────意識が覚醒した。
知らぬうちに眠ってしまっていたらしい。目脂が鬱陶しい。
目が覚めてから店内を見回し、客が来た形跡が無い事を確認し、安堵ともとれぬ溜息を吐いた。
窓の外を見てみると、昇っていた太陽も沈みかけており、夕暮れ時の真っ只中であった。
「……何だか昔の夢を見ていた気がする。そーいえば昔の事を考えてたっけ」
おぼろげな過去の記憶の事を思考しているうちに眠ってしまい、眠っている間にその過去の出来事に近い夢を見ていたような気がする。
曖昧だ、とても。それは当然だ、夢だったのだから。
自問自答を脳内で繰り広げ、その末に無意味な行為だと判断した僕は、店内に明かりを灯した。間もなく日も暮れるだろうから。
───カチリ、と照明の電源を入れる。
その瞬間に眩い光が店内を包み込む。やはり電気エネルギーは素晴らしい。こんな素晴らしいものが、幻想郷ではまだ広く普及していないのだ。
一部妖怪の山では使用されているらしいが、真意の程は定かではない。
眠っているうちに喉も渇いたし、冷たい物でも飲もうか……と、思った時。
コン、と扉を叩く音が二回聞こえてきた。
「どうぞ、開いてますよ」
ほぼ反射的に、僕はその言葉を紡いだ。
店主としての形が出来てきたのかなと思ったが、まだ数人ほどしか客の相手をしていないので、それは無いなと一人断定した。
僕の言葉が聞こえたのか、扉が静かに開かれた。
僕の店に来るお客さんにしては珍しい、何も言わずにあがってきた。それはそれで有り難いのでよしとする。
バーカウンターの前に並べられた椅子に座っている僕は、来店してきた客が此方にやってくるのを、ただ座って待っていた。
そして間もなく来店してきた客はやってくる。
「……」
廊下を抜け出てきたお客様が、そこで立ち止まる。
店内を見渡していたのだろう、座っていた僕と目が合ったところで漸く我に返ったように見えた。
僕の事を静かに見据える瞳は、客人から感じるそれとはまた違って見える。
「いらっしゃい、好きなところへどうぞ」
口を開こうとしない客人に対し、僕が導いてあげなくては、という使命感から着座を促す。
僕の言葉を聞いた客人は、素直に従い僕の二つ隣の席へと着いた。
「ご注文をどうぞ。こちら、お品書きです。今、冷たいものを持ってきますから」
僕の言葉などそっちのけで、店内をきょろり、きょろりと見回す客人。
若干それを不審に思いつつも、僕は厨房から冷たい水と氷をグラス一杯に注いで用意した。
およそ一分も経過しないうちに用意したのであるが、客人は先と変わらず店内を観察していた。
「お冷をどうぞ。ご注文が決まりましたら、呼んでください」
丁寧に丁寧を重ね接客をしたところで、店内を観察していた客人が不意に僕に視線を向けた。
こちらは会話を切ったところなので、少し違和感を感じつつも視線は逸らさない。
「あの!」
そして声をかけてきたのは、客人からである。
見た目通り……因みに見た目は、華奢な女の子。翼が生えているのは、この際気にしていない。
「此処のお店を取材したいのですが、よろしいですかね!」
「ああ……別に、構わないですが」
「ありがとうございます! では、まず始めに」
「ちょっと待ってください。僕からそちらに質問があるのですが」
いつの間にか紙とペンを取り出した客人に対し、素直な疑問をぶつける。
「取材とは何ですか。貴女は里の出版に携わっている方なのですか」
「いいえ、私は文々。新聞を発行している者です。知りませんか、文々。新聞。読んだ事ありませんか?」
「存じません。新聞、という事は天狗の者ですか」
「その通りです!」
どうやらこの客人、天狗という種族らしい。
天狗とは過去にもめた経験がある為、あまり良い印象はない。賢しく、悪知恵の働くという印象。
「いやはや、読んだ事がないとは残念です」
「そうですか」
「食品関係の記事を載せようと考えてまして。是非とも店主殿の───……何ですか?」
客人が言葉を切り、僕に問いかける。
「いえ、何でもないです。すみませんが、何処かでお会いした事ありませんか」
「……ありませんよ」
「そうですか。僕の思い違いのようでした」
客人がそう問いかける事になった原因は、僕が客人からずっと視線を逸らさなかったからか。
はて、意識していたわけではないのだが。もしかしたら気分を損ねたのかもしれない。話題を戻したほうが良いな。
「ところでその、文々新聞というのは」
「文々。です。どうですか、興味ありませんか。今なら定期購読者限定で特別な品を……」
「そうですね、面白い新聞でしたら購読するのは悪くはないかもしれません。ですが今は、取材を終えてしまいましょう」
「あはは、そうでしたね」
僕がそう言うと、客人は筆の端をカチリ、と押した。すると反対側の先端から鋭いものが飛び出してきた。
……あれは筆ではない、ボールペンだ。どうして現代の品を彼女が持っているのか……興味はあるが、恐らく拾ったりなんだりしたのだろう。
取材に取り掛かろうと思ったが、最後に大事な事を質問し忘れていたのに気付き、客人に問う。
「では質問します」
「待ってください」
「あやや、どうかしましたか」
「冷やかしは関心できませんね。こちら、お品書きになりますが」
「……あはは、そうですね。失敬、失敬」
僕に対し一言詫びをいれ、客人はお品書きに目を通した。
僕は板場で手を洗い、注文に備えるのみである。
*
「こちら、トマトとモッツァレラチーズのサラダでございます。それと、オールデイカクテルにございます」
客人の前に食事と酒を置き、一息つく。
前者は円形の大き目のお皿に、薄くスライスしたチーズとトマトを並べたもの。
バジル等を混ぜた特製のソースをかけ、出来上がり。
適当に均等に切り、お皿に並べるだけで洒落た料理の出来上がりだ。女性比率の高い幻想郷で受けるんじゃあないかと思って作ってみた。ただ、チーズの在庫が少ない。
後者のカクテルは、その名の通りオールデイ……つまり、一日のどの時間帯に飲んでも美味しいカクテルだ。
普通の店舗ならば、各種味ごとに分けられているのだろう。しかし僕のお店では、こうして一括りにしていたりする。
適度な甘味に調整してあるので、飲み易いと思う。
「どうぞ、遠慮せずに」
「では遠慮なく。………あら、美味しい」
「ありがとうございます」
「お酒は……うん、悪くないですけど、もっと強い方が私は好みですね」
食事に関しては好評であったが、お酒に関してはダメ出しをもらってしまった。
見た目少女の割りに、酒に滅法強いようだ。流石に天狗の名は伊達ではない、という事か。
「飲み易いように気を遣ったんですがね。では、食べながら先のお話の続きでも」
「ん……そですね。では、この料理の食材は何処から調達しているので?」
もっと深い事や答え辛い事を聞いてくるのかと思っていたので、拍子抜けした。
しかしこの質問、些細な質問に見えるが僕にとっては答え辛いものである。
「申し訳ない、それは答えられません」
「……そうですか。珍しい食べ物だったので、気になるところですが」
「お気に召してもらえたようで、何よりです」
フォークで薄くスライスされたトマトを突き刺し、口に運ぶ客人。
食事しながら対話するという行為は、この天道……結構好きな性質である。
「では次の質問に。実は私、風の噂でこのお店の事を知ったのですが、お店の一押しの品は何ですか?」
「これというものはないですね。僕のお勧めは、全部です」
「ふむふむ。あ、料理の写真撮ってもいいですか」
そう質問し、僕がどうぞと答える前に客人は首にかけてあったカメラを構えていた。
そういえば、この客人は先程から珍しいものばかり持っている。カメラを持っている天狗なんて、初めて見たぞ。
別に拒否する気もなかったので、僕が構いませんよ、と言うと同時にシャッターが連続して切られた。
「ありがとうございます。しかしこれ、本当に美味しいですね……味の秘訣は」
「教えませんよ」
「あやや……そうですか、それは残念」
残念そうに表情を歪め、カメラを下ろす客人。
言葉端にそう質問を混ぜられ続けられると、ぽろりと秘密を漏らしてしまいそうなので適当に言葉を選んで口にする。
「居心地の良い空間を提供できれば、それで良いかなと思っております。腹を満たすだけなら、里にも良店は並んでいますからね」
「ふむふむ」
「過去に居酒屋と比喩された事もありますが、あながち間違えでもないので訂正する気はありません。
たとえ妖怪が来店しようとも、人間と差別したりはしませんね。お客様は等しく公平に対応しております」
勿論、僕も公平ですがね、と付け加えた。
お客様は神様ではあるが、敬う対象ではない。侮蔑するような真似をされたら、僕も穏やかじゃあないという事だ。
とまあ、こんな事を記者に向かって発言しても大人気ないので、黙っておく。
「ほうほう、なるほど分かりました。店主さんは変わり者ですね」
「何故ですか」
「私個人の感想になりますが……普通、お店を経営している方は、利益を確保する為に躍起になるといいますか。
店主さんのお店で例えるのなら、常連のお客様を作ろうと必死になるのが普通なのではないのかな、と思いまして」
客人はお酒を一口だけ口に含み、続ける。
「店主さんはその意欲が薄いのかな、と私は見受けられました。そーですねぇ、例えば先程の料理。
繁盛しているお店ならまだしも、失礼ですが閑散としているこのお店で、あのような手の込んだ料理が出てくるとは思いませんでした」
手を込めたつもりはないが、チーズなどは美味しく食べられる期限が短い為に保存には気を遣っている。
「何が言いたいのですか」
「素朴な疑問になるのですが、お店として経営は成り立っているんですか。あのような新鮮な食材、来るかも分からないお客様の為に毎日用意できるのですかね」
「……お店としては成り立っているつもりなのでしたが」
客人が何を言いたいのか分からないが、つまりお店をきちんと運営できているのか、という事か。
確かに先程の食材は、今の今までお店で保管していたものではない。
あれらは全て、僕が能力を使用して調達した品々である。高級な乳製品などは、美味しく食べられる期限など精々数日が良いところだ。
まあ、固定費などはほとんど費用としてかからないので、赤字ではない。
「そうですね、答えは成り立っている、になります。お店を運営していく点に関しましては、費用はあまりかかりませんし。
例えば固定費などは、僕自身が切磋琢磨し最小限に抑えております。人件費などに関しましても、僕一人しかおりませんので負担はありません」
「おお、なるほど」
「里の中にお店を建てなかったのも、土地代やら税金などの費用を抑える目的からです。
お客様はほとんど来ませんが、自分のペースで仕事が出来るので満足しておりますね」
里の中に建てていれば、多少はお客さんで賑わっていたのかもしれない。
けどもそれよりも何よりも、自分のペースで仕事ができるのが一番なので、今は満足している。
初めにお店の宣伝もしているので、そのうちお客は来るんじゃあないのかなと、その程度の心持でやっている。
僕の言葉を聞いた客人はそれを紙に書き込むと、よし、と何か決意めいた声をあげて席を立った。
「取材はこの辺にしておきましょうか。ご協力ありがとうございました。どうですか、私の新聞の定期購読でも」
「いえ、遠慮しておきます」
僕が断りを入れると、客人は残念そうに背の翼を二、三度小さく羽ばたかせた。
その際に羽根が一本抜け落ちたが、客人は気付いていなかった。烏のような、黒い羽根であった。
「客人殿」
「はい、何ですか」
「僕は天狗という種族はあまり好きではありません」
そう言葉を聞いた客人は、ふと遠い目をして窓の外に視線をやった。
僕はそれには構わず、言葉を続ける。
「遠い昔の話です。僕は天狗と遭遇し、罪を潤色されて酷い目に遭わされた過去があります」
「……そうですか」
「その時に、小さな天狗の女の子と出会った時の事は、今でも少し憶えています」
本当に少しだけであるが、憶えている。
小さな天狗の女の子、会話は少ししかしていないが、ツンケンしており棘のある女の子。
客人は僕の話を聞いている合間も、窓の外をずっと眺めていた。
「当時の僕は、その天狗の女の子の事を殺そうとしました。哨戒天狗の仕打ちに腹が立ち、その憂さ晴らしに。ただの八つ当たりですがね」
「……それで、殺したんですか」
「いいえ、殺してません。正確には寸でのところで邪魔が入り、興醒めしたからです」
若干の静寂が入るが、僕は言葉を続ける。
「何故僕が今になってこんな事を言うのか、僕自身でもよく分かりません。ですが、僕は昔の僕の行いを、決して良いものだとは思いません。
これらは今から何百年も前の話なので、恐らくその天狗の女の子はもう生きてはいないと思います」
「……」
「天狗の寿命は僕には分かりません。ですが万が一、その女の子が生きていたのなら……」
そう言葉を止めたところで、客人は此方に顔を向けた。
「生きていたのなら、僕の謝罪の意を伝えてほしい」
「何故、そんな事を私が」
「身勝手な願いだと僕でも思います。ですが、先にも言ったように僕は過去の僕を良しとはしません。
僕の中での天狗という種族に対し、過去の清算をと思いまして」
近くにあった椅子に座る。僕は言葉を続けた。
「本当はこんな事、自分でもおかしい話だと思っています。僕自身でさえ、水に流して無かった事にしたいとさえ考えていました。
けれど今日、客人である貴女を見て思ったのです。僕は天狗という種族に対し、偏見を持っていたのはないかと」
「……ふむ」
「僕自ら、進んで天狗達に関わる事は今までありませんでしたので。今日、こうして天狗である貴女と出会えたのも、きっと何かの運命と思ってお願いしました」
「そういう事ですか」
「過去の清算なんて言いましたけど、本当は頭の片隅で気になっていたので解消してしまいたかっただけですが」
ふふ、と客人が少し笑みを零した。
可笑しな話である、きっと支離滅裂である。
きっかけは恐らく、今日見た夢だろう。おぼろげな記憶の、継接ぎだらけの夢だった。
僕は天狗の客人である少女に、もしも彼女がまだ生きていたのなら謝罪の意を伝えてくれ、と願った。
僕の話を聞いた客人は溜息ともつかぬ息を吐き、帰路に着こうと僕に背を向けた。
「……そうですね、話の筋は概ね理解しました。もしも貴女の言う少女が生きていたのなら、私からそう伝えておきますよ」
「ええ、頼みました。私は天道と申します、以後お見知りおきを」
「あやや、そうきましたか。私は射命丸、文と申します」
背を向けていた客人だがこちらに振り返り、互いにお辞儀をする形となった。
きっと僕の謝罪が彼女に届いたところで、なんの損得もないのだろう。
ただの自己満足である、完全に。そう思うと、何だか笑えてくる。
「……? 何がおかしいんですか」
不意に笑い出した僕に対し、射命丸が指摘した。
「いえね、何だか可笑しな話だなと思いまして。こんな真似をして、生死さえ不明の彼女に僕の言葉が届いたところで、一体何の得があるのかと」
「……」
「自分で言うのも何ですが、そんな事をしてもお互いに得なんてしないだろうに。これも一つの偽善なのかなと思うと、おかしくなってきました」
僕が少々笑みを零しながらそう射命丸に伝えると、彼女は「そうですか」とだけ言い残し、扉に通づる廊下の前に立った。
もう帰路に着くのだろう、短い間ではあったが、中々楽しい時間であったと思うのは僕の本心である。
こちらに振り返り再び会釈する射命丸に対し、僕もそれに習った。
「では、私は此れにて。戻って記事の編集せねばなりませんので」
「ええ、今日はありがとうございました。縁があったらまた会いましょう」
「此方からも是非。文々。新聞をよろしくお願いします───ああ、それと天道さん、最後にもう一つだけ」
廊下を歩き出そうとした射命丸はそう言いだし、僕に向かって言葉を紡いだ。
「これは私的な言葉になりますが……そんな事をしてもお互いに得がない、だなんて……少なくとも、私はそうは思いませんよ」
消え入りそうな、けれども明確にそれが伝わる声量で僕に向けてそう言葉を紡いだ射命丸。
そして彼女は人差し指と中指を揃え、それを額の前に出し僕に向けて斜めに降ろした。
「それでは、また」とだけ言い残し、彼女は短い廊下を駆けていった。間もなく、扉の開閉する音だけが僕を襲った。
僕は思考した。
遥か昔に出会った天狗の少女と、先程の客人───射命丸文。
何となく雰囲気が似ている気がしたのだ。言動や性格などは恐らく正反対なのかもしれないが。
遥か昔の出来事なので、記憶の程は定かではない。ただ僕が今心の中で思っている事はひとつ。
「……代金」
時既に遅し、雰囲気に呑まれている間に客人は帰路に着いてしまった。
これでは頂戴するものも頂戴できるはずがなく、諦めざるをえない状況である。
まあ、構わないだろう。次に会った時に頂戴すれば良い。今回は面白い話が出来たし、目を瞑る事にする。
僕はそう心に決め、食器類の片付けに精を出すのであった。
───第百十八季、月と秋と木の年。
紅い妖霧の異変が解決され幻想郷に一時の平穏が戻ってきた、処暑の記録であった。
以上で紅霧編は終了となります。
次回からは春雪異変の章に突入してまいります。
小説を執筆させて頂く様になりましてから、今作でおよそ4作目となりますが、やはり読み返す毎にプロットの作り方といいますか、構成作りの難しさに気付かされます。
過去編は難しいですね。よく読んでみると私自身でもよくわからない事に……
評価してくださっている方々、本当にありがとうございます。
それでは東方外来禄、第十話でした。次話もよろしくお願いいたします。