東方外来禄 -往年幻想物語-   作:くりすてぃあーね2世

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巻ノ三十七 秘密の約束

 ──綿月家にて、綿月姉妹の直属の配下となった人物がいた。

正式には綿月姉妹の護衛人、兼付き人。及び専属の料理人……と、彼の知らぬところで、様々な呼び名が定着しつつあった。

曰く、綿月依姫との行動の際は護衛人として従事し、また訓練や修練などを共に行い、身を粉にしているらしい。

 そして彼女の姉である綿月豊姫と行動する際は、護衛人としての勤めは勿論の事、彼女の"好みの料理"を調理し、提供するという職務も一貫して行なっていた。

 

 そもそも彼を綿月家に取り入れる要因となったのが、登用試験に落第した有能な人物を野に放っているのは惜しい、という提案によるもの。発案者は、豊姫によるものだ。

それを肯定し実行に移ったのが依姫であり、結果としては豊姫、依姫の両人物からの要求、依頼、命令に忠実に行動をしなければならない彼は、ある意味幸せ者というべきか、それとも運が悪かったと言うべきか。

 

 実は彼にも、とても他人には言えない秘密がある。

身体は女性、精神は男性という、一種の障害のようなものを抱えている事だ。障害、と表現してしまえば語弊が生じる。

 が、それは決して生まれつきというわけではない。

彼の生まれは地球という惑星であり、彼の地で様々な事象、偶然が重なった結果。この最新鋭の技術、叡智が結集した月の都市に"外来"したのだ。

 

 彼自身、自らを女性と認めるという事はないし、周囲にそれを悟られぬように行動する事も心がけている。

普段はゆとりのある服を着ているし、言葉にも気をつけている。

そのおかげもあってか、まだ誰にも彼が女性である事は悟られていない──一部の人間を除いては。

 

 

 晴天の模様を呈した月の大地を踏み締める者が、二人程。

一人は綿月依姫、もう一人は彼、"天道"であった。

 

「今日はお師匠様に、ご挨拶に行くわよ」

 

 歩きながら、さも当たり前のように依姫がそう言った。

 

「お師匠様?」

 

 彼が綿月家に取り入ってから幾日か経過しているが、それでも内部事情全てを把握するには至っていない。

依姫に案内されるがままに、彼は色々な施設などを巡り、様々な人物と出会い、自らを認知してもらう作業に日々勤しんでいた。

そんな折、依姫は「お師匠様に挨拶に行く」と言って彼を連れ出し、寒暖の起伏の穏やかな頃合い、動きやすい服装で屋敷を飛び出した。

 

 

 綿月の屋敷から出て間もなく、純白の塗装が施された大きな施設に到着した。

一見すると何かの研究施設とも推測できるそれは、依姫の言うお師匠様のいる施設に違いなく、彼はその研究所の大きさに感嘆した。

自動開閉する扉を軽い足取りで通り抜け、自動で動く足場……平行移動式のスライドエスカレーターで、お師匠様の居る場所へと向かった。

 

 そうして暫くすると、何処にでもありそうな何の装飾も施されていない、極普通の扉の前で依姫は立ち止まる。一度彼に振り向いてから、静かに二回ほどノックした。扉を開ける。

 

「……失礼します」

 

 若干の緊張が彼女の声を震わせた。扉の開閉する音がそれを紛らわせると、間もなく依姫が深く頭を下げる。

 

「あら、依姫。こんな時間に珍しいわね。何か用?」

 

 それに対して、興味無さそうな声色で言葉が戻ってくる。

扉の先には、左右で配色の異なる服を着た女性が椅子に腰掛けていた。壁際の机には、書類が山積みにされていた。

 

 上の服は右が赤で左が青、スカートはその左右逆となる配色で、とても変わった衣服を着用している女性。

彼女は同じくツートンカラーのナース帽を被っており、その前面中央部には堂々と赤十字マークが刻まれていた。

 依姫がお師匠様と仰ぐこの人物の名は、八意永琳。依姫は自らの師へ向けて、再び口を開いた。

 

「はい。実はお師匠様に会わせたい者がおりまして」

 

「……私に?」

 

 永琳は怪訝な表情のまま、依姫の言葉を待った。

 

「ええ。天道、入りなさい」

 

 まるで母親に褒められた幼児のような表情のまま、依姫が扉越しに向けて言い放った。程なくして、穏やかな足取りで彼が室内へと足を踏み入れる。

普段は冷静でクールな永琳も、彼を目の前にした途端、若干ではあるものの表情を崩し驚きに表情を染めた。

 

 彼は会話のやり取りを傍聴しており、目の前にいる者が八意永琳だと理解していた。また、自分の秘密に気付いている可能性が高い人物である事を理解すると同時、警戒色を強めた。

だからこそなのか。ムスッとした、可愛げのないひねくれた表情のまま、

 

「お初にお目にかかります。僕は天道と申します。依姫さんの下で付き人として雇われましたので、今後ともよろしくお願いします」

 

 流れるような動作で、滞りなく挨拶をする彼。言葉は紡いだものの頭は下げずに、目の前の椅子に座っている永琳を鋭く睨んでおり、とてもではないが目上の者に対する態度ではない事は、傍から見ても明らかであった。

挨拶をされた側の永琳もまた、言葉を返すわけでもなく彼の事を睨む……というよりかは、何か疑念を抱いているかのような感じで凝視していた。

 

 そんな反抗的な態度を取る彼。けれど突然、彼の上半身が折り曲げられた。

隣りに並ぶようにして立っていた依姫が彼の後頭部を鷲掴みにし、慌てて頭を下げさせたのだ。

 

「す、すみませんっ。彼、まだ礼儀が身に付いていなくって」

 

「別に、気にしていないわよ」

 

 頭を下げさせられた彼は、視線を足元に集中せざるをえなくなり、ぐりぐりと後頭部を掻き回される痛みに耐えていた。

少しして漸く頭を上げる事ができた彼だが、不意に耳を引っ張られる。貴方には座学も必要みたいね、とひどく冷めた声色で告げられ、彼は背筋を凍らせた。

 

 壊れた人形を手の平で転がすようにして、依姫と彼のやり取りを傍観していた永琳が口を開く。

 

「ふぅん、思っていたよりも早く事が済んだのね」

 

「はい、お姉様が偶然、彼が菓子店にいるところを連れてきていたみたいで」

 

「ところで貴女、さっき彼の事を……テンドウ、とか呼んでいたけど、天野という名前は偽名だったの?」

 

「いえ、彼の姓名は天野義道で間違いありません。ですが、我々の付き人となる身なのですから、相応の名を与えてやったのです」

 

 呼び難いですしね、と付け加える。淡々と言葉を述べる依姫とは反対に、彼はげんなりとした表情を浮かべていた。

自分の扱いがまるでペットそのものであり、自分は犬や猫などではないという葛藤と共に、明日から行われる座学に辟易としていた。足元に空き缶が落ちていようものならば、直ぐに蹴飛ばしているところだ。

 けれど彼の様子など気にも留められず、彼女らは会話を続ける。談笑、というよりは上司に対する報告にも近いそれは。

 

「彼は今後、天道と名乗らせることにしました。その方が、私達にもなじみ易いので」

 

「へぇ、そうなの。命名したのは貴女?」

 

「私と姉様で考えたので、姉妹分でしょうか。実は姉様、彼の事を気に入ってしまったみたいで。駄目だと言っているのですが、職務中であっても彼にデザートを作らせたりして……」

 

「あら貴方、そんな事もできるの?」

 

 向けられた突然の質問に対し、彼は反応を遅らせつつも、何とか言葉にして吐き出した。

 

「ええ、まあ……人並みにはできます。デザートくらいなら」

 

「なるほどね。なら、豊姫が躍起になるのも理解できるわね。料理も出来て、武術の腕もあるんじゃあ依姫、貴女も形無しじゃない」

 

 微笑み混じりに永琳がそう言い放つと、依姫は苦虫を噛み潰したような表情になる。あうあう、と言葉にならぬ呟きを言い洩らしてから、

 

「ですから、あの試合は私の勝利でして……」

 

「あら、私は彼と貴女、両方の治療を担当したのだけれど、どう見ても彼の方が傷が浅く、治りも早かったわよ」

 

 永琳の言葉を聞き、再び表情を歪めた依姫。永琳はあくまで、客観的な意見の一つとしてそう述べたに過ぎない。

しかし、表情を歪めたのは依姫だけではなく、彼も同じであった。

"治療を担当した"という言葉を耳にし、一瞬で我に返った彼は、永琳に視線を向ける。親の仇を見るように、元々黒い瞳を更に真っ黒にさせていた。

 

 すると永琳の方も、何か含んだような視線を返しており、彼の額から一筋の汗が滲んだ。

 ──こいつ、気付いている。

彼は強くそう思った。思ったのだが……隣りには依姫がいるので、迂闊な行動をする事はできない。下手な真似をすれば、鉄拳制裁が彼を待っているだけだ。

どうしよう。近いうちに、何かしらの対応をしなければならない。そう思っていた彼であるが、永琳は彼から視線を逸らしてから直ぐに口を開く。

 

「じゃあ、彼と少し話しがしたいから、貴女は先に戻っていなさいな」

 

「……は、彼とですか?」

 

「そ。何か問題でもあるの」

 

 最後は冷めたような口調で。抗う事は許さない、という威圧にも捉えることができるそれは、依姫を困惑させるには十分過ぎるものであった。

 蛇に睨まれた蛙、鷹の前の雀。少々たじろぎつつも、依姫は言葉を続ける。

 

「えっと、この後は彼と鍛練の時間があるのですが……」

 

 しどろもどろ、口を震わせながらそう言った。

 

「何の鍛練?」

 

「剣術と、近接術の鍛練です。その後には御夕食の準備を共にする予定で……」

 

「ふぅん。明日じゃ駄目なの」

 

「明日は通常の鍛練の後、私の警邏の任務に動向してもらう予定なので、厳しいですね」

 

「あら、なら問題ないじゃない。明日の鍛練を倍にして、夜中に自主鍛錬をしてもらえば埋め合わせはききそうね」

 

「えッ」

 

 微笑みながらそう言い放つ永琳に対し、依姫ではなく彼が驚きの声をあげた。狂人か玄人を見るような目付きで、彼は永琳に視線を向けるばかり。

ただでさえ辛い鍛練なのに、それの量を二倍されたら死んでしまう、と彼はそう思った。

月で超級の強さを誇る依姫の鍛練は尋常ではない。彼の鍛練自体は普通の内容なのだが、依姫の鍛練の付き合いともなれば、そうは言ってられない。

神霊術を行使した大規模な模擬仕合は、度々命の危険に晒されてしまうので、初めて鍛練に付き合った日以来、彼は二度と依姫の鍛練には関わりたくないとさえ思っていた。

 

 反発の声をあげたいが、あげられない。隣にいる依姫が憤怒されるのは勿論の事、彼自身も永琳と二人で話してみたいと思っていたから。

事の成り行きを名も知らぬ神に任せた彼は、ただ黙って成り行きを傍観した。

 

「……そうですね、分かりました。お師匠様がそこまでおっしゃるのなら、今日一日だけ彼をお願いします」

 

「ええ、任せて」

 

 深く礼をした依姫は、彼の肩に軽く肩を添えて何かを告げた後、早々に退室した。彼はげんなりとした表情のまま、視線を足元に落とした。

部屋に残されたのは彼、天道と永琳のみとなり、静寂だけが辺りを包んでいた。虫の音ひとつ、聞こえなかった。

 

 

* * *

 

 

 二人だけとなった室内で、何を話すという事もなく静寂だけが包んでいたが、永琳が「遠慮せずに座って」と言ったので、彼は適当な椅子を選び、そこに着座した。

古ぼけた絵画が壁にかけられており、それを注視した。見れば額縁はやたらと豪華で、内容とのギャップを感じた。

大空に広がるちぎれ雲の行き先がどうでも良いように、彼にとってそんな事はどうでも良かった。そんな生産性のない事を考えていると、不意に永琳は立ち上がり口を開いた。

 

「珈琲でも淹れるわね。貴方、珈琲は飲める?」

 

「はい、飲めます」

 

「私は苦めで頂くのが好きなのだけれど、貴方は?」

 

 何てことのない普通の質問にも、彼は疑念を抱けずにはいられなかった。

珈琲に入れる砂糖の量を思案するには、些か長すぎる時間が経過した後に、

 

「苦いのは嫌いじゃないですが、甘めでお願いします」

 

「そ。なら砂糖を沢山入れておくわね」

 

 永琳はそれだけ言って席を立つと、部屋の直ぐ裏手へと姿を消した。

 彼女が席を立ってから直ぐに、彼は室内を見回し周囲の観察を始めた。

部屋には機能的な、比較的大き目の机が置いてある。恐らく永琳の作業場なのだろう、様々な書類などが置かれていた。

隅には観葉植物が置いてあり、窓際には何やら怪しげな薬品や試験官など、色々な道具が置かれており、少々不気味であった。思わず、生唾を飲み込んだ。

 

 数分も経過すると、永琳はカップを持って戻ってきた。

湯気が立ち上がっている純白の珈琲カップの一つを彼に手渡し、もう一つは自身の机へ。置く前に、一口だけ飲んだ。

 

「どうぞ、遠慮せず」

 

「はい。頂きます」

 

 ずず、と彼は一口だけ珈琲を飲み、予想以上の甘ったるさに驚いた。飲めなくはないので、もう一口だけ飲んで近くの机の上へ置いた。振動で、ミルクの波紋が広がった。

その様を見ていた永琳は、途端に微笑みだして彼に向けて言葉を放つ。

 

「どう、依姫は。生真面目な子だから、習い事に関しては煩いでしょう」

 

 不自然な笑顔でそう訪ねられると、彼も眉間を狭めたまま、

 

「ええ、中々厳しい人です。姉の豊姫さんとは比べ物にならないくらい」

 

 きっと本心でそう思っているのだろう、彼は頭を掻きつつ永琳にそう告げた。

すると永琳は自身の机から数枚の書類を選別し始め、それを彼に向けて提示して見せた。

 

「ところでこれを見てもらいたいのだけれど、貴方の問診表」

 

「……これは」

 

 永琳が取り出して見せたのは、彼が試験の最中に受けた、健康診断のいわば結果であった。

体重や身長は勿論の事、その他諸々の内容が明記されており、彼は困惑した。

そしてもう何枚かの書類も手渡され、そこには……

 

「……僕の治療に関しての事、ですか」

 

「そ。依姫との試合で負傷した貴方を治療させてもらったのだけれど、少々疑問に思う節があってね」

 

 

 ──来る。

 彼は、そう思った。この永琳という女性は、僕が女性の身体をしていると感付いている、と。

 けれども彼は、それらに対しての対策は万全を期しており、胸には硬めの薄い素材まで入れて、触られてもバレぬよう誤魔化している。

来るなら来いと、彼は思った。言い訳なら用意してあるし、何なら力尽くという手段もある。自らが不利な状況に立たされるのならば、是が非でも口を封じなければならない、と。静かに永琳の視線を見据え──

 

 

「ねぇ、あなた。何故自分を男と偽って試験に参加していたの?」

 

 永琳の瞳が彼を突き刺した。けれど、その視線を逸らす事は許されない。

核心を付いたその言葉に、彼は薄ら笑いを浮かべて反論の言葉をあげようとした。

今まで一度たりともバレる事はなかったのだ。今回もそうだ。うまく言い繕えば、決して言い逃れられない状況ではない。彼はそう強い自信を持っており、悠々と口を開いて言葉を紡いだ。

 

 

「はは、何を言ってるんですか八意さん。僕が"男"なわけないじゃないですか──うん?」

 

 即座に彼は、自分の口元を押さえた。何か妙な事を口走ったなと、頬を震わせた。

今、自分は何を言ったのだ。咄嗟の出来事だったので完全に理解する事ができなかった彼は、深く口を閉じるが。

 

「ああ、やはりね。どうみても貴女、女だものね。私が間違えていたわけじゃなかった」

 

「だから、……そうですよ、僕は女なんですから……うッ」

 

 再び自分の口を押さえた。

何故だか、"自分が思っている事とは違う発言"をしてしまう。彼はそう確信し、何故そうなったのかを推測し始めた。

そう思って直ぐに思い浮かび上がってきたのが、永琳が提供したひどく甘ったるい珈琲だった。彼はそれを手に取り、中身を凝視した。ミルクの波紋が、カップの端にまで到達していた。

 

「これか……何か、盛りましたね」

 

「うふふ、貴女、面白い反応するわね。私の作った新薬の味はどうだったかしら……"嘘が吐けなくなる薬"は」

 

「……とても不味い、不自然なまでに甘いし」

 

「あら、失礼な子ね」

 

 永琳はそう短く呟くと、懐から小さなカプセルを取り出し、それを彼に投げた。

消しゴムを投げ渡されたかのように、手の平を受け皿にしてそれを受け取る。彼はそれを、人差し指と親指の先でつまんだ。

 

「それを飲めば効能が緩和されるわ。警戒して口を閉じられてしまっては、本末転倒だからね」

 

「……ふん」

 

 人を小ばかにしたような対応に彼は憤慨を覚えつつも、与えられたカプセルを一気に飲んだ。

これが綿月姉妹が師匠と仰ぐ人物なのかと、彼は疑問に思うと同時に、恐ろしい人物だと認知した。

 

 薬を飲んで暫くし、効能が効いてきた頃に永琳は再び口を開いた。

 

「さて、私の事は依姫から聞いて知っていると思うけど、一応名乗っておきましょう。私は八意永琳……知っての通り、依姫と豊姫の教育指導を担当していたの」

 

「はあ、そうなんですか。担当していたって言う事は、今はもう教えていないという事ですか」

 

「まだ指導役から身を引いたわけではないけれどね。あの子達ももう一人前だから、いつまでも気にかけていては成長を妨げてしまうもの」

 

 そこまで言葉を紡いだ永琳は、「私のことはいいから」と矢継ぎ早に紡ぐと、彼に向けて質問をした。

 

「それよりも貴方の事を聞かせて頂戴。その身体のこと──そして、能力の秘密」

 

 質問を投げかけた永琳の瞳は、まるで獲物を捉えんとする鷹のような鋭い眼光で、彼を射抜いていた。

とても言葉を濁して掻い潜れる状況でもない、先程の薬を服用させられてしまえばどの道、嘘をついたところでバレてしまう。そう考えた彼は、永琳にだけ秘密を吐露する事を決意した。

 

 

* * *

 

 

 彼が永琳と共に部屋に残り、話の場を設けてから数刻ほど経過した。

提供された珈琲はすっかり冷めており、彼の分の珈琲は並々注がれたままで、大して飲まれた形跡がなかった。

室内に設けられているブラインドカーテンの隙間から、夕暮れの紅い光線が室内に差し込んでおり、時刻は既に夕暮れを迎えている事を示していた。

 そんな折、何度目かの椅子の座り直しを行い、腰の負担を和らげていた彼は永琳に向けて疲れたような、気力の抜けた声調で言葉を放った。

 

「──という事です。ですので、僕は身体は女性ですけど、精神は男のまま。……あの、記録に残さないでもらえますか」

 

 永琳は彼の発言で気になった部分を、紙に書き写して記録を残していた。

あまり他言されたくない内容なので、彼としては即刻止めて貰いたい事なのだが、この女にそんな事を言っても無駄な事は既に理解しているのか、大した言及まではしなかった。

勿論記録を残す事を止めなかった永琳は、やがて区切りがついたのか筆を置くと、彼に視線を向けて言葉を紡ぐ。

 

 

「……ふぅん。それで、あの子達に取り入ったのね。それも薬目当てで」

 

「ええ、言い辛いですが。けれど僕にはとても大事な問題です。男なのに、性別を隠して生きなくてはならないのは……耐え難い」

 

 彼は月に訪れてから初めて、他人に本心を吐露した。

強制的に荒廃した大地に生かされ、荒んだ精神状態は変化する事もなく生かされたのに、身体だけは全く違うものに変化していた。

そんな理不尽な事象に巻き込まれつつも、今の今まで生きてきたのだから、その精神的なストレスは相当なものに昇っている。

 

 彼は何とかして、羨道という男に頼まれた薬を永琳に作ってもらえないかとお願いした。薬と引き換えに目的を成し遂げる、等価交換の為に。

「何とかお願いします。薬を作ってもらえないでしょうか」と、深く頭を下げて、永琳にお願いした。

彼女は暫く考える素振りを見せた後に、組んでいた足を一度解き、再び組みなおしてから彼に向けて言葉を放った。

 

 

「別に構わないけれど、幾つか質問するから答えて」

 

 あっさりと述べられたその言葉に、彼は思わず息を呑んだ。無言で頷き肯定すると、永琳は言葉を続ける。

 

「貴方が言ってる薬品と性転換に、何の関係が?」

 

「確か話によりますと、魔術を行使する際に補助的な……いわゆる助長する作用があるとか、なんとか」

 

 彼の質問の答えに、永琳は怪訝そうに表情を歪めた。思案するように顎に指を当てて、

 

「……ただの引火性の強い薬品なのに、調合したところでそんな効果が得られるとは到底思えないんだけどね」

 

 永琳はそう言葉を述べ、彼の言っている薬品について説明を始めた。

 彼が羨道という男に頼まれていた薬品は、永琳の見解によるとただの燃料に過ぎないというらしく、魔術に作用する液体とは程遠いものであった。

その昔、ロケット等の巨大な物質を動かす為に用いられていたという燃料らしく、現在ではほとんど使用されていないという。

 

 彼女の説明を聞いた彼は困惑し、何も言葉にする事ができないでいた。知識人の考える事は分からない、と次第に瞳を閉じて思案する事をやめる。

しかしそんな彼の状態を考慮することもなく、永琳は再び彼に向けて言葉を放つ。

 

「ま、そんな事はどうでもいいわ。貴方の望む薬程度、私なら簡単に製薬できるから」

 

「本当ですか?」

 

「けれど倫理的に考えて、貴方の望む薬は決して作ってはならない物。貴方がさっき言ったとおりの、あくまで魔術を助長させたり、増幅させたりする薬なら、何の問題もないけどね」

 

 永琳はそう言葉を放ち、説明した。

 いくら彼女が天才だからと言って、何でもかんでも薬を作っては良いわけではないのだ。

極端な例をあげるのならば、"不死の薬"というのも永琳ならば作る事は出来るだろう。……が、万が一それを服用した者が存在したのなら、"倫理に反している"とされ、地上へ堕とされる流刑……最悪は死刑という事も在り得る話なのだ。

なので永琳は彼に対し、倫理に反しているであろう"性転換"させる薬を直接作る事はしなかった。それは彼が嘆願したところで、変わらぬ事実でもある。

 

 代案として彼女が提案したのは、魔術を助長、増幅させる程度の薬。

性転換をするのはあくまで彼の力で行い、足りぬ部分を薬で補うというだけの話であった。

あくまで彼の力……"魔術"で性転換を行うのであれば、一時的なものなので確実に倫理に反していると断言することは、第三者には出来ない。

月の法律のグレーゾーンを行く行動に違いないのだが、それでも彼は実行に移すのだろう……窮屈な生活から脱却するために。問題は、その魔術をどうするか。

 

 

「分かりました。それで是非、お願いします」

 

「そ。魔術の方は私には力になれないから、自分で何とかしなさいな。ほら、受け取りなさい」

 

「……っとと、これは」

 

 永琳がポイッ、と彼に向けて投げ渡したのは、小さな小瓶であった。

厳重に封が施されており、中身は透明だがとても濃厚に感じる液体が注がれており、外見からしても穏やかな液体ではない事は一瞬で理解できた。

 

「貴方がさっき言ってた薬よ。必要としてる人がいるんでしょ。どの道この研究所に置いといても使い道がないからね、腐らせておくのも何だし」

 

「……ああ、ありがとうございます」

 

「強い衝撃を与えたら爆発する恐れがあるから、慎重に取り扱いなさいよ」

 

 彼女の言葉に背筋を凍らせた彼は、ポケットにしまっていたそれを再び取り出し、持っていたハンカチに包んでから懐にしまった。

永琳がそう言うという事はつまり、これは火薬類なのだろう。そう推測した彼は、羨道は実は裏で何かを考えているのではないかと思ってしまったが、今は考えぬ事にした。

 

 

 大分長く話し込んでしまい、そろそろ帰路に着かねば拙いなと思った頃合、彼は自らの口から「そろそろ帰ります」と発言しようとしたのだが、それは永琳によって遮られた。

実はまだ彼女の話は終了していなかったようで、話にはまだ続きがあるようだ。怪訝そうに眉を歪めて、言葉を待つ。

 

「最後にひとつだけ。これは質問というよりは、条件なのだけど」

 

 ──条件。

 きっと彼の望む薬を作ってやる代わりに、彼女の要望に応えねばならぬという、そういった類のものだろう。少なくとも、彼はそう予測した。

此処までやってきた彼は、今更陳腐な要望の一つや二つ、何でもこなしてやろうという意気込みでいた。

しかしながらその意気込みは、永琳の言葉を聞くと、直ぐに空気の抜けた風船のように萎んでいってしまった。

 

「──貴方が地上から訪れた人間だという事、絶対に他言しない事」

 

 それは条件というよりは、忠告。命令というよりは、お願いでもあった。

彼は永琳にだけ、自らが女性の肉体であるという事実と同時に、自分が地球から来た……つまり、"外来した人間"であるという事実も、一緒にして伝えたのだ。

その事実を聞いた永琳は、表情には浮かべなかったものの、大いに驚愕した。

 彼はまだ、月では"外来人"が忌み嫌われるという事を、理解していなかった。

 

 永琳の言葉を聞いた彼は一瞬きょとんとしたが、直ぐに平然を取り戻して、

 

「それは、どうしてですか。確かに不可思議な話ではありますけど、事実僕は他の世界から来た人間ですし」

 

「郷に入っては郷に従えと言うでしょう。貴方のような"外来人"は皆、月人と比べると考え方も違うし、価値観だって違う。それに穢れだって……」

 

 そこまで言葉を紡いだ永琳であったが、「そういえば貴方は穢れていないのね」と呟くと、思案するようにして顎に指を添えた。興味深そうに眉を動かして、

 

「……一度精密検査を実施してみたいけど、今日は時間ないし」

 

「……丁重にお断りさせていただきます」

 

 永琳は不思議に思っていた。

何故外来人である彼が穢れを有していないのか、と。

しかしその答えを本日中に得ることは出来ず、永琳の彼に対する興味は、当初出会った時よりも更に増しており、今後も彼の動向に注目せざるを得ない。

 

 彼らの話が一段落したのか、静寂が室内を包み込んだ。

帰りたそうな雰囲気を醸し出す彼を尻目に、永琳は相変わらず何かを考えているのか、遠くを眺めるような視線をしていた。

視線の先で子供達が無邪気に遊んでいるわけでもないのに、彼女の視線は何かに釘付けだった。

 そうして突然、彼に表情すら向けず、言葉を放つ。

 

「そうだ。今度、輝夜に会ってごらんなさいな」

 

「はあ。輝夜、ですか」

 

 知らぬ人物の名に疑念を抱いた彼であったが、それも間もなく晴れる。

 

 ──蓬莱山輝夜

 古からの月の民の一族であり、また月の姫として高貴な位に就いている人物。

綿月姉妹然り、蓬莱山輝夜も八意永琳から師事を受けており、月の姫という立場ながらも、永琳とは教師と教え子という仲でもあるようだ。

 

 彼女は彼の奇妙な境遇に興味を抱いており、そして内なる不思議な力、綿月姉妹達に気に入られるという内向性を評価していた。

その上で月の姫である蓬莱山輝夜と邂逅させ、彼女らが彼とどういった事象を生み出すのか……興味の対象となっていた。

何て事はない、ただの挨拶。無論、彼もそう思っており、永琳の提案については快諾するに至った。

 彼が永琳の提案について快く承諾した事に関して、彼女は微笑み混じりに言葉を放つ。

 

「そ。なら明日にでも……ああ、駄目か。流石にあの娘も許してくれないわよね」

 

 早速日程を調整しようと目論んだ永琳であったが、ふと浮かぶ姉妹の顔に、これ以上の融通は効かないだろうなと判断し、面白おかしそうに呟いた。反面、彼は複雑な表情で。

 

「また時間がある時にお願いします。明日は依姫さんと警邏がありますので」

 

「そうね。あの娘は生真面目な性格だから、依姫との警邏は大変でしょ。虫の子一匹逃さない娘だから」

 

「ええ、まあ。……けど、実際問題彼女は腕も立つ人なので、性格も相成って適職なんじゃあないかなと思いますけどね」

 

 真面目な性格な依姫に対し、彼もまた正義感は強い方の性格なので、彼女との警邏が苦手と思っていたりはしない。

むしろ地獄のような訓練から開放されているその瞬間こそ、彼にとっては幸せな時間の訪れといっても過言ではない。言ってしまえば、歩くだけなのだから。

 彼もまた面白おかしく言葉を返し、永琳は頬を緩ませ微笑んだ。

 

 綿月姉妹の下で従事し、その後に八意永琳とも邂逅し、当初からの目的である薬品の確保に成功した。

思いの他迅速に事が運んだ事に驚きつつも、彼は自身の幸運さに感謝の感情を抱いた。勿論、感謝の先は八意永琳。

 と言っても、彼が男性の肉体を得るのはまだ先である……次なる目標は、簡易的な性転換術の魔法を会得する事であり、焦点は定まっているものの、会得方法などを考えると漠然とした内容に、途方に暮れてしまう。

それでも"不可能な話"ではない事は確実なので、彼は今後も綿月姉妹の下で従事しつつ、今後の目標に向けて着実に行動をするのみであった。

 

 

 




以上となります。

次話から地の文が増えて参ります。
さくっと進めていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
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