東方外来禄 -往年幻想物語-   作:くりすてぃあーね2世

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巻ノ四十〇 丸くとも一角あれば人心

 綿月家保有の訓練施設の敷地内で、かつての闘劇が再び繰り返されていた。

整然と舗装された訓練場の芝は荒れ果て、地中深くの新鮮な土を抉り出しており、とても人工的に整備された施設とは思えぬ状態に変わっていた。

依姫が拳を突き出せば周囲の空気が振動し、彼が蹴りを放てば竜巻が起こる──誇張も過ぎるが、傍観している玉兎達にとってはまさに、次元の違う戦闘に見えていたのである。

 

 突如として行われた綿月依姫と、天道の模擬試合……否、ただの喧嘩に過ぎないが。

半刻程の時間が経過したにも関わらず、未だに両者の喧嘩に決着は着いておらず、激闘は続けられていた。気付けばグラウンドはあちこち隆起しており、いくつものクレーターが出来上がっていた。

手数は確実に依姫の方が多く攻撃を与えており、丁寧な一撃を綺麗に炸裂させ続け彼にダメージを蓄積させていく。だが──

 

「──喰らえッ」

 

 型式に囚われた依姫の近接戦闘術は、それに囚われぬ彼の野生的な近接戦闘術を相手に苦戦を強いられていた。

彼と共に行ってきた鍛練の多くは、武器を取り扱った経験のない彼の為に、様々な近接武器や月の軍事兵器……小銃から大口径の長銃と様々なものばかりだった。近接戦闘における格闘術の鍛練は、ほとんど指導していなかったのだ。

今一度、拳を交えて初めて理解できる──彼の野生的な型式囚われぬ攻撃は、不確定要素が強く非常に厄介であると。依姫は確かに、そう理解した。

 

 拳が胴体を打ち付ける鈍い音と共に、依姫が体内の空気を吐き出した。

直ぐに態勢を整え、三度、四度と彼に連続で攻撃を叩き込むが、致命傷には及ばず。

逆にカウンターの如く熾烈な一撃を胴に喰らってしまい、依姫は思わず逆手で腹部を押さえた。口端を歪ませ、何か苦いものでも食べさせられたかのような表情で、

 

「くッ……神霊──っ」

 

 己が能力を行使し武神を顕現させれば、この程度の闘劇など一瞬で終結する。

だがそれら全て、神霊の類は彼の能力により看破されてしまう。今一度使用を試みる依姫であったが、即座に彼が自らの能力を覆い被せて阻害してくる。

 ──切断したり結合したりする能力。

依姫は彼の能力をそう認識していた。時折、視界に紛れ込んでくる前髪を鬱陶しく感じて、かき上げた。

 

「……ッ、流石にやるわね。その身体の、一体何処からあれ程の強靭な力が出せるのか、いつ見ても不思議に思うくらい」

 

「お互い様だ。……恐ろしい、付け入れられる隙を作ったら、あっという間にやられそうだ」

 

 傍観している玉兎達は誰もが"依姫が優勢である"と認識していた。わあわあ、といつの間にか玉兎達は、彼と依姫の戦闘を愉快そうに観戦していた。

 そしてその上で、"依姫様が勝利するだろう"──と。しかし、決して一概には言えない。

一撃を丁寧に決める依姫であるが、どうにも致命傷とは至らぬ軽打ばかり。転じて彼の攻撃は、決して手数は多くはないものの、決まれば見た目以上に重く、深い一撃。

小手先の技術、能力の質、気の扱い方。それら全て依姫が完全に上回っている──が、直接的な腕力に関しては彼が上回っており、"無手で闘う"という挑発に乗ってしまった依姫は、内面的に苦戦を強いられていた。

 

 なれば、と。彼女は一策を講じる。

大きく後方に跳躍すると、依姫は手の平を大きく開き、彼へと向けて、

 

「余裕を持って相手を制する。これが私の流儀……だが、言ってる場合でもない、か」

 

 土埃を被り薄汚れてしまった衣装、そんな事など微塵も気にする様子を見せずに依姫は攻勢に転じた。

近接戦で劣るのなら、距離を保てば良い。彼女の内に秘めたる膨大な霊力が、大地に脈打ち鼓動を開始する。彼へと差し向けた手の平に霊力を集中させ、解放。

 

「さぁ、避けなさい。粉微塵になりたくなかったらね」

 

 言葉と同時に放たれるは霊力による気弾──否、"波動"とも表現できるそれは、攻撃の軌跡すら見せずに彼の足元の大地を爆ぜさせた。

予備動作すら認識させぬ一撃、音も無く放たれるその一撃。

正攻法で防ぐのは確実にヤバイ──そう思考し理解した彼は、蛇に見つかった蛙のようにして後方へ飛び退いた。

 

 次々と高速で射出される霊弾を慎重に見極めつつ右に左に、軽やかなステップで避け続ける。その度に気弾が着弾した大地が爆ぜ、土埃が舞う。クレーターの中に、新たなクレーターが出来上がっていた。

 

「……っ損害が酷くなってるぞ。僕は知らないからな」

 

「ふん、知らないわよそんなの。修繕費は全て、貴方の給金から引いときますからねッ!」

 

「なんだと……ッ」

 

彼が動揺した隙を依姫は見逃さない。

次々と霊弾を放ち、彼の周囲を破壊し尽くしていく。土埃が上がり、相応の熱量に包まれた現場は、傍観している玉兎でさえ恐怖し身を縮めて怯えていた。

 

「あっはは! 油断したわね、天道。安心しなさい、治療費は私が負担してあげるから……──ッ」

 

 彼を追い詰め、愉快そうに高笑いする依姫。しかしその言葉の途中、依姫の頬間近を何かが通り抜けた。

音も無く過ぎったそれは物理的な得物ではなく、彼が放った一撃でもない。先程、依姫が飛ばした霊弾であった。

ふわり、と依姫の薄紫色の髪が風に煽られたその時、彼女の背後にあった施設の一角が大破した。

轟々と音を立てて、施設の屋根が崩れ去る。室内にいる者達の安否の事など考える暇もなく、依姫は眼前で舞い上がる砂煙に視線を釘付けにした。

 

 ──あの砂煙の向こう側で何が起こっているのか。

視界不良により索敵が困難な彼女。乾いた喉が更にカラカラになるのを感じつつ、砂煙が収まるのを待つ。

やがて視界を遮っていた砂煙が晴れてくると、そこから人型のシルエットが浮き出てくる。その人型のシルエットは、中腰の状態から立ち上がる姿勢のまま、

 

「──弾き返せるぞ。僕だって霊力の使い方を学んでいたんだ……依姫、お前の攻撃は僕に通じない」

 

 尚も砂煙が舞う中、姿を見せた彼は人差し指を依姫へと差し向け、攻撃の態勢を整えていた。

彼が霊力を指先に集中させ解放させれば、即時強力な霊弾の応酬が依姫を待ち受けているのは、火を見るよりも明らかであった。

 

 彼女は歯軋りをした。

遠目から見ている彼にもそれを認識できる。上半身を僅かに屈ませ臨機応変に行動が出来るよう、また我が攻撃に合わせて行動を開始してくるだろうという事、その全ては彼の予測の範疇。

"どのような方法で始末してやるか"

それだけを考える。

初撃の霊弾は避けられる可能性が高い……否、確実に避けられる。なれば、その先を予知して行動をすれば良い。

 

「"一番初めに右の足を狙う"……例外はない。僕がそうすると言ったのなら、絶対にそうする」

 

「……ほう」

 

それは宣言にも近い、攻撃の予告。

 

依姫は知っていた。

彼に霊力の指導を実践的に行っていたのは、ほかでもない彼女である……彼の他人とは違った霊力の質、そして膨大な容量。

実際に初見で彼の指弾を見た時は、ひどく驚いた。

電光石火の如く射出される指弾は、依姫が視認する前に目標地点に着弾し、規模の小さな爆発を起こすのだ。

 

それが我が脚部に命中したらどうなるのか?

 

答えは模索する必要すらない。肉は炸裂し骨は粉々。二度と足を地につけて歩行する事は出来なくなる。

これは単なる"喧嘩"に過ぎない。彼は本当に全力の指弾を射出してくるのだろうか……一つ間違えれば、取り返しのつかない事態になるのは間違いない。

 

だが、今の彼は頭に血が昇っており、冷静な思考が取れない状況である。

そしてまた、依姫でさえも若干であるが冷静ではなく、何とかして彼に"お仕置き"を与えてやろうと模索し、それだけを考えていた。

 

 

何て事はない。"一番初めに右足を狙って撃ってくる"と予告しているのだから、それを加味して行動すれば良いだけの話。

右方へ跳躍してもいい。左方に避けても構わないし、後方へ飛び退いたっていい。

依姫が彼に対して取った行動は、至ってシンプルなものであった。両の足の裏を大地につけたまま。

 

「何のつもりだ」

 

 彼は、依姫に訊ねた。

彼女は天高く右の腕を突き上げるが、それだけ。

依姫の行動を疑問に思った彼は、その思惑、真意を確かめようと言葉を吐くが、正答は返ってこない。

 

「私はこのままでいい。神に誓って"絶対に避けない"……さぁ、撃ってきなさい」

 

「……本気で言っているのか?」

 

 凛とした瞳で、芯を通したと言わんばかりに言葉を貫く依姫。

ただそれだけの事なのに、彼はひどく動揺した。まるでジャンケンで最初に出す手の形を予告されたかのように、次の一手に迷いを生じさせる。

 

 己の指弾の威力は十二分に理解しているつもりだ。それが人間の身体に着弾すれば、ジャンク人形のようにバラバラに弾け飛び、爆ぜるのは間違いない。

果たして依姫は本当に"避けない"つもりなのだろうか──もしも本当に避けずに、まともに被弾すれば取り返しがつかない。

 

 行動を予告して依姫を動揺させる手筈が、看破され逆に動揺させられてしまっている。

これはただの喧嘩に過ぎない。依姫に大怪我を負わせてしまうのは、彼としても本望ではない。

 ──葛藤。

 今になって、互いに疲弊して漸く、煮えたぎっていた頭が冷え、冷静さを取り戻す。

"撃ってはならない"という感情が沸々と湧き出すと同時に、"今更引き下がれない"という意地にも似た感情が彼を包んでいた。

 そんな彼の葛藤も知らず、依姫は悠然とした表情で、

 

「私もひとつ、予告しましょう」

 

「……何だと」

 

「貴方は間もなく、地に倒れ伏す。主人に逆らう頑愚な部下には相応の仕置きを──神の御裁きが降るでしょう」

 

 不気味なまでに低く、けれども透き通った声色でそう宣言する依姫。

右腕は天高く掲げられ、両脚は確実に地についており、微動だにしない。

 

 心中葛藤し、見誤った行動を理解していた彼であるが──ここまで言われてしまったら、もう後には引き下がれない。否、引く事などありえない。

額から滲む汗が土埃と混じり塊になるが、気に留めぬ。迷いなく、真っ直ぐに差し伸ばした人差し指に霊力を集中させて──

 

 

「……僕の心と行動に迷いはない。尊敬している主人が道を見誤っているのなら、それを正すのも従者の仕事」

 

 それは虚言か、真か。それとも彼女を唆す甘言か。

泰然とした口調で並べられるその言葉を最後に、彼の指から霊力の塊が射出された。青くぼやけた、光の輝き。

 

 今は敵対しているとはいえ、普段は優秀な部下から"尊敬している"という言葉が飛び交い、先程の言葉を撤回しそうになった依姫であるが……甘い。

全て甘い。甘い攻撃、浅はかな稚策。その程度でこの綿月依姫を降せるものか、と。力強い意志と同時、依姫は行動する。

 

 依姫の考えは、本当に単純でシンプルなもの。

天道が有する"切断と結合をする能力"には、ひとつの欠点があるという事。

鍛練で頻繁に仕合うからこそ、今の依姫には理解できる。彼の能力には"射程距離"があることに。

彼の行動を常に注意深く観察していた依姫だからこそ、その欠点に気付く事が出来たのだ。

 

 そして今、依姫と彼の距離は大きく空いていた。手を伸ばしたとしても、届きようのない距離だ。

様々な葛藤や思考に追われていた彼は、無論それに気付かず、素直に指弾による一撃を放つ。

 

 彼の放った一撃は、本来ならば依姫が"神霊"を行使して防ぐ手筈であったが、どうやらその必要はなかったようだ。

何故か彼の霊弾は依姫には命中せず"外れた"。彼女の足元の大地を軽く爆ぜさせる程度、空気銃ほどの威力でしかなく。

 

 "敢えて外した"──彼はわざと指を逸らし、霊弾が依姫に命中しないように仕向けたのだ。

それに気付いた依姫は若干驚きつつも、決して攻撃の手は止めない。既に神霊を行使し、それを具現化させていた。

 

「御身を宿し我が大敵を駆逐せよ──"建御雷之男神"」

 

「神霊は使役させないよ。僕の能力で切断してしまえば……っ!」

 

 神霊と依姫の関係を切断してしまおうと、能力を使用した時、彼は気付いた。

まるでバットが空を切ったかのような、見事なまでの空振りに。自身の能力が依姫まで届いていない──"離れすぎている"という事実に。

 

「そんな、まさか……気を遣っていた筈なのに……いつの間に射程範囲外に──」

 

「一手も二手も遅い。貴方は既に、私の手の平で踊る道化人形に過ぎない……"建御雷之男神"、かの者に鉄槌の裁きを!」

 

「は──」

 

 依姫が呼び出した神霊、建御雷之男神を行使した。

彼が何か言葉を上げようとするが、その暇すら与えない。巨大な幻影の拳が彼の頭上遥かに出現すると、一瞬の内にそれは振り落とされた。

 

 大地を揺るがす轟音が響き渡り、幻影の拳が完全に大地と密着し、それを基に大地に皹が入った。同時に、巨大なクレーターをも作り出す。

ほんの一瞬、僅かであるが巨大な地震が発生し、傍観していた玉兎達はきゃあきゃあ叫びながら、尻餅をついた。スカートの中身が見えそうになるのを、隠そうともしない。

 

「──私の勝ちね、完全に。まさか攻撃を躊躇するとは思わなかった……天道がその気だったら、もう少し苦戦していたのかも」

 

 誰に言うでもなく独り言を呟いた依姫は、額に汗を浮かべつつも、とても気分が良さそうに指を鳴らす。

 

「さて、あまり長時間使役していては消耗するだけだし、彼も十分懲りてるだろうし……そろそろ潮時ね」

 

 パチン、パチン、と。リズミカルに二回指を鳴らし、幻影の鉄槌が振り落とされた場所まで歩み寄る。なおも建御雷之男神の巨大な拳は振り落とされたままであり、依姫が自らの意志で解除するまでは継続されるようだ。

彼も懲りたであろうし、解除しようと思った時──幻影の鉄槌が、僅かに震え始めた。

 

「……ッ、まさか……」

 

 突如震え出した、彼を押し潰していた幻影の鉄槌。

間もなくその震えは振動に変わると、大地と密着していた拳が徐々に上へと上がり始め──彼が神の拳を持ち上げ、大地から這いずり上がってきた。

 

「ぐぅ……ッ、痛い……凄く痛い。くそッ……どうして僕が、こんな目に……ッ」

 

「あっ」

 

 神の拳を持ち上げ彼が現れた瞬間、使役していた建御雷之男神が消え去る。

彼が最後の最後に能力を行使し、依姫と神霊との関係を途絶えさせ、消滅させた。しかし、僅かその程度の行為では状況の好転には繋がらず。

建御雷之男神に打ちのめされ、心身ともに限界に近付いていた彼を前に、同じく疲弊している依姫が相対する。

 彼が土に塗れ血赤に染めた拳を、静かに上げる。

 

「まだ終わってない。諦めないぞ……僕には正しいと信じる意志があるんだから」

 

「……ふふ。良い覚悟だ。貴方、そんな表情もできるんだ」

 

 疲弊してもなお、闘争心を剥き出す彼。依姫もそれに便乗し、面白いと言わんばかりに戦闘態勢に入る。

依姫も武神を顕現させた事もあり、体力的にも、精神的にも大きく消耗しており、深手を負っている彼と大した差はなかった。

 

 ……何だか、周りの玉兎達が騒がしい。依姫は拳を構えながら、そんな事を思った。小賢しい、黄色い声が徐々に大きくなっているのを、彼女は感じた。

だがしかし、そんなのは目の前から溢れ満ちている闘争心の前では、全て杞憂となる。

 力強く、依姫は彼へと向けて宣言する。背後から近付く、新たな敵にも気付かず──

 

 

「──いいわ、天道。納得のいくまで、何度でも屈服させてやる。来いッ! 今度は二度と這い上がれないように────ッ痛ぁッ!?」

 

 依姫の言葉の途中、鋭利な風切り音。そして痛烈な勢いで彼女の頭部に一撃が入り、依姫はこれまでにない悲鳴をあげ、痛みを露わにした。

目尻に涙を溜め、後頭部を押さえながら振り向いてみると、そこには──

 

「なにしてるの、依姫」

 

「……あ。ね、姉様?」

 

 威圧的な視線を依姫達へと送るのは、彼女の姉である綿月豊姫その人であった。

彼女は自らの能力……"海と山を繋ぐ程度の能力"を行使し、私的な理由で闘争を繰り広げていた依姫達の下へと瞬時に移動してきたのだ。

豊姫の背後には、一人の玉兎が罰の悪そうな顔をして隠れており、その玉兎が豊姫を呼んできたのであろう事は直ぐに推測できた。

 

「玉兎達が慌てて私の下まで来たから、何事かと思っていたけれど……蓋を開けてみれば、取るに足らぬ浅薄なことで天道と揉めてると聞いてね」

 

「う……」

 

「貴女という娘が、何をそんなに取り乱しているのかしら」

 

「そ、それは天道の奴がっ」

 

 豊姫が事の経緯を説明するよう促すと、依姫は若干早口で経緯を説明し始める。

彼が反抗する玉兎達に力を誇示しようとしてやり過ぎた事、何よりも主である自身に無礼を働いたという事。

それら全てのけじめをつけるという意味で、今回の闘争に至ったというわけだが──訓練施設の現場は見るも無残。あちこちが損壊しており、その補修費用は計り知れないだろう。

 組んでいた腕を解き、懐から小さな扇子を取り出した豊姫は、

 

「天道、こっち来て。正座」

 

「え……で、ですが、僕はただ」

 

「うるっさい、詭弁なんて聞きたくないわ。さっさと座りなさい……従僕のようにね」

 

「……はい」

 

 閉じた扇子の先端をちょい、と動かしながら彼を招く。彼は眉尻を下げてとても嫌そうな顔をしたが、従わざるをえないと項垂れる。

疲弊もありふらふらとした足取りで豊姫の下まで向かうと、既に正座していた依姫の隣りに並び、それに習った。

 

 その後、豊姫の説教は延々と続いた。

何故喧嘩にまで至ったのか、そもそも職務中に私的な理由で問題を起こすな、と。

たとえ血の繋がっている妹であろうと、右腕として活躍している従者であろうとも、平等に叱責をする。

第三者の介入により止められた喧嘩。彼は勿論の事、依姫も返す言葉がないと、ただ豊姫の言葉を聞き入れ、反省した。

 

 やがて豊姫の叱責も落ち着きをみせた頃、太陽は既に天高く昇っており、月の大地を彼方まで照らしつけていた。

言葉による言及も一段落したのか、豊姫は腰に手を当てて深く溜息を吐き、口を開く。

 

「依姫もそうだけど、天道も。依姫は貴方の上司なのだから、しっかり立ててあげないといけないでしょ?」

 

「……ですが、依姫の奴が責任転嫁してきたんですよ。僕はそれが許せなかっただけです。ほら見て下さい、あの」

 

「ち、ちょっと天道っ! 余計な事は言わないでっ……」

 

「余計な事じゃあない。そもそも君が力を誇示しろだなんて事を言うから、ここまで発展したんじゃないか。それとも何か、兎達の前で手を抜けとでも」

 

「んなっ……それは貴方が力の加減を間違えたからでしょうがっ! もっと要領の良いやり方は出来なかったわけ? 物を壊すだけなら猿にでもできる事だけど?」

 

「……何だと、まだやるつもりか? 先に言っておくが、僕は引き下がる気はないからな」

 

「ふん、あくまで非を認めないようね。やはり仕置きが足りないのかしら……」

 

 互いに正座をしたまま睨み合い、目の前に豊姫がいようと構いなく闘争心をむき出し、ぶつけ合う。

まさに視線で火花が散る勢いで睨み合う両者であるが、豊姫はそれを叱責するでもなく、不思議そうな表情で依姫へ向けて質問する。

 

「あら……二人とも、そんな仲良かったっけ?」

 

 きょとん、とした表情で豊姫がそう問いかける。

睨み合っていた双方もその言葉に反応すると、ほぼ同じ動作で豊姫の方へと振り向き、

 

「……姉様。一体どこをどう見たら、その考えに至るのですか」

 

「だって、ねえ。二人とも以前のような堅苦しさがないじゃない。彼もどこか伸び伸びとしているし」

 

「伸び伸び? これが伸び伸びに見えますか? 私には、飼い主に噛み付こうとする駄犬の如き振る舞いにしか見えませんが」

 

 豊姫はそう述べ、彼が依姫に対して敬語を用いず、まるで友人と話すかのようにして言葉を放っている事に驚きつつも、それに触れた。

これはあくまで、喧嘩している勢いでタメ口で話しているに過ぎない。別に仲の良い友達だから、という理由ではない事は明白なのだが……豊姫はそれを面白おかしく指摘する。

 

「素敵じゃない、そういうの。仲が睦まじくて大変良し」

 

「ですから、違います。これは私を愚弄しているだけ……部下が上司に友達口調だなんて、言語道断ですっ!」

 

「あら、おかしいわね。貴女、前に"天道と仲良くなりたい"って、私に相談してたじゃない?」

 

 人差し指を唇にあて、悪気もなく豊姫がそう言った。

そんな陰話、本人の目の前でするものではない。依姫は頬を赤らめ、汗を滲ませ豊姫に向けて抗議した。

そんな事言ってません、何を言ってるのですか姉様、と抗議する依姫を、彼は呆気に取られたように口をあけ、傍観した。

 妹の反応を見て、十分に愉悦した豊姫。今度はその矛先が彼へと向けられて、

 

「天道も。"依姫さんと仲良くするには、どうすればいいですか"って、私に相談してきたわよね。なに、あなた達……私に寸劇でも見せてくれるというの?」

 

 これまた面白おかしく、クスクスと笑いながら台詞に感情を込めて言い放つ。

呆気にとられて口をあんぐりとあけていた彼は、"は"と意味のない言葉を洩らし、豊姫に顔を向けた。

頬を染めた依姫は拙いながらも言葉を紡ぎ、不器用ながらも彼に真意を訊ねようとする。

 

「そ、そうなの、天道?」

 

「い、いや……言ってなくもないけど……豊姫さん、何もこの場で言わなくても」

 

「えー、私はてっきり、二人はもう仲良しなのかと思ってたのだけれど……違うの?」

 

 今度ばかりは真顔でそう質問する豊姫に、彼は難儀した。

それは依姫も同様のようで、二人は睨み合いから見つめ合いに変更すると、少し考えた後に彼が口を開く。

 

「……まあ、決して仲良しというわけでは」

 

「煮え切らないわねぇ。依姫、彼が口調を変えたのは貴女と"仲良くなりたい"からなのよ。目くじらを立てないで、優しく接してあげなさいよ」

 

「……べ、別に最初から怒ってませんし。天道が仲良くしたいって言うんなら、……そうね、考えておきます」

 

 豊姫にはそう言葉を放つ依姫であるが、豊姫に至ってはにやにや、と意地悪く頬を緩ませて妹を見据えていた。

強がりなのか、照れ隠しなのか。それは依姫自身にしか分からぬ事であり、豊姫は妹を嗜め、彼は何と言葉を発していいのか分からず、口篭っていた。

 

 彼にはその昔、恋人が存在していた。だからこそであるが、異性を相手にしても物怖じはしない。

だが代償として、それを失った悲愴感を心の底から味わっており、その記憶は今でも忘却しきる事は出来ないのか、自分から飛び込んでまで依姫と仲良く接する、という事が出来ずにいた。

常に"主人と従者"という関係を意識しながら、依姫と接していたのだ。

敬語で話すのは当然、立場上依姫を引き立てつつも、自分は後方でそれを支えるのみ……形式として組み固められたその関係は、今日の喧嘩がなければ、未来永劫変わる事はなかったのであろう。

 

 依姫に至っては、恋人など存在した事がない。

異性に対してどう接していいのか……また、周囲には常に"自分より弱い"異性しか存在せず、根底から男性に対しての意識が低かった。

だからこそである。いざ男性と仲良くなろうと考えても、どのように行動すれば良いか分からない。結局、依姫と対等になれる異性など、今の今まで存在しなかったのだ。

そうして漸く邂逅した彼に至っては、信頼のおける姉に相談し、何となく要領というものを掴みつつあったものの……それを発揮する前に、喧嘩に発展してしまった。

 

 

 ──結論を述べる。

豊姫の揶揄に惑わされた依姫、天道の両名は、豊姫の眼下にて暫し見つめ合った。

羞恥心による気疎い空気に包まれる……言葉が見つからない。第一声、何と言葉をかければ良いのか、分からない。

彼も依姫も言葉を発しようとせず、ただ悪戯に時間だけが過ぎていくばかり。

妙な空気の二人に、やれ仕方なしにと豊姫が救いの手を差し伸べた。

 

「ふふ、二人とも初心ね。このままもう少し見ていたいところだけれど、有限の刻の中ではそれも叶わない。また後日、日を改めて話を聞かせて。その時は、素敵なピーチビュッフェのサービスでもあれば、尚良し」

 

 小さな扇子を閉じて、開いて。また閉じた。朗らかな笑みでそう言葉を紡ぐ豊姫は、とても機嫌が良さそうである。

二人は心なしか"助かった"というような表情をし、頬を赤く染めたまま視線を逸らした。

 

 そして豊姫が「仕事の続きがあるから」と此の場を離れようとした時、彼は何かを思い出したのか、立ち上がる。

依姫は彼に視線を向けたまま、立ち上がる彼を不審に思いつつも紡がれる言葉に耳を澄ました。

 

「豊姫さん、最後にひとつだけ……」

 

「ん、なぁに天道?」

 

 既に彼に背を向けていた豊姫は、再び彼に向き直った。

一見すると只の少女である豊姫……だが内に秘めたる力、権力に関しては、月に住む人間の誰よりも高位に位置しており、一般人に至っては彼女と謁見する事すら叶わないだろう。

そんな豊姫に対しても、彼は物怖じする事なく堂々と口を開く。

 

「その、ピーチのデザートは作れるのですが……樹齢長寿の桃の木がですね、倒壊してしまいまして」

 

 このタイミングなら言える、桃をこよなく愛する豊姫に。綿月家管轄の桃園の中、で最も大きな桃の木が再起不能になってしまったという事。

それを伝えた。たった今、確実に。

豊姫はさっきまで機嫌が良かったし、このタイミングなら叱責されないだろう。そう考えた彼は、あははと笑いながら、自らが働いた悪事を告白した。

ピーチビュッフェのサービスは提供できない、という旨も同時に伝える。当然だ、桃の実だって無限に熟れているわけではない。

ビュッフェとは、言わば食べ放題の形で提供するサービスである。ピーチビュッフェ……つまり、桃の食べ放題という造語。

 

 樹齢長寿の桃の木が倒壊した事実を知った豊姫は、瞳を陰に染めた。

"お前は何を言ってるの"というような表情に切り替える豊姫……決して機嫌が良いと表現は出来なくて。

そして実際に彼が指を差し伸ばし、倒木した事を豊姫自身に視認させた事により、彼女の感情は爆発した。

 

「全く、お前は……そういう大事な事はもっと早く言いなさいよ」

 

「い、言おうと思ったんですが、依姫に止められてしまって……」

 

「人のせいにするなっ! 貴方がやったんでしょっ!? はぁ……もう、仕事がひとつ増えたわね。ものの数分程度で終わるでしょうけれど」

 

「ちょ、姉様落ち着いてっ!」

 

 刹那、豊姫の扇子が空を切った。

彼女の扇子は風だけでなく、線上にある全ての物体を切り裂き、粉々に消し去った。

辛うじてそれを避けた彼であるが、服の一部が消失し、背筋を凍りつかせた。

 豊姫の持っている扇子は、月の軍事兵器のひとつであり、試作型の携行式武器の一種でもある。

何とか、本当に危機一髪、それを避ける事が出来たのは依姫のおかげかもしれない……彼女が出張り、豊姫の振るった扇子の軌道を僅かに逸らしたのが、功を奏したのだから。

 

 その後、依姫が"私も悪いのです"と謝意を述べると、頭に血が昇った豊姫も少しずつ落ち着きを見せ始め、何とか大事には至らなかった。

一番初めは"彼が悪い"と括り言い切っていた依姫も、様々な事象の結果を経て、そういう結論に至ったのだ。

 

 人間とは、真に狡賢い生き物である。

それがまた人間の良いところでもあり、悪い部分でもある。

今回の依姫と彼の喧嘩は収束を見せ、その後に起きた豊姫の暴走も何とか収まると、一部を除き再び元通りの日常へと戻った。

 

 依姫と彼の喧嘩は、決して無駄ではなかった。

当初は彼を完全に舐め切り、適当な行動ばかりしていた玉兎達が、彼の言葉一つ一つに忠実となったのだ。

最強の名を我が物としていた依姫と善戦したのだ。並大抵の実力ではない事は傍観していた者ならば即座に理解できる、彼が超一流の実力を持っている事に。

 

 無事玉兎隊の隊長として就任する事ができた彼。

今後どのような試練が彼を待ち受けているのか、それは誰にも分からない。

遥か彼方、月の都を見下ろす碧く巨大な惑星が存在し続ける限り、彼の試練は終わらない。

 

 




以上となります。
戦闘シーンの合間での投稿は、なるべく時間を置きたくないと思っております。
ですが見直し作業や本編執筆が思うように進んでいない状況ですので、折り合いをつけつつ投稿をしている次第であります。
なるべく定期的な投稿を目標としておりますので、これからも当作品をよろしくお願いいたします。
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