ったのだ。疑いを知らない弟の代わりに、俺が全ての悪意を斬り捨てなければと……そう思っていたのだ。
──春になった。
弟が、家に『鬼狩り』と名乗る女を連れてきた。女は自分と弟を、何やら名のある剣士の末裔だと言い──弟はそれを聞いて、無邪気に喜んでいた。
…………目眩がした。元々疑いを知らないとは思っていたが、まさかここまでとは想定していなかった。
幸いなことに、俺が『帰れ』と言うと女はすんなり引き下がったが……。
『日が暮れ始めたら、このお香を焚いてください』
女は毎日家を訪れた。そして日中勝手に仕事を手伝い、帰り際に大量の金銭と謎の香を置いて立ち去るのだ。
正直不気味で仕方なかったが、何故か弟は女によく懐いた。そして奴が来るようになってから数日後……弟はお香を、無警戒にも言われた通り使ってしまった。俺はずっと止めていたのに。
結果だけ言うならその香は、女の申告通り無害な『藤の花のお香』だったものの……これが焚いて使う毒や麻薬だったのなら、どうなっていたことか。
『それで僕達を中毒者にして、どうするのさ?』
……あぁ、本当は解っている。
押し付けの高利貸し? いいや、マトモな家財すらロクに無い家から何を奪おうというのか。むしろ元金を使われて逃げられるのがオチだ。
ならこき使える
解っていたんだ。その時には、もう既に。
彼女が、嘘を吐いていないって……。
『ねぇ、剣士になろうよ! それで、鬼に苦しめられている人を
──でもそんなの、俺達兄弟に鬼狩りができる理由にはならないだろう。
『お前に何ができるっていうんだよ!?』
先祖が剣士だからって、病気にならないワケじゃない。崖から落ちて、生きていられるワケでもない。
俺達は、ただの子供だ。何ならむしろ、助けが必要な孤児なのだ。
それがどうして、人を助けなきゃいけない?
──父は、そうやって死んだのに。どうして弟は、同じ道を進もうとするのか。
……どうして俺の言葉は、家族に届かないのか。
俺達は、会話をしなくなった。
──俺達が再び話すようになったのは、夏になった後のことだ。
ある日俺は、いつものようにやってきた女へ水を浴びせた。
それには温厚な弟も流石に怒って、俺に飛びかかってきた。……が、俺の身体に衝撃が走ることはなかった。
女が間に入り、弟を抱擁して受け止めていたからだ。
『まぁまぁ、そう怒らないで。私はわざと受けたんですよ。最近暑いですからね』
女は、俺の言うことは『大抵正しい』と言った。
『結局過去は変わらない。死んだ人間は戻らない』
『私の父も、私が十歳の時に亡くなりました。母に至っては、一つ下の弟が顔を覚える前に』
『……私がどれだけ泣き叫んでも、両親は帰ってきません』
『私はもう家族を、弟を喪いたくありません』
──『キミもそうでしょう?』と、女は俺にそう笑いかけて立ち去った。
その日から弟は、俺の暴言を気にしなくなった。
俺もなんだか毒気を抜かれて、そもそも暴言を吐く回数が少なくなった。
……冷静になって、後から思えば……彼女は弟だけなら、簡単に連れて行けたのだ。
そうしなかったのは、俺を天涯孤独にしないためではないか──彼女が本当に目をかけていたのは、俺の方だったんじゃあないかと──そう気付いた。
女は、『夏が終わればもう来ない』と言った。そして『私が来なくなっても、次の冬が終わるまでは毎日藤のお香を焚くように』とも。
──なのにあの日、俺達は……言いつけを破って香を焚かなかった。
暑かったんだ。あの夏は。
とても香を焚こうだなんて思えないくらい、寝苦しい日々が続いていたのだ。
それである日俺は、深夜に目が覚めて。香を消した。
──だけどその夜は、何事もなく過ぎ去った。
拍子抜けした。罪悪感はあったけれど、今まで何年もこの家で暮らしていて無事だったのだし、大丈夫だろう──昨日も大丈夫だった。だから今日も──そんな甘い考えで、俺は香を消した。段々と、一日に香をつけている時間が短くなっていった。弟も、それを黙認していた。
そして『あの日』
遂に俺達は、そもそも香を焚かなかった。
扉は風通しを良くするため、開け放たれていた。
弟が夜中に目覚めて、水を飲んでいる音がした。それで俺も、目が覚めて──家に知らない奴が、上がり込んでいたことに気付いた。
────鬼だった。
鬼はその爪で、俺の腕を切り飛ばした。小枝を削ぐみたいに、いとも容易く。
『──ァぁあア ア゛ア゛!!!』
その直後に、凄まじい咆哮が聞こえて。
弟が鬼を、何か箒のような棒で殴って外へ追い出していた。
いつだって、本当に肝が据わっていたのは弟の方だったから。人を信じるのも、誰かのために戦うのも、凄く勇気がいることで。……弱い俺には、それができなかった。
実のところ、本当に凄い奴なのは弟の方なのだと──ずっとずっと、わかっていたのだ。
──命が、こぼれていく感覚がした。
痛くて痛くて、一歩も動けなくて。
…………死ぬのだろうと、そう思った。
俺にはもう、祈ることしかできなかった。
〝神様。仏様。どうか弟だけは助けてください〟と──そう願う他なかった。
『──バカ言わないでください。助けますよ、キミのことも』
意識が朦朧とする中、天女が見えた気がした。
……『あの女』だった。
悔しいことに、心の底から安堵して──俺はここで、気を失った。
次に目が覚めると、朝になっていた。
……外で弟が、泣いている声がした。
失った腕と、部屋にこびり付いた血痕が……昨日の出来事が現実に起こったことであると、物語っていた。
手当はされていて、俺の身体は少しなら動くようになっていた。だから俺は、文字通り這う這うの体で外に出て──
噛み千切られた左肩。今にも地に落ちそうな肘先。着物を染める鮮血。傷だらけの裸足。それでも刀を手放さない、指が二本欠けた右手。
周囲には骨片らしきものや、臓腑であろうものが散らばっていた。
……医学の心得なんて欠片も無い、俺ですら分かる。
────致命傷。
俺が『弟だけ助けてくれ』と願って、彼女が『
こうして彼女は────産屋敷かぐやは、俺のせいで目覚めぬ人となった。