ゴールデンカムイの最終巻の最終話を読んだ衝撃で書いたものです。

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死人(しびと)を拾う

「やんやあ、わやだわ。軍艦やら露西亜やらでろくたま漁にならんけ、戻ろうとしても戻れんけさ」

 潮でべたつく着物を玄関先で諸肌(もろはだ)にして、玉吉は土間にいる上さんに声を掛けた。

「あんた、無事なだけいっけさ。砲撃ばあったって聞いたけさ、帰るまで心配したしょ」

「なんでも軍艦と、汽車まで沈んだらしいさ。露西亜も来たって聞いたけさ、家もなんも無くてえがったさ」

「汽車まで! そりゃわやだわ! 無事帰れただけでよかったしょや」

 竈に火を入れていた上さんは、大袈裟な声をあげて振り向いた。

「やんやあ、そうだわ。おれは無事だ。無事だあ。おれは、」

 尻すぼみになっていく玉吉の言葉は、(さい)をこしらえに向かう上さんの耳には届かなかった。

 

 

 

 日がてっぺんに昇ろうというころ、玉吉は往生していた。

 波だけが穏やかな湾のなかで、舟は桟橋に着ける順番を待って浮かんでいることしか出来ない。岸から離れようとする緩やかな引き潮の流れに棹さして、ただぼうっとしているのも阿呆らしい。釣れたか、と近くの舟の人間に聞いてみると、勿論ボウズとのことだ。聞くまでもない、暇つぶしの話題だ。軍艦やらを臨みながら湾の隅で停留していただけなのだから、皆同じようなものに決まっている。

「おれもだあ。軍艦、沈んだしょや。ありゃなんだ。山から砲弾飛んでくっけさ、漁なんかできもせん。やがましくて魚も逃げる」

 棹で顎下を掻いて玉吉がこたえると、相手も暇を持て余していたとみえて噂話に乗り気の様子だ。

「なんでも(おか)は露西亜が五稜郭に攻めてきてドンパチやったってさ。おっかねなあ」

「はあ、露西亜が! じゃあ日本の海軍がやられたってことかい」

「しぃっ。そったら滅多なこと言うもんでね。とにかく明日ははがいっだらええべな」

「ああ、そうだった。とにかく今日はがおった(弱った)、がおった」

「がおったなあ」

 そこで話の気配はしぼんで、二人だまりこくった。露西亜やら軍隊やらが絡んでしまっては、ことはややこしすぎる。それに家の様子も心配だ。陸と海と双方の混乱で、舟はなかなか着けられそうになかった。

 考えるごとに、こんな列に並んでいる場合では無いような気分になってくる。

 玉吉は、すいと棹を抜いた。

 先の入江で着けられる場所でも探してしまおう。舳先(へさき)を沖へと向ける玉吉を、もう誰も気にしていなかった。

 その先で、ややこしい拾い物をしてしまった。

 始めは、土左衛門が浮かんどる、と思った。それが近づいてみると、木の板に軍人が横たわっている。さらによく見ると、濡れそぼった軍服の人間が二人絡まりあっている。しかも穏やかでないことに、片方は頬の肉が削げ生々しい肉をさらし、胸には日本刀が刺さっている。顔面には古傷が十字に走っている。もう一方は、古い傷のようだが額の皮膚が剥げ、肉が再生した跡がある。こさえたての傷もあるらしく、桃色の額から鮮血をにじませている。吹き出すほどではないにしろ、土を掘ったときに染み出す地下水のように、血は染み出し続けている。

 潮水に洗われて濡れそぼった紺色の軍服が、どれだけの血を吸い込んでいるのやら検討もつかない。一見して分かるのは、この二人が戦闘中であったということだ。

 軍人同士の揉めごとの末、死んだということなのだろうか。

 さり気なく手を合わせて、立ち去ろうとしたときだ。一方が将校の服を着ていることに気づいた。

 これは拾って届ければ幾らか礼でも貰えるかもしれないと、玉吉の心に欲が芽生えた。今日のボウズもそれで取り戻せるのではないかという気持ちになってくる。

 二人を乗せた板に()つけるようにして舟を寄せて、さて将校から引き上げようとしたときだ。

 死体の腕が伸びて、舟のへりを意外な力強さで掴んだ。人差し指の爪が剥がれていて、事態の異様さよりもその爪の痛々しい様に玉吉は肝を冷やした。

 すると下に組み敷かれている方の男も、右脚をへりに掛けてきた。舟が(かし)いで玉吉は慌てて逆側の舷に寄って、へりから生える手と脚を眺めることしか出来ない。生きているとなれば面倒だ。殺し合いの最中で流されていた軍人を舟に上げて、穏便に済むとは思えない。己の欲を呪い、せめて命だけは助かるようにと天に祈る。その玉吉の気持ちも知らず、手は腕になり、肩になり、海豚(いるか)の背のようなぬめりを帯びた軍服の背中が現れ、最後に大きく舟を傾がせながら将校服の男が乗り込んできた。

 のろのろとした動きのさなか、二人の男が何やら話し合っている声が潮の音にまぎれて聞こえていた。その声がどちらも落ち着いていることがまた異様だ。

 将校服の男は、舟の下に手を伸ばすと、板に残ったままの男の日本刀を抜いた。

 血濡れの刃が陽を照り返す様を、ほんの一歩先に目の当たりにして玉吉はとうとう腰を抜かした。男は刀を片手に持ったまま、下の男の腕を掴んで引き上げる。下の男はへりに引っ掛けたままの脚と、引き上げられた腕を使って、網に引き上げられる魚のようにごろんと舟に上がり、そのまま寝転んだ。

「これは大変助かりました」

 将校の男はその場に胡座(あぐら)になると、徐に刀を後ろに置いてから、軽く頭を下げた。引き上げられた方の男は、荒く息をしながらも隣に座ろうとする。無理に体を起こそうとするものだから、その度に舟が大きく揺れた。

 ようやく座った、というより何とか舟に体を預けて均衡を保つ姿勢を見つけたといった風で、男は無言で頭を下げた。深く下げた頭を上げる際、片手に掴んでいた軍帽を男はわざわざ被った。帽子に溜まった水が、これ以上濡れないほど濡れた髪にかかり、傷だらけの顔も改めて濡らした。

 二人からは絶えず血の混じった海水が滴り、舟の床を汚していく。玉吉が思わず床を凝視していると、将校の男が眉を下げた。

「舟を汚してしまい、申し訳ない」

「いんや、普段から生臭い魚積んでっけ、なんもです」

「この舟はどちらに着けるんですかな」

「あー、桟橋が混んでっけさ、どっか入江に着けられないべかと」

「それは良かった」

 濡れた髪をかき上げ、顔を手の甲で拭った将校が微笑む。そのときやっと、随分な美丈夫だということに気がついた。額の皮膚が剥けて壮絶な有り様であるが、それでも全く目減りしない、整った顔だちであった。

「それならば船長。山の裏の、そうですな、立待岬辺りまで行ってくれませんかな。湾を出て、あまり人のない辺りがいい。私どもはこれから集まってくる軍の人間から、姿をくらませねばならないものでね」

 しゃあしゃあとそう言うと、美男の将校は片目をつぶり、秘密だとでも言うように唇に爪の剥がれた人差し指を当ててみせた。

「俺たちは今日から死人だ。この海で死んだことになる。アンタは俺たちを送ったら、それを決して口外しないでくれ」

 男は滴る水を滴らせるままにして、こぶしを床に置いて玉吉を睨みつけた。

「そったらことして、おれが軍人さんから()()()()が」

「船賃なら払う。頼みます。何も見なかったことにして欲しい」

 そう言って男がこぶしを開くと、小指の爪の先程の金がある。金は悪くないが、怪しさは増すばかりだ。その上男の目は、獣じみた殺気を宿している。玉吉はこわごわ手を伸ばすと、金を掴んで、どうしたもんかと考えた末にふんどしの中に入れた。

 腰をなんとか立て直して棹を持つと、玉吉は湾の外に向けて舟を操る。引き潮に乗って、舟は順調に湾外に出た。それでも、将校の言う岬までは随分とある。小舟で行こうという距離ではない。それになにやら訳ありの二人組だ。岸に上げるところを誰かに見られでもしたら、巻き込まれて因縁をつけられかねない。岸上げどころか、こうして舟に乗せている瞬間も、誰かに見られないかと肝が縮む思いだ。

 風と陽はのどやかすぎるほどで、ゆっくりと進む舟に揺られ、二人はまどろみの中に入っていた。そのまま死んでくれたらいっそ、という期待を、規則的な二人分の寝息が裏切っていく。舟を進めながら、玉吉にはひとつ案が浮かんだ。山の裏手に、大きな洞穴がある。岬まで運ばずとも、そこに置いていけば、半分は頼まれごとに応えたことになる。

 人目につかないとなれば、岬の方に行くよりも余程適している。問題はそこから舟無しでどう出ていくかだが、そこまでの世話をする義理はなかった。

 洞穴のひやりとした空気が頬に触れたとき、二人は小さく唸った。気を揉みつつ振り向くと、傷だらけの男たちは眠ったままだ。まずは軍帽の男を持ち上げて、棹を使って洞穴に転がそうとした。男は薄く目を開けると、夢のなかに意識を残した様子のまま、玉吉の襟首を恐ろしい力で掴んだ。

 飛ばされる、と覚悟を決めたときだ。

 眠っていたはずの将校の男が、横から軍帽の男の手を払うと、腕と脚に手を回すと鮮やかに舟の外に投げ出してしまった。

「我々の払った船賃ではここまでのようだ、杉元」

 舟上からそう声を掛けると、将校の男は、日本刀を手にとって振り向いた。

「お、おれぁ何も見てないし聞いてないけさ! もうここで堪忍してくれんか!」

「ご迷惑をおかけしました。ご厚意感謝する」

 手を合わせる玉吉に、将校の男はそう言い残して、不思議に軽い動作で舟を降りた。傷どころか、体重すら感じさせない身軽さだった。

 

 

 

「どうすんだよ、こんなところに置き去りにされて」

 杉元と呼ばれた男が、いじけた様子で洞穴に座り込んで言った。

「殺し合いの続きでもするかね」

「アンタがまだ権利書を狙うならな、鶴見中尉」

「もう私は中尉ではない、ただの鶴見だ」

 貴様がただの杉元のようにな。

 鶴見と呼ばれた男はそう付け加えた。

「それは権利書は諦めたって話で良いんだな。アンタが何を企んでも、俺はアシㇼパさんの未来のために動くからな。横槍入れたら何度でも殺す」

「もういい。知らん、知らん。私にはもう何も手駒は残っておらんよ。死人が権利書など持っていても何にもならんだろう」

 活動写真の俳優のように、鶴見は肩をすくませて両手を広げてみせる。

「それにしてもたいした顎の力だ、さすが不死身の杉元というところだ」

 冷えた洞穴の空気で濡れた軍衣を着たままでは、体温が下がる。軍衣とシャツを脱ぐと、肩の歯型を確認して鶴見が言った。

「アンタも相当だ。俺の命の蝋燭は噛み砕けなかったみたいだがな」

 肉が覗く杉元の手の甲の、小指と人差し指の付け根のところには鬱血の後がある。血が止まった後にも残るであろう、青痣の消えるまでの時間にうんざりしながら杉元はこたえた。

「それにしても、本当に終わったな」

「俺はまだ、これからが始まりだ。でも、アンタとの全部はこれで終いだ。良いんだよな、終いってことで。鶴見は死んだってことをアシㇼパさんに伝える。彼女の心配ごとがこれでひとつ無くなるからな。」

 死にかけの男二人が、洞穴に置き去りにされている。その状況に似合わず杉元は気の抜けた調子で語り、鶴見ものんびりと洋袴(ズボン)の裾をしぼりながら聞いた。

「それでいいだろう。貴様がここで死ななければな。全く、どうすれば致命傷になるのやらだ」

 傍らの日本刀を眺めながら鶴見は笑った。

「それにしても杉元、気持ちがいいと思わないか」

「なにがだよ」

「思い切り殺し合いをして全部失うというのは、産まれ直すようなものだ。射精を終えて、気だるさのなかにいるのにも似ている。ずっと不発だったろう、杉元。貴様は本気の殺し合いのなかで吐精したかった」

「随分と下品なことを仰る」

「もう中尉ではないからな」

 履いたまま裾を絞るのももどかしくなったか、鶴見は洋袴を脱ぎ捨て、ふんどし姿になった。

「これで終い、終いだ」

 杉元は手のひらを握っては開き、自分に言い含めるように呟いた。

「どうした、まだやりたいか? 別れ際にしつこい男ほどみっともないものはないぞ、女々しいというやつだ」

 軍装一式を取り上げると、鶴見は洞穴の奥に向かった。もはや不要になったそれを、奥深くに隠そうというのだろう。杉元はその後姿を見つめ、それから日本刀の柄を掴んだ。

 刃を見つめると、確かに憑き物の落ちたような顔つきの己がいて、杉元は鶴見の言葉に納得せざるを得なかった。

 戻ってきた鶴見は、早速泳ごうという気配で、足を水に浸していた。

「アンタこのまま泳ぐつもりか」

「今から泳げば、ちょうど夜釣りが出る前、暮れかけの頃合いに岸に着くだろう」

「本当のバケモンはアンタだな。だが今度こそ死ぬかもしれないから、最後に、」

 そう言うと杉元は立ち上がって、腰まで海に浸かった鶴見の前に行くと、平手を振り上げ、振り下ろした。

 杉元が鶴見の左の頬を打つ高い音が、洞穴に響いた。

「アシㇼパさんに言った言葉は、やっぱりどうしても許せねえ」

 頬を打たれたまま下を向いていた鶴見は、やがて堪えきれないというように吹き出した。笑いは大きくなり、声は洞穴中を震わせた。

「なにがおかしい」

「いや、本当に別れ話のようじゃないか。これでもうお互い未練なしというわけだ! いや助かった。いい男の別れ際だ。女々しいと言った言葉は取り消そう」

 それではなと言い残し、不必要なほど華麗な泳法で泳ぎ去っていく鶴見は、確かに死人らしく世から浮いていた。

 


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