東方 編史帖~上白沢慧音の過去へと迫る旅 作:マジカル赤褐色
────── 一年後、今から一年前。
人間の里はある話で持ちきりだった。
里の商人、農民に生まれた年頃の若い女たちはの間である男の話題が盛り上りをみせていた。
「ご、ごめんなさいぃぃぃ!!」
真夜中の道で、一人の男が殴り倒されていた。
顔をボコボコに膨らませて地面に転倒した男は尻込みしながら命乞いをする。
「誰もアンタの謝罪なんて求めてねぇよ。で?何をされたんだ」
その男の顔面を蹴りつけ、倒れた所に胸を踏んづけ、自分の膝に腕を置きながら青年は背後を見る。
そこには、里に住んでいた若い女性がいた。
「この人…………私の背後から抱きついていて、抵抗しようとしたら口を押さえられて…………」
「ハン、何をしようとしていたんだろうな」
「うっ…………ぐっ……………」
「汚ねぇ面だ、顔面ボコボコにしてやったはずなのに顔の形がまるで変わってないな」
汚物を触った後かと思うような不快そうな顔をして青年は手を着物で拭う。
「なんだとテメェ…………」
「立場わかってるか?アンタの目の前にいるのは自分より強い美青年…………美貌と喧嘩では俺に敵う者はいないから仕方ないとはいえ、それでいて身の程のわきまえが成っていないのは知性体として終わりじゃないか?」
嘲笑うように男は無様に倒れる男を見下ろす。だが、その瞳には睨み付けるような鋭い眼光も含まれていた。
「……………っ、離せガキが…………」
「どうだいお嬢さん?こんな男捨てて、俺と一緒に来ないかい」
「え………でも………」
「大丈夫、これでも伊達に竜胆の貴公子じゃないからさ」
「り…………竜胆…………まさかあなたは!」
里の女性はなにかを察して、口を手で押さえて驚いた。
「じゃあなクソ雑魚、最後に良いこと教えてやる」
倒れる男の周囲には、血まみれになった別の男たちが複数人倒れていた。
団体で女を襲っていたところを、わずか一人でこんなんにされてしまったのだ。
「ぐっ………………」
「もしこの里の女が欲しいときは。どんな女が相手であれ、「竜胆筆竜」に許可を取るんだな。俺の所有物に無断に触れることは、極刑級の野蛮だからな」
「ギャァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
動けぬ顔面に拳が撃ち下ろされる。
鼻と歯と顎が折れ、そして頭蓋が砕けて男は息の根を止めてしまった。
「不燃ゴミが、死ぬ時ぐらい綺麗に死にやがれ。俺の拳と着物をお前らの穢れた血で汚すな」
竜胆筆竜と呼ばれていたこの男は心底不快そうに顔を歪める。
「筆竜さまぁ!水を汲んできたわよ!」
先程までの暗い様子にはちっとも似つかわしくない快活な声がした。
「お、気が利くじゃないか、菖~」
横から美女が桶に入った水と手拭いを持ってきた。
それを置くと、男は手を洗う。
一通り返り血を洗い流して手拭いで拳と顔についた返り血をぬぐうと、そのまま取り残された女性に向き直る。
「おいでよ、アンタが気が向いた時、好きな時に来て好きな時間に帰ればいいからさ……………な?」
目を瞑ったまま手を差し出して、最後に目を開けて笑う。
「……………はい、じゃあ今から行っても」
「大歓迎だ。いいのか?無理はするんじゃないぞ?無理して来られるくらいなら帰ってくれたほうが俺のためだ」
「いいえ、私の願いです!どうか、連れていってくださいませんか!」
「よし、百点満点だ。俺は竜胆筆竜、知っての通り、あの竜胆公爵だよ」
次の日の朝。
「ねぇ、聞いた………?あの竜胆筆竜さま、夕べあのお店でご飯を召し上がったそうよ」
「そうなの!?なら私も行こうかしら」
「いやいやいや、やめときなさいって。今朝からずっとできてるあの行列、並ぼうとしたら朝ごはんが夜ごはんになってしまうわ」
「おう嬢ちゃん、竜胆公爵の話をしてるのかい?うちの着物、竜胆公爵が試着がてらお召しになったモンがあるから買ってくんな!」
「ほんと!?」
「ついでに夫人さまがお召しになっている着物も売れ残っているぜ、来てくれ来てくれ!」
「やったぁ!!」
「それ着ていたら私たちも夫人さまと間違われたりしないかな~?」
「そんなの無理でしょ~」
「いやいや、嬢ちゃんらは美人だからそんなの着なくたって筆竜さまに声をかけられるってよ!」
「やぁ~だ~、もう旦那さんお上手~」
「あはははははは!!!」
「筆竜さま、どうやら里ではかなり名前が広がっているみたいですが…………」
侍女が呆れと不安が混じったなんとも言えない、抹茶のように苦い顔をする。
「もういい、勝手にさせてやれ…………俺もまさかここまで偉くなるとは思わなかった。誰だよ、公爵とか言い始めたやつ」
筆竜もここまでなるとは思わなかったのか、頭を抱える。
「それは筆竜さまが女性を誘う時に名門竜胆家の公爵を名乗るから…………」
侍女が速やかなツッコミを下す。
「むぐっ…………………バレたか」
「それはそれとして、菖さまはどちらへ?」
「今日、大事な予定があるんだが、前もって下見をさせている」
「下見?」
「筆竜さま~!【今日もやってます】よ~!」
筆竜の愛人、菖がちょうど戻ってきたようだ。
「よしきた。じゃ、少し遠征してくるぜ」
筆竜は椅子から立ち上がると、ほかの侍女が慌てて差し出してきた上着を羽織り、草履に足を通して菖に続く。
「遠征………!?ちょ、筆竜さま!」
慌てて侍女が止めようとするが筆竜が女一人の静止で止まる筈がない。
「すまん、急用だ。もし俺を訪ねてきたら、夫人と地域奉仕活動中とでも言っといておくれ」
───────ここは、竜藤家の開く道場である。
「───────筆竜さまって男、聞いたことあるか?」
剣の素振りをしている二人の男が離していた。
「あるな。女の子はみんなそいつに首ったけだ、里のかわいいと思った女の子はだいたい筆竜さま筆竜さま、まるでお経でも唱えてるみてぇだ」
「なんなんだろうな、一瞬「ふでり」って言うもんだから巴照かとも思ったんだが」
「あいつは人を殺して里から追い出されたんだろう?」
「あぁ。親父さんはどう思ってるんだろうな」
「竜藤に居たのは養子ってだけらしいよ」
「あぁ、なんだ養子だったのか~。いままで実子だと思ってたぜ」
「まぁ…………追放刑にされたから後付けで「養子だった」って扱いにしてるのかもだけどな」
わいわい話しているところに、背の高い男性がやってきた。
「お前たち!無駄話はよせ!修行に集中せんか!」
「うおっ!?へいへい!」
「すんません!!集中します!!」
覇気のある声で門下生たちは一気に緩んだ空気から厳しさに満ちた武芸者として立ち戻る。
「まったく、近頃の若もんは…………」
ここの師範と思わしき男は頭を押さえてやれやれと唸る。
───────次の瞬間、
「─────ハッ!!!」
「ぐわぁぁぁぁぁ!!!」
「あげぇぇぇぇぇっ!?」
道場の壁が火を吹いた。
そして中で素振りしていたさっき雑談していた男たちが吹っ飛ばされた。
「なっ、何者だ!?」
師範が叫んだと同時に、壁の中からゆっくりと誰かがやってくる。
「壁から失礼。道場破りに来てやったぞ。ま、壁までは破る必要なかったけどな」
「入り口どこかド忘れしちゃったから仕方ないわね」
同時に、壁の孔から鎖が伸びて、門下生たちは一斉に縛り上げられる。
「うわぁぁぁぁ!?」
「ぎぇぇぇぇぇ!?」
「なにすん、んぃぃぁぁぁ!?」
「やめんかこの大馬鹿者が!!」
師範が剣を抜いて怒鳴りあげる。
「仕方ないわよ、門下生たちは邪魔だから」
「なんだと……………この女」
「あら~?こんな美女を前にそんなこと言っちゃっていいのかしら~?安心なさい、門下生たちに危害は絶対に加えないわ」
女は鎖鎌を構えたまま、邪悪な笑みを浮かべる。
「─────ただ、師範に危害は加えないという約束はしないがな」
鎖鎌の女の横から男が現れる。
「───────貴様、どこの者だ!」
「竜胆公爵の筆竜だが、何か?」
「竜胆筆竜─────!?」
「お前がさっき言ってたあの…………?」
「フデリだと?」
「奇遇にもお宅の養子扱いになっている子供とおんなじ名前だな。ちなみに俺の流派もお宅と同じ大陸八卦掌だ」
「──────道場破りとは、我が相手をしなければならんのか」
「当たり前だろ?俺は道場破りに来たというより、アンタを殺しに来たんだから」
筆竜は武器も持たず、土足で道場に上がると、師範の前に立ち尽くす。
「─────────貴様」
「そんな怖い顔すんなって。ほら、可愛い門下生が減っちまうぜ?」
「なんのつもりだ」
「詳しくは言えないがアンタとは因縁があってな。業の精算は早めにしておかないと、ただでさえ残り少ない俺たちの寿命が勿体無いんだ。残り少ない命のうちに、復讐ぐらいは果たしておかないと」
「竜胆家すら我は知らん、だが、公爵がそのような振る舞いでいいと思っているのか」
「アンタの方こそ、実子を無実の疑いで勘当したり、教え子の一人も守れなかったり、師範あるまじき雑魚っぷりといい、アンタのほうこそ武術の名門竜藤の主人として恥ずかしくないのかい?」
「──────口を慎め、若造!!!」
師範の怒号が響く。
門下生たちがビクッ、とする。
しかし鎖鎌の女、菖と青年、筆竜には全く威圧にならない。
「へぇ…………武道は結果が全て、強いやつが一番素晴らしいと教えてくれたのはアンタだよな?じゃあ……………」
筆竜は菖から鎌を奪い取ると、投げ捨てた。
鎌の刃は道場の上にかけてあった掛け軸に突き刺さった。
「アンタの教えは武道の恥だよ!!!!」
筆竜は抑えられぬほどの怒りを籠めて絶叫した。
「道場破り…………?くだらねぇ。道場潰しにしてやるよ」
「───────────」
「いいか?この世で一番偉いのはな、一番強くて美しい奴だ。つまりこの俺、そしてそこの菖!それ以外は全て、俺の足元に広がる土面の世界の住人たち。俺はこの強さと美しさをもって、彼らを支配する役目がある。支配といっても圧力じゃない、和をもって愛し続けるのさ。だが、」
筆竜は走り出し、壁を一歩二歩と垂直に登ると、掛け軸の横にかけてあった八卦刀を強引に奪い取り、背中向けながら顔だけ師範を睨み付ける。
「美も武も穢す虫ケラは…………一匹残らず土に還してやるよ」
「─────そこまで勝手にされては、師範として我も黙っているわけにはいかん」
師範の怒りも頂点に達し、いよいよただの怒りだけではなくなった。
責任感、正義感もそこに加わり、衝突は避けれなくなった。
「フフフ…………そうこなくっちゃなぁ!よっしゃぁ!菖ェ、そして初心者ども!誰も手ぇ出すんじゃねぇぞ…………?」
「貴様だけは生かしては帰さん。竜胆公爵などふざけた名を騙りおって、武道を汚すな餓鬼め!」
「いい挑発だな、さぁ来い。可愛い教え子たちの前で、無様な姿晒してくれよ!!」
「ハァァァァァァァァ!!!!」
師範の一撃。
八卦刀の一振は筆竜が体を反らすだけでかわされる。
「そら、」
その隙に筆竜は腕を掴む。
「ぬっ!?速い…………!!!」
「よっと、」
二の腕に右の膝蹴りを打ちこみ、滑り落ちた刀を左足で蹴り飛ばす。
一瞬で師範は武器を失う。
「八卦掌がなんで手を開いて構えるか知ってるか?相手をすぐに掴むためだよ」
八卦掌の師範に対してそんな初歩中の初歩、なんなら八卦掌の構えを初めて見たひとが問われてもわかるようなことをいちいち教える。
「おのれ……………」
だが、相手も達人。
すぐに拳法の構えに切り替える。
「アンタのそういう所に俺は憧れていたんだ………いつも厳しいが、根は門下生たちの為にこうして命だって賭ける。アンタは俺の追いかけるべき背中だったのに………なのにどうして!!」
筆竜は面白がるかと思えば、新たな怒りを顕にした。
「…………………………………」
「なんでだ………なんでだ親父!!!」
今の絶叫は、菖の身体すら振るわせた。
「巴照……………やはり貴様は……………」
「俺はアンタにとってなんだったんだ。ただの息子という後継者か?それとも竜藤巴照という一個人か?俺は、何をすりゃあアンタの自慢の息子で居られたんだ!!答えろ親父─────!!!!!」」
「巴照───────」
師範は膝から崩れる。
「……………すまなかった、巴照」
そして、不意にそんな声を漏らした。
「───────────」
「私は…………お前を一人の男ではなく、武道の新星として見ていた…………私は、お前に…………強くなって欲しかった」
門下生たちが沈黙する。
「それぐらい、お前の才能に私は期待していた…………出来ることなら、お前を許してやりたかった。そんなことはしないと信じたかった。だが…………」
「────────────」
「どれほどの信頼と力があろうと、里の人々の民意には勝てないのだ」
いかに武道の名門竜藤であろうと、里の人々が揃えた声には抗えなかった。
だから、彼は泣く泣く筆竜を捨てたのだ。
「あの日お前に散々に暴力を振るったことは謝る。だが、私が言えた立場ではないと百も承知の上で頼ませてくれ。
「────────────」
筆竜は黙って、手にした八卦刀を振り上げ、
「アンタは、そういう人だったんだな」
そして────────
そして夜方まで街をふらついて、ようやく筆竜と菖は自分達の宿へ戻ってきた。
「お帰りなさいませ、筆竜様。夕食をご用意致しました」
侍女がホッとした顔で出迎えるが、筆竜の顔は落ち込んだままだった。
「ありがとう……………だが、すまない。今は少し、食い物が喉を通る状態じゃない。明日の朝にいただくよ」
筆竜は暗い顔のまま、手だけ洗ってから部屋に戻っていった。
手には、道場から盗み出したあの八卦刀が握られていた。
「筆竜さま……………」
菖は筆竜のあとに続いて、部屋に入る。
「俺はもう寝る────お前も早く寝た方がいいぞ、菖」
筆竜はそう言って髪に巻いた紐をほどいて寝る準備をする。
「───────筆竜さま」
「どうした、」
「──────何か、隠されている事でもあるの?」
菖は特に感情もなく、明日の天気を訊くようにさらっと呟いた。
「──────────なんの事だ」
「あの道場、竜藤という家の開くものだった。あの師範が竜藤であるのなら、あなたは竜胆ではなく竜藤のご子息という事じゃないの」
筆竜は黙ってしまった。
そして、そのまま、座椅子に座る。
「実は、お前にはまだ言ったことがなかったことがあった」
「え─────?」
障子を透かして、月と星が明るい夜空を広げる。
涼しい空気が流れるなか、筆竜は空を見たまま耳だけ菖のほうへ傾ける。
「俺の本名は竜藤巴照…………竜胆なんて大家、本来は存在しない…………俺が架空で作った名前だったんだ」
「そうだったのね…………」
「ついでに、お前の嫁ぎ先だったというのも嘘だ。─────俺がお前を助けたのは…………ただ、倒れていたお前に惚れたから…………それだけの事だった」
「───────────」
筆竜は菖を見ていないため、彼女の顔はわからない。
「─────助けてやれば、命の恩人として俺を特別視してくれると思ったんだ。お前が助かったのは、俺が優しかったからじゃない。お前が、たまたま美人だったからってだけなんだ」
菖は黙って彼の話を聞く。
「だから俺は、お前が思っている以上の女たらしだったんだ。女の種類によっては助けなかったかもしれない。俺は…………自分の得になることしか考えないんだ。どうだ…………失望したかい?」
筆竜は一通り、言い終わると菖のほうへ向き直る。
菖は真顔で、筆竜の方を向いて話を聞いていた。
「───────────」
「おい…………何か言ってくれよ。嫌がってくれよ…………沈黙が、俺は一番嫌なんだ」
筆竜は笑うしかなかった。
「何を…………そんな、」
菖は震えながら消えそうな声を振り絞る。
「そんなこと、わかっているのよ!!!」
「─────菖………?」
「私は、わかっていた…………あなたが私の嫁ぎ先な筈がないもの。だって…………私は、既に結婚を約束したひとが居たから」
「───────な、」
筆竜もそれは初耳だった。
「私がなんであそこで倒れていたのか、まだ筆竜さまには話していなかった…………私は、その婚約者に乱暴をされたのよ」
「───────────」
「私たち椰子飼には莫大な資産があった。お母様の家柄が裕福だったから。そいつは、長女である私を誑かして、その目的は資産を奪うこと。お母様とお父様を包丁で刺して……………私は小さい妹を捨てて必死に逃げた。でも、逃げきれなかったの。すぐに追い付かれたら…………その場で何度も殴られて」
「────────────」
「なんで、お父様とお母様は、一発で死なせたのに、私だけはあんなに殴られなくちゃいけなかったのか……………そう思いながら苦しんでいたら…………生きていた妹が呪いを残してくれたの。「楽に死ねるように」って」
「それが…………お前の心臓を蝕んでいた死の呪いだったのか」
菖は小さく頷いた。
「やっと死ねる。こんな最悪な世界に、やっと別れを告げられる、そう思っていたのに…………私は一命を取り留めてしまった。助けられてしまった」
菖はそういって、うつむいていた顔を筆竜に向ける。
もちろん、彼女が助かったのは筆竜のおかげなのだ。
「私は私を救ってくれた人が憎かった。すぐに殺して、自分も死んでやりたかった。なのに、なのに────!!」
菖が溜めていた涙を流す。
畳にぽろぽろと溢れる雫は、筆竜の心に染み込んでいく。
筆竜は泣く女をそのままにしてやることしかできなかった。
「私は、殺せなかった…………死ねなかった…………!!
「………………菖、」
「こんな私を拾ったせいで家族に捨てられ、里の人々に見限られ、身体もボロボロになって…………全てを失ったのに…………女一人で満足になれるなんて、そんな幸せなひとから、これ以上なにかを奪うのは、もう嫌だった…………!!」
菖はそのまま泣き崩れる。
「私は、だから黙っていたの…………あなたが黙っていることに気付いていたことを…………自分で抱えていれば、少なくともあなたから幸せを奪わずに済むのかなって…………でも、もう私も引き返せないところまで来てしまった。もう私は、あなたを恨めしいと思えなくなっていたの…………!だって…………私だって幸せだったから…………!!」
「────────────」
筆竜は椅子から降りると、菖の身体をそっと抱き締めた。
「──────筆竜………さま…………っ………!!」
「すまない、菖…………俺は最低だ。自分の愛人の悩みにすら、気付いてやれなかった。俺が、なんであんな軽率なことをしてしまったのか、そう思ったりしなかったことも謝る」
「──────あ、っ、あぁ……………」
「でも俺は…………この道を選んだんだ。俺は、後悔なんてしていない。自分の全てを賭けてまででも…………お前のことが欲しかったんだ、俺は」
「─────筆竜さま…………」
菖も強く筆竜の背中を抱き締める。
「菖、俺はあと何をすれば、お前を幸せにしてやれるんだ…………?教えてくれ」
おかしな問いかけに、菖は泣いた目のまま笑う。
「私はもう…………あなたが居るだけで幸せよ」
菖は筆竜の顔を見る。
「────────俺も」
筆竜もそれを見て優しく微笑む。
抱き締めあった二人の顔があまりにも近くなっていたので、互いに気まずそうな顔をする。
「なぁ、菖」
「なぁに、筆竜さま」
「そんな男やめて、俺についてこないか?」
筆竜はこれまでの誘いとは異なる、真剣な顔をして菖の目を見た。
「…………でも筆竜さまは、たくさん女の子いるでしょう?いまさら一人増えても…………」
「それは俺が美しすぎるだけだ。俺には、お前しかいない。これまでの薔薇色の人生を捨ててまで狙う女なんて、お前だけだ」
「筆竜さまはいいの?私なんかで。これからも、厄いっぱい撒き散らすかもよ?」
「お前が俺にくれる幸せに比べたら、ちょっとやそっとの困難は障害になんてならない」
「ふふふ…………なら、」
菖は両手で筆竜の頬を撫でる。
「こういう時に愛する妻にすべき事とか、なにかあるんじゃないかしら?」
そして、からかうような微笑みを見せたのだった。
「──────君がお望みなら」
筆竜も両手を菖の頬にかざす。二人の距離がさらに縮まる。
暗い部屋、夜空の月明かりだけが照らす静かな部屋のなかで、二人の唇だけが優しく触れあった。
「───────菖、」
「───────筆竜、」
そのまま重なったまま横に倒れる二人の影、その後ろから花瓶が見えた。部屋の隅に置いてあった花瓶には、筆竜胆と庭石菖が雑に差してあった。
生ける二輪の花が涼しい夜風にふれる。
曰く、筆竜胆の花言葉は───────
───────「真実の愛」なのだとか。
ドロシー・アンドロメダ
アリスと双子のように良く似た魔法使い。
服装も顔つきも髪型もまったく同じ。ただ、色だけが真逆。
青いドレススカートは鮮やかな橙、白いケープは上品な黒、金髪は艶やかな銀。
性格にも若干変化があり、アリスに比べるとまだ落ち着きがあるが、時々急激に態度を変えたりする。
青葉とはアリスより前からの知り合い…………と本人は言っている。
以来青葉のことばかり考えるようになってしまっており、あまりの青葉好きから青葉弍式という青葉モチーフの人形まで作ってしまう有り様。だが………当の青葉には思いを伝えられず、まったくもって鈍感な彼に対してついつい攻撃的な言動を取ってしまう、いわゆるツンデレ。
その一方で人形師としての実力は本物であり、多くの人形を巧みに操るアリスとは対照的に、一体の人形の性能を最大限まで引き出すことから、「七色の人形使い」と呼ばれるアリスとは対照に「一色の人型使い」という通り名がある。
手足があって、二足歩行をする、いわゆる霊長類的な骨格、および形状をしていればなんでも巧みに操ることができ「人型を操る程度の能力」を持つ。
アリスと同じように魔法の糸を使うことで、人間はもちろん、妖怪や妖精、神ですら人型をしていれば自由自在に使役させることができる。
本人の意思と関係なく身体を操られるわけなので、操られている方はとてもつらそうだ。
しかし、一度手中に入れればその人物の性能や能力は余すことなく把握できるため、身体に無茶をかけるような動作をさせることはない。
とにかく、相手の器量と能力を性格に判断する類稀れな人材判断能力によって人型使いの名に恥じぬ能力を発揮する。
ただし、アリスとは違って人形術以外の魔法は一切会得していないらしいので、操る対象がいないと終わる。
ちなみに、名前のドロシー。
その由来は、「オズの魔法使い」に登場する主人公のドロシー。「不思議の国の【アリス】」のライバルにするに相応しい名前である。
アンドロメダも、マーガトロイドと組み合わせると人造人間を意味する「アンドロイド」という言葉になる。
こういう名前遊びもまた、二次創作の一興。
錦(にしき)
正式名称は「青葉弍式」。錦という愛称はこの「
憧れのイケメンである青葉を再現するためにドロシーが作った青葉によく似た人物。
人形であり、人間や妖怪の類いではないのだが…………どういうわけか、ドロシーがこの人形を完成させたタイミングで上級の淫魔が取り憑いてしまい、意志と自我を持って動く
淫魔とはいっても、女を襲うという淫魔らしき能力は一切持ち合わせておらず、上級といっても能力的な意味合いではないようだ。たぶん、上級というのは淫魔のなかで良家に生まれたお坊っちゃま………というのが正しい解釈だろう。
青葉・弐式に搭載された武装である「
全身が機械ということもあって、身体能力も桁外れ。
「女性を虜にする程度の能力」という危険すぎる能力を持っており、この能力のおかげで、錦は常に「彼を見ている女性が思う理想の男性の姿」に見えるようになっているらしい。ただし、性格などは変わらない。
また、淫魔は女性を狙う生き物のため男性には効果がなく、「その女性が理想に思う男性」の姿に見えるため、女性のみが恋愛対象という女性にもこの力は通用しない。
要は………百合にはなんの効果もないということだ。
ドロシーの相棒であり、二人揃って目的はまだわかっていない。