ここはとある山奥のダム。
昨今ダムマニアなる人種が現れるほどには人間を引き寄せる魅力を持ったダムであるが、本日ここを訪れた者達の目的はダムではない。
「獣や魚もなんだけれど、肉の鮮度を保つには血抜きが大事なんだよ。手早く血を抜かないと生臭さが肉に移ってしまうからね」
「へー、そうなんだ」
「ジビエなんかもよく肉が獣臭いっていうけれど、あれもしっかり血抜きが出来ていないのが原因だ。しっかり下処理さえしてしまえばちゃんと美味しく頂けるんだよ」
「「……」」
熱心に語る夏油の話に、虎杖が耳を傾けている。
その光景を一歩……いや、二歩三歩と離れた場所から冷ややかな目で眺めていたのは、虎杖の同級生である二人・伏黒恵と釘崎野薔薇であった。
どうして冷ややかな視線を送っているか?
それは眼前に広がる凄惨な光景に他ならなかった。
「完っ全に死体を解体する光景よね、これ……」
「……あぁ……」
顔を蒼褪めさせる釘崎に伏黒も同意する。
夏油が血抜きしている今回の食材───もとい呪霊は人型だった。それも限りなく人間に近い見た目をした特級呪霊であった。
───しばらく肉は食えないな。
そんなことを思いつつ口を押さえる二人を余所に、夏油は淡々と処理を進める。血抜きの為に蛸型の呪霊が水を出していることも、最早ツッコミはしなかった。
「おわっ!? なんかこいつ動いた!?」
「おっ、活きがいいね。鮮度がいい証だね。食べ応えがありそうだ」
血抜きされる呪霊───真人と言っただろうか。
『無為転変』という魂に干渉し肉体を操作する強力な術式を用いていた特級呪霊で、魂に干渉する術を持たずしては手傷も負わせられない強敵であった。
……が、釈魂刀や領域を始めとした数々の呪具や手段を持っていた夏油には相性が悪かったようだ。
今は首を切り落とされ、ただただ血を抜かれる食肉と化していた。
しかし、どうにもまだ息の根が止まっていないようだ。必死に下処理に抵抗しようとジタバタと藻掻いている光景は、今夜辺り夢にでも出てきそうであった。
「ちょっと!? めっちゃ暴れる……ってか、身体の形変わってんだけど!」
「う~ん? おかしいな、呪力は花御の術式で搾り取ったはずなんだが……」
「濡れる! ヤバイ水飛沫飛んでくる!」
どんな強力な術式であろうと呪力がなければ発動しない。
それを見越して戦闘中から調理する段取りを淡々と練っていた訳だが、真人の必死の抵抗を前にし手を止めざるを得なくなった。
おそらくは自己補完している呪力を全て無為転変に回し、なんとかしてでも夏油から逃れようとしているのだろう。絶え間なく肉体がグネグネと動き、変形している。
「仕方ない……釘崎、こっち来てくれないかい?」
「え゛っ。出来ればそっち行きたくないんスけど」
「そう言わずに。釘と金槌を貸してほしいんだ」
「釘と金槌? 別にトドメ刺すくらいだったら私がやりますけど」
「いや、そういう訳じゃない」
疑問符を浮かべる釘崎。
そんな彼女から釘と金槌を受け取った夏油は、そして。
「これで目打ちして動きを止めようと思ってね」
「私の釘ぃーーーっっっ!?!?!?」
一切の躊躇なく、真人の身体に釘を打ち付けた。釘崎の絶叫がダムを中心とした四方三里に響き渡る。もうあの釘は使えない……絶対だ。釘崎はもう二度とあの釘を使わないと心に決めた。
そんな釘崎の決意はさておき、夏油は身体を地面に固定してでも下処理を進める腹積もりであった。
しかしながら真人の抵抗は激しく、釘程度では無為転変の変形には太刀打ちできない。ものの数秒もすれば釘の固定から真人が抜け出してしまう。
「うわっ、ウナギより性質悪いぞこれ」
「弱ったな……いや、待てよ? あれがあったな」
「先生?」
きょとんとする虎杖の目の前で、夏油は
三本の刃の内、一本だけ欠けているような奇怪な形状である。
確かに刃の本数が多い分、釘よりかは固定できる可能性は高そうだが、見るからに調理器具とは言い難い見た目である。
「なにそれ? 呪具?」
「特級呪具『
『昔手に入れてね』と語る夏油が天逆鉾を真人にぶっ刺す。
するとあれだけ暴れ回っていた真人の身体がピクリとも動かなくなった。辛うじて指先がピクピクと痙攣しているものの、先ほどまでの大胆な変形は不可能になったらしい。
「おぉ、スゲェ!」
「コイツの効果は『あらゆる術式の強制解除』。これに触れてしまったら最後……悟の無下限だって一旦は解除されて無防備になるとんでもない代物さ」
「えっ、めっちゃ強ぇじゃん!? なんでそれ早く使わなかったの!?」
「まあ、奥の手みたいなものだしね」
そう言いながらも
この男、五条悟に並んでトコトン狂っている。狂っている方向性が違っているが、間違いなく狂っているとは断言できる。
「さて、動かなくなったことだしちゃっちゃと血抜きを済ませちゃおうか」
「おー!」
「なんで
「現実から目ぇ背けてんだろ。見ろ、あの光のない瞳を」
「あぁ……言われてみれば確かに」
キャンプ料理をしているかのような気分の二人に対し、釘崎と伏黒のテンションはひたすらに低かった。ただし、虎杖も若干無理をしていたようだ。
何せ見た目は完全に犯罪現場。それを手伝っている虎杖ともなれば、気分としては殺人の共犯者と同じだろう。
天気はこんなにも青空だというのに心の中は曇天だ。
三人は早く帰りたいという気分で頭がいっぱいであった。
しかし、料理という波に乗らない者はおいていくのが特級料理人・夏油傑のやり方。
あらかた血抜きを済ませた真人を横たえると、今度は愛用の
「これだけ上質な味の肉があると何に使うか悩むね……」
「え? まだ食べてないのに味とか分かるの?」
「いや、もう一口食べたよ」
「いつの間に!?」
「ほら。口に反転術式流し込んだ時」
「……あ゛ぁー!!? あの時!!? マジ!!?」
教えて、夏油先生!
Q.呪霊を簡単に倒す方法を教えてください。(東京都在住Y・Oさん 17歳)
A.味見ついでに相手の口に齧りついて反転術式を流し込むといいよ。
そういう訳で真人の味については既に夏油チェックが入っている。評価は花丸。味は紛れもなく最高品質であり花御、陀艮、漏瑚に並ぶ極上の素材と言っても差し支えない。
だからこそ悩む。
これほどまでの
「ハンバーグ……いや、ステーキも捨てがたいな。しゃぶしゃぶも美味しそうだし、ハムやらウインナーに加工しても絶品に違いない。いや、から揚げという手もあるな……」
想像を膨らませれば膨らませるほどに腹が減る。
溢れる涎を飲み込めど飲み込めど、味見した肉の甘露な旨味を忘れぬ内は絶対に止まることはない。
───あぁ……腹が減った。
とうとう胃袋が我慢の限界を迎えた。
こうなってしまった以上、何かしら腹に入れなければ気が気ではない。空腹の夏油が暴走する、それすなわち一億人分の呪いが渦巻いた混沌が野に解き放たれるに等しい。
この物の怪を食い止めるには、兎にも角にも腹を満たさなければ話にならない。
がしかし、そこらへんにウヨウヨと湧いている低級呪霊程度では夏油の食欲を鎮めるには足りない。それこそ最高級の食材を用いた料理でなくては───。
「───よし。ここで焼肉をしよう」
「焼肉ぅ~?」
虎杖が怪訝そうな声を上げる。
「道具も何もないのに?」
「いや、道具はあるよ」
「あんのかい」
勿論そこは夏油傑。
武器庫呪霊の中から焼肉に必要そうな道具を次から次へと引き摺りだす。
「おぇ……」
「釘崎。無理なら向こう行って休んでろ」
「ごめん、助かる……」
伏黒に気遣われた釘崎が顔面蒼白のまま退場する。
流石に年頃の女子としては、呪霊の口から引き摺りだした料理器具で呪霊の肉を食べるという行為に生理的嫌悪感を覚えたのだろう。
ヨロヨロと覚束ない足取りで森の中へと入っていく釘崎。去り際、茂みに虹を吐いていた。
「釘崎の奴、大丈夫かなぁ?」
「まあ仕方ないよ。食文化は理解されないことも多い。流石に私だって犬や猫を食べるのは忌避感がある」
「え、マジ? なんか嬉々として食べてるイメージあったけど……」
「君は一体私にどういうイメージを抱いてるんだい?」
生徒からの無遠慮な言葉に夏油先生は涙目だ。
およよ……と涙を流しながらも食肉加工業者顔負けの手つきで肉を切り分けていく夏油は、焼肉に必要な分だけをスライスして綺麗に皿に盛り付けていく。
そうして残ったウニョウニョと動き始める肉には黒い網のようなもので縛り付け、武器庫呪霊の中にどんどん収納する。
「肩ロースのかたまり肉……これは後でチャーシューだな。ふふふっ」
「先生ー!」
「なんだい虎杖?」
「今の黒い網って何? 肉を美味しく保存する為の便利グッズ?」
「そうとも言えるね。あれは『
「へー」
もう虎杖は驚かなかった。
色んな呪具があるんだなぁ、と。思うことと言えばそれくらいになっていた。
「いや、ツッコめよ」
しかし、律儀な伏黒がツッコんでくれた。
彼が居なくなればこの場より正気というものは瞬く間に消え失せてなくなる。
頑張れ伏黒。負けるな伏黒。唯一の良心はお前だ。
「そんな貴重な呪具、料理なんかに使わないでくださいよ」
「いいや、違うさ。これは呪霊を確実に捕縛し、私の術式の糧にする為に必要な用途に過ぎない。チャーシューにするのも呪霊を取り込む過程を円滑に進める為に他ならない」
「……なら仕方ないか」
良心は消えた。
そして後日、チャーシューの煮汁に味付けされた黒縄が生み出される未来も確定した。
「さて、伏黒も納得してくれたことだし本格的に肉を焼いていくとするか」
「先生ー! タレがありません!」
「ふふっ……肉本来の味を楽しむのなら、味付けは塩を置いて他にないよ」
「おぉ、なんか通っぽい!」
呪霊から塩の入った小瓶を取り出す夏油に、虎杖が歓声を上げる。
調味料は揃った。後は火を熾す用意であるが、そこは手慣れた夏油がパパっと進めていく。使い込まれた七輪の上に鉄板を敷き、炭に火をつける。すると間もなく炭が燃えるいい匂いが辺りに広がっていった。
「おっほー! 炭火だ炭火! テンション上がるー!」
「やっぱり外で焼く肉は炭火に限るね。炭の香ばしい香りが移った肉は、店で焼くのとも一味違った風味がして乙なものさ」
「でも、どうして網じゃなくて鉄板なの? BBQとか網焼きのイメージが強いけど……」
「いい質問だね」
炭火の熱が鉄板に蓄えられる間、夏油は虎杖の質問に答える。
「まさにそれが答えさ」
「え? 何が?」
「網は火で焼き、鉄板は熱で焼く。分かるかい……今こうしている間にも鉄板には炭火の熱がどんどん蓄えられている。この蓄熱こそが肉を美味しく焼く秘訣なんだよ」
「それでどう違ってくるの?」
「鉄板は───肉の旨味を閉じ込める」
夏油は牛脂───ではなく呪霊脂を鉄板に満遍なく塗りたくりながら言った。
直後、炭火の熱を蓄えた鉄板が呪霊脂を焦がす香ばしい匂いが辺りに漂う。これには虎杖も思わず『おぉ……』と圧巻の声を上げた。
「な、なんか凄そう……」
「具体的に説明すると、鉄板は網と違って鉄板全体に熱が蓄えられるから均一に火を通すことができるんだ。もちろん網焼きの方も美味しい。美味しいけどね、旨味という一点に追求するのであれば私は鉄板焼きを積極的に取り入れるべきだと思うよ」
「先生大丈夫? なんかに脳味噌とか取り憑かれてたりしない?」
「ははっ、面白い冗談だ。私が呪霊に取り憑かれたりするはずがないじゃないか」
饒舌に語る夏油に虎杖が心配の声を掛けるが、残念だがこれが平常運転だ。救いようがないのである。
「ともかく、肉の旨味を堪能するには鉄板一択。それが私の選んだ本音さ」
「ふーん……ま、先生がそう言うんだったら間違いないんだろうな」
「本当にそうかな?」
「?」
「
サシの入った赤身が鉄板の上へ静かに置かれた。
次の瞬間、ジュウ───否、呪ウ……! と音を奏でながら、肉の焼けるいい匂いが風に乗って虎杖の下へと運ばれていく。
───ああ、見なくとも分かる。
上質な脂の甘みに、しっかりとした赤身の旨味。渾然一体となった焼肉の味を想像すれば、それだけで白米三杯は軽く食せるだろう。
当初は若干現実から目を背けていた虎杖であったが、ここまでダイレクトに美味しそうな匂いを嗅がせられれば話は別。気づけばグーグーと腹の虫は鳴き喚き、口の端からもツーッと涎が溢れていた。
「期待するのも分かるよ」
そんな虎杖を現実に引き戻したのは夏油の声だった。
「私も正直驚いている。今までに幾度となく焼肉を平らげてきたからこそ言うが、この肉の香りは別格だ」
「……マジ?」
思わず生唾を飲み込んだ虎杖は、鉄板の上で焼けていく肉に熱い視線を注いだ。
網焼きとは違い、溢れ出した脂や肉汁は零れ落ちることなく鉄板の上でジュージュー───いや、呪ー呪ーと盛大な音楽を奏でていた。
気付けば虎杖の頬には汗が伝っていた。
それが鉄板から発せられる熱からか、目の前の肉の存在感に圧倒されたか定かではない。
しかしながら、ただ一つ確かなことがある。
(腹が、減った)
あれほどまでの凄惨な解体現場を目撃しても尚、食欲が留まることを知らなかった。その事実に虎杖は愕然とした。
確かにこれが牛や豚ならば、元々食肉として馴染みが深い以上、加工されている光景を目にしても『これから食肉になるんだな。美味しそうだ』と思えるだろう。
だがしかし、目の前の呪霊は人型だった。限りなく人だった。
人は人を食らうことを忌避する。それは人の肉を食らうことで健康に害があるといった理由からなどではない。人が人である為に超えてはならない一線として食人を忌避する価値観が自然と植え付けられているからだ。
無論、世界を幅広く見れば食人文化も存在する土地もあるだろう。
けど、やはり現代を生きる文明人としては人の肉を食らうべきではない。
……そう思っていたにも関わらず、虎杖の腹の音は未だに鳴りやまない。
鉄板が宿す高火力に焼かれ、みるみるうちに焼き上がっていく肉を見れば見る程、耐え難い衝動に突き動かされそうになる。
───一口くらい……。
そこまで思い至った瞬間、虎杖はハッと口を手で覆った。
だが、その時だった。
「焼き上がったよ」
「!」
焼けた肉を一枚取り上げた夏油が、どこからともなく取り出した皿にそれを盛りつける。
こんがり焼けた肉の表面では未だに脂がパチパチと弾けた音を立てる。それが虎杖には至高の焼肉の完成を祝う万雷の拍手に聞こえて仕方なかった。
「せ、先生……」
「食べないのかい?」
夏油は皿の上に鎮座する焼肉へ、高い場所から塩を振りかける。
そんな光景をまざまざと見せつけられた虎杖の胃袋は痛いほどに唸っていた。ぐおお、ぐおお、と。まるで胃袋の中に魔物が巣食っているようだった。
今すぐにでも食い物を胃袋に押し込めなければ魔物が這い出てくる。
その時を少しでも遅らせるようにと、虎杖はもう一度生唾を飲み込んだ。しかし、
「我慢しなくてもいいんだ」
「……え?」
「君の気持ちはよく分かる。呪霊とは言え、人の形をした生き物を食べるのは忌避感があるだろう。でもこれは人じゃない、呪いだ」
「これは……呪い」
「そして君は呪術師だ。それじゃあ後は何をするべきか……君なら分かるだろう?」
「!」
差し出された皿の上を見て、虎杖は目を見開く。
自分は呪術師で、この肉は呪い。
ならば、これからすべきことはただひとつ。
「……分かった。先生、俺
虎杖は受け取る。
その瞳には強い光が宿っており、目の前の呪いを
「だって俺は呪術師だもんな」
「それでいい」
かくして託された。
次世代の呪術師へ向けた、呪術師が呪術師たらん為の呪いが。
「……」
……などという三文芝居を、冷ややかを通り越し虚無の視線を向けていたのが伏黒である。
(早く帰りてぇ)
そうは思っても彼らの食卓は始まったばかりだ。
青空の下で焼肉の香ばしい匂いを漂わせながら、ささやかな食事の時間は始まった。
「いただきます!」
パンッ! と手を合わせた虎杖が、いざ焼かれた肉を口の中へと放り込む。
一瞬夏油が真人を解体する凄惨な現場が脳裏を過る。が、直後に過ったのはルビーを彷彿とさせる美しい赤色を放つ肉達の光景だ。
カルビにロース。それにモモやタン、ハラミやハツと、様々な肉の姿が躍る姿が目に浮かぶ。
(なんだ、これ……!? 旨いことは間違いないのに旨く……じゃなかった、上手く言葉に言い表せねえ!!)
噛めば噛むほど脂と肉汁が溢れ出てくる。
上質な脂の甘みは勿論、肉汁にたっぷりと含まれた肉本来の旨味は最高の一言に尽きた。鉄板の高火力でムラなく焼き上げられた肉にはしっかりと旨味が閉じ込められていた。
それに余計なタレは付けていない。シンプルに塩だけを味付けに用いているからこそ、肉本来の旨味が際立っていた。
───だが、それを踏まえても何だこの旨味は?
たった一枚食べただけなのに、大皿に盛りつけられた肉の山を味わい尽くしたかのような満足感がやって来る。肉のいいところ詰めるだけ詰め込んだ夢のような肉だった。
(なんだ……? これ呪霊の肉だよな?)
「まだおかわりがあるよ」
「っ!?」
しかし、直後に渡された肉の山に虎杖は現実へ引き戻される。
いや、ただの肉の山ではない。器をよくよく見れば、そこにはいつの間にか炊いた白米がよそわれているではないか。
美しい白米を彩る肉のドレスに、宝石のような塩。花嫁でも目の前にしたかのような胸の高鳴りを覚える間、呆然とする虎杖が垂らす涎は遂に地面に落ちた。
───箸をつけるまでの時間、僅か0.000001秒。
「いただきます!!」
目にも止まらぬ速さだった。
塩を振りかけられた肉と白米を虎杖が掻き込んだのだ。一瞬、箸からも黒い火花が散っていった。
頬一杯に掻き込んだ虎杖は、傍から見ても実に美味そうに肉と米と噛み締める。
熱々の料理を食しドッと汗も噴き出てくるが、それすらも厭わず虎杖は食に集中する。
(分かる……今なら分かる! カルビのようにジューシーな脂の甘みが口の中に広がったかと思ったら、ロースの濃厚な赤身の旨味が肉汁の波となって押し寄せてくる!それでいてモモみたいな噛み応えとタンみたいな弾力も共存してて……!)
「成ったな」
そっと夏油が呟いた。
目の前の少年は今、完全に呪霊の“味”というものを理解した。
だが、食事を経て呪霊の“味”を理解した今、彼は呪術師として三秒前の己とは別次元に立っていた。
(おめでとう、虎杖。ようやく私と同じ境地に辿り着いたか)
新たな呪術師の誕生に夏油は心の中で称賛を送る。
鉄板の上の肉もパチパチと肉の焼ける音を送っていた。
そして新たに誕生した呪術師は、淡々と呪霊を
噛む。味わう。飲み込む。
噛む。味わう。飲み込む。
歯車のようにひたすらに同じ動きを繰り返す虎杖を前に、山のように積まれていた肉と米の山はあっという間になくなる。
「っ……うめぇ~~~!!! なんだこの肉!!? 旨過ぎて息すんも忘れちゃった!!!」
「おいおい。息を吸う時に鼻を抜けていく料理の香りを楽しむのも食事の醍醐味だろう?」
「あっ……そうだった」
「まったく……おかわりいるかい?」
「いる!!!」
再び山盛りによそわれた肉と米に、虎杖は目を輝かせてがっつく。
「もぐもぐ! はふはふ! むしゃむしゃ! うおォン、俺はまるで人間火力発電所だ!」
「よっぽど味がいいみたいだね。どれどれ私も……おお、これは!?」
虎杖に遅れて真人肉を食べた夏油も目を輝かせる。
「なんていう上品な脂! しっかりと存在感を感じられるのに、喉を通り過ぎたらサッと消えていく……全然しつこくないからいくらでも食べられそうだ。それにこの赤身の旨味もいい! なんて濃厚で味わい深いんだ……!」
「先生! なんかこれ色んな味と食感するよね!?」
「ああ。体形を変化させる術式持ちだったからかもしれないね。カルビのようでロースでもある。そして、モモでもありながらタンでもある。にも関わらず、それらの旨さや食感が喧嘩せず調和し、渾然一体とした旨味の領域が口の中で展開される……これこそ呪霊料理の極致だ!」
ここまでの絶品は久方ぶりであると夏油も大絶賛だ。
「どんどん焼いていこう!」
「イェーイ! 焼肉パーティーだ!」
「……?」
そんな二人を眺めていた伏黒であったが、不意に背後の茂みが音を立てたことに気づいた。
(釘崎?)
先ほど森の中へと消え入った釘崎。
口から虹を吐いて胃の中をスッキリとさせたはずの彼女であったが、どうしてか虚ろな瞳を浮かべ、夏油と虎杖の方をジッと眺めていた。
(……おい待て。釘崎、まさか!?)
おもむろに歩き出した釘崎に、伏黒は瞠目した。
あれほど呪霊料理を嫌悪していたにも関わらず、覚束ない足取りの釘崎は焼肉の香ばしい匂いに誘き寄せられるかのように一直線に向かっていた。
最早焼けた肉から人間を錯乱させる成分でも含まれているかと勘繰りたくなるが、自分がまだ正気を保っていることからそれはないと判断した伏黒が叫ぶ。
「釘崎!! 落ち着け、その肉はさっきの……」
「伏黒」
「っ……釘崎?」
伏黒の方へ振り返った釘崎は、未だかつて見たことのないような微笑みを湛えながらこう言った。
「問題ない」
「釘崎!?」
「アンタはまだ
「釘崎!!?」
伏黒の制止も虚しく、釘崎は肉を焼く鉄板の前に腰を下ろした。
すると間もなく夏油が、焼けた肉を皿に盛り付けて釘崎へと差し出す。
「でもいいのかい? 耐性のない人間が食べたらお腹を壊すけれど……」
「その覚悟ができてないとでも?」
「フッ……すまない。無粋な質問だったな」
「分かればいい」
ふんだくるように肉が盛り付けられた皿を受け取る釘崎。
不意にこちらを不安げに見つめる虎杖の視線に気づいたが、それも彼女は一笑に付す。
食うと決めたなら食う。祓うと決めたなら祓う。それが呪術師、釘崎野薔薇の生き様だった。
そして、
「いただきます!!」
躊躇いなく肉を口に運んだ。
「っ……んっ、はふぅ……ごくん───~~~~~!! 美味しぃ~~~!!」
「だろ!!? やっぱ釘崎もそう思うよな!!」
「ホントなんなのこの肉!? 牛でも豚でも鶏でもないのに美味しいって!!」
一度口に入れてしまえば後は躊躇がなかった。
共感する虎杖と一緒になって肉と米を掻き込む。
もう意味も理由もいらなかった。人が人である限り“食”が必要であるように、虎杖と釘崎は本能の赴くまま肉を食らっていく。
そんな若人二人に温かな眼差しを向けながら肉を焼く夏油。
しかし、不意に袈裟の懐から着信音が聞こえてきた。
『食事時に一体誰だ……』と携帯を手に取ってみれば、画面には歌姫の名前。夏油は渋々電話に出る。
「もしもし?」
『もしもし夏油? ちょっとアンタいつになったら来る……って、何その音? アンタまさか飯でも食べてるんじゃないでしょうね!?』
「焼肉を食べているが……?」
『『焼肉を食べているが……?』じゃないわよ! メカ丸の連行私に任せといて、何悠々と焼肉食べてんだボケぇ!!』
烈火の如く怒り狂う歌姫に、夏油は思わず携帯を耳から離す。
「やれやれ……向こうに抵抗の意思がないと分かったから歌姫に任せたんじゃないか。これは信頼だよ、信頼」
『人に仕事放り投げといて焼肉食ってる奴の台詞か!! はぁ……まあアンタのことだからそんなこったろうとは思ったけど』
本題はここからよ、と声のトーンが一段落ちた。
『メカ丸どうするの?』
「どうとは? もっと具体的に説明してくれないか」
『皆まで言わせないで。事情がどうであれ、呪霊と通じ合っていたのは事実。場合によっては死罪もありえるわ』
「ふむ……」
焼肉を乗せた器を片手に、夏油は思案する。
そもそも今回このダムに訪れた理由、それは呪霊と内通していた高専関係者───もとい呪術高専京都校2年・
天与呪縛により呪力と引き換えに不自由を強いられる彼からしてみれば、例え外道に手を貸してでも自由を手にしてみたかったのだろうということは察せる。
しかし、内通は事実。
頭の固い上に処遇を一任すれば、重い罰が課されるのは目に見えていた。
「それなら私の指示でスパイしていたことにしよう」
『はあ?! アンタ、それって……!』
「この場合、向こうが先に提案してきたから二重スパイってことになるかな? 交流戦から遡っても特級呪霊四体撃破だ。上を黙らせる為の手土産としては十分だろう」
『そうじゃなくて! それだとアンタが責任を負う羽目になるでしょうが!』
「それが何か?」
電話の先で歌姫が息を飲んでいた。
そして、間もなく深いため息が聞こえてくる。
『……いいの? いくら成果があるからって、重箱の隅をつつかれるのは目に見えてるでしょう?』
「構わないさ。生徒の問題行動は教師の責任でもある。私で取れる責任ならいくらでも取ってあげよう」
『……それでアンタが死罪になっても?』
「おっと、それは困るな。その時はバックレて呪詛師にでもなってしまうかもしれない」
『冗談じゃ済まないわよ、それ』
歌姫は呆れ声でボヤいた。
対する夏油は柔和な笑みを湛えたまま、それでいて有無も言わせぬ力強い声でこう答える。
「冗談だろうがそうでなかろうが、若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ。私はいつだって未来ある呪術師の味方さ」
『……なにそれ。五条の受け売り?』
「さて、どうだろうね?」
半笑いの歌姫に、目の前の光景に目を移した。
「伏黒~! オマエもこれ食ってみろよ、トぶぜ?」
「食わねえよ」
「……ゔっ!!?」
「釘崎!? 蹲ってどうした!?」
「お腹……ヤバッ……」
「言わんこっちゃねえ」
「い、虎杖……」
「なんだ釘崎!? 背中とか擦った方がいいか?!」
「っ……伏黒に、肉……食わせ……ガクッ」
「釘崎ぃー!!!」
「おい、何最後に特大の呪いブッ込んできてんだ!」
食卓を囲みながら談笑する若人、いや、呪術師達。
時に馬鹿をやっては馬鹿騒ぎし、涙が出るほどゲラゲラ笑う。
───まるであの日の自分達を見ているようだ。
そう懐かしんでしまうくらいには時が過ぎたことを実感した。
同時に、彼らが三人一緒に立派な術師として大成する未来を願わずにはいられず、何の気なしに空を見上げた。
『───とう! ちょっと、夏油!?』
「うん?」
『なによ、急に黙って……聞いてたの?! アンタのやりたいことは分かったけど、それならそれでちゃんとメカ丸と口裏合わせなさいよ?』
「ああ……そのことか。勿論そのつもりだ。心配無用だよ」
『私にも出来る事があるなら言っときなさいよ? 私だってあの子の担任なんだから』
「ははっ、優しい先生が持てて幸せなことだ」
『は? アンタ、今なんて───』
「じゃ、また後で」
歌姫との通話を切り、そのままの流れで夏油は別の番号に掛ける。
「───もしもし、悟? ああ、今ちょうど任務が終わってね。いや、そういう訳じゃないさ。ははっ、私を誰だと思ってるんだ?」
先輩とも生徒とも違う応対の声色。
明らかに弾んだような声音を響かせる夏油は、自然と上の方を向いた。
「今度、皆で一緒に食べに行かないか? ……そう、硝子とも一緒にさ」
あの頃の青春を彷彿とさせる空は、今でも青がすんでいた。