六月下旬、季節は初夏となり。
ふと数えてみて、たきなのやってきた四月からもう三ヶ月が経とうとしていることに少し驚いた。
そういえば今日はたきなも千束も、リコリス制服を半袖の夏服仕様に衣替えしていた。
それは時間も経っているはずである。
ウォールナット抹殺依頼や地下鉄での銃乱射など、原作通りの事件はあるにはあったものの、身構えていた割には平穏に時間が過ぎたせいかあっという間の日々だった。
そして私の予想が正しければ、この穏やかな時間はまだ暫くは続くはずだ。
原作であれば北押上駅でのテロに次いで『松下さんの観光案内中にサイレントジンの急襲』があり、そして『真島によるリコリス連続襲撃事件』が起きる。
しかし、前者に関しては千束の才能が発揮されていないことに気が付いた吉松が探りを入れてきただけであり、私が吉松と結んだ契約が生きている以上は起こるはずもない。
そして後者に関してもロボ太を介した吉松からの指示である故に、この二つの事件は連鎖して起こるべきものである。
つまりこれらの事件は二つとも、未然に防がれていると考えられるのだ。
真島のことだから吉松の介入がなくとも大規模なテロの計画を立てているだろうけど、協力者もスポンサーもいないとなればそれには少なくとも長い準備期間が必要だろう。
真島に関しては完全にDA任せになってしまうのが気掛かりではあるが、と。
「……」
吉松との契約と引き換えに得た『現状』に概ね満足した私は、竹箒を手に取って、再び店の掃き掃除を始めた。
◇◆◇
ロボ太は焦っていた。
ハッカーとしての成り上がりは順調なはずだったのだ。
憎きライバル、目の上の瘤であったウォールナットがヤバい組織―――アラン機関相手にしくじって、不興を買ったことに始まり。
ウォールナットを始末する仕事を任されて、アラン機関ともコネができた。
とんでもなく腕の立つデカ女の連絡先も一応手に入れたし、一つの仕事で手に入れる人脈としてはこれ以上ない成果だと、そう満足していたのだ。
ところが、鼻歌を歌いながら日々を過ごすこと早二ヶ月。
あの仕事以来、アラン機関からパッタリと連絡がない。
仕事を終えたと報告をして、“ご苦労だった” の一言の他には、何も。
「―――いやいやおかしいだろ!? もっと来いよ仕事ぉ! カンッペキな結果を出してやったんだからさぁ!」
仕事がないとどうなるか。
単純にカネがなくなっていく。
このままではいけない、とロボ太は分かっていた。
何とかして、再びアラン機関から目を向けてもらわねばならない。
自分が役に立つ人間であることを、証明しなければ。
しかし、あのクライアントに直接仕事を要求するのはマズい気がする。
ウォールナットのように機関から煩わしく思われたらお終いだ。
そういう “匂い” にはロボ太は敏感であった。
ならば。
「……そうだ!」
アラン機関の支援対象たるアランチルドレン。
彼らの手助けをすれば、アラン機関もこのロボ太サマの有能っぷりを認めてくれるだろう。
だが、表舞台に立っているヤツらはダメだ。
よく知りもしないくせにロボ太のようなアングラな人間を悪人と決めつけ、一方的に弾劾してくる類の人間をロボ太は嫌っていた。
故に、アラン機関の裏の支援対象。
そう、例えば……あのデカ女とか。
ロボ太はデイリーのニュースサイトを見ながら、さらに考えた。
『地下鉄脱線事故 奇跡的に負傷者ゼロ』
おお、ちょうど良いのがいるじゃないか、と。
◇◆◇
「……ああ、ああ。……分かった。私の方からウチにいる三人には伝えておこう」
誰かと電話をしていたミカ先生がスマホから耳を離して、厨房にいる私の方へと目を向けてきた。
「リコリス関連で何かあったの?」
「……そうだ」
ウチにいる三人、とは普通に考えれば千束、たきな、私というリコリス三人のことを指すだろう。
そう私が問えば、苦々しげに顔を顰めさせたミカ先生が頷く。
「楠木女史の話では、単独任務で動いていたリコリスが四人、何者かの襲撃に遭ったそうだ。車で轢かれた後、複数人から銃で撃たれた形跡があったと」
「―――」
そんなバカな、と思いたかった。
リコリス襲撃事件は、吉松が千束を “殺し” へと駆り立てるため、ロボ太を利用して真島の行動を誘導した結果として起きる事件だ。
吉松が契約に背いたのか、という考えがすぐさま過った。
しかし、それならば私の方も吉松への義理、契約を果たす必要がなくなる。
ここで電話でも掛けて私が千束に全てを打ち明けてしまえば、それだけで水泡と帰すような計画を、吉松が立てるとは思えない。
となれば、経緯は不明だが、これは吉松ではなくロボ太を起点として起きた事件と見るべきだろう。
DAから漏れた画像データを元にしてリコリスが狙われている、という事件の真相からして、彼のクラッキング能力は不可欠なのだから。
後々その辺りの事実確認はするべきだが、今はそれよりも。
「……とにかく、一人で行動しちゃいけないってことだよね。千束には私から伝えておくから、ミカ先生はたきなの方お願い」
「ああ、分かった。飲み込みが早くて助かる」
ミカ先生の言葉にひらひらと手を振って応えつつ、私はスマホで千束の連絡先をタップした。
数コールを挟んで、電話越しに千束の声が響く。
『……もしもし梓? 珍しいね、そっちから電話なんて』
「あ、千束。今は家? 出掛け中?」
『今? 家だけど。……え、今日私休みじゃなかったっけ。もしかしてやらかした?』
「休みで合ってるからそれは大丈夫なんだけど……ちょっと待ってね」
一旦言葉を切った私は、たきなと話しているだろうミカ先生を見遣った。
スマホのマイク部分を手で抑えて、ミカ先生に声を掛ける。
「先生。たきなに、千束の家に泊まれるか訊いてみて」
『!! なに、なんか今とっても素敵な話が聞こえた気がするんだけど! 泊まるって!? どういう―――』
二言三言たきなと言葉を交わしたミカ先生が、スマホを持っていない方の手でサムズアップしてこちらに頷いた。
良い返事がもらえたようだ。
千束本人の確認は……この分だと、するまでもないだろう。
「―――良かったね千束、たきなそっちに泊まるって。私も後から行くから、お泊り会かな」
『〜〜〜っ$%#%^!!』
千束が狂喜乱舞する声と、恐らく嬉しさのあまり放り投げられたスマホが床に落下するゴトンという音が聞こえてくる。
『……っとと。―――梓!』
「ん?」
『めっっっちゃ歓迎の準備して待っとくから! お店閉めたらすぐ来てね! すぐ!』
「あはは、ありがと。なるべく早く行くね。……で、その話だけだったら良かったんだけど、実は本題は別にあって―――」
それから、そもそもこんな話になった事情を説明して、千束との通話を終えた。
その日の夜、リコリコを閉めた後。
ミズキさんの車で一度荷物を取りに私の家に寄って、千束の家まで送ってもらった。
駄目元でミズキさんも泊まらないか誘ってみたけど、『アタシは今夜、罪な女になる予定があるのよ』なんてさらりと断られてしまった。
お酒も飲めないガキ共はガキ共で楽しんでなさい、とも付け加えられて。
まあ……気を遣ってもらった、ということにしておこう。
車を出してくれたことにお礼を言って、私達はそこで別れた。
「……」
マンションの階段を上り、部屋番号を確認する。
……うん、間違いない。
私がチャイムを鳴らすとドアの向こうから『はぁーい』と千束の声が聞こえた。
それからすぐにドアチェーンを外す音と、鍵を開ける音。
千束からの『どうぞー、入ってー』という声に従って私はドアノブを捻る。
この反応の早さは、待っていてくれたのだろうか。
千束のことだから、きっと開けた途端のクラッカーでも用意して―――。
「―――いらっしゃいませぇ!」
「っ!」
楽しそうに満面の笑みを浮かべた千束と、その後ろに立つ真顔でクラッカーを構えたたきな―――には気が付かず。
さらにその後ろに広がるあまりにも殺風景な部屋にも目を向けず。
私の視界に真っ先に飛び込んできて、瞬間的に私の意識全てを奪ったのは、何者かがこちらに向けて構えた、鈍く光る金属筒――銃だった。
「よ―――」
銃を構えた人物からの悪意は感じない。
しかし私が真島の一件に懲りて以降、相手に悪意がなくともノータイムで反応できるよう意識に刷り込んできた、その成果がここで表れてしまった。
リコリス襲撃の報せを受けて、内心の緊張を普段よりも一段高めていたことも、悪く作用したかもしれない。
とにかく、その状況について私が何か違和感を感じたり、思考したり予測を立てたりするよりも早く、私の身体は己が命を守るべく行動を開始する。
「―――う、え?」
「ふっ―――」
『彼女』らしくもなく、腕を伸ばして構えられた無防備な銃身を握り、小刻みによじらせてグリップから手を離させ、ついでに足で相手を突き飛ばした。
銃身を素早く手の中で回し、今度は私がトリガーに指を掛ける。
ドアをカバーとして利用できるよう後ろへ後退りつつ、姿勢を崩している
反射行動にブレーキがかかる。
ぴくり、とだけ動いた指が、引き金を引く寸前で制止された。
そしてサイトから目を離し、目の前の人物に目を向けてみれば。
「―――ちさ、と?」
両手を上げて口の端を引き攣らせた千束がいた。
それから、目を丸くして口を半開きにしたたきな。
その手にはクラッカー。
私はゆっくりと、ゆっくりと自分の状況認識を塗り替えていく。
ドアの向こうにいたのは敵ではなかった。
私が握っているこのチャチな銃も、恐らくは……と適当なところに向けて撃ってみれば、“ポンッ!” という軽快な音とともに飛び出す紙吹雪。
「………」
「あぁ………その、千束……」
………………ごめん。
シクシクと泣き崩れる千束をたきなと二人で宥めて、ついでに私は謝り倒して、ようやく千束は持ち直した。
よっぽどサプライズを楽しみにしていたらしい。
ほんとごめん。
それからやっと家に入り、ダミーの部屋をスルーしてどんでん返しの壁を抜けて梯子を降りると、誕生日パーティーの如く飾り付けられた居間に辿り着いて。
風船やら紙飾りやらが至る所を彩っており、流石にここまでとは思っていなかった私が驚いたことに、千束は少しだけ満足した様子だった。
飾りではないものとして壁に貼られていたのは、原作でも見た “家事分担スケジュール”。
例によって料理、洗濯、掃除と一週間のあらゆる家事がたきなの分担になっている。
「梓の分も私がじゃんけんした!」
千束に胡乱な目を向けると、ピースしながらそんなことを言われた。
その横でたきなは納得がいかない顔をしている。
「……これ、おかしいですよね? 確率的に考えればどの手を出しても勝率は―――」
「あー……」
たきなはそのまま、ぶつぶつと自分の手を疑うように見つめながら思考の海に沈んでいってしまった。
私は振り向いて千束を見咎める。
「千束? 後輩をいじめないの」
「えー。たきなの方からじゃんけんで決めよう、って言ってきたんだよ」
私悪くないもーん、と子供のような言い種をする千束。
千束の髪型が外行きの普段と違うせいか、本当にいつもより幼く見える。
「でも、私の分まで勝手に決めたよね」
「勝ちました!」
ぶい、とまたピースをする千束。
「ありがとう。けど、私は自分で決めたいかな。だから―――」
たきな、私ともじゃんけんしよっか。
私がそう言うと、まだぶつぶつと言っていたたきなが顔を上げて、怯えたように一歩後退った。
千束に全てのじゃんけんで負けたことがトラウマになっているのかもしれない。
そんなたきなをまあまあと宥めすかして、じゃんけんをして。
「―――え、は? ……え?」
「―――いやー、負けた負けた」
その全てに負けた私は、たきなと家事をほぼ半々で分け合うことになった。