人間と獣人が共存する国『日本』で種族間のトラブルを取り持つ職業に就いている人間の青年である羽咲真は、相棒である犬獣人の狗島ゴウシュウとともに小学校で起こった事件を捜査する。
それは、獣人の子供がクラスメイトである人間の子供を傷つけたというものだった。
世界には、人間以外の種族が存在している。彼らは人間と同じタイミングで地球に出現し、そしてお互いに争ってきた。
そんな争いだらけの世界に存在する小さな国『日本』に暮らす人間の青年
彼は中性的で、女性にも見えるくらい美しい容姿をした青年だった。濃い色の茶髪に、それと同系色の柔和なカーブを描く物静かな瞳、肌は白く、鼻筋はすらりとしている。バランスよく引き締まった痩身をスーツに包んだ彼は前を見据えながら、革靴の音を響かせて建物の地下にある駐車場に向かっていた。
だが進んでいる最中に、曲がり角から一人の大柄な男性がぬっと出てくる。真はそれに少し驚いた表情になり立ち止まる。すると相手もこちらに気付き、瞳を見開いてから立ち止まった。
「すみません。お怪我は……」
真が先に口を開くと、相手は朗らかに笑って言った。
「いえ、こちらこそ。お気遣いありがとうございます」
相手は虎の皮膚と頭部、そして尻尾を持つ異種族、「獣人」の青年だった。純白をベースにした黒の縞模様をした毛皮を持つ相手に一瞬見とれてから、守は言葉を返す。
「あ、だ、大丈夫です。それでは……」
お互いに会釈をして通り過ぎたとき、足元にビジターカードが落ちているのを見つけて、守は振り返って少し声のボリュームを上げた。
「あの!」
穏やかな笑みを浮かべながらこちらを向いたホワイトタイガーの獣人に向かって近づき、真は足元に落ちていたカードを差し出す。
「これ、落とされましたか?」
相手はそれを見て、皿に笑みを深くした。
「あぁ、ありがとうございます。大変なことになるところでした」
それを受けて安堵したように笑顔を返した真は、今度こそ挨拶を交わしてその場を離れる。角を曲がった先にあるエレベーターに乗り込み、地下一階にむけてボタンを押した。すると図ったかのように、ポケットの携帯端末が鳴動する。
通話に出ると、電話口から乾いた野性味のある声が聞こえてきた。
「今どこにいる?」
「ごめんなさい。今向かっているところです」
「先ほど警察から追加の連絡があった。対応に困っているから早く来てほしいんだとよ」
ぶっきらぼうな口調の中に滲んだ使命感を感じ取って、真は前を向いた。すると同時に、エレベーターが止まる音がする。
エレベーターの地下駐車場に進んだ真は耳から端末を放し、既定の場所に止まっていた車両に近づく。そこには黒のセダンがあり、車の隣には大柄な犬の獣人が立っていた。
彼はピンと立った耳の近くから端末を放し、通話を切る。彼はいつもと変わらず冷静さを宿した鋭い黒い瞳で真をみて言った。
「局長の話が長かったのか」
「いえ、落とし物を拾って……」
彼は、大柄な体を持つ、黒い毛皮の犬獣人だった。顔立ちは精悍で、がっしりとしたマズルが男らしさを感じさせると同時に、その険しさのある鋭い瞳には豊かな知恵の光が灯っている。体つきは鍛え上げられていて、その筋骨隆々の肉体に今は黒のワイシャツとデニムパンツを纏い、上に黒のジャケットを羽織っている。
深くは聞いてこずに、犬獣人は車の後部座席を開けて真を迎え入れた。彼は運転席に座り、しっかりとした手つきでハンドルを握る。
「今、教師たちが彼らから話を聞いているようだ。俺たちが出張るまでもないと思うが、どうする?」
「狗島さん、お願いします」
「了解」
そうして、車は走り出した。
その電話があったのは、真が局長に仕事のことで呼び出されていた最中のことだった。
前日に行った獣人コミュニティとの文化交流の報告書を提出していた際に、狗島から連絡があったのだ。
どうやら人間区にある小学校で、獣人と人間のトラブルが起こったらしい。真は運転中の車の中で、事件のことを聞いていた狗島から詳しく情報を教えてもらう。
「被害者は小学三年の少年、寺田文夫。虎獣人の同級生である紙丘ソウマと喧嘩になり、耳の辺りに爪でひっかき傷を負ったらしい。教師が連絡しやってきた母親が警察を呼んだ」
「早く行って、状況を確認しないと……」
神妙に呟く真と違って、狗島はうんざりした調子で言った。
「こんなことで呼び出されるこっちの身にもなれと、一度あいつらに言ってやりたいよ」
それをいさめるように守は後部座席から運転席に向かって顔を出し、困ったような笑みを浮かべて彼を見上げた。
「それでも、頼ってもらえたことに目を向けましょう」
首都高を通って目的の人間区画に入り込むと、少し道幅や建物の感覚が狭くなる。ふたりの乗った車は下の道を通って小学校に向かった。
目的の建物に近づいていくと、警察の車両が目に入る。狗島が車をその近くに止めると、二人は車から降りて校舎の中に入った。すると、校門の内側ではらはらした様子で周囲を見回していた一人の中年教師に呼び止められる。
「ちょっとちょっとちょっと! 許可のない人が勝手に――」
相手は声のする方向に振り向いた狗島のどう猛な顔立ちを見て、一瞬息を詰まらせた。そのすきを見逃さず、真は二人の間に割って入る。
「共生局の交流課の者です。通報を受けてやってきました。その、小学生の子供たちはどこに?」
それを聞いた教師は意識を現実に戻し、ハンカチで汗をぬぐいながらふたりを案内し始める。
「も、申し訳ありませんでした! 共生局の方でしたか! ささ、こちらです」
ふたりは彼についていき、校舎の中に踏み込んだ。
案内しながら教師は言葉を漏らす。
「いやあこんなことになるなんて思ってもいませんで……保健室で手当してからそれぞれ別のところで待機してもらっています」
「分かりました。まずは怪我をした男の子のほうに連れて行ってもらえますか?」
そう言いながら狗島の少し先を歩く真の足取りと表情はゆるぎなく冷静そのもので、茶色の瞳が薄く輝いていた。教師はそんな彼の様子をみて少し安心したようで、歩幅を広くする。
「教員棟の第三会議室で、保護者の方と一緒に待機してもらっています」
真は歩きながら少し目を伏せると、改めて前を向いて進む。そして案内にしたがって会議室へ向かい、扉の前に立った。
彼が木製の扉を手の甲でノックすると、中にいる教師が「はい」と声を上げる。
「警察からの要請でやってきました。共生局のものです。入ってよろしいですか?」
「どうぞ、お願いします」
「失礼します」
部屋の中には長方形になるように設置された4つの机があり、その長辺のほうに、左耳に分厚いガーゼを当てた半袖シャツを着た少年である寺田文夫と、こちらに険しい目線を向ける40代くらいの女性、そして静かに頭を下げている教師が座っていた。
特に女性の方は、真に続いて入ってきた狗島を見て瞳の光をより険しいものに変える。
真と狗島は表情持変えずに彼らの反対側の机の前に立ち、最初に頭を下げてから自己紹介を始める。
「初めまして。私たちは共生局交流課の羽咲真と狗島ゴウシュウと申します。異種族共生法に基づいた要請を受け、事件の調査をしに来ました」
口元を綻ばせながら、横にいる相棒を手で指し示しつつ言うと、こちらを見ていた三人の緊張が少しだけほぐれた。
それを感じ取った真は、狗島とともに彼らの反対側に置かれたパイプ椅子に座り、本題に入る。
「こうなった経緯を聞かせてもらえますか?」
すると怪我をした男の子である文夫が顔を俯かせ、それをみた母親が半ば悲鳴交じりの口調で言った。
「お昼休みに校舎裏で獣人の子と遊んでいたら喧嘩になって、怪我させられたみたいなんです」
心配そうに子供を見つめていた母親が、否定の感情で歪んだ瞳をこちらに向ける。
「せっかくうちの子が遊んであげていたのに、こんなのあんまりじゃないですか」
「その、喧嘩の原因は……?」
ちらりと文夫を見てから、真は視線を教師に移す。すると相手は、腕を組んで唸るように言った。
「何の遊びをするかで揉めたようで……」
視線を被害者に戻すと、彼は痛みに耐えるように膝上で拳を握り、そこを一生懸命見つめていた。そして真が声を掛けようとしたとき、母親が声をかぶせてきた。
「共生局はこれをどう受け止めているんですか? うちの子は理不尽な理由で怪我を負ったんですよ! こんな大きな!」
怪我をした文夫の耳には大きな絆創膏が貼られている。もしかしたら傷跡が残るかもしれないし、事件の全容によっては共生局がもっと直接的に動かなければならないかもしれない。
が、真はそれを今話すつもりはなかった。彼は一瞬目を伏せ思考をまとめると、女性の方を向いてしっかりとした口調で答えた。
「お話していただいてありがとうございます。まだ双方の聞き取りが終わっていませんので、もうしばらくここでお待ち願います」
「まったく……」
望んでいた返答が得られなかったので不機嫌になっている保護者をおいて、真は自分の隣で黙って話を訊いていた狗島とともに席を立つ。
会議室から出て扉を閉めた瞬間から、狗島が息をついて言った。
「どうする、相手さん、相当怒ってるぞ」
「とにかく話を聞いてみないことには……」
話す二人のすぐ近くに、彼らをこの部屋まで導いた教員がやってくる。
「ど、どうなりそうですか?」
焦りを隠さない相手に向かって、真は冷静に話しかけた。
「もう一人の、怪我をさせた男の子はどこに?」
「それなら、ここの二つとなりにある第一会議室で待たせています」
教員が先導しふたりを第一会議室に案内すると、そのまま自分が扉の前に立ち、ノックした。
「おおい、私だ。節宮だ。入ってもいいか?」
すると、幼さはあるがよく通る声で返答があった。
「は、はい!」
それを聞いた節宮がこちらに向かって頷いてきたので、ふたりは一瞬顔を見合わせてから同じように頷いた。
「それじゃあ入るぞ」
ぎこちなく扉を開けた節宮に促され中に入った二人を出迎えたのは、一対の青い瞳だった。最初の親子と同じ位置に座っていた幼い獣人の反対側の机の前にふたりは立つと、まず真が優しい笑みを浮かべて話しかけた。
「初めまして。異統省共生局から来ました。羽咲真です」
「狗島ゴウシュウだ、よろしく」
それを聞いた虎獣人の瞳が揺れ、眼が少しだけ見開かれる。彼は緊張したぎこちない口調で、自分の名前を言った。
「おれは……紙丘ソウマです」
その表情を脳裏に焼き付けた真は移動し、座る少年の隣までやってくると、目線を合わせてしゃがみ込んだ。
「ありがとう、ソウマ君。僕たちは君の話を聞くためにやってきました」
真はいったん言葉を区切ると、次に困ったように眉尻を下げてから言った。
「今日、何があったのか、聞かせてくれませんか?」
頼りなく笑う真をみて、ソウマの纏う警戒の気配が薄くなる。すると彼は、初めてピアノの鍵盤を叩くように、おぼつかない調子で話し始めた。
彼が話した内容は、先ほど教師から聞いた内容と変わりはなかった。
「ふたりで遊ぼうってなって……でも俺はサッカーがしたくて……あいつはかくれんぼがしたいって……」
彼の表情には、些細な行き違いで他人を傷付けてしまった後悔があふれていた。黙って話を聞いていた二人に向かって、話し終えたソウマは俯いていた顔を上げて言った。
「お、おれのせいでもしかしたら……みんなにめいわくを……!」
だが、その言葉を真が優しげな表情で遮る。彼は相手を安心させるように笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと首を振る。
「そうさせないのが、僕たちの役割ですから」
そして立ち上がると、後ろで待っていた狗島に向かって頷き、少年に向き直る。
「ありがとう。もう少しここで待っていてくれますか?」
驚きながらもこちらに対して不可解な表情を浮かべるソウマを真はまっすぐ見つめる。
「大丈夫。僕たちを信じてください」
それに納得したのか、再び俯いた彼を部屋に残し、ふたりは会議室を出る。すると、外で気もそぞろに待っていた節宮が、急ぎ足で近づいてくる。
「そ、それで事件は……!」
「まだ、詳細は何とも。ふたりが怪我をしたところに、連れて行ってもらえますか」
慌てふためく教師とは対照的に、真は静かに伝える。すると節宮は体をピンと伸ばし、再び急ぎ足で動き始めた。
相手の後ろについて言っていると、横に並んだ狗島が話しかけてきた。
「なにか気付いたことが?」
真は腕を緩く組み、顎の下を人差し指と親指の上に乗せながら言う。
「最初に僕たちをみたソウマくんの表情、あれは怯えの表情だった……」
「それはそうだろう。俺たちは共生局だ。場合によっては執行もあり得る」
だが、階段を降りながら真は首を横に振る。
「最初に見せた表情と、話し終えた時に見せた表情には同じ怯えがあった。でも、種類の違う怯えかた……」
「種類?」
「言うとすれば、何かを隠すような、もう一つは、これから起こる未来に対して……」
言いかけた最中に、ふと真は顔を上げて隣をみた。
「狗島さんはどうでしたか? ふたりと話してみて」
すると狗島は、ふんと鼻息をついて言った。
「少なくとも教師と母親は表情通り。だがお前の違和感と同じだ。被害者と加害者の二人は嘘をついている。匂いに嘘が混じっている」
「こちらです! どうぞ……っ!」
案内されたふたりがやってきたのは、学校の体育館裏だった。日陰になっている、少しじめじめした空間に足を踏み入れると、節宮は額に滲んだ汗をハンカチで拭いながら言う。
「ここで怪我をしたと、ふたりを手当てした保健室の先生と、彼ら自身が証言していまして……」
足元の地面を確認しながら、真は訊ねる。
「ありがとうございます。少し見て回っても?」
「え、ええ。どうぞお構いなく」
そこからふたりは手分けして周囲を観察し始める。狗島は足元を観察し、真は辺りをぐるりと見渡してから周囲の茂みに視線を向ける。
すると、ふと、足元にある靴跡が茂みの一部に向かって伸びていることに気が付いた。そちらに向けて歩を進め、茂みをかき分けていると、背後に気配を感じ取る。
振り向くと、後ろに狗島が立っていた。
「狗島さん、何か見つけたんですか?」
「ああ、少し退いてくれ」
言われた通りに前を譲ると、彼は茂みの中に入り、しゃがみ込んだ。分厚い背中越しに何をやっているのかは分からなかったが、やがて彼は起き上がり、真に向かって持っているものを差し出した。
それは、
「折れた木の枝、ですか?」
肉球に覆われた狗島の手が持っていたのは、折れた細い木の枝だった。手の力で簡単に折れてしまいそうなほどの細さの。
彼はそれを真に渡すと、茂みを跨いで出てくる。
「ここに漂うにおいの元を探っていたら、それにたどり着いた」
「匂いの元……」
まじまじと見つめていると、枝の先に何か黒いものがついていることに気が付いた。それを見た瞬間、頭の中で事実のかけらが一つ、頭の中に嵌まる音がする。
「これは……」
「時間がたって凝固した血液だ」
狗島の言葉が終わると同時に、真は茂みの近くに生えている樹木を見回す。すると、ちょうど長く伸びた枝の一部が折れている木があった。
手の中にある証拠に視線を落としながら、真は呟く。
「ふたりが争った正確な位置が、ここになるんでしょうか」
すると狗島は、現場に残された足跡を観察しつつ言った。
「そこについている血の匂いと、怪我をした子供の血の匂いは違った」
「じゃあそれって」
振り返ると、手招きする狗島がみえる。彼に近づいて同じようにしゃがみ込むと、狗島は足跡を指さす。
「ここに残された靴跡、分かりづらいが三種類ある。二つは同じような大きさ。だがもう一つは二つに比べて明らかに小さい」
言われた靴跡を観察してみると、形の違う靴跡は三種類ありその中で確かに一つだけ、他と比べて小さな痕跡があった。そしてそれは、もう一つの靴跡とともに茂みの方向を向いている。
「一番上にある足跡は下にあるものより大きく、形が他の二つと比べていびつ。これは獣人用の靴跡……」
ここから導き出される結論はつまり――
「ここには初めは人間が二人いたが、後から一人獣人が入ってきた」
冷静な態度でそう告げる狗島の声を聞いた瞬間、真の頭の中に自分のすべきことの道筋が出来上がる。
「あの~何を……」
話し込んでいた二人を遠巻きに見つめていた節宮に真は立ち上がって向き直り、言った。
「すみません。お願いしたいことがあるのですが……」
「へ?」
首をかしげる節宮に向かって、真は静かな口調で続きを言った。
真と狗島が第三会議室に入り最終的な対応を伝えると、最初に聞こえてきたのは非難の声色だった。
「ちょっと! 警察を返すなんてどういうつもり!?」
目くじらを立てながら声を荒らげる保護者の女性に向かって、真は冷静な対応を心がける。
「事件の真相がわかりましたので、警察の皆さんには帰っていただきました。今回の件に関しては、こちらは事故だったと考えています」
異統省がこれ以上追及するつもりがないと言われ、保護者の女性は立ち上がって言った。
「どういうことなんですか! うちの子が怪我をしたんですよ!?」
彼女の側にいた教師の表情が怯み、子供が身を竦ませるが、真は物静かな表情のまま告げる。
「調査の結果、事件の全容が明らかになりましたので、今からお話しさせていただきます」
すると、身をすくませていた文夫が体をびくつかせたが、それを見た真は彼に向かって優しくほほ笑み、付け足す。
「……いいかな?」
すると少年はこちらを恐れの混じった瞳で見つめてから恐る恐る頷き、それを見た保護者と教師が、怪訝な顔をする。
真は少年の勇気にほっと顔を綻ばせてから、表情を引き締めてその場にいる全員に向かって言った。
「紙丘ソウマさんは確かに暴力を振るい、文夫君に怪我をさせました。ですが、その原因は我々が知っているところとは別にあります」
その一言で、会議室に残っていた三人のうち、被害者である子供以外のふたりの雰囲気が驚愕に包まれる。
真は相手の隙を見逃さず、事件の全容を話し始めた。
事件はソウマと人間の子供がけんかになり、ソウマが爪で相手に怪我をさせてしまったことが始まりとされる。だが、本当は違った。
「ソウマさんとあなたのお子さんがけんかになる前、もう一つトラブルが起こっていたんです」
「そんな……でもそれが事件とどういう関係が……」
動揺した寺田母が文夫に視線を向けるが、彼は苦しそうに表情を俯かせたままだった。事件の全容が分かっている真は、しっかりとした口調で真実を伝える。
「最初に喧嘩していたのはソウマ君と文夫君ではなく、別のクラスメイトの少年だったんです。ソウマ君はそれを止めるために割って入り、逆に怪我をさせてしまった。それが今回の事件の真相です」
「な――」
絶句した母親と教師が、次の瞬間文夫に詰め寄る。
「寺田、本当なのか?」
「ほ、本当なの文夫……あなた本当に……!」
すると聞かれた彼は、限界を迎えたことを表すように瞳から涙を流し始めた。
「ご、ごめん母さん、先生……おれ、怖くて言い出せなくて……っ!」
言葉をかみしめる少年を見てかける言葉を失う二人に向かって、真は告げる。
「事件の現場には靴跡が三種類あり、そのうちの2種類を確認したところ文夫君とソウマ君のものでした」
顔をこちらに向け、神妙な面持ちで真相を聞く二人に向かって、狗島が言葉を引きつぐ。
「そして事件現場には、寺田文夫と紙丘ソウマのものでない、第三者の血が付いた木の枝も残されていた」
話を聞く教師と保護者の顔からは、こちらに対する疑いの念は消えていた。彼らがこちらの話を本当に聞くつもりになってくれたのを確認した真は、自分が入ってきた扉の方を向いて言った。
「お願いです。入ってください」
すると控えめな音を立てて扉が開き、教師の節宮と、彼に連れられている小柄な少年が部屋の中に入ってくる。小学三年の平均より小さな体格の彼の腕には、キャラ物の絆創膏が張られていた。
彼を目にした文夫が、罪悪感をにじませた声で口を開くと、言われた方も俯きがちながらも応える。
「リョウ……」
「フミオ、ごめん」
ばつが悪そうに俯き合う二人を、目を白黒させながら見ている保護者と教師に向かって真は言った。
「ここにいる槙峰良助くんが、最初に文夫君と喧嘩をしていたんです」
「本当なのか、槙峰」
教師がそう言うと、連れてこられた少年が苦し気に頷いた。
「いつもあそこに集まって、三人で何をして遊ぶか決めてたんです。今回はソウマが遅れて、その時にもめて……」
彼は体格を生かして隠れるのがうまく、その代わり激しい運動が苦手だった。文夫はその逆で、活発な遊びを好んでいた。事件の発端はそんな二人のすれ違いが引き起こした、悲しい事故だった。
「腕に怪我をした生徒が保健室に来ていないことを確認してから、節宮先生と狗島さんに文夫君と同じクラスの生徒のなかで怪我をした人がいないか探してもらったんです」
結果、腕に絆創膏を貼っている彼にたどり着いた。そして、真が話をいったん終えると、良太が泣きそうな顔になりながらも口を開いた。
「本当に俺たちのせいなんです。引っ込みつかなくなってけんかして、突き飛ばされたいきおいで茂みに突っ込んでけがして……ソウマにあんなことを」
それをみたソウマが……、と呟いて言葉を区切った瞬間から、部屋の中に重苦しい雰囲気が落ちてくる。
沈黙に満ちていた部屋の中で、文夫の嗚咽が響き渡った。それに気づいた母親が、呆然とした口調で言った。
「そ……そんな……」
「ご、ごめんなさい……っ!」
鼻を鳴らし涙をためる少年と困惑した母親を見た真は否応なく胸を締め付けられる。だが、そんな重苦しい空気を切り裂いたのは、狗島だった。
「――ハッ」
彼は腕を組んでもたれかかっていた壁から離れると、正面の机の前まで移動し、どう猛さと知性を宿した鋭い瞳で文夫のことをまっすぐ見つめた、そして次に周囲を見渡しながら諭すような口調で言った。
「別にいいじゃないか。俺たちの種族では、体の傷は勲章としてとらえられる。理由はどうあれ戦ってついた傷なんだ。怒っていたとはいえ、よく獣人相手に戦う気になったな」
その考えは、明らかに異質だった。平和な日本社会に生きているとは思えない、野生の法則そのものだ。だが何故か、彼が言うと説得力がある。物事の方向性を強引に決めてしまえる力を、彼は持っていた。
だが狗島の言葉で周囲が呆然とし、真が内心頭を抱えている中、思いつめた表情の寺田良助が事態の空隙を縫って文夫に近づいていく。彼はあっけにとられる教師の横を通り過ぎ、文夫の隣に来ると、まっすぐ彼に向かって腰を折って謝った。
「ごめんフミオ、おれ、怖くて言い出せなくて……」
子供の真摯な謝罪を聞いた瞬間、空気が変わり、これからのことに目が向けられる。
呆然としていた文夫も、ぴたりと止まった涙をぬぐい、それから周りを見て、その場全員に向かって謝罪する。
「こ、こっちこそごめん! リョウタも先生も、母さんも、迷惑かけて本当に、本当にごめんなさいっ!」
その言葉には先ほどまでのマイナスの空気はなく、前向きな思いが込められた謝罪だった。それに改めて周りの関係者があっけにとられる中、真はその様子をみて興味を失ったかのように部屋を出ようとする狗島に、ゆっくりとついていった。
会議室をでた真は、すぐに前方の狗島に向かって言った。
「何ですか、あの傷は勲章、とかって」
「率直な感想を言ったまでだ。俺たちの価値観は人間とは違う」
だからってあんな空気の中言わなくても……と言いかけるが、真にはわかっていた。彼があえてこういった発言をすることで部屋の中に満ちていた負のエネルギーを一掃し、子供たちが謝罪しやすい環境を作ったことを。
あえて異端者を演じることで、彼は場の空気を正常に戻し、彼らの視点を未来に向けたのだ。
彼の優しさに表情を綻ばせていたが、狗島が振り向くと同時にそれを悟られないよう表情を引き締める。
こちらを見た狗島は、真に向かって言った。
「さて、これからどうする」
「ソウマ君に、事件のことを話しに行きましょう」
そして二人は、いまだ一人で待ち続けている幼い虎獣人のいる場所に向かって歩を向けた。
紙丘ソウマのいる部屋に入ると、彼は自分たちの表情からすべてを察したらしく、開口一番に戸惑った口調ながらも訊ねてきた。
「アイツら、大丈夫だった?」
それに、狗島が答える。
「ああ。お前のおかげで丸く収まったよ」
「事件は事故として処理することになると思います。もう少ししたら二人に会えるはずです」
優し気に微笑んでそう言った真に対して、ソウマは顔の緊張を解くと同時に切なげな視線を返した。
彼は、自分の手のひらに視線を落としてから言う。
「おれ、アイツらがけんかしてるところ見たくなかったんだ。でも……」
彼は言葉をいったん区切り、数秒ののち、震える声色で言った。
「胸がさ……苦しくてさあ……前みたいにみんな、話しかけてくれるかなぁ……」
ソウマの言葉には、未来に関する恐怖が込められていた。だが、それを聞いた真は、自然な足取りで狗島とともに彼の隣にやってくる。
潤んだ瞳でこちらを見上げるソウマに向かって、彼に向かって一歩近づいた狗島が淡々とした口調で言った。
「力が怖いのなら、扱い方を覚えろ。なんなら、俺が教えてやってもいい」
彼の言葉をかみしめるように、一瞬だけ瞳を閉じた真は、ソウマに向かってしゃがみ込み、懐から一枚の名刺を取り出した。
「もし自分の獣性が怖いのなら、共生局の交流センターに遊びに来て。きっと君の力になれる」
涙をためた瞳のまま驚いた少年の目じりから、一筋の光がこぼれ散る。それを見た真は冷静に、でも淡くほほ笑みながら続けた。
「君のその思いは、とても尊いものだから」
真の言葉を後押しするように、狗島がどう猛な笑顔でソウマに向かって笑いかける。
「男らしかったぜ、お前」
ふたりの言葉を聞いたソウマは、逡巡した後ぎこちない手つきで名刺を受け取り、朗らかな笑顔を浮かべた。
今回の事件に関しては異種族間の差別感情などは存在しなかった。だが、理由があったとはいえ事実関係の確認をせず、ソウマが犯人であるかのように隔離した学校側の対応や、寺田の母親の態度には問題がある。今後はここを要観察対象に設定する必要があるだろう。
そのためにも、戻ったら報告書を作成しなければならない。校舎から出た真は、こちらについてきたソウマに向かって振り返り笑顔を向けて会釈をした。返事に頭を下げた彼から視線を外そうとしたとき、校舎から走って出てくるふたりの子供の姿がみえた。
「あれは……」
出てきたのは寺田文夫と槙峰良助だった。彼らはソウマのそばまで来ると、何やら二言三言話してから、同時に頭を下げた。それを見て戸惑うソウマの顔に浮かぶ喜びの感情を見届けると、真はその場を後にする。
駐車場に停められていた車の助手席に乗り込むと、狗島が口を開いた。
「こんな細かい事件にまで首を突っ込んで、大丈夫かアンタ。適当に警察に任せておけばいいだろ。いずれ耐えられなくなって口を割るさ」
警察も異種族間の問題には気を揉んでいるから、彼の言う通りかもしれない。だが、それでも真は柔和さが滲んだ笑みを浮かべて首を振った。
「三人の誤解が解けて本当に良かった。だから、いいんです」
それを聞いた狗島は微かに、だが確かにほほ笑むと口調を切り替えて言った。
「時間も時間だが、昼食はまだだったよな? どこかに寄るか?」
真は顎に右手の人差し指を当て、宙に数秒視線を泳がせてから言った。
「じゃあ、中華料理が食べたいです」
真の要求に、狗島が力強く頷く。
「了解だ」
車が、駆動音を立てて発進した。