そして、翌朝。
吾輩が外で剣を振っていると、比古清十郎殿の家から物音がした。
振り返れば……剣心を連れて、比古清十郎が家から出てきた。
「清十郎殿」
「なんだ?まだ残っていやがったか」
吾輩の姿を見て、比古清十郎は鼻を鳴らした。
昨晩は看病をされていたというのに、随分な態度である。
「無事を見届けるまでは、と」
「俺が死ぬとでも思っていたのか?ご覧の通り、俺様は馬鹿弟子の剣では死なん」
「……そうか」
比古清十郎の言葉に、剣心は顔を顰めている。
しかして、抗議はしないようだ。
怪我をさせた負い目があるのだろう。
そう考えていると、比古清十郎が鼻を鳴らした。
「フン……無駄な時間を使うな。お前達を待っている連中がいるだろう。ぐずぐずしてねェで、さっさと山を降りやがれ」
心配している相手に対して随分な言いようだが、正論でもある。
納得した吾輩に対して、剣心は呆れた目を比古清十郎に向けていた。
「では、師匠。お世話になりました」
「吾輩も世話になった」
そう礼をすれば、比古清十郎は満足げな笑みを浮かべて、徐に白い外套を脱いだ。
そして、それを剣心に投げ渡した。
「その外套は代々、飛天御剣流伝承者に受け継がれたものだ。いわば、伝承者の証でもある。受け取れ。その資格が、お前にはある」
あれは筋肉を反る発条が仕込まれた外套だ。
身に付け続ければ良い訓練になる。
そう思っていたが……そうか、あれを剣心が身に付けるか。
「……いえ、師匠。遠慮します。似合いませんし」
「てめえコラ!似合う似合わねェの話じゃねェんだよ!バカ!」
剣心の頭を、比古清十郎がぶん殴った。
しかし、剣心は真面目な顔をしていた。
「師匠。俺が受け継ぐのは飛天御剣流の理だけです。飛天御剣流を受け継ぐつもりはありません。なので、返します」
「……チッ、随分と身勝手な話だな。まぁ、お前の手前勝手は、今に始まった訳じゃねェか」
剣心が手放した外套を比古清十郎が受け取った。
そして、吾輩を一瞥した。
「なんだ、その顔は。欲しいのか?」
「いや、そういう訳ではないが」
前世の漫画で読んだ大リーグボール養成ギプスのような物だ。
鍛錬に強烈な負荷を掛けられるだろう。
正直に言えば……少し、欲しい。
「欲しいのか……まぁ、やらんが」
「要らんと言っているだろう」
その外套は飛天御剣流にとって重要なものだ。
吾輩は別に飛天御剣流を習う訳でもない。
手にする権利も、身に付ける権利などないだろう。
「師匠、ひとつ良いですか?」
剣心の言葉に、比古清十郎が目線を向けた。
「なんだ」
「手前勝手の続きで申し訳ないのですが、俺が志々雄一派と戦っている間、葵屋の皆を守ってくれませんか?」
剣心の切実な言葉に、比古清十郎は微笑んだ。
「フ……」
「師匠……!」
比古清十郎は親指を立てて──
「甘ったれるのもいい加減にしやがれ」
「師匠……」
地面を刺した。
そして、心底面倒臭そうな顔を浮かべていた。
「お前が飛天御剣流を継がないと言った時点で、俺はお前の師匠でも何でもねェ」
「それは、そうですが……」
「だから、その辺りは仲間に任せろ。腕の長さが足りねェなら、手を繋げばいい。仲間を必要とするのは弱さじゃねェ」
そう口にして、比古清十郎は吾輩に目を向けた。
「む……?」
「お前はお前が出来る事をしろ。さっさと志々雄を倒すんだな」
そうして、比古清十郎は自身の家へと戻った。
いっさい、振り返る事もなく。
その背に対して、剣心は小さく頭を下げた。
合わせて、吾輩も頭を下げた。
◇◆◇
そうして吾輩と剣心は二人で山を下り始めた。
しかし、剣心と二人っきりか。
あまり、そういう状況はなかったな。
何を話せばいいか分からん。
そう勝手に気まずく思っていると、剣心が口を開いた。
「雷十太殿は、師匠と会って何か掴めたでござるか?」
比古清十郎相手への畏まった物言いではない。
いつもの、のほほんとした柔らかな口調だ。
「うむ。剣の振り方を教わった」
「おろ?剣の振り方でござるか?」
「うむ、吾輩の剣には無駄が多かった。独学だからな」
吾輩がそう言えば、剣心は少し引いたような顔をした。
「雷十太殿はよく、独学と言っておられるが……本気で言ってるでござるか?」
「本気も本気だ。土蔵の古びた古文書を頼りに、吾輩が剣を素振りしていただけだ。誰かから教わった事もなかった故にな」
「……凄い才能でござるなぁ」
遠い目で剣心はそう言ったが、吾輩は自分に才能があるとは思っていない。
寧ろ、不器用だと思っている。
故に、人一倍の修行をしているのだ。
手に豆が出来て、それが潰れて、硬くなるまで、だ。
「剣心の方はどうだ?何か掴めたか?」
「技もそうでござるが、心が掴んだでござるよ」
何とも難解な事を言う。
だが、何となく分かる。
「ふむ、それはよかったな」
「ああ、よかったでござるよ」
剣心の技と身体は、殆ど完成しているのだ。
であれば、師匠が教えられるのは心意気なのだろう。
それを踏まえて、新たな奥義を習得した……という事だろう。
そうして、天ヶ岳のふもとの村へと下りてきた。
少し休むべきかと村に入れば──
「失礼、緋村 抜刀斎様ですか?」
警察に声を掛けられた。
吾輩の方は何も反応されていなかったが、抜刀斎という呼称に警戒が走る。
その名を知る者は少なく、その名は騒動を持ち込む忌み名である。
すわ問題かと、剣心は片眉を上げていた。
「お主は……」
「藤田五郎警部補の部下です」
藤田五郎……元新撰組の斎藤一か。
つまり、仲間である。
剣心も理解したようで、表情を緩めた。
「そうでござるか。して、何の用事で?」
「緊急事態でして、探していました。来て頂けますか?」
「そう言われれば、断れないでござるな……雷十太殿はどうするでござるか?」
剣心が視線を吾輩に向けたので、頷く。
「吾輩も行こう。力になる」
「は、はぁ……貴女もですか?」
「うむ?斎藤から聞いておらぬか?」
警官は吾輩のことを知らんのだろう。
少し訝しむような顔をしていたが、剣心が異論を唱えないので納得したらしい。
そうして、剣心と吾輩は馬車に乗せられて……京都へと戻った。
◇◆◇
そうして、京都へ戻った吾輩達を待ち受けていたのは……隠れ家のような館だった。
馬車から降り、その屋敷に足を向ければ──
「よう、平日の午後に馬車で来訪とは。随分と偉くなったようだな。抜刀斎」
その偉そうな物言いは。
「斉藤か」
斎藤一、その人だ。
しかし、その斉藤の横にいる警官は慌てている。
「ふ、藤田君!まずいよ!」
抜刀斎という名前、そして、そんな相手に喧嘩をふっかけるような物言いをする斉藤に怯えているのだろう。
そんな警官を無視して、斎藤は値踏みするような視線を剣心へ向けている。
「それで、どうだ。人斬りに戻る決心はついたか、抜刀斎」
真剣な眼差しだ。
答え次第では叩き斬るとでも言わんばかりの、射殺す目。
「さあ、どうでござるかな」
だが、剣心は穏やかな表情のまま笑っていた。
それは暗に、人斬りには戻らないと言っているようなものだった。
その表情に斎藤は目を細めて、興味を失ったかのように視線を逸らした。
「……まぁ、いい。それよりも──
そして、吾輩へと目を向けた。
「お前といい、阿呆は俺の思い通りに動かんらしいな」
「む……」
お前といい……つまり、吾輩以外にも阿呆は居るという事か。
斎藤の物言いに片眉を上げていると、斎藤がため息を吐いた。
「まァ、いいだろう。今は猫の手でも借りたい状況だ。急ぎの話がある……さっさと上がれ」
そうして、斎藤に促されて、吾輩と剣心は顔を合わせた。
良からぬ事が起きているのだと、予感したのだ。
◇◆◇
「京都大火……で、ござるか」
斎藤が話したのは、志々雄一派から手に入れた極秘情報だった。
京を燃やす……示威行為である。
そこに理屈や利点があるとは思えない。
そもそも目的は何か?
悩む二人に対して、吾輩は口を開いた。
「その情報に関して、手に入れたのではなく、掴まされたのだとしたら?」
吾輩の言葉に、斎藤が片眉を上げた。
「やはり、違和感があるか。どう思う?」
「雷十太殿に同意するでござる。何か裏があるとしか思えない」
吾輩が違和感に気付いたのは、物語の本筋を知っているからだ。
それを理解した振りをして語るのは気が引けるが、時間を無駄には出来ない。
「京都ではなく、別の場所が目的だとしたら」
「……地図を出そう」
斎藤が地図を取り出し、机に叩きつけた。
その地図に対して、剣心が目を細めた。
「志々雄 真実……奴は国盗りも復讐も、同時に“楽しんでいる”。京都大火も池田屋事件の模倣……であれば、別の狙いにも同じ“遊び”があるはず」
剣心の言葉に、斎藤が目を見開いた。
「戊辰戦争……鳥羽伏見の戦いか」
「ああ、徳川慶喜は味方を欺き、大阪湾から江戸へ帰った。その行動が勝因となった……これを、志々雄が己の勝因にするとしたら」
「東京か……!」
なんだか吾輩の分からん理屈で、目的地を暴いたらしい。
吾輩に教養はないので、そう難しい話をされても困る。
剣心も斎藤も、志々雄も、そういった教養があるのだろう。
剣客とは争い事に詳しくなければならない決まりでもあるのか。
「……うむ」
言い出しっぺの吾輩は置いてけぼりである。
「京都大火は人目と人員を惹きつける布石……つまり、囮でござる。船による海上からの攻撃が、奴の真の狙いでござるな」
「だから、情報を派手に流したのか。チッ、まんまと乗せられていた訳だ……だが──
斎藤が吾輩へ目を向けた。
「よく気付いたな」
「う、うむ」
前提として大まかな情報を持っていたとは言えない。
分かった振りでもしておこう。
罪悪感はあるが──
「阿呆とはいえ、鳥頭より賢いか」
前言撤回だ。
罪悪感などない。
「…………」
斎藤を睨むが、奴は何処吹く風だ。
死地で殺意を向け合う日々を送っていた新撰組にとって、吾輩の視線など大した物では無いに違いない。
無念である。
「狙いは政府の中枢……そして、海上に出れば、拙者達では手も足も出なくなるという事か」
「時間がない、大阪湾に急ぐでござる!」
席を立った剣心に続いて、斎藤と吾輩も立った。
そして部屋を出た剣心を待っていたのは──
「うぐっ!?」
拳だった。
急に目の前でぶん殴られた剣心を見て、吾輩は腰の剣に手を置いたが……斎藤は呆れたような顔をしていた。
その事に不信感を抱いていれば、剣心を殴った相手が見えた。
「さ、左之……どうして、
相良 左之助がそこに居た。
「どうして、
東京に居るはずだった、残してきた仲間だ。
その事に恨み節があったのだろう。
だが、それはさっきの一撃で霧散したようだ。
「……そうか。すまないな」
剣心は嬉しそうな笑みを浮かべた。
そんな剣心を、左之助は手を握って立ち上がらせた。
仲直りの握手でもあるのだろう。
良い友人なのだと、側から見ても分かる。
「鳥頭が。足手纏いの間違いだろうが」
「あ、ん、だ、と!?」
しかして、斎藤と左之助は仲が悪い。
煽るような目で睨み、それを買うように睨み返している。
そんな中、左之助が吾輩に気付いて目を向けた。
「雷十太の姐ちゃんも来てたのか」
「まぁ、な。理由は左之助さんと同じだ」
「くく……そりゃ心強え」
吾輩も左之助と握手する。
……前よりも強くなっているようだ。
そんな左之助は笑みを浮かべた。
「とにかく、時間はねェな。つもる話はあるだろうが、走りながら話そうぜ!」
「ボケが。大阪まで走るつもりか?馬車で行くぞ」
「あ゛!?てめぇはどうしてそう、揚げ足ばっか取りやがるんだ!?」
「お前が鳥頭だからだろうが」
喧嘩する二人を見て、吾輩と剣心は顔を合わせて……ため息を吐いた。
◇◆◇
しかして、吾輩達は大阪へ向かうために馬車へ乗った。
だが、四人という事もあり、二人ずつに別れて乗る事となった。
なったのだが……割り振りは、剣心と斎藤、吾輩と左之助という事となった。
剣心と斎藤で何やら、話す事があるそうだ。
作戦の話があるのだろう。
いやまぁ、吾輩は別に左之助と馬車を相乗りする事が嫌な訳ではないが。
「して、左之助さん。京都への旅はどうだった?」
「いや、色々あったぜ。あったは、あったが……」
ちら、と左之助が吾輩を見た。
「何だ?何か変か?左之助さん」
「それだ!それが変なんだよ。何だって、斎藤や剣心に対しては呼び捨てなのに、俺には“さん”付けなんだ?」
その指摘に、吾輩は目線を泳がせた。
別に親しくない訳ではない。
道場に通っている間に、飯を共にする事もあった。
だが、苦手意識が未だにあるのだ。
元々、吾輩は彼等の敵であった。
薫や、弥彦には許しを得たが、左之助からはどうだ。
元々、彼は吾輩を強く敵視していた。
子供を身勝手で傷付けたからだ。
だがからまだ、完全に許されているとは思えていない。
いや、彼等は優しいので、許してはいるのだろう。
だが、どこか後ろめたいのだ。
「いや、呼び方を変える機会を失っただけだ」
「なら、もう呼び捨てで良いじゃねェか。仲間だろうが」
「……仲間、か」
吾輩は目を瞬いた。
自分を異物だと思っていた。
互いを信頼し合う彼等の間に挟まるような事は、控えるべきだと。
だが、彼等は私を仲間と呼んでくれるのだ。
であれば、歩み寄るべきなのだ。
私は表情を緩めた。
「では、左之助と。呼ばせて貰おうか」
「……お、おう。そうしてくれ」
しかして、左之助は何とも歯切れの悪い返事をした。
自分から言っておいて、だ。
「何だ、その顔は。何故、目を逸らす?」
「……いや、何でもねェよ。雷十太の姐ちゃんは、もうちっと自分のことを鏡で見た方がいいぜ」
「はぁ、鏡……?」
何を言ってるのか分からんが、腕を組んで頷く。
言い付け通り、帰ったら鏡でも見るか。
それで何か分かるとは思えんが……もしや、顔に何かついてるのか?
ぺたぺたと自分の顔を触っていると、左之助が苦笑した。
「それで、姐ちゃんはどうやって京都へ来たんだ?ちゃんと由太郎の言う通り、船で来たのか?」
「いや、それがな……」
新月村の話をすれば、左之助は顔を顰めた。
薫達と合流した話をすれば、左之助は笑った。
比古清十郎の話をすれば、左之助は爆笑した。
「ひ、ひーひっひ、随分と面白ェ事になってたんだな……!一度、見てみたかったぜ。剣心の師匠とやらを」
自分のことのように嬉しそうにする左之助を見て、ふと思った。
「そういえば、左之助。志々雄一派は船を使うようだが……船に対して、有効打を持っているか?」
左之助は、東京に居る元赤報隊の準隊士である月岡津南から、炸裂弾を譲り受けている筈だ。
原作ではそれを用いる事で、志々雄が用意した鋼鉄艦“煉獄”に致命傷を与える事ができた。
逆に言えば、それがなければ煉獄を落とす事は出来ない。
故に、そう確認したのだが──
「あ?ねェぞ?」
当の左之助は何てこともなく、何も持ち合わせていないような返事をした。
「いや、何か無いか?船を一撃で沈める爆弾とか」
「爆弾って……持ってる訳ねェだろ。姐ちゃんの方こそ、何を言ってんだ?」
吾輩の脳内で、蝶が羽ばたいていた。
たった一つ、小さな蝶の羽ばたき一つ。
それが連鎖して、大きな物事を引き起こす。
吾輩という差異が小さな亀裂となり、物語に歪みを与えている可能性。
その可能性から、吾輩は目を背けていたのだ。
「……オイ、どうした?」
本来、志々雄の持つ船は、左之助が持ってきた爆弾によって破壊される。
その筈だった。
だが、何の因果か。
いや、吾輩という存在の所為か。
左之助はその、爆弾を持ち合わせていなかった。
であれば、どうすべきか。
「いや、何でもない」
その責任は、吾輩が果たさなければならない。
剣を強く、握った。