その日『月』は堕ち『真の太陽』は未だ登らず。
──なれど夜闇を照らす星々は、けして二つだけではない。
『────ぁあ……! アアァアァァ……!!!』
──強くなれば強くなるほど、自分の罪深さを自覚させられる。
あの日。初めて鬼と対峙した日。
僕は二体の鬼を見た。内一体は、目に文字が書かれている鬼だった。……
当時の僕は、その意味が解っていなかった。……いや、今も本当の意味では理解し切れていない。
あの状況が、どれだけ絶望的だったのか。……あの状況に持ち込んだ『彼女』が、どれほど遠い存在か。
勿論最初から、ある程度分かっていた部分はある。
外から断続して聞こえてくる轟音。生木の倒れる音と、それに伴う地響き。……最初に戦った鬼とは比較にならない、『災害』のような強さを持つ鬼と戦っているのだと──それくらいは分かっていた。
だけどしばらくして、音が止んで。そのあと少しして……近くで慟哭が聞こえて。俺は様子を見に、外へ出た。
──『彼女』が勝ったのだと、そう思ったから。あの声は鬼の断末魔だと、そう信じて疑わなかったのだ。
…………倒れていたのは、『彼女』の方だった。
鬼は叫びながら天を仰ぎ、三
僕はあまりに凄惨な光景に腰を抜かしたが……鬼は、近くで見ている僕の存在に気付いていない様子だった。
首の傷は治る気配がなく、ずっとずっと鬼は苦しんでいて──最終的には突然、どこからともなく琵琶の音がして。鬼は大地に吸い込まれ、消えていった。
間も無く朝陽が刺して、鬼が撒き散らした血は蒸発し──『彼女』の血だけが残った。…………鬼の血なんて微々たるもので、視界を埋め尽くす『赤』は……最初から、殆ど何も変わらなかった。
……結果だけ言うならば、『彼女』は生きていたのだけれど*1。この日以来、彼女は眠り続けている。本来なら衰弱死している期間を通り越しても、尚。……この先目覚めることがあるのかは、分からない。
──僕は、鬼殺隊に入った。兄は以前よりも更に必死になって、考え直すよう訴えてきたが……心は変わらなかった。
『彼女』に救われたこの命で、『彼女』の分まで、僕が戦わなければと──そう思ったのだ。
幸い才能はあった。何をやっても鈍臭い僕だったけど、剣士としての才能だけは、少なくとも『並より上』程度にはあったらしい。僕は
でも、なまじ才能があったせいで……解るのだ。
────炎柱、煉獄杏寿郎が敗北した。相手は、上弦の参だった。
その場には、後の恋柱『甘露寺蜜璃』も居た。二人は師弟であり、その連携には定評があった。それでも負けた。
甘露寺さんは甲ながらに僕と同等以上の力を持っていたし、古参の柱であった煉獄さんに至っては……鬼殺隊で、三指に入る実力者だったのに。
信じられなかった。あの二人が揃っていて勝てないのなら、正攻法で倒すことは不可能と同義だと言っていい。
でも『彼女』は、二人が負けた『参』より格上の相手──
────強くなればなるほど、自分の罪深さを自覚させられる。
……貴女の分まで、僕が戦う。
その誓いを、本当の意味で果たすことが……僕にできるでしょうか。
…………かぐや様。
*
大正噂話
心臓がドクドクと暴れ、全集中の呼吸が乱れているのが自分でも分かる。きっと今の私は、顔面蒼白になっているだろう。
「──っ。すみません、病み上がりなのに。お話は後ほど改めて……」
「いえ、大丈夫です。大丈夫なので……ひとつだけ、確認させてください」
慌てて頭を下げ、退室しようとする動きを見せた彼女を、引き止める。これだけは、確かめないと。
「……、…………っ。
…………柱はいま……何人、ですか……?」
──『杏寿郎は生きているのか』と直接聞くのは、怖くてできなかった。
だけど、これでも答えは分かる。
今代の柱は皆優秀だ。上弦以外と戦って敗北することはないだろう。少なくとも正史ではそうだった。
だから今が無限列車前なら、柱に欠員は────
「────」
──────ぁ。
「安心してください。柱は定員の九名が埋まっています」
呼吸が読める、自分の眼が憎い。
──動揺していた。私の知る面子に、欠員が出たんだ。
「音柱様は、片腕片目を負傷し、二ヶ月ほど前に引退してしまいましたが……上弦の陸を討伐した上での、名誉の負傷です。
「そう、ですか……」
──遊郭編が終わっている。つまり無限列車も、とっくに終わっている。
そして、何より……最後の一言で、一縷の望みも断たれてしまった。
────
「カナヲちゃん……」
「──っ、はい!」
「しのぶちゃんに……しばらく、一人にさせてくださいと……そう、伝えてきてもらえますか……?」
「ぁ、でも……」
「診察なら必要ありませんよ。どうせ異常なんてありません……少なくとも、『戦う上で不都合のある異常』は」
「…………伝えるだけ、伝えてきます。止められなかったら、すみません」
私が首肯すると、カナヲちゃんは今度こそ退室した。
布団をかぶり、声を殺して私は泣いた。
*
──後日。
「会わせたい人がいる……ですか?」
それも、火急の用件だという。
…………誰だろうか。昨日の内に、耀哉にはもう会っている。気を遣われたのか、家族としてというよりかは『お館様と柱の面会』になってたけど。
だからもう必要最低限の情報交換は済ませたし、その時貰った書面に残されている記録を読めば、大体現状把握は可能だ。追加の話もしのぶちゃん経由でできる筈だし、本当に火急なら動けない私より他の支柱に伝えた方が良いだろう。
……鏡を見て、嘆息する。
酷い姿だ。身嗜みを整えなければ。
正直今は、誰にも会いたくない。皆に希望を振り撒く『無敵の虹柱』を演じる余裕が、今の私には無いのだ。本当に勘弁してほしい。
……が、そんなことも言ってられない。これも仕事だ。頑張れ私。
「……よし」
最低限、外面は取り繕った。ちょっとくたびれた雰囲気が漏れてるけど、そのくらいのがむしろちょうどいいだろう。
そして事前に知らされていた時刻となり、扉が三回叩かれた。
「──どうぞ」
『────』
……? 『どうぞ』と言ったのが聞こえなかったのか、扉の前の気配は動かない。
「どうしました? どうぞ、お入りください」
「──はい」
ドクンと、心臓が跳ねたような気がした。
────え? この声って。
「──かぐや様……本当に、目が覚めたのですね……!」
おずおずと入室し、涙ぐんでいる『彼』の実在が、信じられない。
しかし恐る恐る『彼』に歩み寄り、頬に手をやってみると──触れることができる。その涙を、拭ってやることができる。
「──杏寿郎?」
「──はい、姉上の弟弟子。元炎柱、煉獄杏寿郎です」
声も、姿も、幻覚ではない。
片目は眼帯に覆われ、松葉杖を突いているが──生きている。
感極まって、彼の胸に顔を
「ぁぁあああああ……!!! 生きてるッ、生きてる……!! 良かった……!」
「……はい。上弦の参に負けて、戦えない身体にはなってしまいましたが……それでも。俺は生きてますよ」
「何負けてるんですかバカぁ……!
「…………それ、俺の台詞だった筈なんですがね……」
知るか、この愚弟。おたんこなす。私を三回も泣かせやがって。
こうなったら絶対に──私より先に死なせてなんて、やらないからな。