欲しがりの鬼   作:靉靆 

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漆身呑炭

 

 

 ──窓から差し込む陽光が目覚めを促す。

 

 微睡に沈む意識を覚まし私は、瞼を擦りぼやけた視界を晴らした。

 

「……いたい」

 

 呪術高専。お兄さまたちが青春のひと時を刻む一室にて、いつの間にやら机に突伏していた身体を起こす。

 反転術式の多用により疲労した脳が頭痛を引き起こし、途方もない不快感が満ちた。

 

 

か え せ

「──懲りないわね、貴方たちも」

 

 時折り、夢を見る。

 朽ちた城門、この胸に宿る心の風景。生得領域にて見た景色を思い起こした。

 

 私が殺してきた呪詛師たちが怨念を募らせ這い寄る。

 私が祓ってきた呪霊の群れが宿痾を漲らせ這い寄る。

 

 亡者の軍勢が、私の肢体を犯さんと屍山を越え血の河より藻掻き出るその情景を見て最初に感じたのは──自分に対する失望だった。

 

 どうでも良い有象無象と見做し捩じ伏せた呪詛師。ただの餌としか認識せず祓ってきた呪霊ども。それらが怨嗟の情を孕んだ眼を向ける虚像を見る度に、私のような悪鬼にも罪悪感と呼べるようなくだらない感情があったのかと失意を起こした。

 

 だけど、違った。 

 魂の本質を見定めることで生まれた確信。お兄さまに出逢うよりも前のこと……祓い嬲り奪う略奪の邪道を歩む内に、私はこの怨嗟が紡ぐ煉獄を理解することができた。

 

 彼らは()()()()()

 

 私の領域(なか)で藻掻き足掻き、苦しみながら地獄の連鎖を味わっているのだ。

 魂の輪廻。けれども涅槃に至ることのない永劫の修羅道、苦悶の無限螺旋を自覚した瞬間に感じた興奮を今でも覚えている。

 

 他者の尊厳を踏み躙ることに覚えた愉悦。略奪の術式と共に刻まれたこの根源が今も尚、蹂躙により満たされている事こそが私にとっての幸福に他ならない。

 

かえせ。かえせ──かえ、

「クヒっ、誰が返すものですか。囀るなよ敗残者ども」

 

 己の魂を覆う呪詛師の魂が怨嗟を溢し、呪霊の魂が呪詛を吐く。

 だけどそんなものは私にとっては安らぎ感じる子守唄も同然、醜く無様な塵芥が幾ら喚こうともこの自我が揺らぐことなど断じてない。

 

 意識と呪力を魂の輪郭へと巡らせ、幾百の雑多どもの呻きを鎮める。

 

 嗚呼──黄泉の國になど逃がすものか、お前たちの魂は皆須く私の所有物(モノ)だ。

 

「そうね。魂といえば……」

 

 ふと、自分の領域(なか)に眠る魂と似通った現象を思い起こした。

 着物の裾から時代錯誤な古めかしい巻物を取り出す。

 領域以外にお兄さまの無限に対抗できる術はないかと実家である五条家の書庫から掠め奪った秘密の文書に、私は興味を抱いた。

 

「特級呪物。『両面宿儺の指』に『呪胎九相図』」

 

 呪術界の闇に埋もれた負の産物。

 呪いに侵された呪物の中でも特に異質なそれらが記された記述に対して目を惹かれる。

 

 その両者に共通する特色として呪物の“受肉”が挙げられた。

 稀有な効果を発揮する“道具”としての呪物とは違い、それらには確固たる意志(たましい)があり呪物を取り込んだ者の肉体を通して受肉し現世へと蘇るのだ。

 

 そもそも、その二つの特級呪物は成り立ちからして異質だった。

 

 片や呪霊と人間の混血、その胎児。

 片や千年前に君臨した呪いの王の屍蝋。二十の指に分たれようとも呪詛を撒き散らし死毒を纏う、まさしく規格外と呼ぶべき忌物。

 

「……私が喰べるとどうなるのかしら」

 

 故に、その異端に対しての好奇心が際限なく膨れ上がる。

 

 それには知性があり、意思があり、魂がある。

 通常は受肉を果たした場合、依代となった人間の意識は消失し呪物(彼ら)が戴天を果たすとのことだが、私という簒奪者がその魂を取り込めば一体何が起きるのか気になって仕方がない。

 

 定石通り、私の意識は呪物に塗り潰され肉体を呪物に奪われるのか。

 

 それとも──私の自我が、今まで貪り尽くした魂と同じように呪物の意識(たましい)すら己の糧とするのか。

 

「気になるなぁ」

 

 刺激される物欲に好奇心。

 深淵なる未知、呪いの王の屍蝋に呪霊と人の混血胎児──だけど、今の私ではその未知に手が届かない。

 

 お兄さまとの邂逅を望んで高専に侵入した時とは訳が違う。

 天元様により最も厳重に秘匿された忌庫への道筋に至ろうとすれば、五条家令嬢の私であろうとも流石に呪術界との敵対は避けられない。

 

「天元様と言えば……お兄さまたちもそろそろ任務を終える頃かしら」

 

 微かな疑問を切り上げ、これまで再会を我慢し続けたお兄さまのことを思い起こす。

 

 星漿体の護衛任務。天元様との同化の期限は確か今日の日没……建人さんから沖縄での滞在が長引いたと聞いた時は此方から出向こうかとも考えたけれども、こうして悶々とした心持ちがようやく晴れると思えば心地が良い。

 

「?」

 

 そんな弾む胸の内を自覚する最中に感じる、違和感。

 ふと感じた()()に、視線を寄越す。

 

『 こっち 』

 

 其処にいたのは、一匹の呪霊。

 四級にも満たない木端呪霊。分類としては蠅頭であるそれは、メッセージ性を伴った人語を発し手招きする。

 呪霊操術──敬愛する兄、五条悟の親友である夏油傑の術式による伝令であると察するのに然程時はかからなかった。

 

「……お兄さま」

 

 まるで道標の如く天元の結界で覆われた高専内を進み行く呪霊の後ろ姿に、どうしようもなく不吉な予感が胸を穿つ。

 

 

 我が宿敵よ、どうかご無事で。

 

 

 

 █

 

 

 

  

 初めて味わった敗北。

 初めて経験した挫折。

 初めて感じた胸の騒めき。

 

 五条菫という怪物の根底に刻まれた存在意義、略奪の業と同じく彼女を形作る()()()()にして目指すべき最果て──それが、五条悟であった。

 

「お兄、さま?」

 

 童女が、か細い吐息と共に己が宿敵と認めた異能の名を呼ぶ。

 言葉に乗せられた困惑の感情が全身を侵し、脳は眼前の情景を受け入れられず菫はただただ唖然と立ち尽くす。

 

 赫い鮮血が、夥しく広がった。

 

「あ、ぁ。どう、して?」

 

 袈裟懸けに斬られた肉体。刃物でひと突きに貫かれ脳に達した額の傷跡。紛れもない致命症に、五条悟の落命という現実を菫は認識してしまった。

 

 くりぬき愛でようとかつて見惚れた蒼い双眸は輝きを失い、奪い貶めようと狙い定めた高潔な魂は死という名の虚無に穢された。

 

 五条悟の死──不可逆の絶望が、菫を侵す。

 

「あ、あ゛ぁ゛ァ゛ァ゛!」

 

 慟哭。

 絶望。

 喪失に咽ぶ悪鬼の相貌。

 溢れる涙が乾いた地面を濡らし、荒ぶる呪力が空間に歪みを生む。

 

ぐちゃぐちゃにしてやる

 

 落涙の次に溢れたのは、怨嗟の一言。

 憎悪と憤怒が他者を呪う呪詛となり、腹の底より冥星の如き暗い負の力が湧き上がる。

 奪われた。己は奪われたのだ。

 血を分けた兄を、悲願を写し見た宿敵を、己が奪うはずだった尊い命を──野良の下郎ごときに奪われたのだと、五条菫は漸く理解した。

 

「どこだ。何処だ、何処だァ゛!」

 

 答えの出ない疑念をそれでも吐く。

 天元の結界による隠匿、外敵から身を隠すための防衛機構は皮肉にも内側へと侵入した敵の痕跡を掻き消し、その姿を眩ませていた。

 

 護衛対象である星漿体の居場所も、兄の友人である夏油傑の呪力も、己が目指すべき最果てを撃ち破った怨敵の存在も──今のままでは、感じることが出来ない。

 

「嗚呼──領域展開

 

 その最中にて五条菫は思念を殺意一色に染めながら、愛する兄の死によって震える小さな手で掌印を結んだ。

 

『戴天寇掠』

 

 朽ちた城門が、顕現する。

 領域展開、呪術の最奥。五条菫の編み出す底なしの欲望の具現化──その、()()()()

 

 必中必殺の理を()()、展開における工程に幾重もの無意味な引き算を施した伽藍堂の領域。

 

 遠い未来にて呪いの王が披露する“閉じない領域”との練度には月と鼈ほどの差があり及ばずとも、それに近しい原理を意図的に組み込む手腕はまさに鬼才。

 

 ──天元様の結界を外殻と定義して、私の“不完全な領域”と()()()衝突させる。

 

 必中必殺の効果を消失させた分の余力(リソース)を全て結界の存在強度に回し、五条菫は現代最優と言える結界術の使い手に対して相手の土俵での鬩ぎ合いを挑む。

 

 故にその敗北は、必至。

 

 自身の懐へと続く薨星宮は言わずもがな、それを基盤とした東京と京都に存在する呪術高専の結界のみならず全国各地の結界を永続的に展開し続ける、五条悟とは別ベクトルの異能を相手にした結界術の勝負など、菫に勝てる道理はなかった。

 

 ──だけど、それで良い。

 

 高度な結界術同士の衝突。ただ揺れ動く不完全に全てのリソースを割いた五条菫の領域は、天元の結界に一筋の爪痕を残した。

 

 隠遁にその効力を発揮していた結界が、剥がれる。

 

 だがそれも僅かの間のみ。五条菫が己の生得領域のリソースを全て振り絞った末に暴いた天元の結界は、刹那の無防備を晒し直ぐ様その効果を復活させる。

 

 一瞬。たかが一瞬。破壊した結界の有効範囲も精々が半径数百mほど。日本全土に効力を及ぼす天元の結界にしてみれば些事とも言える範囲。それが結果であり全て。

 

「──殺す」

 

 しかし、今の彼女にはそれで十分。

 

 隠遁の結界が剥がれた瞬間に感知できた呪霊の消失反応。

 それが兄の親友である夏油傑の呪霊操術によるものだと推察し、大まかながらもその位置を特定することに成功する。

 

 そして領域展開により焼き切れた術式を自覚し、愛しい兄の屍に集る蛆虫(蠅頭)から呪力を奪い回復させながら──五条菫は殺意を吼えた。

 

「ふふ、あはっ。アハハハハハハァッ──あ、あァッ!」

 

 瞳孔を不安定に揺らし怨嗟と狂笑を溢しゆらゆらと覚束ない足取りでまだ見ぬ怨敵のもとへと歩みを進める。

 

 

 僅かに揺れ動いた兄の魂にすら気づかぬ程、狼狽しながら。

 

 

 

 █

 

『──これが』『五条家の新たな異端児か』『想像以上に』『“魔物”だな』

 

 孤独の虚無にて、()()()()()で化生が嘯く。

 旧態依然の宿老。龍戦虎争を生きし最新の呪術師曰く旧き者。

 不老の理をその身に刻みし者が、“魔”の申し子を見定める。

 

『致し方なしか』『薨星宮への道を示さねば』『次は何を仕出かすか分からんな』

 

 結界の綻びを突かれようとも薨星宮への道すがらは至難を極める。

幾百もの扉に隠遁された己の膝下への道標を建て、天元はそっと息を吐く。

 

 如何様な結果に終わろうともこの因果を超越した波乱により呪術界は少なからず変化の波を受ける未来を確信しながら、彼女はただ全てを俯瞰していた。

 

 

 

 █

 

 

 

「呪霊操術 ──はっ、親に恵まれたな」

 

 倒れ伏した呪術師、夏油傑の頭を無造作に蹴り上げながら伏黒甚爾は毒を吐いた。

 全てはもはや夢の跡。護衛対象の天内理子は凶弾に頭蓋を撃ち抜かれ脳漿を撒き散らし、呪術界最強の二人は呪いの理を解脱した天与の暴君により決して癒える事のない敗北と言う戦歴を刻まれる。

 

 ここが全ての分水嶺。雁字搦めに紡がれ続けた呪いの因果が崩れ去る。

 

 故に、この後の全ては彼の手筈通り。

 天内理子の遺体を武器庫呪霊の胎に納め、この手土産を盤星教の重鎮に引き渡し仕事はそれでお終い。最強二人を屠去り天元の結界内にて蠅頭を撒き散らした今ならば、呪力の透明人間と呼べる彼にとってあらゆる結界術の警鐘を鳴らすことなく此処から脱出するなど容易きこと。

 

 帰路につかんと踵を返す──その、瞬間。

 

「──お前か」

「……あ?」

 

 声が聞こえた。甘く響く少女の美声。怒りを孕み、憎悪の込められたか細くも力強い怨讐の一声がその空間を支配する。

 

 暴君が、その鋭い瞳を眼前の魔性へと向ける。

 

「お前だな?」

「──五条、悟……?」

 

 感じたのは、十数年の時を経た既知感(デジャブ)

 降り注ぐ白銀。死を運ぶ絶景。

 はらりと前掛けに垂れた長白髪から垣間見える赫赫とした瞳の中に、伏黒甚爾は在し日の無限の蒼穹を重ねる。

 

「な訳ねえか。あぁ……妹の方だな、お前」

「嗚呼、悲しいの。苦しいの。憎んでるの。怒ってるの──だけど、欲しい」

 

 面倒だと言わんばかりにため息を吐く伏黒甚爾を、白銀は色めきたつ眼光で射抜く。

 触れ動く二つの感情、憎悪と憤怒。

 その狭間にて新たに芽生えたのは、紛れもない歓喜の情。

 飢えた狼が狩りの愉悦に心躍らせ、牙を剥く。

 

 呪力を全く感じない特異な人間(ヒト)

 その圧倒的な“暴”の気迫と相反するその呪いの在り方に、五条菫の胸もまた高鳴った。

 

「お前の全てを奪ってやる」

(わり)いな。生憎とガキは趣味じゃねえ」

 

 “天与の暴君”伏黒甚爾。

 “簒奪者”五条菫。

 

 呪い巡る世に於いて特異なる怪物が、邂逅した。

 





 なお術式に依存して近接戦闘経験に乏しい幼女ボディ菫ちゃんにとって釈魂刀持ちパパ黒はクソ程相性が悪いものとする
 
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