東方 編史帖~上白沢慧音の過去へと迫る旅 作:マジカル赤褐色
「が……………は、っ……………!!」
手足を縛られた妹紅が乱雑に床に投げ捨てられる。
服のあちこちが破け、身体も髪もボロボロになり、痣だらけになった妹紅からいつものたくましさは欠片も見られなかった。
「この通り、どんだけ殴っても蹴っても斬っても刺しても、しぶとく生き返る」
「ははは……………これで…………何回、だ…………菖にやられたの、を含めたら23…………回ぐらいか…………」
「で、こいつが例の邪魔者の一人だ。あいにくとこの生命力じゃあ、オレでは手に負えない。主として始末を頼む、お嬢」
竜藤巴照が妹紅を連れてきたのは、この裏椰子飼城。裏椰子飼城は、先程まで青葉たちが戦っていた地上の椰子飼城とは異なり、西洋式の城塞建築となっている。
四方を超高層のタワービルディングに囲まれ、その中央にある低い建物の上に乗っかるように建てられている。
外の世界の現代建築と中世を思わす西洋城塞が組み合わさっているこの歪みぶり。
水の中に混ぜた油のようだ。
突然の城にあたり一面が別色にすり替えられる。
間違いなく建物全体の割合はビルのほうが多いのに、僅かな城が一気にその空気感をそこ一色に統一させることを強要してくる。
「───────────」
そして、その部屋の隅にうずくまっているのがこの裏椰子飼城の城主、椰子飼梓。
「───────やめて、」
梓はうつむいたまま弱々しく呟く。
「……………お嬢?」
「もうやめて…………!私は、もう…………」
「今さらお前に、人を殺すことに躊躇いなどないだろう、早くやれ」
「黙って!!!もう嫌なの!!!」
梓は床に置いていた水の入ったコップを巴照に投げつけた。
「───────お前、」
「もう、嫌だ!!人殺しなんてたくない!!もう、死体なんて見たくなんかない!!」
梓は立ち上がって叫ぶ。
「梓、今からでも遅くない、今のオレを相手に口答えはやめたほうがいい」
「うるさい!!私は私でやることを決めるって誓ったの!!どうやっても…………だれにだって、私を止める事なんてさせはしないんだ!!」
「今のオレがどれだけ不機嫌か、察せないのか」
「出ていって!!!呪い殺すわよ!!!嫌なの!もう嫌だ!殺したくない!死にたくない!!!もう……………」
梓は壺を担ぐ。
「殺したくないのよぉぉぉぉぉぉ!!!!」
壺を床に投げつける。
そして当然、それは粉々に砕け散る。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
今度は机を金槌で叩いて破壊する。
次は椅子の脚を折る、鏡を砕く、料理をひっくり返す、カーテンを切り裂く、窓を割る、照明を落とす、ソファーを刺す、壁を、床を、目に映るもの全てを次々と壊していく。
「お願いだから来ないで!!!その目で私をこれ以上見ないで!!!私を殺しに来ないで!!!もう私は認めるから!!!お父様も、お母様も…………みんな私が殺したの!!!もう地獄に落ちる覚悟はできているの!!!ここでずっと飲み食いせず眠りもせず、一人で苦しみながら死んでいくと決めたの!!!だからお願い……………私が死ぬのを邪魔しないでよ!!!」
頭をわしゃわしゃとかきむしりながら梓は狂ったように部屋中を暴れまわって発狂する。
「───────死……………」
妹紅はその様子を見て呟く。
「う……………ぐすっ…………うぅぅ…………あぁぁぁ…………ごめんなさい……………ごめんなさい……………ごめんなさい……………ごめんなさい……………ごめんなさい……………!!!」
「────────────」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん……………」
一人で床に崩れて泣く子供。
本当は彼女はもっともっとピュアな女の子。寺子屋に通っていただけあって、まだまだ幼い。
色々と悲しい事ばかりを思い出すばかりか、自分で壊した物に囲まれてもっと悲しくなったのだ。
壊れた物を見ていると、道具に申し訳ないことをしてしまった気持ちになるのだ。
「─────────はぁ……………」
巴照は一歩一歩と泣きじゃくる梓に歩み寄る。
そして、
「ふざけてんじゃねぇぞこの小娘が!!!」
なんと、胸ぐらを掴んで強引に持ち上げたのだ。
子供相手だろうとまるで容赦のない巴照の非情ぶりに妹紅が絶句する。
「うっ、うぅぁぅ…………やめてぇ……………」
「やめ…………ろ…………巴照…………!!」
「泣いて許されると思うなよ、お前はオレの命令に逆らった。子供だろうが大人だろうが、男だろうが女だろうが…………オレに逆らうやつは全員皆殺しだ」
「離して…………!!!」
「この世で一番美しく強い、このオレに逆らうのであれば誰であろうと塵とする、それが今のオレの在り方だ」
胸ぐらをつかんだまま押し出して、梓を地面に尻餅つかせる。
「うっ、う……………っ!!!」
恐怖と痛みで梓の顔がひきつる。
「どいつもこいつもオレに逆らって…………全員オレを馬鹿にしているのか…………オレは竜藤の後継者だった男だ…………親に捨てられ、医者に突っぱねられ…………お前までオレを捨てる気か、椰子飼梓!!!」
巴照は叫んでその掌を突き出した。
青葉がそうであったように、人間の骨盤を一撃で粉砕するほどの強烈な八頸。
まして梓のような子供であれば当たって即死だろう。
梓はこの攻撃が見えない。理由は簡単、速すぎるからだ。
常人はもちろん、武人にも見切れぬほどの神速の一撃は視認するだけで至難を極める。
むしろ、確認する前に死んでいるのだから、梓としては救いなのか。
それとも───────
「────────なッ!?」
「ぐ…………ぅ、づ、うぉ、ぉぉぉ……お………ぉぉ……………!!ぉぅ…………ッ!」
巴照の一撃は、咄嗟に梓の前に立って彼女を庇った妹紅によって止められた。
巴照の強烈な一撃は妹紅の胸を穿った。
その拳には、扇のような形をした金属製の何かがはめられていた。
メリケンサックのような形状をしたそれからは、鋭い2本の牙のような刃が出ていた。
それらは虎の顎となりて、妹紅の身体を容赦なく貫いた。
「が……………おぉぉっ……………!!」
「ぐぁっ!!」
妹紅は巴照を蹴り飛ばし、自分もドサリと床に倒れた。
「い……………い………………」
梓はその瞬間を見ていた。
自分の目の前で、女が血を流して倒れている。
刃物で貫かれて死んでいる。
あの変な武器を着けた拳に刺されて死んだ。
そこに、広がる赤、赤、赤。
そこに、転がる死、死、死。
そこに、群がる亡、亡、亡。
「い……………い───────」
梓の脳裏には、あの地獄の光景がフラッシュバックした。
自分がこの手で、呪い殺した……………
バラバラになって死んだ、赤い水溜まりとなって消えた、自分の家族の姿が。
母親、父親、使用人、自分より少し大きなお姉さん。
全員が死んでいる光景を、彼女はそれに重ねた。
女が死んでいる、その姿を見たら……………
あのときの光景が………………
『オマエガ……………コロシタ……………!!!』
「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」
梓が恐怖で叫びを挙げた瞬間─────世界が変容した。
「な、なんだ!?」
突然地響きが鳴り響く。
嫌な予感を察した巴照は手を止める。
「あ、が………………」
妹紅も死にながら後ろを見て、嫌な予感を嗅ぎ付ける。
「う、うぅぅ、ううぅぅぅぅぅ!!!!」
『オマエガ、コロシタノカ!!!』
身体を抱いて震える梓の中から、初めて聞く声が漏れ出る。
「な……………なんだと!?」
巴照は予想外の現象に驚く。
妹紅もぐったりとした顔でそれをただ見つめている。
梓の身体から青白い炎のようなものが溢れでてくる。さらに、鈍い紫色の光が辺りを覆う。その紫はまるで、梓の呪いの光のよう。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
梓は激しい頭痛に頭を抱え、半狂乱になり、壊れたように叫んで暴れだす。
子供の絶叫は音波となって辺りの空気を震わせ、散乱していた家具の破片が揺れてまた遠くへと飛び散る。
「ごめんなさいお母様!ごめんなさいお母様!!やめて…………お願いだからやめて…………私を殺さないで!!!」
『アズサ…………ワタシ、ノ、ムスメ…………オマエ、ノ、イノチ、ヲ、クレ……………!!!』
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
梓はひときわ大きな声で叫んだ後、頭に血が昇って失神してしまった。
「うあっ、ぐぉぉぉっ!?」
巴照の立っていた床が崩落する。
「ぐうぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
そうして、巴照の姿は瓦礫と共に城の下へと落ちていった。
「あ───────っ……………」
妹紅は逃げたいと思っていたがもう余力がない。
「うっ…………ごぉぉ…………おぉうっ…………」
口から嘔吐するように血を吐く。
動けるような身体ではない。
「まったく…………「梓ちゃんを助けよう」だなんて、あんなお人好しな事言うせいで、お前のが移っちまったよ、オオバ…………」
妹紅はほふく前進で梓に近寄ると、優しくその身体を抱き締める。
この崩落に巻き込まれたら、梓は死んでしまう。
梓は「保護する」、そう青葉たちと予定していたのだから、守らなくてはならない。先ほど梓を庇ったのも、この行動もそこが起点だ。
でも彼女は、そうでなくともこうしていたのかもしれない。
「生きろよ…………梓。お前はまだ、生きて罪を償えるチャンスがあるんだ─────私と違ってな」
妹紅も梓も、まとめて瓦礫の下敷きになる。
そのまま西洋城は跡形もなく崩壊していいった。
後に残ったのは、土台になっていた建物と、四隅を囲う高層ビルだけだった。
城から空中に投げ出され、真下に落下していく妹紅と梓。
「───────ははっ、これ、死ぬわ…………」
最後にそう呟いて、妹紅は無数の朱い羽となって消えていった。
梓は妹紅を失ってまた落下していく。
─────その中で、不思議な現象が起きた。
梓の身体が空中で停滞し、降下速度がゆっくりになっていった。
朱色の羽衣に包まれて、風船のようにゆっくりと降りていく。
梓はそのまま、朱く光る羽毛に包まれたまま、優しく地上に寝かしつけられた。
穏やかな寝顔は、何の夢を観ているのか。
───────いや、もう彼女に夢を見るようなことはないのか。
「ぐ………………なんだ、今のは」
瓦礫をどかして巴照は傷だらけになりながらも復帰してきた。
「アレは怨霊の類いか。放置しておけばそのうち全てを食らいつくし、呪い殺す。オレにはどうでもいいことだが……………」
巴照は疲れて瓦礫の山に座り込む。
「────────椰子飼梓…………!!」
巴照の怒りの矛先はまたひとつと増えていく。
「それに藤原妹紅、あの女は何度オレの邪魔をする気だ…………!!」
巴照は八つ当たりに瓦礫を蹴りつける。
象のように巨大な瓦礫は跡形もなく霧散した。
そして、巴照はダン、と地面にメリケンサック型の武器を刺し付ける。
「───────ハァ、ハァ、いいぜ………!!オレの邪魔をするんなら、人間も獣人も関係ねぇ…………!!オレ以外の奴らは、全員皆殺しにしてやる…………!!」
口から白い息を吐きながら、巴照は怒りに震える。
目からは血が流れ、乱雑にかきむしった髪は荒れまくり、獅子のように変貌する。
「ア─────ハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
額を抑えながらその獣は高く嗤う。
まるで咆哮のようだ。
「お前の目の前で……………慧音と妹紅と梓とその他忌々しきクソ女どもを、なんなら人間の里も、花の都も、この幻想郷の何もかも壊してやるよ……………お前が一番大切だった人たちの命も、身体も、心も、何もかもを奪いつくし、滅し尽くしたその後が……………お前の番だ、神門青葉…………!!!」
「ゴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
この咆哮の時、
獣人の剣士としての誇り高き姿などもうどこにもない。
─────それはただ、己の欲望の赴くまま。
美しさを追求した高潔な美意識はすでに失われている。
─────美しさなど要らない、ただ強くあればよい。
絶世の美男子だった彼の美貌と身体は見る影もない。
─────そこにいるのは一匹の猛獣。
彼の脳裏からは……………菖の顔が消えていた。
─────命よりも大事だったのに。
「─────菖って…………誰だっけ……………」
彼が生前、まだ人間だった頃、命を賭してでも守りたかった初恋相手は……………
もういない。顔も思い出せない、あの日々ももう覚えてはいない。
─────だが、彼はまだ覚えている。
「そうだ、オレがこの地上で、幻想郷の天上天下において、ただ一人の最強。全にして一、唯一の完全なる存在……………」
彼は……………一人に戻った。
二人で一つだったのが、もう…………その最後の面影はなくなった。
「何が絆だ、ただ一人…………強いやつがいればそれでいい」
そこにいるのは獣人などではない。
そんな上等な生き物ではない。
そこにいたのは────────
「邪魔するものは皆殺し、オレの前を行くのも皆殺し、オレが気にくわない奴らも全員皆殺し……………オレの気分次第で全てを皆殺しに……………」
かつて人であったこと、先ほどまで半分は人間だったこと、そこへの固執を棄てた、理性の生き物に生きることを放棄した、
「血の雨降らしてやらぁ────!!!!」
─────────ただの獣だった。
吹田 山草(すいた せんさ)
五輪華とはまた別で活動していた剣客。
椰子飼雲月によって雇われた最強の剣士であり、「黄の華・聖剣の山吹草」の異名を持つ。
三尺ほどの太刀を扱うのだが、その武器はただの刀ではなく、大気に触れると刀身が膨大な熱を溜め込み、摩擦などで衝撃を与えることで熱が爆発し、刀身が発火するという性質を持っている。
おそらく
元々の優れた剣術に加え、刀身の焔による広範囲に渡る灼熱の攻撃によって剣の間合いの外の相手も逃がさないような立ち回りを可能とする。
山吹草とは黄色の小さい花であり、花言葉は「すがすがしい明るさ」。
彼の正々堂々とした、正義の武人として正しいあり方をする様子をよく描いている。
主を持つ主義であり、剣士としては常に誰かの側について戦うことが多かった。そのせいか義理人情に厚く、雇われた仕事は必ずこなす。時に命令の内容次第で残忍冷酷な手段に出ることも厭わないが、根は正義感の強い常識人であり、外道働きだけはしない。
また、命令にないことを絶対に行わないため、どこかロボットのような扱いにくさを思わせる。
ただし、どんなに人の道を外れた主であろうと、自分を雇ってくれた客なのであれば、尽きぬ忠誠を誓ってその者を死守する。
まさに、彼を一言で表すのならば「武士道」である。
竜藤 巴照(たつふじ ふでり)
竜胆筆竜の本名にして、彼の生前。
竜藤巴照は死んだことになっているのだが、竜胆筆竜という名前の異なる男として生きていた。
竜藤は、かつて人間の里で有名だった武道の名門であり、大陸の八卦掌を軸にした武術を教えていた。
その一人っ子である彼は名門のお坊っちゃんとして将来人生の勝者となることを約束されていたのだが、ある日偶然見つけた瀕死の美女に惚れ、それを拾ってから彼の運命は数日でひっくり返ることになった。
彼の人生は泡と消えたが、それでも守りたかったものがあった。
それを残せたのが竜胆筆竜という、田舎の山奥からやってきたとされる謎の公爵。数多の女を魅了し、かつての竜藤一門にも届くほどの富を築き上げ、優雅な人生を送っていたのだが……………
それは本編でも語られた獣人の山賊と青葉アリス連合軍との戦争中の日に、「最愛の女性の自決」という悲劇によって突然崩れることになる。
なによりも大切だったものを失い、彼の生きる世界は彼が落としてきた人生の灰色に染まる。
止まった時の中、彼が進もうと決意した道とは。
人間であったことすら捨ててまで、彼はなにをしたかったのか。
その答えは「全てを滅ぼすこと」にあった。
自分を愛する者が一人しかいなかった中で、それすら失くした今、彼にとってこの世界など不要。
生きる意味などない、ならばいっそのことこれ以上苦しくならないように。
いちおう名付けるのならば「藤の華・鴛鴦鉞の八重黒竜藤」という異名がある。
鴛鴦鉞は彼が幼きから叩き込まれてきた大陸武術における暗器。月牙という三日月状の刃を交差させたメリケンサックのような形状をした武器であり、二枚一対で一枚それぞれを片手ずつに持って使用する。交差した三日月が飛び出た部分は刃となり、風火輪(チャクラム)のような扱いができる。
拳法の動きを直接使い、拳を突き出せば刃の部分で相手を貫ける………といった扱いをする。
八重黒竜藤は、作者が竜胆筆竜をデザインする際、真の元ネタとなった植物。竜胆に合わせるために竜胆にしたが、本来は竜藤斑竜になる予定だった。しかし、キャラに差分を持たせるために竜胆という植物を当てたのである。
八重咲きする美しい大ぶりの花を咲かせる藤の花であり、花言葉は「決して離れない」。
あらゆる意味で壊れた筆竜の様子を表すに適した花言葉だといえる。
─────菖と命を共有する彼。菖が命を落とした今、彼も同時に死んでいる筈なのだが…………それは彼が
…………否、逆か。死に体になろうとも、まだ死にきれずに彼を突き動かす何かが…………獣と化した彼の奥深くで眠る何かが、微かに共鳴しているのだろう。
もう彼には、歩む道も、辿る末も、愛する人も、見る夢も、行く明日もないというのに。